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18/21

SCENE 18

 無人の音楽練習室。


 わずかに開けた扉からすべり込むようにして、ケイはその室内に入る。


(とにかく、さ、最悪のシナリオだけは回避しなきゃ……)


 男装バレ、断罪、明日の演劇公演の中止。

 そんなバッドエンドを避けるために、しかし取れる選択肢はけして多くはなかった。 


 ここ音楽練習室は、皇都座の館内でケイが自室以外に逃げ込める数少ない場所だ。

 思いつくままにやって来て、とりあえずたずさえている楽譜を譜面台に載せた。


 伴奏指導してくれる音楽監督マルコの姿はもちろんなく、そこにはぽっかりと空いたピアノ椅子と鍵盤楽器があるきり。


 試演を明日に控え、喉に負担をかけてまで歌稽古をするわけにもいくまい。

 手持ちぶさたな男装のそばかす娘には、けして得意ではない読譜のほかにこの場ですべきこととてないのだ。


 新作演劇「聖なる恋の☆ドキドキ魔法学園」。

 その劇中主題歌「別世界」。


 紐解く楽譜には、連日音楽監督マルコに歌唱指導された内容がすでにびっしりと書き込まれていた。

 一つひとつを読み直して確認する。

 そのうち不思議と集中が高まって、劇中歌の世界が心を落ちつけてくれる。

 あらためて、曲の始めから終わりまでを、その歌詞を繰り返しくりかえし目で追っていった。



 劇中主題歌『別世界』


(1番序楽節)

 その光は あなたと来たメモリー

 振り向けば涙さえも輝いて

 朝になれば消える魔法ならいらない

 遠ざけたわたしにさえ またたいて


(1番中間楽節)

 自由な夜明けまで 夜明けまで

 本当の声で呼びかけて

 壊れそな薔薇の調べ


(1番主題楽節)

 見つめて

 みつけて

 別世界に恋をして

 二度とない日々をあげるよ

 そう誓えるの

 どこまでも見つめて

 みつけて

 この世界を裏返して

 またとない夢を歩いているの

 さよならよりも

 熱い思いに出会えたから





 そこから、ケイの受け持つ二番以降の悪役令嬢パートへ。

 そして最後まで譜面を丁寧に確認したら、また始めから。

 ……はて、もう何巡目だろうか。

 

 ヒロインパートである一番の譜面を読み終えると同時に、奇遇にも音楽練習室の扉が静かに開いた。

 顔を覗かせたのは、金髪碧眼にして清純清楚な女形役者、アダムである。


「なんだ、君も来てたのかい、ケイ? おたがい考えることは同じだね」


 クスリと優雅に微笑んで、アダムは楽譜を手に室内へ。

 しかしいつもの譜面台の前を通り過ぎると、ピアノ椅子にふわりと腰をおろして言った。


「付き合うよ。さすがに本式の歌稽古とはいかないけれど、伴奏は僕が務めよう」

「えっ、あ、アダムって、ピ、ピアノも弾けちゃうの?」

「(クスッ)。ええ、もちろん。さあ、歌に集中して、ケイ。君の歌う、二番の悪役令嬢ロザレーヌのパートからいこう」


 いく度もの歌稽古を共にして、この二人はたがいを気安く名前で呼び合えるほどには近しくなっていた。


 アダムの鍵盤が、二番に向けた短い間奏を紡ぎはじめる。

 どこかノスタルジックで甘く、それでいて凛々しくも繊細なロマンに満ちた楽の音。


 音楽監督マルコとはまた少し違った美しいその演奏に導かれ、ケイは悪役令嬢の役になりきって歌いだす。

 それはこんな歌だ。



 劇中主題歌『別世界』


(2番序楽節)

 はじきあえば その度にもっと強くわかった

 朽ち果てたドアを叩くせつなさで


(2番中間楽節)

 時には闇を越え 旅をして

 光の美しさを知った

 踏み越えて

 あなたの夢を


(2番主題楽節)

 見つめて

 みつけて

 なぜ未来に恋いこがれ

 届かない日々を歌うの?

 でも魅かれるの

 目をこらし見あげて

 みつけて

 別世界に薔薇が降るよ

 地下街に舞う虹を描いてみせよう

 あなたのもとに

 飛び込めなくて 願った


(副主題楽節)

 いつか染まる青空を

 抱きしめていいの?

