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SCENE 22

 すったもんだもありながら、ついに初演を成功させた新作演劇「聖なる恋の☆ドキドキ魔法学園」。


 女優解禁の皇命も下り、事実上、ケイは晴れて悪役女優としての舞台デビューを飾ったわけだが。

 しかし息つく暇もなく、さらに慌ただしい日々が始まった。 


 ――新人悪役女優と劇作家皇太子の結婚。

 すなわち、ケイとベルトルト殿下の。


 君主たる真教皇から突然言い渡された婚姻の命を受け、二十日後には新婚夫婦となる当の二人は式の支度に大わらわである。

 加えて期日こそまだ調整中ながら、期待される舞台「聖ドキ」の本格的な興行準備も重なり、まさに目の回るような毎日。

 

 ケイは悪役女優の舞台稽古。

 ベルトルトは皇太子や枢機卿としての公務。

 そのわずかな合間を縫って二人は落ち合い、結婚式に必要な打ち合わせを進めていくのだった。

 時には皇都座のロビーかラウンジで。あるいは皇宮御所の一室で。

 

「どう考えても無茶な日程だが、仕立て師のダミアンがウエディングドレスは意地でも一から新調すると言って聞かん。あいつの寄越したデザイン画が数パターン届いた。ケイ、どれを選ぶ?」

「結婚行進曲の曲調について、楽師のマルコからいくつか提案が来ている。お前はどう思う、ケイ?」

「式場のしつらえはあらたかた済ませたつもりだったが、従者のエリアスから『殿下の案には乙女心がまるで足りません。出直して、ケイ様にちゃんと添削してもらってください』と叱られてしまった。ケイ、頼めるか?」


 皇太子ベルトルトは相変わらず冷然としていて、急遽決まったこの結婚を嘆いているのかいないのかさえはっきりと表情には出さない。

 その端正なポーカーフェイスで、降って湧いた課題を淡々とこなしているようにも見えるが。


(……い、いくら皇命でも、わ、わたしとの結婚なんて殿下は不本意そのものですよね……。ああ、も、申し訳ないなあ……)


 内心そう感じるケイだったが、貧民街育ちの新人悪役女優が皇命になど逆らえようはずもないのはなおのことである。


 劇作家皇太子のインペリアルトパーズの瞳は、そんなケイの様子をどこか不可解そうに映し込むのだった。

 舞台デビューと女優解禁によって、もはや男装の必要がなくなったその娘。

 彼女はむろん、皇太子にとっては花のごとき乙女そのものである……。

 たいていは、簡素な稽古着かワンピースきりで、ストロベリーブロンドの髪をバレッタでさっぱりとまとめているに過ぎぬとしても――。

 




 ***





「では、あの二人の式の準備は順調なのだな。……うむ、今日はもう下がってよいぞ」

「はっ、真教皇聖下」


 皇居の一角。

 帰してやろうとした従者エリアスがなかなか面をあげず臣下の礼を解こうとしないので、真教皇ゲラルト・フォン・ラークライゼンは訊いてやる。


「どうした、何かあるなら申してみよ」

「……はっ、ベルトルト殿下の命を受け、先日の舞台初演で私は真教皇聖下の護衛としてただただ闇に控えておりました。あのとき聖下のお口にされたみことのりの一つが、畏れながら棘のように胸につかえております」


 棘のように……か。 

 真教皇がその言葉の印象を味わったまま黙していると、もどかしげに従者エリアスが訊き返してきた。


「聖下はあの新作演劇を、あの『聖なる恋の☆ドキドキ魔法学園』の台本を、ベルトルト皇太子殿下が天から賜ったものだとお考えですか? つまり、『賜り』の力によって得たものだと? ……わからないのです。ベルトルト殿下はいつも、『夢中で書き上げた物だ』としか私にはおっしゃられない」


 思わずといったふうに従者エリアスは顔を上げ、その目が真教皇を映し込む。

 まだ若き青年の瞳に映じる、すでに初老と言っていい己の姿。

 真教皇は時の流れを感じて白髪の頭をゆっくりと振った。そして答える。


「有能な従者エリアスよ、そなたは息子を愛してくれているのだな。従者としても、友としても……。『賜り』の力について、余はそなたにこれまで話した以上の何をも持たぬ」

「しっ、しかし。『賜り』の能力者は、賜ることと引きかえに寿命を大きく削るのでしょう? ベルトルト殿下に、もしや運命づけられた死が迫っているのではないのですか?!」


