SCENE 8
月夜に出会った不思議な少年コンスタンティンに誘われ、ケイは夜ごと彼と舞台稽古を重ねた。
寝不足で倒れてもおかしくないはずなのに、体にはむしろ生気がみなぎって稽古にも熱が入った。
天才役者っ子コンスタンティンの演技は素晴らしく、育ちはじめたケイの悪役女優魂をいつでも刺激した。
人との距離の取り方が苦手な自分でも、なぜか彼の前ではだんだんと自然に振る舞えるような、そんな気がした。
相手が小さな男の子だからだろうか?
コンスタンティンとの掛け合いは、演技における適切な間の取り方や息の合わせ方を率直にすっと教えてくれるのだ。
少年コンスタンティンはたいてい、空が白みはじめる直前になるとどこかへ帰っていく。手を振り合ってその後ろ姿を見送ってから、ケイも自室で束の間の眠りについた。そして目覚めればオリヴァーやアダムとの日中の立ち稽古へ。それからまた、コンスタンティンに誘われ深夜の舞台稽古に……。
そんな日が数日続いたある真夜中、コンスタンティンが唐突に舞台稽古の終了を告げた。
「ケイお姉ちゃん、舞台稽古は明日の夜で最後にしよう。そのあと朝日が昇ったら、ボクはもうここへ来られない」
「……ど、どうしたの……急に?」
こちらの問いかけに、コンスタンティンは舞台の縁に腰かけしばらく足をぶらぶらさせて黙っていた。
それから、ケイを振り仰いで言った。
「たしか、ケイお姉ちゃんにはお母様がいたね? あの素敵なバレッタをくれたお母様が。ねえ、自分の母親のことは好き?」
「……い、いつものことだけど、どうしてバレッタのことなんか知ってるの? コンスタンティン」
「だって知ってるよ。ねえ、お母様のことは好き?」
「……。……、わ、わからないよ」
わからない。
母カレンのことを思うとき、いまケイの脳裏に浮かぶのはバレッタのことだ。
元気な頃に母がくれた、ラインストーンで色とりどりの花と蝶の装飾が施されたバレッタ。
皇太子ベルトルトと従者エリアスの計らいで、母は郊外の療養施設で身も心も療養中のはず。「公演が無事終わるまで、お母様のことはひとまず私どもにお任せください」と従者エリアスには言われているから、そのときが来れば、会いに行ってみたいとは思う。
でも会いたいという気持ちと、母を好きという気持ちはまた別のもののようにも思える。
「わからない、か。それもいいね。……あのさ、ケイお姉ちゃん、ボクにもいるんだ、お母様が。素敵なすてきな、お母様が」
ケイが隣にそっと腰かけると、少年コンスタンティンは静かに語りはじめた。
「でもわかるんだ。いまのお母様には、ボクが見えない。見つけられない。なのにそんなお母様とボクが会えるとしたら、きっとそれは明日が最後だって」
ケイはただ黙って、コンスタンティンの話を聞き続けた。
不思議な男の子コンスタンティンと、その素敵なお母様のことを。
聞いている間に、明り取りの小窓をゆっくりと月が渡っていった。
青白い光……。
話が終わると、ケイは自分が涙を流しているのを気取られないよう立ち上がってサッと熱いまぶたをこすり、それから微笑んでその小さな男の子を見た。
そして告げた。
「大丈夫だよ、コンスタンティン。わ、わたしが、……君と君のお母さんを会わせてあげる」
***
その女は、名をイゾルデという。
皇都の演劇界ではそれなりに知れた名だ。
皇都座の女座長にして、辣腕の演出家イゾルデ。
舞台の上を女人禁制とするラークライゼン皇国で、わざわざ好き好み演劇に携わろうとする女などよほどの猛者か痴れ者だろう。
好奇の目も白い目も、すでに浴びせられ続けて久しい。
事実、イゾルデはその半生を芝居にとり憑かれて生きてきたようなものである。
文官家系に生まれた娘が演劇に惹かれ早くから演出家を志し、アカデミーまで専門的な学を修めた後は皇都座の座付きですぐにプロのキャリアに入った。
男ばかりの先輩に混じって演出家としての頭角を現すと、選り好みせず次々に舞台作品を手掛けて実績を積んだ。イゾルデのベージュ髪のワンレンボブは、しだいに舞台裏でなら誰からも認められる存在となっていった。
