SCENE 3
劇場前の、夜ふけの静かな通りで。
人知れず、悪役令嬢を演じる才能に目覚めた、貧しき娘ケイ。
そしてその翌朝に突然舞い込んだ、悪役令嬢キャストオーディション合格の報せ。
謎の吉報をもたらした従者エリアスの取り次ぎでいま、その貧しいそばかす娘は息つく間もなく劇場「皇都座」の一室に招き入れられていた。
どうやら、ここはオーディション会場。
ケイの他に応募者の姿はすでになく、やや離れた正面の長机には二名の審査員と思しき男女が席についてこちらを見据えている。
女の方、ベージュ髪のさっぱりとしたワンレンボブが先に口を開いた。
「あなたがケイちゃんね。どうも、皇都座座長のイゾルデよ、急にお呼びだてして悪かったわ。はっきり言ってこの状況、かなり妙だわよね。うん、あたしもぜんっぜん納得してない。まあ追い追い説明するからいったん我慢して」
明るくさばけた感じのする大人の女性だ。
座長イゾルデはひらひらと手を振って、やむなくという感じながら愛想よく場を取りしきる。
「もう聞いてると思うけれど、ケイちゃん、あなたはうちの新作演劇『聖なる恋の☆ドキドキ魔法学園』の悪役令嬢キャストオーディションに合格したわ。悪役令嬢ロザレーヌ役はあなたに決まった。正気かしら、女形の新人ピチピチ男優を見つけるのがこのオーディションだったはずじゃないの。この国じゃ舞台の上は女人禁制、バレたら法令に触れて文字通り誰かの首が飛ぶわよ」
「――飛ぶのは私の首だから、心配いらない……」
審査員席に座るもう片方、見目麗しく精悍な青年がイゾルデとは対照的に至極冷然とした口調で言った。
落ち着いた低音の響きの中に、ガラスのような繊細さが不思議に同居した声音。
鼻筋の通った端正な顔立ち。薄い唇。
青味がかった濡羽色の髪に、切れ長な光の筋を引くインペリアルトパーズの瞳。
けしてこれ見よがしではないが、着ている衣服も身にまとうオーラも明らかに高貴なる者のそれ。
「責任はすべて私がとる。ただその前に、名乗り遅れた非礼をまずは侘びよう、ケイ嬢。本作『聖ドキ』の劇作家にして、お前の採用を決めたベルトルト・フォン・ラークライゼンだ。よしなに」
「まずは皇太子殿下であることを名乗った方がいいんじゃないの?」
座長イゾルデの揶揄はもっともだった。
そこに座る肩幅の広い美青年劇作家は、おそらくケイでさえパレードで見かけたことのある、かの皇太子、ベルトルト殿下らしいのだから。
「昨晩遅く、お前が通りで悪役令嬢ロザレーヌを演じているのを、たまたま私はそこの窓辺から見ていた。ちょうど座長との打ち合わせ終わりにな。――まるで花のごとく、実に素晴らしい演技だった。ケイ、あの決めゼリフをお前が知っているということは、女人でありながら今回のオーディションに志願し短縮版の台本を受け取りでもしたか? なんにせよ、無謀な選択だ。この国では女が舞台に立てば首が飛ぶ」
「あたしのは飛ばさないでよ」
隣でうなじをさすってみせるイゾルデのぼやきに、表情をいささかも崩さぬ劇作家皇太子はわずかにでも口の端を上げただろうか。
国が沸くほどの女性人気を誇る美貌の皇太子ベルトルトだが、その面立ちはやはりどこまでも冷然としている。
男子成人の儀から、史上最速でエリート枢機卿に就任。以来、類まれな政務の才を容赦なく発揮。
武芸にも秀で、いまやその剣さばきは聖騎士団も舌を巻くほどの剣聖。
同盟国にも敵対勢力にも、まして国中で沸き立つ引く手あまたの女たちになど一切媚びぬ冷たいポーカーフェイス。
鋭利な月のように、その薄い唇がそして開く。
「さて、座長殿はこうは言っているが、私同様やはり昨晩お前の演じる悪役令嬢ロザレーヌを目撃し、深く感じるものがあったらしい。……つまりケイ、悪役令嬢を演じるお前の才能は、間違いなく本物のようだ。『聖ドキ』の悪役令嬢ロザレーヌ役は、お前しかありえん。この目に狂いはないと確信してすぐに後を追ったのだが、あいにく昨晩は間に合わなかった」