 こわくて

 消えないよに 忘れぬよに

 そっと もっと

 胸にやきつける





 ――だがそこで、鍵盤の音がふいに止まる。

 清純清楚な女形役者アダムが立ち上がり、潤んだ碧眼でこう告げたから。


「ダメだ、この気持ちをもう抑えきれない。ねえケイ、僕は君が好きだ。どうかこの恋心を受けとめてほしい」


 あくまでも上品に、けれど切実な情熱でアダムがケイの両手をとる。

 珍しく火照った金髪碧眼の面差しが、口付けの距離までさらに近寄せられて。


「ひ、ひゃっ!? 急にどど、どうしたの、アダム! あ、あの、わたし用事を思い出したのでっ!!」


 予期せぬ事態にうろたえて、鈍感な娘ケイは慌てて室外へ逃れようとする。

 その後ろ髪に、せがむアダムの熱い手が伸びて。


「待ってったら、ねえ、ケイ!」


 ――パチンッ。


 追いすがる指先が、偶然にもケイのかぶる男装カツラの留め金をはじき飛ばして。

 落ちたカツラを後に残し、ストロベリーブロンドの新人悪役女優はそこから逃げ出した。





 ***





 廊下を一目散に走り、皇都座の手近な楽屋口から外へ飛び出す。


 いつのまにか空はうっすらと暮れなずみ、ふだんは人けのない宵の口のその裏通りさえ、皇都花火祭りのにぎわいですでに溢れかえりはじめている。


 最初の花火が打ち上がる。

 祭りが予定通り開催されることを、皇都中に知らしめるように。

 人波をかき分け、暮れゆく路地をケイはもどかしく駆け抜ける。


(ど、どうしちゃったんだろう、オリヴァーさんだけじゃなくアダムまで。――な、なんで?)


 あまりのことに気が動転し、ケイはとにかく逃げる。

 恋の告白など、これまで無縁だったはず。

 人とはずっと距離を取って生きてきた。

 いやそもそも、人との距離の取り方なんてずっとわからないまま。

 こういう時の正しい振る舞い方を、貧民街育ちの地味なそばかす娘はちっとも知らない。


 だから逃げる。

 カツラがとれて、男装は半ば解けてしまっていようとも。

 路地を抜け、中心街を離れてなんとかこの事態をやり過ごすしかない。

 そう、まずはこの路地を、人目の多くない郊外へいま抜けて――。


 ドンッ?!


「……痛っ――。――ご、ごめんなさい。ちょっと、い、急いでて」 


 路地から街区の外れへ躍り出るも、出会い頭に何者かとぶつかってケイは尻もちをついてしまった。

 しどろもどろに謝る彼女の見上げる先、対向してはばかる巨躯の人影が蠢いたのはそのときだ。


「ほう、これは奇遇ですな。たしかあなたは新作演劇の女形。お名前は……、ケイ殿、でしたか? おや、しかしどうもご様子が変だ。ここは舞台でもないのに、いまのあなたの首から上は、まるで本物の女みたいじゃないですか、え?」


 街頭警備を取りしきる憲兵総局長バルタザールが、ニタリと笑って口髭をねじった。

 それは見ようによっては、退屈しのぎに散歩中の職務怠慢者が、思わぬ天からの贈り物に感謝する演技のようでもあった。





 ***





 人目につかない街区の外れ、ぽっかりとひらけた頃合いの空地へケイは乱暴に連行された。


 湿った草地。

 そこもやはり、かつて罪人の処刑場だった場所。

 やや遅れケイを追いかけてきたアダムも、居合わせた数人の憲兵たちにあっという間に取り押さえられてしまった。

 猿ぐつわをかまされ、両腕の関節をきめられたままろくに声すら上げられず跪いてうめく。


「ン~~っ! ン~~~~!!」


 アダムの碧眼は、これから執行される惨事の前にただ無力に見開かれて。

 それにはまったく取り合う気もない様子の憲兵総局長バルタザールが、手枷を嵌めたケイを地面に投げ倒し、うつ伏す背を踏みつけた。

 

