SCENE 11
あたたかな陽光に照らされた、立派な洋裁店がそこに建っていた。
馬車脇で控える従者エリアスに見守られながら外付けのらせん階段を上りきると、ケイはそっと店内へ入る。
その二階はアトリエになっており、室内ではすでに二人の人物が立ち話中のようだ。
彼らの前にはガラス棚に広げた色とりどりの生地見本や、何体ものトルソーにそれぞれ掛けられた美しいドレスが並んでいる。
来訪に気付いて、男の一人がこちらを振り向いた。
濡羽色の髪をした冷然たる皇太子、ベルトルト殿下である。
「よく来たな。お前を待っていた」
言葉とは裏腹な仏頂面のままでベルトルトは手早くケイをエスコートすると、先ほどまで話し込んでいた人物と引き合わせた。
「紹介しよう、ケイ。皇室指定仕立て師のダミアンだ。彼にお前の舞台衣裳を作らせる」
「まだ引き受けちゃいないわよ。私、いくら若い子ったって女形用にドレス作る趣味なんかないんだから」
不満げに頬をかくその仕立て師ダミアンは、一風変わった紳士だ。
いや、そもそも男性なのだろうか?
体型こそ偉丈夫だが、ベリーショートに妖艶な化粧とピアス。
ベルトルトに向かってブウたれるその仕草は、洗練されて趣味のいい色香を漂わせている。
もっとも、ベルトルトはそんな彼の色香など歯牙にもかけていないようだが。
「? ああ、そうか、ダミアン。お前にはまだすべてを説明してなかったな。ここならもう大丈夫だろう……」
一人得心したベルトルトが、今度は躊躇なくケイに歩み寄っていきなり腕をまわしてきた。
「ひ、ひぇっ!? で、ででっ、殿下?」
うろたえ後ずさる細身の体を壁まで追い詰めると、ベルトルトはいよいよ口づけんばかりに彼の端正な美貌で迫り、男装のそばかす娘のうなじに冷たい指先を這わせ――。
パチン。
無駄のない手つきで、ケイの頭からその男装カツラを取り去った。
ストロベリーブロンドの地毛が、幾筋かのほつれとともにあらわになる。
「この通り、ケイは正真正銘の娘、女だ。目下完全なる機密事項だが、彼女こそこたびの新作演劇『聖なる恋の☆ドキドキ魔法学園』における悪役令嬢役。女人禁制の慣例を打ち破る、我が国初の悪役女優。つまりダミアン、お前がこれから仕立てるのは、時代を塗り変える悪女の衣裳だ」
振り返る皇太子の冷然たる口上に、かたや仕立て師ダミアンは自分がなんの片棒を担がされようとしているのかようやく理解した。
なるほど、どおりでいつも以上に皇太子の瞳が透徹しきっているわけだ。
法令に反し、誰かの首が飛ぶ危険を冒してまでも、女を役者として舞台に上げる?
衣裳ドレスをまとわせ、華々しい脚光を浴びせ、この一見みすぼらしいそばかす娘をスターダムへのし上げる?
