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「誰か来た」
ジゼルの声にロファーが読んでいた本から目を離す。隣国の税制に関する本だ。顧客から調べておいてほしいと頼まれている。
「伝令屋のカールだ。ロファーの客だ」
ジゼルが言うと同時に、呼び鈴が鳴った。ロファーが立って、玄関ドアを開けた。
「昨日、具合が悪そうだったから心配したよ」
とカールが言う。
「外出中の札が掛けっぱなしになってるって言ったら、親方が魔導士様のところじゃないか、って。だから、来てみた」
そう言って宛名書きが必要な外国便を出そうとして、カールが鞄を覗きこむ。
「あれ?」
取り出したのは薄桃色の封筒だ。
「こんなの、いつ入ったんだろう?」
するとジゼルがスカスカとカールに近づき、サッと封筒を手に取ると、瞬時に開封して便箋を取り出した。
「早く帰ってきて、だってさ」
にやにや笑いながら、ジゼルがロファーに便箋を返す。
「また、あの封筒? なんなの、あれ?」
目をぱちぱちさせるカールに
「なんでもない、気にするな」
ロファーが不機嫌を隠さずに言う。
「ねぇ、カール。ジュードの宿に泊まっている美人さん、知ってる?」
ジゼルがニコニコしながらカールに訊く――コイツ、完全にこの状況を楽しんでる、ロファーが舌打ちした。
「あぁ、あの美少女。さっき、ロファーの店の前で声かけられた」
カールは嬉しそうだ。
なるほど、その時カールの鞄に封筒を入れたんだ、差出人は間違いなくジュードの宿にいる美少女だ、ジゼルとロファーが目を見交わす。
「ここの店主はどこに行ったか聞かれたけど、その時はここにいるとは思わなかったから、知らないって答えたよ。なんだったら、ここにいるって伝えようか?」
「いや、それはまずい」
と、ロファーが言えば、
「わざわざ言わなくても、きっと知っているよ」
ジゼルが答える。
そして、
「ほかに何か訊かれなかった?」
と、カールに訊ねた。
「そうそう、店主の名前を聞かれたからロファー、って言っといた」
「年齢や誕生日は訊かれなかった?」
「うん、訊かれた。でも、俺、ロファーの誕生日なんか知らないからなぁ」
「そう、それは良かった」
ジゼルがニッコリする。するとカールの顔がパッと輝いて、頬が染まった。
「魔導士様、他に何かある?」
「その美少女って、幾つくらい? 髪の色や瞳の色、覚えている?」
「十六、七ってところかな。髪は栗色でツヤツヤしていた。大きくうねってて、綺麗だったなぁ。瞳の色は赤っぽい鳶色。あの目で見詰められてみたい。なにしろ、たいそうな美人だよ。魔導士様が女の子だったら、魔導士様のほうが美人だろうけどね」
ジゼルの性別はロファーだって知らない。本人は『男にするか女にするか決めていない』と、どうも本気で言っている。カタツムリがどうとか言われ、頭痛がしそうだった。その話、他の人には言うなと忠告し、自分は忘れることにしたロファーだ。
「そう、いろいろ判った、ありがとう。帰りにロファーの店によって、この花を入り口に置いて。状差しにでも挿してくれればいい」
そう言うとジゼルはテーブルの花瓶から黄色いチューリップを一輪引き抜き、カールに渡した。
記録帳がないので、ジゼルに貰った紙に今日の分の記録を付けて、カールにサインを貰う。
「こっちは今日はなし。シスに心配ない、と伝えてくれ」
カールは黄色いチューリップを大事そうに、自分の襟に挿して帰って行った。
「どうやら差出人はロファーの店に日参しているようだね」
ジゼルが笑う。
「どうしておまえはそんなに楽しそうなんだ?」
「ロファーの困っている顔が可愛くて」
とうとうジゼルが腹を抱えて笑う。
「おまえなぁ……」
「説教は聞きたくない。わたしとて何もしてない訳じゃない」
「あのチューリップ?」
