SCENE 26
皇都から暴風雨が過ぎ去った数日後、新人悪役女優ケイと劇作家皇太子ベルトルトの結婚式は予定通り盛大に行われた。
そう、この奇妙なシンデレラストーリーは、華々しいハッピーエンドでいちおうの幕を引くのである。
しかし、挙式にこぎつけるまでのラストスパートが「予定通り」などではちっともなかった点について語っておくなら、その証言台に最もふさわしいのはおそらく従者エリアスであろう。
自称・影は薄いが仕事は早い超有能従者であるこの青年は、高熱と咳に苦しめられた寒冒から一晩で職場に復帰するやトラブル対応に奔走することになる。
まず、かんじんの新郎新婦がそろって寒冒にかかった。
雨に当たりすぎたせいだと言うが、エリアスとしては自分の病をうつしてしまったのではとの懸念もぬぐいきれず痛恨の極み。
しかし彼が仕える新郎にしてベルトルト殿下はさして動じもせず、ベッドの上で公務書類に目を通しながら冷然とこう言ってのけた。
「たいした症状じゃない。ましてお前のせいでも。そうだ、それより聞くか、エリアス? お前のいない間に、私は一度死んだんだ。――ククッ、それからあの花のごとき天才悪役女優ケイが、私をよみがえらせた」
「殿下、なんの冗談か知りませんが、もうおしゃべりはお止めください。咳が悪化したらどうするのですか。挙式で皇太子が述べる愛の誓いがガラガラ声なんてことになったら、この国は傾きますからね」
もう長い付き合いである主人が何事の例え話をしているのかは知らないが、いま深く気にかけている暇はない。
宮廷医師や女官たちに申し送りを済ませると、従者エリアスが次に向かう先は皇都座である。
馬車を走らせる街区は、昨日の暴風雨の爪痕から早くも復興を始めていた。
官民を問わず力を合わせる人々の姿は、むしろ活気づいているようにも見える。
むろん、気がふさぐ話題もなくはない。
たとえば路地の一角では、水たまりに足を滑らせた浮浪者が自らの手にしていたナイフで事故死しているのが発見されたとか。
悲喜こもごも、あらゆる人生が同時進行されるのが都というものである。
皇都座を訪れると、新婦もまた私室のベッドで熱心に台本を読み込んでいた。
もちろん、あの新郎にして劇作家皇太子ベルトルト作の演劇「聖なる恋の☆ドキドキ魔法学園」の台本をである。
「ケイ様、何もそんなに根をお詰めにならずとも、御所の新居でゆっくりなさることもできますのに。天才悪役女優の心がけとしては見上げたものですが、これからのあなたは皇太子妃でもあらせられるのです。セリフの練習もほどほどになさってください。挙式で妃殿下が述べる愛の誓いがガラガラ声なんてことになったら、この国は傾きますからね」
従者エリアスがあきれてそう声をかけると、ケイはこちらを向いてばつが悪げにはにかんだ。
居心地悪そうに、けれど、この上なく愛らしく。
「ご、ごめんなさい、エリアスさん。なんだか、ふ、フワフワして落ち着かなくて……。まるで、き、奇跡、みたいだから」
奇跡?
……いや、まあいいとしよう。
見舞いの品をいくつか無事送り届けると、くれぐれもの静養を新婦に言い渡してエリアスは廊下へ出る。
考えることは、まだあれこれとあった。
大聖堂に飾り付ける花の到着が遅れていた。別の業者を手配すべきか。
挙式の後に予定しているパレードのルートを変更しなければ。そうすると警備の配置も変わってくるだろう。聖騎士団や再編の憲兵総局とも話をつけておかないと。
暴風雨の災害から日を置かずしての、皇太子夫妻の挙式。
不謹慎とケチをつける向きもなくはないところだろうが、実はそれをはるかに上回る嘆願書がすでに宮廷に押し寄せていた。
多くの民は言うだろう。
こんな時だからこそ、殿下と妃殿下の晴れ舞台をひと目見たいと。
ふと、窓辺から射し込む光がエリアスの思考に割って入る。
(はて、さっきまでの空模様はどうだったか? 忙しすぎてそんな記憶もないですね。やれやれ、いけません。――こんなことでは、従者として最良の判断など叶わぬというもの)
あえて自らを強いて、エリアスは一息入れることにする。
皇都座の三階、その廊下に並ぶ窓の一つから、劇場前の通りをぼんやりと見下ろしてみる。
――あそこで、あの通りで皇太子殿下は彼女を見初めたという。
人けなき夜に、花のごとく悪役令嬢を演じる娘の姿を。
不世出の天才悪役女優ケイ。その希有な演技の才能。
悪役令嬢キャストオーディションに合格し、彗星のように現れた貧民街育ちのそばかす娘。
ひとたび役を離れて舞台を降りれば、ただの不器用な乙女にも思えるが。
いずれにせよ、皇命により数日後には、そんな娘と皇太子による夫婦の誓いが立てられる。
ストロベリーブロンドの新人悪役女優と、濡れ羽色の髪をした劇作家皇太子。
似合いの組み合わせとも、奇妙な巡り合わせとも称することはできそうだが、さて当の二人はたがいをどう思っているのだろうか。
「ところで、恋愛と結婚は別物である、と常々聞き及んできたのですが……」
窓辺に両肘を掛け、我知らず従者エリアスはつぶやいた。
「少なくとも私が今日お見受けしたところでは、お二人とも恋の真っただ中にあられるご様子にございます、敬愛なるベルトルト皇太子殿下、ケイ妃殿下」
誰に見せることもない幸せそうな表情をその横顔に浮かべ、それからエリアスはすぐ仕事にもどった。
彼は影は薄いが仕事は早い、超有能従者なのだから。




