二度目の誘いが掛けられない
触りたい。
さらさら揺れる同居人の白い毛先を見るともなしに眺めつつ、クロはひっそりため息をつく。
新雪を思わせる白く長い髪は、中性的な美貌を持った同居人のシロには嫌味なくらいによく似合う。掴めるものなら掴んでみろと言わんばかりのひとつ縛りは、喧嘩で挑発に使うと気分がいいから伸ばしているのだと、いつだか聞いた覚えがあった。
「何だよ」
視線に気がついたのか、シロが煩わしそうに眉根を寄せる。慌てて笑顔を取り繕って、クロは「何でもないよ」と軽く答えた。
「真っ昼間の一番暑いときによく筋トレするなあって思っただけ」
「今日はそんなに暑くないだろ。クロもやるか?」
「生憎だけど、今日は休むって決めてるんだ」
「あっそ」
自分より頭半個も高い背と、しなやかな筋肉に覆われた恵体。加えてシャツの裾で汗を拭う雑さといったら、どこからどう見ても同い年の男である。
色気なんてかけらもない。そのはずなのに、髪にも肌にも時折無性に触れたくなるのはどういうわけだ。
(男に興味はなかったはずなのになあ……)
二十年来の付き合いになるこの幼馴染には、金に困っていたところを助けられ、そのまま衣食住を世話になっている恩がある。好きか嫌いかと聞かれればもちろん好きだし、今この瞬間隕石が落ちて死んだとしても、こいつと一緒ならまあいいかと思うくらいには、近しく親しい存在だ。
かといって惹かれているかと問われると、それは全く別の話だ。無能無才な自分と違い、才気あふれるシロに憧れる気持ちはもちろんあるが、独占したいとは思わない。向こうにどう思われているかさえ、割とそこそこどうでもいい。
近いけれども近すぎない、そういう適度な距離感が心地良い相手のはずだった。
それなのに最近、何かがどこかおかしくなった。
いつからおかしくなったかといえば、それはやっぱり、勢いで一度シロと寝てしまった日からだろう。
何しろシロは見目麗しい。男とはいえヤろうと思えば普通にできそうな気はしていたけれど、実際ヤってみたら、同性であることへの抵抗なんて忘れていた。普通に気持ちよかったし、頭がバカになりそうなほど興奮した。汗の混じった肌の香りも、艶を含んで掠れた声も、首筋に触れる白髪の柔らかさも、生々しく記憶の中に刻まれている。
「僕とシロってさ、付き合ってることになるのかな」
思いつきで口にして、言った直後に鳥肌が立つ。
百歩譲って友達だとは言ってもいいが、恋人やらパートナーやら、甘さが滲んだラベルの色は、自分たちには似合わない。
「なんだ、俺に惚れたのか?」
ごくごくとうまそうな音を立てて水を飲み、シロはからかうように流し目を向けてくる。うっかり跳ねた脈をごまかすように、クロは大袈裟に肩をすくめた。
「惚れてる惚れてる。ずっと前から惚れてるよ。なんでもできる天才様には、どんなやつだって惚れるんじゃない?」
「恋人になりたいくらい? なりたきゃ別になってもいいぞ」
「やだよそんなの。夢がない」
恋人といったらお互いを独占し合う関係だ。何が悲しくてその特別枠を、元々隣にいる幼馴染に渡さなければいけないのか。べえと舌を出して答えると、途端にシロは不満そうに顔をしかめた。
「じゃあ聞くなよ」
「だってこの間セックスしたじゃん。一応の確認だよ、一応ね。シロが何か思ってたら悪いじゃん?」
「一度ヤったら恋人か? 変なところでピュアなんだな」
そう言うシロは手慣れていたし、ああいう行為も慣れているのだろう。何もかもが初めてだった自分とシロでは、立ち位置からしてまるで違う。
また触りたいと思っているのは、たった一度の行為でアホほど意識している自分だけなのだ。そう思ったら、あれこれ悩んでいるのが一気に馬鹿らしくなってきた。
気分転換に行こうと決めて、クロは勢いをつけて立ち上がる。
「どこか行くのか」
「ちょっと遊びにね。夜には戻るよ」
「行ってらっしゃい」
ひらひらとシロが手を振った。横を通り抜けようとしたそのとき、「クロ」と思い出したように肩を掴まれる。
「忘れ物」
目を向けると、唇が触れそうなくらい近くにシロの顔があった。思わず息をひゅっと呑む。
固まる自分に笑いかけ、シロは手のひらに銀貨を握らせた。
「この間、金借りてただろ? 今返す。遊ぶなら手持ちは多い方がいいだろ」
「ああ、うん。ありがとう」
「賭け事で遊ぶのはいいけど、煙草はやるなよ」
やたらとピンポイントな忠告だ。意図が読めずに眉根を寄せると、シロは意地悪く口の端を上げて、内緒話でもするように声を落とした。
「舌が苦くなるだろ。俺は苦いのは好きじゃない」
「……食べる予定があるわけ?」
やっとの思いで一言返す。人も気も知らない幼馴染は、気分屋っぽく首を傾げて「多分」とうそぶくだけだった。
「多分って何だよ。適当だなあ」
「だって、別に悪くはなかっただろ」
何の話をしているのかと一瞬考え、以前寝たときの話をしているらしいと遅れて気づく。
「……そうだね。ハマっちゃいそうなくらいには」
答えた瞬間、ぱちりと視線がかみ合った。
瞳の奥に、薄らと欲が滲んで見えた。自分もこういう目をしているのだろうかと思ったら、やっぱり外に行くのをやめたくなった。
けれど悩んでいる間にも、傍らの体温はあっけなく離れていく。
「あんまり遅くなるなよ、クロ」
「……うん」
遠ざかっていく背中を見送りながら、クロは深々とため息を吐く。
幼馴染のああいうところが好きで嫌いだ。こちらの悩みを分かっているのかいないのか、図々しく踏み込んでくる割には、おかしなところでサッと引く。おかげでこちらは振り回されてばっかりだ。
今日は早めに帰ってこようかな、なんてぼんやり考えながら、クロはふらりと扉をくぐる。
陽光は今日も変わらず、白く眩しく差し込んでいた。




