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SCENE 12

 ダミアンの洋裁店で巡り合った、真紅のロングドレス。


 ケイの舞台衣裳となるその一着は、同じく衣裳となる魔法学園の制服とセットで従者エリアスが皇都座まで送り届けてくれることとなった。


 影は薄いが仕事は早いその超有能従者は、さらなる機転を利かせる。

 洋裁店の裏口に往路とは別の馬車を用意し、劇作家皇太子ベルトルトと新人悪役女優ケイのお忍びデートツアー御苑直行便を実現させたのである。


 馬車の車窓には暗幕が引かれており、御苑に到着するまで周囲の目を気にかける必要もない。

 

「まったく、いらぬことをする。あのスカポンタンのエリアスが」


 冷然たる皇太子は車中でしばらく毒づいていたが、御苑に着くと観念したようにケイをエスコートして馬車から降ろしてくれた。


 皇宮御所の広大な敷地。

 その周縁部にひっそりと造られた、緑豊かな庭園である。


「まあいい。お前も疲れただろう、ケイ。ここでよければ少し休んでいけ」

「は、はい。……あ、ありがとうございます、殿下」


 むろん御苑など、貧民街育ちのそばかす娘には縁もゆかりもなかった場所である。


 涼やかな木陰を踏み石畳の散歩道を抜けると、小池に渡された橋の向こうにはやがて休憩用のガゼボが見えてくる。


 隔絶された安全な場所とはいえ、洋裁店を出る際にケイはドレスからふたたび無難な男装へと着替えて来ていた。

 あくまで表向きには、女形の新人男優で通すのが決まりだ。

 ケイが女でありながら舞台に立とうとしていることを、不用意に漏らしてはならない。

 この国では、舞台の上は女人禁制。禁を破れば法令に触れ、誰かの首が飛ぶ。

 

 あずま屋には、すでに茶器と軽食の用意が整えられていた。

 茶葉の蒸らせ具合まで、まるで二人の到着に合わせてあったかのように。

 皇太子ベルトルトは特に感慨もなげにケイをその椅子に休ませると、二つのカップに茶を注いで自分も座った。

 ソーサーを持ち、静かに茶を口もとへと運ぶ彼の様はやはり高貴である。


「どうした、飲まないのか?」

「あ、いえ……。い、いただきます」


 皇太子にならって、男装のそばかす娘もそのあたたかな茶を口に軽く含んだ。


(……お、美味しい)


 じんわりと、緊張も疲れもときほぐす香りに包まれるよう。

 添えられた茶請けは一口大のパンに新鮮なフルーツやロースト肉などを盛りつけた物で、ラークライゼン皇国では昼の軽食として一般的だが、これほど一級の食材が使われることはそうないだろう。

