2
また揶揄ったのかとロファーが怒る。
「揶揄う? 今の話、冗談だとでも? 本当だよ、魔導師は嘘が吐けないって、教えたはずだ」
あ、まずい、また小難しい話が始まりそうだ、とロファーが思っていると、
「こないだも言ったけど、そもそも……」
ジゼルの魔導術講座が始まった。
「だいたい魔導士はみんなそれなりに心を鍛えているから、夢で術を使ったって外界、つまり夢の外の世界、要は〝現実〟に力を作用させるなんて滅多にない」
怖いのは、魔導術や神秘術の扱い方を知らない常人だ。恨みや憎しみを夢の世界に持ち込んで、そのあげく、思いが体から抜け出して、相手を攻撃するのは常人のやる事だ。いわゆる『生霊』ってヤツだ。
「常人、つまり、我ら魔導士が言う街人は神秘力の扱い方を知らないから、程度が判らない。下手をすれば己をも滅ぼす。魔導士はその辺り心得ているからね。もし恨みを晴らすなら、さっさと魔導術を使うよ、意識がしっかりしているときにね」
ジゼルがニヤリと笑う。
神秘力と言うのは、自然の摂理と思えばいい、と以前ジゼルが言っていた。
「なんで、恨みとか憎しみにはそんなパワーがあるんだろうね?」
と、ロファーが言うと
「人は本来、明るい所で生きるものだからだよ」
そんなことも判らないのかと言いたげにジゼルが答える。
「愛や喜びに包まれて人は生きる。不足すれば体調を壊すこともある――人の命を支えているのは『陽』の気で、常に人は『陽』の気に包まれているんだ。だからこそ『陽』の気を人は特別とは思えなくなっている。本当はとても特別で大切なものなのだけどね」
人はそんな存在だから、憎しみや悲しさと言った『陰』の気は大きく人にダメージを与える。
通常ならば『陰』の気は『陽』の気で解消されるけれど、時には解消しきれずに蓄積されることもある。『陽』の気を自分で拒んだりすると加速される。
「人ってね、自分で思っていないうちに魔物になってしまうこともあるんだよ」
「判ったような、判らないような……」
と、納得しきれていないロファーにジゼルが続ける。
「欲しかった物を手に入れたら誰でもすごく喜ぶものだ」
けれど、手に入れてしまうと、持っているのが普通になり、喜びを感じなくなる。あるいは別の物や、もっと〝よいもの〟が欲しくなる。手に入れた時はあんなに嬉しかったことを忘れてね。
が、欲しいものが手に入らなかったらどうだろう? 手に入らないことを嘆き、手に入れられない状況を恨む。それはずっと続く。
「手に入れた時の喜びは消えていないはずなのに、感じなくなる。手に入らない嘆きは手に入るまで継続される。判った?」
とジゼルに言われ、ロファーが
「まぁ、なんとなくね」
と答えると、いつものようにジゼルの顔は、『怪しいもんだ』と言いたそうだ。
せっかく来たのだから、夕飯を食べて行って、と言われたのはいいけれど、料理したのはロファーだった。
「ミルタスをわざわざ持ってきたんだから、羊肉を煮込むといいよ、わたしは大変疲れているから、少し休みたい」
「何か疲れるようなことでもしたのかい?」
「魔導士学校に行ってきた。『月影の魔導士』に呼ばれたんじゃ、断れない」
「月影の魔導士?」
「うん……彼が死に掛けた時、わたしが救ったんだけど、わたしが仕挫ったから彼は目が見えなくなった」
「死にかけたって、いったい何があったんだ?」
顔色を変えるロファーにジゼルが軽く笑う。
「わたしを助けようとして、彼が落命しかけた。で、そんな彼をわたしが助けただけだ。いわばわたしの恩人。ついでにわたしは彼の恩人――まぁ、無駄話はこれで終わり。料理ができたら起こして」
ジゼルは『ミルタスは枝元のほうの葉を使い、残りは花瓶に差しておいて』と言いながら、宙からエメラルドグリーンの花瓶を出した。少しだけその花瓶を眺めて溜息を吐いてから、ロファーに渡してきた――
いい感じに羊肉のトマト煮込みができたころ、ジゼルの様子を見に行った。
ジゼルは力を使い過ぎると体温が保てなくなる。ロファーの助手としての一番の仕事はそんな時、ジゼルを温める事だ。ジゼルが疲れたと言っていたのが気になった。
まだあどけなさの残る顔で、ジゼルはすやすやと眠っていた。頬に触れるとひんやりしているが、冷えているわけではなさそうだ。ロファーがホッとする。
なんでこんな子どもが魔導士なんかやっているんだろう? と、いつものようにロファーは思う。いくら魔導士としてのジゼルを目の当たりに見ても、『おまえ、まだ子どもじゃないか』と、つい構ってしまう。
と、ジゼルが急に動き、顔を顰めて唸る。もう一度、慌てて頬に触れるが、体温が下がったわけではなさそうだ。悪い夢でも見ているのか?
