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第4話 星の記憶、炎の声

religion of steel ― ロッテンワールド ―


腐蝕した世界を舞台に、少女アカネ・ベルと仲間たちはARCを纏い、異形の怪物NOVAとの果てなき戦いに挑む。


闇に沈む都市、崩壊した秩序、そして人類を試す冷酷な現実の中で、それでも彼女たちは前へ進む。




本作は現在、YouTubeにて 動画化プロジェクト も進行中です。




小説と映像、二つの表現で広がる「ロッテンワールド」を、ぜひあわせてお楽しみください。


(チャンネルはこちら → https://www.youtube.com/watch?v=mxdmzSSUJkg )

夜は音を失っていた。

ロギアへの忠誠を誓ったその晩、私は屋上の縁に立ち、煤けた街の輪郭を踏みしめていた。外周の建物がつくる暗い峡谷のあいだから、灯火が点々と滲み出ている。地上は闇に沈んでいるのに、頭上の空はやけに澄んでいて、星々が氷砂糖の破片のように砕けながら瞬いていた。


風は乾いて鋭く、鉄骨の隙間をすり抜けてはコートの裾を翻す。頬に触れる空気は冷たく、肺に落ちると鉄と油の匂いを残す。日中の熱が抜けきらないコンクリート。どれも「地上の匂い」だ。


だが夜空を見上げると――私は必ず、六歳の頃に体験したあの出来事を思い出してしまう。

夢ではない。幻覚でもない。あれは間違いなく「私の最初の異質な記憶」だった。


聖槍教の教えでは、宇宙は“聖槍の領域”。

人間が踏み入ることなど許されず、ただ祈りを届ける天の祭壇。子どものころから繰り返し聞かされ、皆もそれを疑わないふりをしていた。空を仰ぐなら畏れ伏す――それが唯一の正解だと。


――でも私は違った。

私は宇宙を知っている。


六歳のある夜、私は確かに、漆黒の宇宙に浮かぶ蒼い球体を“上から”見下ろしていた。


黒い海を縫う白い雲の渦。大陸の稜線。深く澄んだ青。夜の闇に光の筋が走り、地上の街が星のようにきらめいていた。

――宇宙から見た地球。

その光景を「綺麗だ」と思ったことを、今でもはっきり覚えている。


だが次の瞬間、私は宇宙船の中にいた。


金属の壁が震え、耳を裂くような警報音が響く。赤いランプが明滅し、天井の隙間から白い煙が噴き出していた。床は斜めに傾き、身体が勝手に転がる。六歳の私は、状況を理解できないまま壁にしがみつき、必死に叫んでいた。


「なに……ここ……!? どうして……!」


返事はなく、ただ衝撃が続く。


隔壁の向こうで爆光が弾け、船体を貫いた炎が一気に吹き荒れた。

全身を焼く熱が襲う。皮膚が裂け、肺が焦げる匂いが鼻を突く。

「あ……熱い……!」

叫んだ声は、すぐに轟音にかき消された。

光と炎に呑まれ、「ああ、死ぬ」と理解するより早く、意識が裏返ろうとしたその時――


――ミリア。


耳ではなく、心臓に叩き込まれるような呼び声。恐怖も痛みも、その一瞬だけ薄まった。

「だれ……?」

震える声で問い返す。唇は勝手に動き、炎の向こうへ名を返していた。


――クロエ。


名を口にするたび、胸の奥に小さな熱が宿った。

その熱に抱かれながら、私は光と炎に呑まれ、意識を失った。


……そして次に目を開けたとき、私は荒れ果てた田園に立っていた。


大地はひび割れ、稲の切り株が炭のように散らばっている。瓦礫の隙間からは煙が立ち上り、焦げた草の匂いが鼻を突いた。

身体を見下ろすと、白いドレス――だったもの――が風に揺れていた。布は焼け焦げ、裂け目だらけで、裂け目から灰が忍び込む。

「これ……私……?」

六歳の口から漏れた声は、震えすぎてほとんど聞き取れない。


重力が急にのしかかり、膝が崩れた。

「っ、あぁ……!」

骨の奥まで響く衝撃。必死に呼吸を探す。まるで「空から落ちてきた証」が身体に刻まれているかのように。


頭は混乱していた。けれど耳の奥ではまだ“クロエ”という名の残響が続いていた。炎の中で確かに交わした呼び声――それが消えずに残っていた。


何日も、何夜も、その場所を離れられなかった。

「クロエ……クロエ……!お姉ちゃん……!」

声は枯れ、身体は痩せ、朽ち果てる未来が濃くなっても、舌はその名前を繰り返した。


――そして世界が動いたのは、エンジン音が近づいた時だった。


錆びついた車体が田の畦道に現れる。鉄板を継ぎ接ぎした車からは焦げた油の匂いが漂う。扉が軋み、煤と汗にまみれた人々が降り立った。


「生きてる……子どもが生きてるぞ!」

「奇跡だ……まだ息がある!」


驚きの声が連鎖し、背に触れた温もりが私を現実へ繋ぎ止めた。


一人、ふくよかな女性が前へ出る。丸い頬に人懐っこい笑みを浮かべ、擦り切れた法衣をまとっていた。聖槍教の聖職者――だが、冷たい権威を思わせない、不思議な眼差しをしていた。