 まして貧しい暮らしをしてきたケイにとっては、なおのこと。


「どうだ、口に合うか?」

「……ング……モグ……。はい。……あ、あの、と、とても美味しいです、殿下」

「そうか、それならいい」


 冷然たる皇太子の眼差し。

 その切れ長な光の筋を引くインペリアルトパーズの瞳は、冷やかには違いない。

 しかしそれが故あってのことであるのを、ケイはすでに今日、従者エリアスから聞かせてもらっていた。


 くらべる者なき高貴な身の己が、むやみに喜怒哀楽を示して周囲の者を右往左往させないように。

 母皇后亡き幼心に抱いたその思いのままに、目の前にある冷たい美貌のポーカーフェイスは形作られたのだ。

 青味がかった濡羽色の髪の下に。

 その鼻筋の通った端正な顔立ちも、鋭利な月のように薄い唇も。


 二人の目が合うと、御苑の緑に葉擦れの音をたてて風がそよぎ、小池の水面をしばらく吹き渡った。

 一瞬そちらへ奪われた視線をもう一度ケイがもどすと、そんな彼女をまっすぐに見つめて皇太子がおもむろにつぶやいた。


「お前といると、まるで夢を見ているようだ」


 静寂と、しばしの沈黙と。

 キョトンとする男装の悪役女優と。


 つぶやいた己の声にはたと気付いたみたいに、皇太子ベルトルトは目をわずかに(みは)り、それからナプキンをつまむ長い指の先で自分の唇を拭った。


「――すまん。何を言っているんだ私は。……こんな話をするつもりはなかったはずなのだが」


 顔を伏せるベルトルトのそこはかとない狼狽ぶりに、ケイも少しびっくりしてしまった。

 けれどなぜだろう。

 なんとなく、こうも感じるのだった。


 もしかしたらこの人はいま、何かとても大切なことを自分に伝えようとしてくれたのかもしれない、と。


 だからケイは不敬にならぬようさっと椅子から立ち上がって一礼すると、畏れ多くまたぎこちなくも、皇太子殿下をこう誘った。


「お、お陰様ですっかり休めました。……あの、殿下。も、もう少しだけ、お散歩を楽しませていただけませんか? ……もしよかったら、その、お、お話の続きも――」





 ***





「夢を見たのだ――」

 

 御苑をゆっくりと散策しながら、皇太子ベルトルトは語った。


「『聖なる恋の☆ドキドキ魔法学園』、あの台本は私がもうずっと幼い頃に夢の中で書き上げた物だ。いや、自ら書き上げたというよりは、夢の中で賜ったと言う方が正しいだろう。芝居など、閉鎖された皇宮御所生活の中で一度も見なかったこの私なのだから……」


 生け垣のそばを並び歩く男装のそばかす娘ケイは、その冷然と低いベルトルトの語り口を聞き漏らすまいと耳で追いかける。

 そよ風にさえぎられ、彼のその夢を見失わぬように。


「劇作家になりたいと、そしていつか『聖ドキ』を多くの民へ届けたいと願ったのはそれからだ。――ケイ、夜ふけの通りでお前を見つけたとき、イメージしていたままの悪役令嬢の演技に、私は一瞬で目を奪われた。花のごとき、夢に描いたその似姿に。……皮肉なものだ。君主となるべく生み落とされ育てられて、いまだ微塵もこの世を正すこと叶わず、困窮する民を救うこともできず、悠長にも私はただこの演劇にとり憑かれている。……このようなこと、貧民街で育ったお前には憎まれても仕方はないはずだな」


 ここに従者エリアスがいれば、そんな皇太子の自己卑下をこう否定しもするだろう。

 

『何をおっしゃるのです、殿下。幼きより血の滲むような努力であなたが史上最も若き枢機卿となられて以来、現真教皇聖下と殿下の献身でどれほどこの国の状況が改善されつつあるか。経済的にも、倫理的にも。むろん、改革は一朝一夕にとは参りません。多くの障壁があり、しがらみがあります。しかしほかならぬあなたこそが、その流れを変えようとしてきた』

 

 だが、あいにくこの場に従者はいない。


 もちろんケイは皇太子を憎んでなどいなかったが、ベルトルト殿下の言わんとすることも少しはわかる気がした。

 ある意味でそれは、貧民街の片隅でひそかに悪役女優の夢を見る自分がずっと感じてきたことでもあったから。


 なぜこの世界は、これほどまでの苦しみと夢と、その両方とに満ちていなければならないんだろう、と。


 ずいぶん迷ってから、ケイは引きとめるように皇太子の片袖をつまみ取った。

 儀礼上も、あるいは散歩を楽しむ男女のやりとりとしても正しい作法ではなかろう。

 しかしその男装のそばかす娘が人との距離の取り方について不得手なのはいまに始まったことではない。


 世界は夢と苦しみと、その両方とに満ちているのだ。

 だからケイは思わずその人を引きとめて、ただ伝えずにはいられなくなる。


「――き、今日は本当にありがとうございました、ベルトルト殿下。…………わたし、お、思うんです。……あ、明日からも悪役令嬢のお芝居を、が、頑張ってみようって――」

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