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SCENE 24

 皇太子との結婚が刻々と迫る。

 しかしこの日、そんなめでたいはずのケイの身の回りにはいろいろと予期せぬことが重なった。


 夜明け前から皇都には強い雨が降り、その勢いは弱まるどころか昼過ぎには暴風雨に。

 結婚式の打合わせでベルトルト殿下とともに大聖堂を訪れていたそばかす娘は、荒れに荒れた空模様の下で皇都座にもどる機を見きわめかねていた……。


 それでもどうにか雨風の弱まりを狙って馬車を出せたのが夕刻近く。

 いつもなら従者エリアスが供をしてくれるところだが、このところの過密スケジュールがたたって無理のし通しだった彼は寒冒にかかり高熱と咳で病欠。

 よって皇太子ベルトルト自ら、ケイを送り届けてくれることに。


 二人して馬車に乗るのはこれが初めてではないが、対座のこの美しい人が結婚相手なのだと思うとケイはいまさらながらドギマギした。

 そんな挙動不審な様子に、ベルトルトが冷然と問う。

 

「どうした、顔が赤いぞ。まさかエリアスだけでなく、お前まで寒冒にかかったのか? 熱は?」


 細身ながらゴツゴツとした大きな手がケイのおでこにあてられる。

 動揺して変な声が出た。


「ひぇっ、ででっで、殿下。なっ、なんでもありません、わ、わたしは元気です」

「そうか。……いや、だがかなり熱いぞ。頬だって燃えるようじゃないか。本当に大丈夫なのか?」

 

 冷然たる皇太子の触診と迫る美貌に、ケイは石になった。


 大きな揺れと馬のいななきとともに馬車が急に止まったのは、そんなときである。

 皇太子が御者席に向きなおって。


「どうした? 何があった」

「はっ、申し訳ありません、殿下。突風で街路樹が数本に渡って倒れ、道をふさいでいる模様です。このまま馬車で街区を進むのは厳しいかと」

「――そうか。……少し現場をたしかめたい。降りよう」


 雨の降りそぼる馬車道を、横倒しに樹々が阻んでいた。

 ここは皇都中心街のうちでも主要な馬車道の一つだ。

 放っておくにもその影響は大きいだろう。

 辺りには困惑して右往左往する街の人々の姿もある。


 雨水をしたたらせながら御者と話し込むベルトルト殿下。

 一緒に馬車を降りたケイは、見上げる高さにあるその横顔に思いきって声をかけた。


「殿下、ま、街の皆さんを救ってあげてください。わ、わたしなら、も、もう一人で帰れますので」

「いや、しかしそれでは――。いくら火急の事態とはいえ、妃となるお前を一人で帰すなど。せめて護衛を回したいが……」

「せ、清掃婦の仕事をしていたので、こ、これでも道には詳しいんです。あ、あっちの横道から皇都座まで、あ、歩いてもそんなにかかりませんから。じゃ、じゃあ今日はこれで」


 ここまで送ってもらった礼も述べてから、ケイは相手に止める暇をあたえずそそくさとその横道へ入っていく。


 背中に感じる皇太子の視線は、やむにやまれず彼に助けを乞って押し寄せる街の人々によってすぐにさえぎられてしまうはずだ。

 倒木の撤去のために、ベルトルト殿下はひとまずその場の手薄な男衆を指揮せざるを得なくなる。


 すべては荒れた雨風が生み出す一瞬のなりゆきか、陳腐で奇妙な運命か。

 そしてまったくうかつにも、わずかのあいだケイは一人になる。





 ***





 横道へ入ると、狭い路地のせいか風はあまり感じなくなった。


 細い通路には靄がたって、降り続く雨の音がやや重たくこだましている。

 歩くことにはなるが、この薄暗い道なりに少し行けば皇都座の建つ街区の通りへ出られるはずだ。

 

 そんな細道を奥へと歩んでいると、ケイはなんだか不思議な思いにとらわれた。

 ついこの前まで、今日のこんな日を想像すらしていなかった。

 清掃婦から新人悪役女優へ、そしてまさか皇太子妃にまでなろうとしている自分なんて……。

 目まぐるしい境遇の変化に、実感はまだ少しだって追いつけない。

 そう、まるで現実とは別の、夢の世界を歩いているみたいに。


 だから行く手を阻む不穏な影が近付いてきたことに、ケイはすぐに気付けなかった。

 突然だった。

 雨水のつたうダガーナイフを握りしめ、靄の影から浮浪者が現れ彼女に襲いかかってきたのは。

 

「へ、へへ――。恨むなよ、嬢ちゃん。これも生きてくためだ! うりゃあ!!」


 ハッと息をのむ。

 雨がいつのまにかまた激しさを増して、大きな音をたてている。

 ナイフが迫った。

 

(――ああ、わたし死ぬんだ)


 時が止まるかのようなその一瞬、ケイはよけもできず本能的にそう覚悟してギュッと目を閉じた。

 身体が揺さぶられる。



 ――グサッ。



(……?!)