彼女は私を見下ろし、深く息をついて言った。

「戦災孤児……かわいそうに。この子には名前が必要だ。誰のものでもなく、自分で生きていける名前を」


「でも、こんな子に……何を与えれば……」

隣の男がためらう。女性は首を振り、私の手を包み込む。掌の温かさが骨まで届いた。


「名前は、生きる証になる。だから――」

私の顔を覗き込み、確かめるように告げる。

「あなたは、アカネ。アカネ・ベル――この子に祝福の鐘が鳴りますように」


胸の奥で、灯がぱち、と点いた。

「アカネ……私の、名前……」


それは、六歳の頃に確かに体験した“不思議な始まり”だった。

私は一度死に、呼び声に導かれて、この世界で生き直したのだ。


その記憶を証明できる者はいない。けれど夜空を仰ぐたび、星々が鮮明に疼かせる。

あの日の宇宙船の炎と呼び声――それが、今も私を縛り続けている。


――――――――――――

要塞基地/第3デッキ

――――――――――――


記憶をなぞろうとすると、こめかみの内側がみし、と鳴る。それでも夜になると、足は勝手にデッキへ向かう。冷えた手すりに指をかけ、深く息を吸う。鉄と油の匂い、機械の低い唸り。喧騒の上を、澄んだ夜がすべっていく。


「……懐かしい、空」

声が漏れた。自分のくせに、驚くほど素直な響き。


「空が好きなのか?」

背後。肩がびくりと跳ねる。振り返ると、篠宮大尉。腕を組み、欄干に片肘。夜風に黒髪が流れ、鋭い眼差しが光を撫でる。鋭いのに、どこか柔い。


「す、すみません……。こんな時に空なんて、変ですよね」

言い訳は薄い紙みたいに頼りない。夜気にすぐ破られる。


「変じゃない」

篠宮は首を横に振る。

「むしろ気になる。どうして空を見て“懐かしい”と言う?」


「懐かしくなるんです。理由は自分でも掴めません。けど……」

言葉を探し、星の群れを目で拾う。吸い込むたびに冷気が肺を刺し、胸の奥がざわめく。

「見ていると、昔のことを思い出す“気がする”。頭の奥が軋むのに、忘れちゃいけない気もして」


「昔?」

少しだけ声が低くなる。問いかけるというより、踏み込む前の合図みたいな音色。


「小さなころの断片です。誰にも話していません」

唇を噛む。星が滲み、鈍い痛みが頭の芯を掴む。

「思い出すほど苦しくなるのに、目をそらすともっと怖い。そんな感じです」


篠宮は黙って聞く。やがて、片口角だけで笑みをつくる。

「……面白いな、お前は……嫌、かわいいな」


一拍。手が伸び、私の頭にぽん、と触れる。


「ひゃっ……!」

反射で一歩下がる。

「や、やめてください。犬扱いは心外です!」


「嫌だったか」

手は引くが、目の温度はあまり下がらない。

「でもな……お前、犬みたいに“生き残ろう”としている。“今は”それでいい」


「私は犬じゃありません。ちゃんと人間……」

すぐさま言い返す。自分でも可笑しいくらい即答。


「そうだ。私たちは人間だ」

篠宮は夜空を仰ぎ、吐息を細く流す。

「人間は、考える。疑う。怖がる。それでも選ぶ。犬との違いは、そこだ」


喉の奥で何かが鳴る。

「……大尉も、怖いんですか?」


「ああ」

迷いのない返事。

「死ぬのも、失うのも、全部怖い」


「そんなふうに、言うんですね」

初めて聞く種類の強さ。見せないことが強さ、のはずなのに。


「皆、隠す。強いふりが鎧になるからな」

皮肉っぽく笑って、それでも目はまっすぐ。

「けど、“怖い”と口にできる奴は、存外に折れにくい」


拳に力が入る。篠宮はその指先をちらりと見て、顔ごと真っすぐ向き直る。


「アカネ」

名を呼ぶ声が刃物みたいに研がれていて、でも冷たくはない。


「……はい」


「生き残れよ」


短いのに、胸の奥に深く沈む。優しくもなく、無慈悲でもなく、ただ現実へ戻す声。

「……生き残る」

私は繰り返し、舌にその言葉の重みを覚えさせる。


風が頬を撫でる。星の光が、私と篠宮の影を長く引き延ばす。頷く。その小さな動きひとつで、自分がまだ“続けていい”と許された気がした。


篠宮は欄干から手を外し、ほんの少しだけ距離を詰める。

「ロギアの儀式、どう見えた?」


「最悪。あの神官、好きになれないです」

言葉にしてしまうと、喉のざらつきが少し薄れる。


「だろうな」

苦笑は短く、次の瞬間には消える。

「私も同意だ。信じちゃいない。ただ――逆らえば、首が飛ぶ」


「生きるために、飲む。信じなくても、飲む」

自分の声が、さっきより少し低く落ち着いているのに気づく。


「そういうことだ」

夜の騒音が戻ってきて、遠くでどこかのバルブが吐息を漏らす。ひと羽ばたき、鳥の声。瞬間だけ、この世界が優しくなる。


私は空を見上げ、彼に視線を戻す。

「……大尉」


「なんだ」


「私、ちゃんと人間でいられますか」


「いられる」

即答。考える余地も与えない速さで。

「“怖い”を握ったまま歩けるなら、お前は人間でいられる」


胸の奥で、さっきの灯がもう一段階、明るくなる。


私はもう一度だけ頷き、夜を胸にしまい直す。物語はまだ動かさない。星はそこにある。名前も、ここにある。

そして、“生き残る”という言葉だけが、今夜の最後の祈りになった。



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