2節 邂逅
長い長い静寂が空間に満ちた時、薄明りの電灯が一瞬消えた。
明確な目標、絶対的な大義。
そして小さい少女が言い放った死の宣言。
それはどこか浮ついていた私の尻をひっぱたくようでいて同時に、銃口を突き付けられたかのような束縛感を植え付けた。
それに呼応してか列車がまた大きく揺れる。
「嫌な予感がする、ハートレス、私の後ろに…早く‼」
そう言うと先ほどまでむすっと敵対心をあらわにしていた少女は仕事とばかりに背後へと誘導し、立てかけた武器を展開して護衛の役割を果たそうとする。
ライフルのような武器をテレーとは不釣り合いに大型の獣だって狩れそうなほどに頼もしいフォルムで構えている。
しかしその武器を構えた先には一匹の獣、いや違うこれは黒い魔獣と言うべき方が納得できる黒い獅子のような怪物がこちらの動きを窺っていた。
「何だあれ…ライオン?でもところどころかみ合わないような?」
目は血走りその図体では考えられない程に 今までそこに居たとは気づかせない存在感がある。
だがその獅子は襲い掛かってくるでも無くじっくりと舐めまわすようにこちらを観察するや、一歩二歩と後ろへ下がり暗がりに紛れるようにその痕跡が無くなった。
それはまるで勇気のないライオンのように。
「…パパ、何で今になって…いや、それよりも無事?とても残念、緊急事態、敵対勢力に位置を補足された、援護するから早く先頭車両まで走って‼」
するとテレーが長椅子の下から予備と思わしきブーツをこちらに放り投げ、聞くべきルートを指し示すかのように通路を指さした後に後方の黒い何かへ向かって少女は攻撃を開始した。
「は、走る?」
「行って‼早く!」
そこには優しさなど一つもない。
ただ死にたくなければ走れとせかすように冷徹な目を黒い敵対者から一秒も離さず言葉を投げつける。
だからこそなのか。
自らの生存本能は胸の鼓動にせかされて進む事を強制する。
そうして走る 走る どこまでも 白い天井の部屋を通り過ぎ、爆発音だって気にしない、俺は今知らない道をただただ真っすぐ走るだけ。
そうして必死に走り抜けた先に知らない男たちの人影がこちらに気づく。
「無事か‼スノー…いやハートレスだったか?テレーから通信で大方話は聞いてる。だが大分まずい事になった、まさか本人が直々にお出ましとは…想定外だ。」
件の男は上着をこちらに渡しぞろぞろ後方より現れた数人の部下に指示を出すと「混乱しているとは思えるが話は後だ、俺達を信じてこの先を走ってくれ!」
何故?と聞いている暇はきっとない。
列車の揺れは頻度を上げて大きく体を持ち上げる事もある。
先ほどの少女は「あなたの為に私は死ぬ」と言った。
武器を構えたこの男達も同様の言葉を口にしながら後方より唸りを上げる獣に向かって発砲を開始し、もはやここは戦場と言うほかない程の鉄の匂いが鼻を鈍らせる。
だからこう問おう。
「どこへ行けばいい?」
そう聞くと頼もしそうに体格のいいリーダーらしき男は微笑ながらこう言った「ありがとう、だからお願いだ。何があっても振り返らずに真っすぐ進め! そこにトリス医師が居る‼」
それだけだ。
それだけでいい、今やるべき事はただ一つ生き残るために言われたままに走るだけ。
それと同時に車内は大きく揺れた、だが歩みは止まらない。
絶叫の如き怒号が 車両の壁に風穴をぶち抜き翡翠の如き炎が道をふさごうとも、そこから無数の黒い獣がなだれ込もうともただただ真っすぐ車両を走る。
耳を塞ぎ澄ませない、きっと銃声に交じって悲鳴が聞こえてくるから、きっと遠吠えに交じって弱音が聞こえてくるから。
だがふとあの言葉が脳裏に過る、小さな少女の言葉だった。
あなたの為に私は死ぬ、その一言が呪いのように突き刺さる。
逃げていいのか?言い訳していいのか?
また耳を塞いで良いのかと?
