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SCENE 23

 結婚式までの二十日の猶予はまたたく間に過ぎていく。

 そのうえ、舞台「聖なる恋の☆ドキドキ魔法学園」の本格的な興行準備にも気は抜けない。

 

 ケイはこの日も、皇都座で遅くまで悪役令嬢の演技練習に励んでいた。

 

「じゃあケイ、あたしももう上がるから、終わったらここの鍵ちゃんと閉めとくのよ」

「あ、は、はい、イゾルデさん。きょ、今日もありがとうございました」


 ヒラヒラと手を振って座長イゾルデが姿を消すと、稽古場に居残るのは自分だけ。

 試演で舞台デビューを飾り女優解禁も叶ったとはいえ、ケイはまだまだ新人悪役女優の身なのだ。やるべきことはいくらもある。


(が、頑張らなきゃ……)


 台本を片手に一つひとつ、丁寧に確認していく。

 セリフ、動き、表情。

 前世ゆずりの記憶にある乙女ゲーム「聖ドキ」の、あこがれの悪役令嬢ロザレーヌをどうすればもっと上手く舞台で演じられるか。

 ベルトルト殿下の書き上げた素敵な台本を頼りに。

 その追及に、時を忘れて没頭する。


(――それでもわたくしは、愛に生きますわ)


 ケイがこの日もう何百回目かという悪役令嬢の決めゼリフを口ずさんでいると、稽古場のドアが突然開いた。


「――おやまあ、部屋の造りまで何もかもちっとも変わらないとは、進歩がないね。……と言っても、数日しかここにいなかった私に言われたくもないかな」 


 ぐるりを見回して独り言ちながら、長身の男が無遠慮に入ってきた。

 高級そうなスーツの、ラフな着こなし。

 初めて会う顔だ。

 長い銀髪を一つに結わえ、ジャケットの肩先に流している。


「――お会いできて光栄だよ。君だね、先日素晴らしい悪役令嬢の演技を見せてくれたケイって子は。ねえ、ストロベリーブロンドの新人悪役女優さん?」


「!? す、素晴らしいだなんて、そんな――。……あ、でも、あ、あなたは?」


 髪と同じ銀系色をした、三白眼の瞳。

 口ぶりからすると、舞台「聖ドキ」の試演を観てくれた人物なのだろうか?

 

「劇作家のギードという者だ。いちおうこの国の出身だが、私は拠点を国外に置いててね。それで、さっそく用件だが」


 足どりも軽やかに近付いて。

 世慣れた身ぶりでケイの両肩に手を添えるや、その劇作家ギードはいきなり言った。


「ケイ、私と組んで世界を獲る気はないか? こんな古臭い国の、こんな時代遅れの演劇界に留まることはない。世界に目を向ければ、女優などとうに解禁されている地は他にごまんとあるんだよ。悪役令嬢を演じる君のその天性の才能があれば、世界的悪役女優としてスターダムへのし上がるのも夢じゃない」


「……せっ、世界的、悪役女優?」


「ああ、そうとも。君をもっと輝かせる、世界に通ずる悪役令嬢ものの芝居を私が書こう。私にはすでに各国で多くのファンが付いている。皇命に背いて君をさらうことにはなるらしいが、そのための慰謝料として必要な額など興行収入を見込めば私と君には痛くもかゆくもないさ。さあ、そうと決まれば――」


「……――あ、あのっ……」


 熱っぽく一息にまくし立てようとする劇作家ギードを、動揺するそばかす娘の調子はずれな声がさえぎった。


「…………あ、あのっ! ご、ごめんなさい。よ、よくわからないけれど――お、お断りします……!」


 ――あの時以来だ。


 不遇な人生に突然舞い込んだ、悪役令嬢キャストオーディション合格の報せ。

 急に呼びだされて、まぶしい世界に引きずりだされて。

 自信がなくて。

 逃げるように、自分はその誘いを断った。


(……で、でも、こ、今度は、逃げじゃない。き、きっと……)