 エリアスは有能な従者だ。

 君主に食い下がって感情的に問いを投げかけることなど、およそらしくない。

 だが彼はいま、愛する者を死から守ろうとしているのだ。

 そして心のどこかでは、いくらもがこうとそれが叶わぬであろうことも知っている。

 自分の力を超えた問題だと。

 そのどうしようもない矛盾が、若き男にこんな表情をさせる。

 かつての己のように。

 

 だから真教皇は次の言葉で場を切りあげる。


「よいのだ、エリアス。この先、余の愛息ベルトルトにどんな運命が待っていようと、たとえ何があろうとなかろうと、それはそなたのせいなどではない。天上の神々の思し召しなのだ」







 ――それから皇居の私室にもどると、真教皇は壁際へと静かに歩んで一枚の肖像画を見あげた。

 

 美しい女性の遺影。

 亡き皇妃にして最愛の妻、フロレンティーナ・フォン・ラークライゼン。

 天から神託を受けとる、「賜り」の力をもつ女人。

 線が細く儚げで、だが底なしのあたたかなぬくもりをこぼす微笑。


 もうどれくらいのあいだ、彼女はこうして自分を見下ろしているだろうか。

 幼子が成人するほどの歳月か、あるいは流星が空を駆ける一瞬か?

 亡き妻の澄んだ瞳を覗けば吸い込まれそうで、わずかでも気を抜くとたやすく時間の感覚を失ってしまう。

 

(一国の主ともあろう者が、まったく情けないな)


 真教皇ゲラルトは胸中でそう自らを軽くあざけり、先ほど従者エリアスに投げかけたのとほとんど同じ言葉を無意識につぶやく。


「どんな運命が待っていようと、たとえ何があろうとなかろうと、それはあなたのせいなんかじゃないわ。天上の神々の思し召しなのよ、……か」


 最愛の妻の遺した言葉。

 その内の一節が、彼をあの頃へと引きもどす。

 瞬く間に。





 ***





 出会いは特に印象的でもロマンチックでもなかった。


 親の決めた縁組みだ。

 皇太子ゲラルトにとって、それはまもなく迎える真教皇位継承とさして変わらぬ感慨しかもたらさなかった。

 

(まあ、そうなるだろうな)


 後に堅実保守派の名君と称されるゲラルトは、十八歳のこの頃にはすでにあらゆる出来事を想定の内に置いていた。

 各国との政治的なつばぜり合いに蹴りが付けば、飽き性の父がポイと皇位を寄越して隠居するだろうことも。

 帝王学や神学は得意でも武芸方面はたしなみ程度の自分が国政を担うなら、領地の拡大よりは地固めに専念すべきことも。


 そして立場上、時期が来れば世継ぎを残すため己にも妃があてがわれるだろうことも。


「君との結婚は想定の範囲内だ」


 ゲラルトがそう言ったのは、皇室の急場しのぎに過ぎぬ縁組みに巻き込まれたであろう相手の令嬢を、彼なりに慮ってのことだった。

 だが彼は言葉の選択を誤ったのかもしれない。

 御苑の見合い席で、しばらくキョトンとしていた相手は椅子から立ちあがると彼の手を取ってこう告げた。


「失礼ですが、ゲラルト次期聖下。私ならそれを、『運命』とお呼びしますわ」


 濡羽色の、やや青味がかった長い髪。

 線が細く儚げで、だが底なしのあたたかなぬくもりをこぼす微笑。

 

 それがその令嬢、フロレンティーナとの出会いだった。





 フロレンティーナは特別な女であるらしい。

 古より神託の巫女一族の血を継ぐ名貴族メルテンス家の娘で、夢の中で神々からのお告げやギフトを受けとる「賜り」の能力を持つ……のだとか。


 本当にそんな力が存在するかは別として、彼女にはたしかに一風変わったところが見てとれた。

 この国の令嬢には珍しく、フロレンティーナはよく鼻歌を奏でた。

 聴きなれぬ、だがいつも決まって同じ曲だ。


 皇居での新婚生活。

 そして嫡子を身ごもってからの日々。

 新皇妃フロレンティーナのその美しいハミングは、夫ゲラルトにとっても、やがて母体を離れ産声をあげる嫡男ベルトルトにとっても、気付けばもう人生の一部になっていた。


「ねえ、ゲラルト。私はこのメロディーを、天から賜ったのよ」


 いたずらっぽくそううそぶいて、時々フロレンティーナは笑った。

 その笑顔は、政に勤しむゲラルトを陰に陽によく支えてくれた。

 けしてでしゃばる方ではなかったが、それでも彼女の助言が真教皇ゲラルトの手堅い国政になんらかの示唆をあたえてくれたことも少なくはない。

 まるでいくらか未来を予見してでもいたかのように。

 




