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SCENE 2

 貧民街のそばかす娘、ケイ。


 何件もの清掃婦業や家政婦仕事を掛け持って、生計を立てている。

 彼女の職場は、ラークライゼン皇国の皇都。その中心街だ。


 どこの国でもそうだが、富裕層の住む都と貧困層のねぐらは通りを二、三隔てただけの位置関係にある。

 

 息の白む早朝にボロ家の自宅を出て、夜ふけにまたそのボロ家へ帰り着くまでに、ケイが皇都の中心街を駆けずり回れるのはそのお陰だった。

 役所、高級ホテル、礼拝堂、公園、劇場、とても個人が所有しているとは思えない豪邸。

 どれをとっても煌びやかで美しく、そして常に大量のゴミを生む場所。誰かが片付けなければならぬ場所。


 つい先週の建国記念日には皇太子殿下のパレードが大通りで催され、その後片付けも実に大仕事だった。


「見て、ベルトルト皇太子殿下よ。きゃあっ、私、目が合っちゃったかも! と、尊すぎ」


「ああ、冷然たる皇太子、麗しのベルトルト様。この国を治めし真教皇聖下をお支えする、精悍なる美丈夫。見なさいよ、あの青味がかった濡羽色の髪に、切れ長な光の筋を引くインペリアルトパーズの瞳。と、尊すぎ」


「男子成人の儀から、史上最速でエリート枢機卿にも就任。以来、類まれな政務の才を容赦なく発揮。武芸にも秀で、いまやその剣さばきは聖騎士団も舌を巻くほどの剣聖。同盟国にも敵対勢力にも、まして国中で沸き立つ引く手あまたの女たちになど一切媚びぬ冷然たるあのポーカーフェイス。まさにデキる殿方の証。きゃあっきゃあっ、超冷たい眼差しだけどこちらに御手を振ってくださったわ。と、尊すぎ」


 パレードの間中、観衆のとりわけ女性陣からは齢二十一、二の皇太子殿下をはやし立てる美辞麗句が尽きなかった。人いきれの中でケイも遠目にちらと垣間見たが、皇太子ベルトルトはたしかに評判にたがわぬ人物のようだった。

 しかしそんなことより、ケイはその盛大な催しによって都民が生みだすゴミの回収に忙しかった。


 清掃婦として、あるいは家政婦として、ケイはこの皇都で来る日も来る日もたち働いてきた。十歳の頃からだから、今日あたりでもう六、七年ほどになるだろうか。


 仕事はきつく汚く臭く時に危険で、しかしいいところもあった。

 ほとんど誰とも話す必要がない、という点だ。

 そもそもが人目に付くことを善しとされない職業だし、たまに何かの手違いでお客様と正面から顔を合わせるようなことがあっても、相手の方はどこか居心地悪そうに汚れた身なりの自分から目をそらしてくれた。

 そんな時、ケイはいつもこう思う。


(ありがとうございます。ご、ごめんなさい、すぐに消えますので)


 ケイは人と距離を取って生きている。 

 人生に絶望した母親の介護をするようになって、汚れ仕事でわずかな食いぶちを得るようになって、たぶんそれからはずっと。


 陰気で希望も夢もなくみすぼらしい自分を、誰かに見つけてほしいとは思わなかった。

 見られたくなかった。


 無口でいるのもそのせいだ。

 家では母親の小言を聞いていればいい。

 母カレンと過ごす暮らしの中で、ケイはすでに学んでいた。

 人と下手に会話を試みれば、けっきょくはおたがいの理想が嚙み合わず、言い争って傷付けてしまうだけなんだ、と。

 おまけに自分は声を出すと、よく言葉がつっかえる。


「い、いったいどうしたの、お母さん? もどって……、ね、ねえ、いつものお母さんに、も、もどってったら」

「うるさいね、人の苦労も知らないで! ケイ、お前に何がわかるってんだい!!」


 最後に母とそんな会話を交わしたのはいつだろう。よく憶えていない。


 人と距離を取っている。

 というより本当は、人との距離の取り方なんてもうずっとわからないまま。

 だから職場でも口を閉ざしていられるのは、むしろありがたいことだった。

 

 それに、清掃婦の仕事にはもう一ついいことがある。

 