「黄色いチューリップの花言葉は『希望のない恋』だ。これで諦めてくれるといいのだけれど……」
「諦めてくれるかな?」
封筒を眺めながらロファーがため息を吐く。いつも通り薄桃色の高価な封筒、今日の型押しはスズランだ。
そのあとは腰痛の薬や豚の産後に飲ませる薬やそんなものを買いに、街人が四人来た。そして、ジェシカがお裾分けだと魚を持ってきて、ジゼルが大喜びし、三人でお茶をして談笑したほかは、これと言って何もなかった。魚はジェシカの夫、炭焼のマグが川で釣ったと言っていた。
ジェシカからもジゼルは、差出人の事を聞き出そうとしていたが、これは大した収穫もなく、ジェシカの愚痴に付き合う羽目になった。ジェシカは、先月結婚したばかりの夫のマグが『いやぁ、美人だ』と、うっとりと口にしたのが気に入らないと、プンプンしていた。
陽が沈む前、ジゼルはカラスと何やら話し込んでいた。ちらりとロファーを見たので、ロファーとしては面白くなかった。が、追及したところで、どうせジゼルに煙に巻かれるだけだと黙っていた。必要があればジゼルは自分から話すはずだ。
夕飯は、ジェシカに貰った魚を、骨を取って切り身にし、粉を叩いてフライにした。それにポテトフライと人参のグラッセを添えて一皿とし、タマネギとトマトのスープも拵えた。バターを多めに練り込んで、小さく丸めたパンは多めに作って、明日の朝にも食べるつもりだ。勿論、たっぷりのミルクティーも用意したし、作ったのはロファーだ。
「ほんと、ロファーって何でもできるよね」
料理はジゼルのお気に召したようで、いつも以上にニコニコ顔で食べている。
「それにしても参った」
大きな口を開けてフィッシュフライに齧り付いてジゼルが言う。
「ロひゃーのニャまえが知りゃれたね。誕ビョー日まで知られニャくて良かったけど」
「食うか喋るかどっちかにしろ」
ついロファーが笑う。
「で、誕生日が知られると、困ることになるのか?」
「誕生日、十八年前の夏至の日でしょう?」
「そうだけど、どうして知ってる?」
「あれ、どうしてだろう?」
と、ジゼルの瞳が光る。
≪僅かに後退≫
ジゼルのつぶやきはロファーには聞こえない。
「ロファー、誕生日、いつ?」
「うん? 十八年前の夏至の日ってことになっているね」
ロファーは寸時前の事を忘れてそう答える。
「なっている、って? 不思議な言い方」
クスリとジゼルが笑う。
「うん……俺の両親が他界しているのは知っているだろ?」
「ロファーの店に行ったとき、話してくれた」
「その両親は十八年前の夏至の日、俺を拾ったらしいんだ。両親が亡くなった一年後に、伝令屋のシスが教えてくれた。だから、本当の誕生日がいつなのかは判らない。でも、そんなに違わないらしいよ。拾われたとき、臍の緒がついていたらしいから」
「そうか……産んでくれた親御さんは判らないまま?」
「そうだね、探しようもないしね」
「会いたい?」
「うぅん、判らないな。俺にとって、親は死んだ両親だけだしね。本当の親だよ、と言われても、きっとピンと来ないと思う」
「ロファーにも色々あるんだね」
「なんだ、なんにもないと思っていたか?」
ついロファーが笑う。
「ううん、なんだか、ロファーがどうして優しい人なのか、少し判ったような気がする」
「たいして優しくないよ。多くの人に助けて貰ったから生きてこられた。恩返ししなくてはって気持ちはあるけど、それは優しさってもんじゃないよな」
「恩返しかぁ……」
「恩返し、一番したいのは両親だけど。二人が拾ってくれなければ、今、こうして生きていないし、何しろ二人はたくさんの物を俺にくれた。愛情もそうだし、思いやる心とか、生活する知恵とか、諸々ね。でも、もう二人はいない。だから目の前の人を大事にしたいと思うよ」
「ロファー」
「うん?」
「大好き」
ジゼルがニッコリと笑う。
「絶対、他の人には渡さない、覚悟しといて」