 嫡男ベルトルトが生まれたのは、冷然と雨の降りそぼる真夜中だった。

 夜が明けると雨は静かに止んで、フロレンティーナが死んだ。

 

「この子にも……、ベルトルトにも『賜り』の力が宿っているわ。だからあなたが見守って、……導いてあげて。そう、いつも私に、あなたがそうしてくれた……ように。ありがとう、私――、すごく幸せよ」


 彼女が何を言っているのか、ゲラルトには何一つわからなかった。

 頭が理解することを拒んでいた。


「ダメだ、逝くなフロレンティーナ。とても耐えられない」


 濡羽色の、やや青味がかった長い髪。

 線が細く儚げで、だが底なしのあたたかなぬくもりをこぼす微笑。

 なぜよりにもよって、自分の最愛の妻が死ななくてはならないのだ。


 彼女の愛おしい声が、その言葉の連なりが、それでも鼓膜を叩いて意味をなそうとする。


 古より血を継ぐ神託の巫女。

 夢の中で神々からのお告げやギフトを受けとる「賜り」の力。

 その能力者は賜ることと引きかえに寿命を大きく削っていき、「賜り」と同時に自らの宿命づけられた死期をも悟る。

 だから?


「だから、……決まってた、ことなの。あなたと出会って幸せになることも、この子を生んで、今日私が死ぬことも。私たちの可愛いベルトルトが、類まれな男子として王家と巫女の血と『賜り』の力を引き継ぐことだって……。もちろん、すべてを見通すことは誰にも、できないけれど……大丈夫よ、ゲラルト、――怖れないで」


 妻が最期に微笑む。

 彼女のやさしく冷たい手のひらが、差しのべられてゲラルトの頬に触れる。


「どんな運命が待っていようと、たとえ、何があろうと……なかろうと……。それはあなたの、……せいなんかじゃないわ。すべては、天上の神々の思し召しなのよ……――」







 そうして妻は死んだ。


 よくよく考えてみれば、亡き皇妃フロレンティーナが本当に「賜り」などという力を持っていたのかどうかは怪しいものだ。

 彼女を喪ったいまとなっては、そう問うこと自体、真教皇ゲラルトにとってさしたる意義を持ちえない。

 そのはずだった。


 だが――……。


 新作演劇「聖なる恋の☆ドキドキ魔法学園」。

 その芝居と出会って。


 劇中主題歌「別世界」。

 その美しい旋律が、亡き最愛の妻の奏でたハミングとそっくり同じであることに気付いて。


 真教皇ゲラルトはいみじくも悟ったのだった。

 あらゆる理屈を飛び越えて。

 自分の力を超えた問題として。 

 彼の息子ベルトルトが、おそらくは天から賜ってその芝居を書き上げたのだと。

 息子にも「賜り」の力があり、寿命と引きかえに夢の中で神託を受け、時に未来を見通し、おそらく自らの死期をさえ知っているのかもしれぬと。

 彼の母親もまたそうであったように。


 わけのわからない話だ。

 なんの根拠もない直感。

 その直感は、たとえわずかな時間でも夫婦であり、親子であり、そしていまなお家族である三人のみが通じ合えるものではあるのだろう。

 しかしそれを悟ったところで、真教皇には特にできることもない。

 人知を超えた異能と天上の神々の思し召しを前にすれば、一国の主に過ぎぬ己などいつもただ無力である。

 

(――されど、あのケイという娘なら……?)


 花のごとく悪役令嬢を演じる、あの不思議な才と魅力を持つストロベリーブロンドの娘なら。

 あの新人悪役女優ケイになら、あるいは愛息ベルトルトをこの世に繋ぎとめることができるやもしれぬ。


 そんな直感めいたものがいま、真教皇ゲラルトの胸中に生じていた。

 やれやれ、また直感か。

 堅実保守派の名君と評される己にとって、直感にただ従うなど驚くべきことではあるが。

 いずれにせよだからこそ、真教皇として女優の解禁とあの二人の結婚を命じたのだ。


 勇敢にも女人禁制の舞台に躍り出た、型破りな新人悪役女優。

 彼女の才を見出し世に知らしめ法までも覆させた、国の世継ぎにして劇作家皇太子。


 二人が共に歩む素晴らしき未来を、おぼろげながら夢想するとき。

 そこに忍び寄る死の影さえ、なぜか不思議と薄らいでいく――。

 

 真教皇の直感と下した皇命は、はたして正しかったのか否か。

 それをたしかめるには、ケイとベルトルトのこれからを見定めるほかはなさそうだが。

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