 胸に台本を押しあてる。

 自然と心に浮かんでくるのは、皇都座のみんなの顔だ。


 座長のイゾルデさん、看板役者のオリヴァーさん、女形アダム……。

 オーディションに駆けつけてくれた母のカレン。

 いつも世話を焼いてくれる従者のエリアスさん。

 月夜の稽古に付き合ってくれた、不思議な男の子コンスタンティン。


 衣裳を作ってくれた仕立て師ダミアンさん。

 歌唱指導をしてくれた音楽監督のマルコ先生。

 舞台を褒めたたえてくださったゲラルト真教皇聖下。


 そして、こんな素敵な運命に導いてくれたあの人、劇作家皇太子ベルトルト殿下。

 そう、だから――。


「こ、この皇都座と、ベルトルト殿下の書いた『聖ドキ』が、こ、このお芝居がわたしは大好きなんです! き、気付いたら……もう、す、すごくすごく、大切なんです。だ、ダメなわたしを、変えてくれたから……。こ、こんなに素敵なものを、わ、わたしは、このお芝居を、ぜ、絶対に裏切りたくありません。だだだ、だから、ほ、本当に――お断りします……!」


 我を忘れたように必死で深々と頭を下げるケイの上から、すると次の言葉は興醒めしきった声音で降ってきた。


「――ふうん、あっそ」


 ケイが顔を上げると、稽古場にはもう誰の姿もなかった。





 ***





 皇都座を出るや、夜ふけの通りを劇作家ギードはひとりそぞろ歩く。

 収穫はゼロだ。

 無断でよその稽古場まで入り込んだ部外者としては、文句の言えた筋合いでもないだろうが。


(――惜しい気もするけど、まあ、別にもうどうでもいいか)


 ギードは熱しやすい野心の持ち主だ。

 国外に拠点を置き世界各地で劇作家としてウケているのは、その野心と情熱あったればこそである。

 しかしその分、この男は望みが手に入らぬとわかるや一気に醒めて残酷になる薄情者の一面をそなえていた。


 そもそも、かつて数日しか所属しなかった皇都座での役者時代からしてそうである。

 演劇と興行に関するすべてを独学で身に付けたこの男は、切れ者だが一匹狼で周囲とまったくそりがあわなかった。

 銀髪長身の見目は当時からよかったので、それでもそのまま続けていれば人気役者にもなれたかもしれない。


 だが、国内の停滞する娯楽業界事情に早々と見切りをつけると、ギードは国の外へ出て劇作家の道を選んだ。

 芝居といえばほとんどが聖典に基づいた寓話か童話劇のような物ばかりのラークライゼン皇国に留まるより、もっと自由な市場で仕事がしたかった。

 大きな金になる仕事がしたかった。

 そんなわけで、皇都座にはなんの思い入れもない。顔なじみすら一人も作らなかったのだから。


 売れる芝居とは何かを理論的に突き詰めて、ギードは劇作家として世界市場でしたたかに成功した。

 中年と呼ぶには、その見目のよい銀髪長身はまだまだ男盛りだ。

 一度成功してしまえば、ビジネスライクな振る舞いで人付き合いなどどうとでもなる。あっというまに富裕層、上流階級の仲間入りだ。

 大事なのは時流を読んでそれに乗ることであって、他人の顔色を見ることなどではない。


 ただ金脈というのは、どこに眠っているかわからないものだ。

 たまたま久方ぶりに立ち寄った母国で、冷やかし半分の鑑賞を決め込んだ仮面舞踏会の余興で、あんなものを目にするとは。


 新作演劇「聖なる恋の☆ドキドキ魔法学園」。

 そして新人ながら、悪役令嬢を演じる天性の才能を持つ女優。

 花のごとき、あのケイという娘。

 

(むしろ、あのケイに主演をやらせるのはどうだ? そう、誰もが目を奪われる、天才悪役女優が演じる悪役令嬢の物語……悪役令嬢ものだ。売れる! こいつは金になるぞ)


 あいにく、その素晴らしい思いつきはついさっき当人からお断りされてしまったばかり。

 夜ふけの帰路をむなしくそぞろ歩くギード。

 望んだものが手に入らず、一気に醒めていく胸の内で。


(……チッ、手に入らないなら、――そうだ、潰しとくか)


 優秀だが心の欠落したこの劇作家は、今夜の猿芝居に付ける新たなオチをふとひらめく。

 

 街灯の届かぬ路地の一角。

 いかにも金に困窮している風の浮浪者が、だらしなくあぐらをかいて座り込んでいる。

 劇作家ギードはその浮浪者に近寄って愛のこもった金を握らせると、まるで演技指導でもするようにこう言った。


「ひとつ君に、重要な役をお願いしたい……」


 そしてその夜を最後に、劇作家ギードは再び国外へ消えた。

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