夜ふけの皇都座前通りでケイを追いかけてきたのは、追いはぎではなくベルトルト殿下だったというのか。
皇太子にして劇作家、そんな妙な肩書きがあるものだろうか。
当然の疑問にもう慣れっこらしい座長イゾルデが、ため息まじりに補足を付け加える。
「『聖ドキ』はこの殿下の、劇作家ベルトルトのデビュー作になるわ。一作きりの台本。芝居といえば聖典に基づいた寓話か童話劇ばかりの我が国じゃ、内容だってかなり異質な娯楽系ファンタジックラブロマンス。うちとしても世に出すタイミングを慎重に探り続けてきたけれど……。ケイちゃん、どうやらあなたが最後のピースみたいね」
「そういうことだ。ケイ、どうか是非ともお前に引き受けてほしい、悪役令嬢ロザレーヌの役を」
ほとんど命じるかのような迷いのなさで冷然と、劇作家皇太子ベルトルトが求めを告げた。
けれど。
ああ、けれど――。
「……ぇ、えっと……、――あ、あのっ……! …………お、お断りします――」
小さくちいさく、当の貧しい娘ケイの口から自然とこぼれたのは辞退の言葉……。
「――……お、お芝居には、じ、実はずっと、あこがれていました。……わわ、わたしなんかの演技を、ほ、ほんの素人芸の悪役令嬢を、こんなにも認めてくださって、い、一瞬でもこんな夢のような時間をあたえてくださって、ほ、本当に、あ、ありがとうございました――」
そう。
前世の記憶がよみがえっても、人格まで変わるわけじゃない。
ケイは、ケイだ。
暗い柘榴石の瞳をした、貧民街のみすぼらしいそばかす娘。
人生に絶望した母親の介護と、清掃婦と家政婦の仕事と。
それが自分のやることだ。してきたことだ。そしてこれからも。
ずっとずっと、人とは距離を取って生きてきた。
違う。
そもそも人との距離の取り方なんて、全然分からない。
惨めな自分を、恥ずかしいわたしを、誰にも見つけられたくない。
見られたくない。
ここにいるのは、別の世界に住む人たち。
「……さ、さようならっ」
だからまた逃げるように、部屋を出る。
背後の扉を押し開けて。
なのに――。
「バカ言うんじゃないよ、ケイ! やっと夢が叶うんじゃないか。家のことはいいから、このご縁にあやかりなさい」
なのに、どうして。
どうして、あなたがここにいるのだろう。
扉の陰で話を聞いていたらしい母、カレン。
廊下の奥では、人の好さそうな従者エリアスが頭をかいて。
「いやあ、淑女に頼まれると断れないのが超有能従者の辛いところです」
家で寝たきりだったはずの母が、なりふり構わず皇太子と座長の前に迫り、それから膝を折って床に深々と額を擦り付けた。
「突然のことであの子は気が動転してるんです。でもいい子なんです。この国で一番、よく出来た娘です。あなたがたがくださる仕事だって、きっと立派にやって見せます」
「……や、やめて、……おお、お母さん」
お母さん。
この人をそう呼ぶのは、もういつぶりだろう。
そんなことさえ、今日のケイにはわからない。
「私がダメな母親だったばっかりに、ずっとこの子を縛り付けてきたんです。お芝居の世界にあこがれてることだって、女優を夢見ていることだって、長くそばでこの子を見ていれば、気付かないはずもなかったのに。だからお願いでございます。皆さんでこの子を、ケイを立派な悪役女優にしてやってくださいまし」
ケイは何も言えない。
何も言えなくて、どうするのが正解なのかも知らなくて。
ただ目に涙を溜めたまま、母の体にすがりつく。幼い頃のように。
そんな不器用な母娘に寄り添うようにして、いま一人の背高の劇作家がゆっくりと膝を付いた。
皇太子、ベルトルト・フォン・ラークライゼン。
冷然たる美貌に静かな決意と覚悟を宿すかのように、ベルトルトは答えた。
「この身命を賭し、私が全責任を持ってご息女をお預かりする」