皇都座のオーナーである資産家に見初められ、結婚を機に座長を務めはじめたのもこの頃からである。
なんにせよ、演劇に関わることでつまらぬ仕事など彼女には一つとしてなかった。
子宝に恵まれ一人息子を育てるようになっても、できる範囲で皇都座の業務に携わることはやめなかった。
そのくらい演劇が好きだった。
最愛の息子には、コンスタンティンと名付けた。
髪の色はイゾルデに似て、瞳の色は夫と同じだった。
華奢だが利発な子で、これまた親の影響なのか血筋なのか、物心つくとコンスタンティンは役者になりたいと言いだした。
「見てて、お母様。いつかボクが、立派な役者になってあげるからね」
息子のそんな無邪気な夢語りを聞くと、イゾルデの胸はカサコソと疼く。
それは演出家だの座長だのと名乗っている自分が、役者として舞台に立った経験は一度もないという引け目を押し隠していることを、見透かされたような気分になるから。
けれど、それだけではなかった。
当然だ。
コンスタンティンを生んでまもなく、イゾルデは医師から次のような説明を受けていた。
「御子息はおそらく、長くは生きられないでしょう。心臓がとてもお弱い。残念です、どうか余命を大切にしてあげてください」
正直なところ、イゾルデはそんな医師の説明をまったく信用しなかった。
なぜならそれは、彼女が読んできたどんな台本の筋書きよりも陳腐で、唐突で、整合性と必然性のかけらもないしろものだったからだ。
少し手ほどきしてやるだけで、息子のコンスタンティンは類まれな役者の才能をきらめかせた。
台本の読み方を教わると、立ち回りも身ぶり手ぶりも、適切な間の取り方も、作家の意図を汲み取ることさえ自分で工夫しながらあっという間に覚えていく。
家の書架には無数の台本があり、彼は毎日それらをとっかえひっかえして役を演じていた。いかにも楽しそうに。
この子は天才だ。
親バカかもしれない? 違う。これでも役者を見るあたしの目は誰より厳しい。
イゾルデが目を離せないでいるうちに、そしてコンスタンティンは亡くなった。
年齢が二桁に達するまで心臓がもたなかった。
今わの際に、ベッドの上で彼は言った。
「……お母様、……ボク、役者に。……。なるから、ね」
髪の色はイゾルデに似て、瞳の色は夫と同じだった。
その小さな体をイゾルデは抱いた。
ずっと抱き締め続けた。
冷たくなってしまうまで。
それから本格的な座長と演出家の業務に、イゾルデは復帰した。
なぜそんなことをするのか、考えすらしなかった。
演劇人とはそういうものだ。
仕事に関して唯一の不満を挙げるとすれば、ここラークライゼン皇国では上演される作品の内容に大いに偏りが見られる、という点くらいだろうか。
いちおうは宗教国家の面をかぶっているこの軍事強国では、古くから国で奨励される芝居の筋は決まっている。
ほとんどが聖典に基づいた寓話か、童話劇のような物ばかり。
演劇、ひいては芸術が国の資金援助なしには成り立たぬ側面は否定しきれない。
皇都座のように、イゾルデが現夫である一般資産家と共にオーナーとなっているケース自体、まだまだまれな方だ。
でも、そろそろ時代が変わってもいい頃ではないか。
流れを一変させるような、他とは趣向の違う作品が出てきてほしい。
まあ、作家としてはからきし才能のないあたしに言えたことじゃないけれどね。
さて、イゾルデがぼやいたまさにこのタイミングで、彼女の生活に二つの大いなる異変が持ち込まれる。
劇作家皇太子ベルトルト作の新作演劇台本、「聖なる恋の☆ドキドキ魔法学園」。
そして、悪役令嬢を演じる天性の才能をそなえた無名新人女優。そう、ふだんは暗い柘榴石の瞳をした、貧民街育ちのそばかす娘ケイである。
ラークライゼン皇国では、前代未聞の娯楽的なファンタジックラブロマンス。
その興行を打つ皇都座一世一代の大勝負に向け、座長イゾルデの人生の歯車がガタガタと音をたてて回った。