 働き倒し、夜もふけ時に訪ねる、劇場裏口のゴミ捨て場――。

 皇都座、と呼ばれるその劇場の廃棄物に、ケイのひそかな楽しみが宝物のように埋もれている。


 不要になった演劇のパンフレットやポスターだ。


 どういうわけか、ケイは芝居というものに目がなかった。

 高額なチケットを買って劇場へ入れたことなど、生で舞台の下から演劇を見たことなど一度もないのに。


 芝居についてケイが見知っているものといえば、劇場の屋根付けになった舞台看板やショーウインドーに貼られるポスター、皇都座前通りの街頭で聞こえてくる噂話、そして回収ゴミからこっそり拝借するパンフレットのみ。

 それらを夢中で眺め想像を膨らませるうち、自然に読み書きも覚えた。


 ここラークライゼン皇国で上演される芝居はほとんどが聖典に基づいた寓話か童話劇のような物ばかりだが、その中にかすかでもロマンスの要素を見つけると清掃婦ケイの胸は特にときめいた。


 演劇の舞台に思いをはせ、そこで役者たちによって繰り広げられるドラマを心に描くと、静かに胸が高鳴った。





 ***





 ただあいにく、日がな一日の仕事終わり。


 月さえ暗い雲に隠された今夜、劇場「皇都座」の廃棄物には目ぼしいパンフレットの類はないようだ。

 残念だけれど、むろん、そんな日もある。

 清掃婦ケイは収穫をあきらめ、裏路地から劇場前の通りへ出ようとして。

 そして遅くまで灯の入った表のショーウィンドーを目にして、はたと立ち止まった。


 ~「聖なる恋の☆ドキドキ魔法学園」~

 悪役令嬢キャストオーディション 応募受付中


 そう書かれた、そのポスターを目にした瞬間。

 前世の記憶がよみがえった。


(――えっ!? ……こ、これって、前世でわたしがプレーした乙女ゲームと同じじゃない……?)


 ポスターに添え書きされたその新作演劇のあらすじを眺めながら、脳内を記憶の渦がいっきに荒れ狂う。


(前世? 乙女ゲーム? プレー!? ????)


 稲妻に打たれるような衝撃と目まい。


 ――そして次の瞬間にはもう、ケイは前世のすべてを思い出しそのポスターの前に立っている。


(…………わ、わたしの前世は、(あか)()(けい)()、で……)


 そう、ケイの前世は、赤井憬花。


 乙女ゲームと2.5次元舞台をこよなく愛す、日本の社畜OLで。

 唯一の生きがいは、レアな休日にプレーする乙女ゲームか、乙女ゲーム原作の2.5次元舞台の鑑賞。

 名前の通りささやかな、花への(あこが)れを抱く生涯。

 けれどあえなく過労死のはてに、異世界へ転生。

 貧民街のそばかす娘ケイにこうして生まれ変わって――。


(……い、いま目の前にあるのは、前世で好きだった乙女ゲームと同じタイトルの新作演劇の――そ、その悪役令嬢役のキャストオーディションポスターで……。な、なぜか劇作家の名前は伏せられてるみたいだし、あらすじもさわり程度しか書かれてないけど、で、でもやっぱり、あの「聖ドキ」に違いなくて……)


 ――そう、「聖なる恋の☆ドキドキ魔法学園」。

 通称「聖ドキ」。

 平民ながら聖なる魔力持ちのヒロインが、貴族の通う魔法学園で特待生として奮闘しつつ同級生王子と恋に落ちるファンタジックラブロマンス。

 それはまさに、ケイが前世でプレーした乙女ゲームだ。


 ~「聖なる恋の☆ドキドキ魔法学園」~

 悪役令嬢キャストオーディション 応募受付中


 ゲームとまったく同じ内容らしい新作演劇、その悪役令嬢役のキャストを募集するポスターが、いま劇場のショーウィンドーに貼りだされていて。


(そ、そして「聖ドキ」の悪役令嬢といえば、前世のわたしの、さ、最推しキャラで、あ、あこがれで……)


 乙女ゲーム「聖ドキ」において、ヒロインと王子の恋路には、王子妃候補である悪役令嬢ロザレーヌがことあるごとに邪魔立てをする。その悪行は貴族としての誇りと責任感の裏返しなのだが、けっきょくは衆人環視のもと王子によって断罪され、悪役令嬢ロザレーヌは婚約破棄の上に国外追放。かたやヒロインは晴れて王子妃となりハッピーエンドを迎える。


 気位が高く芯のブレない悪役令嬢ロザレーヌは、その決めゼリフ「それでもわたくしは、愛に生きますわ!」も含め前世でケイが一番好きなキャラクターであり、あこがれそのものだった。


(――わ、わたし、悪役令嬢ロザレーヌのことなら、ぜ、前世でファンとして追いかけた自負があるみたい……。悪役令嬢ロザレーヌの役なら、このあこがれを胸にひょっとして演じられるかも!? …………な、なんてね――)