「ウッ! ウ、ウゥ――」


 ブーツの下でもがく新人悪役女優ケイの首筋に、まもなくバルタザールの握った剣が振り下ろされようとしているのだ。

 すでに男装娘の正体を身体検査で暴き終え、空いた片手で口髭をひねりながらバルタザールは独りごちる。


「まったく嘆かわしい。かりにもこの国の皇太子が、劇作家を気取ったかと思えばまさかこんな貧困移民の娘を舞台に上げようとしていたとはな。残念ながら、殿下は我が国の法と伝統を忘れ、気でもお振れあそばされた違いない。公演の幕開けまで本格捜査の強行は控えるつもりだったが、せっかくなので趣向を変える。ここは一つ啓発の意味も兼ね、この憲兵総局長バルタザールめが模範を示し、罪人の首を手土産に殿下にこう進言して差し上げることにしよう」


 中空に、断罪の剣が花火の光を映してひらめく。

 あぶらぎった男の野太い声が、欲望そのもののような野蛮さで処刑者のセリフを吐く。


「舞台の上は女人禁制。これは古より続く決まりなのだ。女なんぞ、絶対に舞台に上げてはならん。では、罰を」


 宣告とともに、剣が即座に振りかかって。

  

 新人悪役女優ケイはギュッと目を閉じる。

 それは彼女に残された最期の一瞬。

 まぶたの裏に、なぜかやっぱりあの人の顔が浮かぶ。

 劇作家皇太子ベルトルト。

 あの人との数日間が、走馬灯のように回る。


(か、神様、お願い――)


 理屈を越えそう願いかける意識は、しかしあえなく、容赦なき刃にザンと断ち切られ。





 ***





「みんなここまで本当によく頑張ったわ。自信を持って明日の公演を迎えましょう。じゃあこれにて、いったん解散!」


 座長イゾルデの声が、ケイの意識を呼びもどした。

 ミーティングはこれで終わり。

 新作演劇「聖なる恋の☆ドキドキ魔法学園」の試演を、いよいよ明日に控えて。


(……え? あ、あれ?)


 やはり一瞬何が起こっているのかわからず、ケイは立ちすくむ。

 ハッと反射的に首筋へ手を伸ばし、自分の首がまだ飛んでいないことを知る。

 

 男装がバレて、憲兵の長を名乗る男バルタザールの剣に断罪されたはずの自分が、まだ生きている?

 すぐ近くには、劇団仲間である赤髪看板役者オリヴァーや、金髪碧眼の女形役者アダムの変わりない姿も。


(――や、やっぱり、時間が巻きもどってる……)


 半日も前に終えたはずのミーティング解散場面。

 自分の、まだ解けていない男装用の稽古着とカツラ。

 窓外の暮れていない日の光。

 ……台本を片手に自室へ帰り、籐椅子に腰かけて。


 奇妙なほど生々しい既視感。

 死んだはずの自分が、少し前に過ぎ去ったはずの時空にいる。

 なぜかはわからない。

 それでもこの状況を言いあらわす言葉を、ケイは前世ゆずりの記憶からもう一度掘り起こす。


(……し、死にもどり。ループ)


 ケイの前世である社畜OL赤井憬花の記憶によれば、やはりこれはまるで乙女ゲームでもまれにあるイベント「死にもどり」もしくは「ループ」と呼ばれる状況にそっくりだ。

 あるいは、「シナリオの強制力」……。

 死んだはずの人間が、過ぎ去った時空のある一点に強制的に引きもどされて、そこでふたたび息を吹き返す。

 正しいシナリオにそった行動を選び取れるまで、この死と再生の無限ループは続くのだろう。


(た、たしかに二回とも、最悪のシナリオになってたに違いないけど……)


 オリヴァーからの恋の告白と、ケイの一度目の死。

 アダムからの恋の告白と、二度目の死。

 いずれもケイは逃走中に男装がバレて拘束され、憲兵総局長バルタザールの断罪に遭い首を飛ばされてしまった。

 当然、新作演劇「聖なる恋の☆ドキドキ魔法学園」の公演は叶わない。

 劇作家皇太子ベルトルトの書き上げた台本は無駄に終わってしまう。


(……た、正しい選択肢を選ばなきゃ。時間が巻きもどったこの世界で、さ、最悪の展開を防がないと)


 このまま部屋にいても、あるいは音楽練習室にこもっても結果はバッドエンドだった。


 だから男装のそばかす娘ケイは台本を手に取ると、辺りに警戒しながらも廊下へ出て今度こそある場所へ向かう――。

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