いや、違う。
腕に力が入る、これは怯えじゃない、これは必要な事なんだと。
目は閉じない、だって見なくてはならないのだから。
耳も塞がない、だって聞き届けなければならないのだから。
だから走る、だから進む。
腕に力を振り絞り、足で床を蹴飛ばして。
そうして何も聞こえなくなったその時に眩い希望の明かりが体を包み声がした。
「おはようハートレス、いや、それともMrの方が好みかな?」
そう言って突然現れた女は服のポケットから小型のペンライトを取り出して、おもむろに瞳孔や口内を確認し、淡々と業務をこなすように会話を続けだした。
「私はトリス、この列車セーロス3号の契約医であり、凍土にて冷凍保存されていた君を蘇生した功労者でもある。」「「まあ、気軽にトリス先生でもトリス医師とでも呼んでくれたまえ。」
そう言うとトリス先生と名乗る女は丸椅子を辿り寄せ、座りながらも手元のデバイスのチェックリストに結果を入力しながら「最後に一つ、心臓の調子はいかがかな?」 とたずねて来た。
「心臓の調子?」
それはいったいどういう意図なのだろうか?
そうして胸に手を当て触ってみる。
感想としては、当然の様にバクバクと脈打っている。
手術痕らしきものの形跡は見られるが、当然の如くテレーと名乗った少女との会話以降、黒い獅子のような獣が現れてからずっと走りっぱなしである以上、その反応は人体の構造としての正常な反応ではある。
それは標準的な感覚であり、先ほどの問いに対する回答は「特に問題は無い」と言っても良いものだった。
「そうか、それは良かった。では時間が無い手短に話そう…」
それは冬破計画と呼ばれるミッションに関する内容だった。
1000年続く眠らない冬を終わらせる壮大な計画。
この星は今や3分の1が雪雲に覆われ、陽光が閉ざされる事により凍土に支配された Snowball Earthになり果てようとしている。
そしてその脅威は人類に団結を生み、独自の技術体系を生み出すことを強要した。
しかし、寒冷は生命にとっては相いれない存在であり、我々は苦難の時代に立たされている。
冬破計画は時代に追いつけない多くの声なき声に応えるための代弁者であり。
その元凶である幻冬の僭主:西風の魔女を打倒する一矢であると。
「それが私たちの目的であり、世界を救う大義になりうる。 だからお願いだハートレス、君の力を貸してほしい。」
「世界を…救う?」
…正直、話の8割が頭に入ってこなかった。
それは寝起き早々で尚且つ、記憶に霧がかかっているのが原因なのだろうか?
だが、そこに断る理由はない。
何せ世界を救う手伝いをするなんてそれはとても魅力的なお願いだからだ。
「ああ、君の役目はただ進めばいい、西風の魔女の住まうコールドゼロヘ、我々の悲願の為に共に歩みを続けて欲しい。」
トリス医師と名乗る女は薄いエメラルドのような髪を軽くかき分けて右手を差し出した。
それは契約の証であり、我々がともに計画を遂行するための一種の儀式に近い行為だった。
そうしてこちらも右手を差し出し手を握る。
「ありがとうハートレス、これで我々は仲間だ。」
すると列車の後方より先ほど分かれた男達が合流してきた。
「トリス!状況はどうだ、こっちはもう持ちそうにない‼」
「リードか、セーロス3号は流石に脱線は避けられない。だが魔獣の僭主はベールが抑えている。今ならこっそり数人程度であれば離脱は可能だがどうする?」
そうしてリードと呼ばれたリーダーらしき男は数秒悩み決断を下す。
「分かった、人数は?」
「荷運びのスクワットを含めて…5人ただし私は残る、君は行け。」
「了解した、編成は今デバイスに送った。 ハートレスこれから一緒に頼む、それと報酬の前払いと言っては何だがこれを…」
そうしてリードが手渡してきたのは焦げた薪色の黒いマントと中折れ帽子。
何故かと一瞬思いはしたが羽織ってみるとその温かさに感服を覚える良い品だった。
そうしてリード達に連れられて流れるようにポッドに入ると後方の車両に対して放たれた無数の爆撃音に紛れるように列車のサイドから射出される感覚を覚える。
これが冬を超える試練の始まりであり、長い長い1000年続いた冬に終わりを告げる旅路のプロローグであった…
Trial Beneath the Snow .