 曇り空に月も隠された、人影もない夜ふけの劇場前通り。


 たわむれに、ささやかに湧いた遊び心で。

 そっと。

 ケイは、こっそりと演じてみる。

 悪役令嬢ロザレーヌを。


「…………そ、それでもわたくしは、あ、……愛に生きますわ!」


 決めゼリフと、悪役令嬢特有の高飛車な身振り手振り。


「……クッ、それでもわたくしは、……わ、わたくしは、あっ、愛に生きますわ!」


 高慢な仕草を、その気高き口ぶりを、前世の記憶をなぞり演じてみる。

 悪役令嬢ロザレーヌへのあこがれのままに、そして、前世でつちかわれた乙女ゲームと2.5次元舞台への愛のままに。


 無人の通りを舞台代わりに、ケイは演じはじめる。

 あこがれの、悪役令嬢を。

 もっと凛々しく、もっと誇らしく、愛らしく、伸びやかに。


 髪留めをはずして、すすけた縮毛のストロベリーブロンドを振りほどく。

 手にしたバレッタを、扇子に見立てて口もとにあてたり、身を翻してしなやかに風を切ったりして。


「そうよ! ――それでもわたくしは、愛に生きますわ!!」


 初めてつっかえることなく、決めゼリフが静寂(しじま)に響く。

 夜ふけの雲間からサァッと月光が差し込み、スポットライトとなってケイをかすめた。

 その瞬間。


『前世のあこがれと愛を、才能へ変換――。

 新たなクラスとスキルを獲得しました。

 ・クラス:悪役女優 LV.1

 ・スキル:独演』


 突如として天から降る不思議なガイド音声は、いまや演技に夢中なケイの耳には届くまい。

 しかしいずれにせよ、それは暗い柘榴石(ガーネット)の瞳をした貧しい娘にとって最初の覚醒だ。

 力がみなぎり、手足の指先までほとばしって。


 新たな才が目覚める。

 そう、悪役令嬢を演じる天性の才能を持つ少女。

 天才悪役女優、ケイが――。


 全身全霊、無我夢中ながら花のごときその演技を、しかしさらなる唐突な男の呼び声が背後からとどめた。


「――おい、そこのお前」


 暗がりから、急くように何者かが駆け寄ろうと迫ってくる。


 もう夜も遅い。劇場皇都座の客ではないだろう。

 ここらにケイの知り合いなどいもしないし、夜警が巡回する時間帯でもない。

 ひょっとして追いはぎか何かだろうか?


 身の危険を感じ、悪役令嬢の演技をやめるとケイはとっさの判断で手にしていたバレッタを投げ捨てて逃げ出した。

 追いはぎが満足してくれそうな金目の物など他になかったし、生きて母の待つ家へ帰らなければならなかった。

 

 なおも呼び止めようとする者の声は、夜闇にまぎれ貧しい娘にはもう追いつかない。





 ***





 コン。


 コン、コン。


 ノックの音。


 呼び鈴もないケイのボロ家の表戸が叩かれたのは、皇都座前通りで追いはぎに襲われそうになった翌朝早くのことだった。


 仕事の支度をしていたケイが戸を開けると、明らかに宮廷仕えと分かる身なりの青年がニッコリ清らかに微笑みたたずんでいた。


「おはようございます。私はとある高貴な方の従者、エリアスと申します。あなたがケイ様ですね?」


 細身に緑髪の従者エリアスは、おっかなびっくりうなずくケイを見るや胸の前でグッと拳をにぎり込んでつぶやいた。


「素晴らしい! バレッタ一つ渡されて持ち主探してきて~などという上からの無理難題をも迅速に解決する我が手腕! 影は薄いが仕事は早い超有能従者、よっ、エリアス、頑張ったね!」

「え、えっと、あの……な、何かうちに、ご、ご用ですか?」


 小声でいぶかしむケイの視線に咳ばらいを一つして、超有能従者エリアスは件のバレッタをその貧しい娘にやさしく手渡す。

 ラインストーンで色とりどりの花と蝶の装飾が施されたバレッタ。


「これはお返しします、実に素敵な御品だ、きっとあなたの大切な物なのでしょう? さて、ケイ様。ではさっそく本題をお伝えいたしましょう。とある高貴な御方と皇都座座長イゾルデ様に代わり、ここに読み上げます」


 携えていた巻紙をシュルリと広げ、そして従者エリアスはケイに告げた。


「おめでとうございます、ケイ様。あなたは当劇団の悪役令嬢キャストオーディションに合格しました」

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