「あ……ロファー」
気付いたジゼルが、ゆっくりと体を起こし、部屋を見渡す。
「どうした? 今、魘されていたようだ」
「うん、誰かがわたしの結界を破ろうとした」
「え? それは夢の中で?」
するとジゼルが薄く笑う。
「夢の中で、とも言える。だが現実でもある」
ジゼルがいつものように宙を見つめ、頷いた。
ロファーには見えないが、ジゼルの家にはジゼルを守る妖精がいるらしい。その妖精と何か話しているのだろう。
「やはり、確かに攻撃があった。誰か街に潜り込んでいるようだね」
「誰かって?」
「わたしに感知されないほどの力を持った……魔導士ではなく、魔女、だな」
「また、魔女ですか……」
ロファーは魔女という言葉をジゼル以外から聞いた事がない。ジゼルは『いつか説明するから訊くな』と言って、魔女について説明してくれない。
「神秘力を扱う力を持って生まれた男児は、自分の力に押し殺されて五年程度生きれば良い方。だからそんな男児は力を封印され、街人として市井に生きる。通常、神秘力を生まれながらに扱えるのは女だけだ」
「え?」
「魔女が何かを知りたいんだろう? 説明しているのになんだ、その顔は?」
「いや、訊くなって言われていたから……」
「魔導士学校とギルドの本拠は隣接している。ついでだから足を運び、ロファーに魔女の事を説明する許可をギルドから得た。わたしの労力を無駄にするな」
「あ、はい、それはどうも」
いつも通りの上からの物言いに、ロファーが鼻白む。
「で、だ、女だけがそんな力を持っているとなると、神秘力を扱えない街人たちがどう思う? 魔導士には、努力と才能が必要だが街人でもなれないわけではない、性別問わずに、だ……魔女は女だけ、迫害の対象になる事は目に見えている。そして無駄な虐殺が行われかねない」
かなりの昔、魔導士ギルドができたころ、魔女狩りが頻繁にあったらしい。それを憂いた始祖の王ゴルヴセゼルトは魔女ギルドと話し合いを持った。『魔女の存在を隠そう』ってね。
話し合いは長い時間を要したが、一応の決着を見る。魔女を女魔導士として魔導士ギルドに登録し、『魔女』という言葉を世の中から消そうというものだった。それは実行され、今では魔女という言葉を知る街人はいない。
だが事実として魔女は存在し、魔導師の力とは別の力を持っている。魔女ギルドは今もあり、魔女は魔女であり、女魔導士でもある。だから両方のギルドに必ず登録されている。
そして通常、魔導士よりも魔女の力のほうが強い。一部の天才魔導士は最高位魔導士と呼ばれ、魔女の力を上回ることもある。
「最高位魔導士と呼ばれているのは、現在は十名ないし十一名。一人、ギルドを離れ逃亡している。生死不明だ」
「逃亡?」
「犯罪者なのだ。そうそう、魔女ではない女魔導士も結構いるよ」
そしてジゼルがロファーに向き直る。
「ロファー、判ったか? これでもう、『魔女とは?』と聞くなよ、面倒だ」
「うん、判った」
≪口外無用≫
ロファーには聞こえない声でジゼルが呟く。これで、魔女の件をロファーが外部に漏らすことはない。
羊肉のトマト煮込みをジゼルはたいそうお気に召したようで、あっという間に三杯も平らげロファーを驚かせた。あの小さい体のどこに羊肉は納まった? と思うほどだ。
フランネルの茶漉しがあるというので、ロファーは珈琲を淹れることにした。ミルがある事は知っている。
ジゼルは珈琲が初めてだったらしく、美味い美味いと大喜びだ。こんなに飲んで大丈夫かなと、ロファーは心配だったが、喜ぶ顔が嬉しくて、つい、求められるまま五杯、ジゼルに飲ませてしまった。
帰りは馬のサッフォに送ってもらい、大きな丸い月を眺めながらロファーは帰って行った。が、途中で気が付く。
(魔女が街に潜り込み、ジゼルに攻撃を仕掛けたと言っていた。それをジゼルはどうするつもりだ?)
心配だったがジゼルは話を変えてロファーをはぐらかした。ならば今、追及したところでジゼルは何も言わない。
指示があるまでは静観しているしかないな……落ち着かない気分が残るものの、家路を急ぐロファーだった。