 刃物が肉を突き刺す生々しい衝撃音。

 ……なのに、痛みはやってこない。

 それどころか、恐るおそる目を開ければ――。


 いつのまにか、なぜかその人が立っている。

 浮浪者のナイフを背に受け、ケイを正面から抱きしめかばいながら。

 濡れ羽色の髪をした劇作家皇太子、ベルトルトが。


「……間に合ったな」

「――え、で、殿下?」



 ――ズシュッ。



 刃を引き抜く返り血を浴びて、浮浪者がダガーナイフを握りしめたままうろたえる。


「……おい、なんでここにあんたみたいのが出てくんだよ。そのなり……、こ、皇族かなんかじゃねえのか? 聞いてねえぞ、こんなの。クソッ、終わりだ、おしまいだ。うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――」


 いかに世捨ての浮浪者といえど、この国にいれば刺した相手の身分が高貴か否かの見分けくらいは付こう。

 犯した罪と課される罰の重さに思いいたってか、浮浪者は降りしきる雨の中を転げるように路地の奥へと走り去った。 


 追うことはせず、皇太子ベルトルトは冷然とケイを見つめて言う。


「ここまでの展開は予想していなかったが、お前が無事でよかった。フッ、剣術も何もあったものじゃないな。体を回り込ませるだけで精いっぱいとは――ッ、グッ、グフッ」


 手荒で愚かな浮浪者の一刺しは、しかし不幸にもベルトルトの急所を見事にえぐっていた。

 まるで運命付けられてでもいたかのように。

 耐えきれず体勢を崩しざま、ドサと仰のき倒れ込んだ皇太子の体から、雨に濡れた路面に血が見る間ににじんでいく。

 ドクドクと。

 

 そのかたわらに両膝を付いて、ケイは無力な子猫のように叫んだ。


「ベルトルト殿下! だ、だれか……誰か助けを!」

「いい……。神がお書きになったにしては随分と……大味な筋書きだが、――きっとこれは私の運命だ。すべてを見通せはしなくても、今日が……、その日だということはわかる」


(と、とにかく血を止めなきゃ)


 着衣を引き裂いて、それを包帯代わりに止血しようとするケイの手を、だがそれより大きな彼の手が押しとどめる。


「いいんだ、ケイ……。それより一つ、私の頼みを聞いて欲しい……」

「な、何? なんですか、殿下、た、頼みって?」

「――歌を、あの歌を……もう一度だけ、聴かせてくれないか? そう……、失われた歌詞をお前が埋めてくれた、そして……舞台で見事に歌いあげたあの歌、『別世界』を……」


 ケイには理解できない。

 いま目の前にある状況が。

 小道に降りしきる雨。

 濡れた路面に広がり続けるたくさんの血。

 ナイフで刺され深手を負った婚約者が、自分に歌を歌ってくれと言う。

 

 わけがわからなかった。

 けれど、冷然たる彼の真剣な眼差しから目をそらせない。


「――そ、そんな、そんなこと……」

「頼む。花のごとくお前の歌うあの歌は……、この私が……天から賜った物の中できっと、――きっと何より美しい。聴かせてくれ、最期に……」


 最期に。

 その言葉のどぎつさが、ケイを押し流す。

 まるで、そうなることが運命付けられているみたいに。

 あらかじめ決められた筋書きを、なぞっていくみたいに。


 新作演劇「聖なる恋の☆ドキドキ魔法学園」、その劇中主題歌「別世界」。

 求められるまま、拒めぬままに、混乱しながらもケイはなぜか何かに操られるようにとうとう歌いだす。

 婚約者のそばに跪いたままで。

 新人悪役女優ケイが歌う。

 それは、こんな歌だ。



 劇中主題歌『別世界』


(1番序楽節)

 その光は あなたと来たメモリー

 振り向けば涙さえも輝いて

 朝になれば消える魔法ならいらない

 遠ざけたわたしにさえ またたいて


(1番中間楽節)

 自由な夜明けまで 夜明けまで

 本当の声で呼びかけて

 壊れそな薔薇の調べ


(1番主題楽節)

 見つめて

 みつけて

 別世界に恋をして

 二度とない日々をあげるよ

 そう誓えるの

 どこまでも見つめて

 みつけて

 この世界を裏返して

 またとない夢を歩いているの

 さよならよりも

 熱い思いに出会えたから



 一番のパートを歌うケイに、そっと伸ばされる婚約者の手。

 劇作家皇太子ベルトルトのその片手は冷たく、大きくゴツゴツとしていて、何かを探し求めるようにケイの首筋を包む。

 彼は見失うまいとしているのだ。

 歌声を。


 だから彼のその手を自分の喉元と胸の境目に引き寄せて、混乱しながらもケイは続きを歌う。

 揺れる柘榴石(ガーネット)の瞳で、冷然たる皇太子の美貌を見つめながら。



 劇中主題歌『別世界』


(2番序楽節)

 はじきあえば その度にもっと強くわかった

 朽ち果てたドアを叩くせつなさで


(2番中間楽節)

 時には闇を越え 旅をして

 光の美しさを知った

 踏み越えて

 あなたの夢を


(2番主題楽節)

 見つめて

 みつけて

 なぜ未来に恋いこがれ

 届かない日々を歌うの?

 でも魅かれるの

 目をこらし見あげて

 みつけて

 別世界に薔薇が降るよ

 地下街に舞う虹を描いてみせよう

 あなたのもとに

 飛び込めなくて 願った



 ――雨は降り続け、血は流れ続け、婚約者のうなずきが、そして彼女の歌を終わりまでいざなう。



(副主題楽節)

 いつか染まる青空を

 抱きしめていいの?

 こわくて

 消えないよに 忘れぬよに

 そっと もっと

 胸にやきつける


(3番主題楽節)

 見つめて

 みつけて

 別世界に恋をして

 二度とない日々をあげるよ

 そう誓えるの

 どこまでも見つめて

 みつけて

 いま世界を裏返して

 またとない夢を歩いているの

 さよならよりも

 熱い思いに出会えたから


 あなたといるの

 こんな世界を願ったから  



「――あなたといるの――こんな世界を願ったから――……」


 そして歌いきって。

 冷たいつめたい雨に濡れて。


 たったいま息を引き取った婚約者を、ストロベリーブロンドのそばかす娘は見つめる。

 夢の終わりのような彼の微笑みが、胸に焼きつく。

 泣き叫んで、その名を呼ぶ。

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