あまつさえこれを機に、演劇界に女優解禁でも果たそうというのか。
まったく、時代を塗り変える悪女とはよく言ったものだ。
正気の沙汰じゃないけれど、…………あらやだ、最高じゃない。
ここで、仕立て師ダミアンはそう判断する。
彼が常軌を逸するのはいまに始まったことではなかったが、それにしても。
「それにしても、俄然、燃えちゃう話ね」
ダミアンはそう言って、愉快そうに自分の片頬を撫でた。
***
新作演劇「聖なる恋の☆ドキドキ魔法学園」の舞台衣裳は、本来、劇作家皇太子ベルトルトと皇都座座長イゾルデの連携ですでに別の専門業者へ手配済みで、キャスト陣の衣裳合わせも完了していた。
ただあいにく、オーディションでの合流が遅れたためケイの悪役令嬢ロザレーヌ役用の衣裳だけがまだ用意されていなかったのだ。
無名の新人悪役女優を見出した皇太子ベルトルトが、彼女の舞台衣裳となるドレスを作らせる急遽の依頼先として白羽の矢を立てた人物こそ、皇室御用達の仕立て師ダミアンなのである。
自前の洋裁店も持つ腕利きだ。
「急ぎの案件だし、もらった台本からデザイン起こして何着か仮縫いまでは仕上げてみたわ。それがこのドレスたちってわけ。どうかしら、ケイちゃん?」
アトリエに並ぶ何体ものトルソー、それぞれに掛かった色とりどりのドレス。
ダミアンが示すそれらは、いずれも一級の意匠がこらされた素晴らしい物ばかりだ。
貧民街育ちのそばかす娘ケイに、甲乙など付けられようはずもない。
ただ、かたわらで彼女の様子をうかがう皇太子の眼差しは、冷然としていながらも真剣そのものだ。
「私とダミアンでも随分協議を重ねたが、いまだにどのドレスを採用するか決めかねている。お前の意見が欲しいんだ、ケイ。ほかならぬ、お前の着る衣裳だからな。今日わざわざここへ呼んだのは、そのためでもある」
「そうなのよ、おかしいんだけどその殿下ときたら、初めて好きな女の子に贈り物でもするみたいに浮き足立っちゃってね。ていうか、あんたそんなことこれまで一度だってあったかしら、ベルトルト殿下?」
「ドレスの仕立てが終わったら、貴様の首は私が綺麗に斬り落とす、ダミアン」
劇作家皇太子の言い分はある意味もっとも。
その証拠に、隣にたたずんでいたそばかす娘はいったん目を閉じて思いなおす。
(……そ、そうだ、場の空気に圧倒されてる場合じゃないんだ……。ち、ちゃんと選ばなきゃ。自分の役に合う、い、衣裳を。悪役令嬢ロザレーヌの、ドレスを……)
ケイにとっては、初めての舞台衣裳選び。
心の準備もしてきてはいない。
自分の判断に自信なんてないけれど。
でもせめて、演じる役には誠実でありたい。
ただ素直にそう思えた。
(も、もし彼女なら……、そう、悪役令嬢ロザレーヌなら、……どれを選ぶの? さあ、ぜ、前世ゆずりの記憶を使って、乙女ゲームの――あこがれの悪役令嬢ロザレーヌになりきって)
ゆっくりと柘榴石の目を開け、立ち並ぶドレスの間を歩きはじめる。
その横顔、そのまとうオーラは、もうすでにただの貧そうな娘ではない。
ほんの一瞬で、悪役令嬢ロザレーヌがそこに立ち現れる。
そばで固唾をのむベルトルト皇太子は冷然たる瞳を静かに見開き、仕立て師ダミアンが「まあ」と感嘆の吐息を吐く。
そのいずれも、もはや悪役令嬢ロザレーヌを演じる娘ケイの眼中にない。
(これも違うわ、これも……。わたくしにふさわしいドレスは、いったいどこかしら――)
毅然と背筋を伸ばしたその足取りが、やがてすべてのドレスを通り過ぎようとするせつな。
悪役令嬢の瞳の端に、用意された数々のドレスとは別の、彼女を呼びよせる何かが映り込む。
アトリエの、ひと際奥まった一隅。
そこで立ち止まる。
彼女のドレスは、そこにある。
(わたくしの、ドレス――)
古めかしい、胴体と支柱だけのマネキン。
年季の入ったトルソーに、それは掛かっている。
雅やかな、真紅のロングドレス。
肩袖から裾先へと、誇らしさを微塵も失わず落ちていく高潔なシルエット。
潔く切り込む胸もと。ストーンブローチが甘さを引き締めるウエストライン。
サテンにチュールを重ねたスカート部分が、真紅の色あいを時に燃えたつ虹のように揺らめかせて。
(――見つけたわ……。わたくしのための、ドレス……)
うっとりと見惚れ、時を忘れる。
懐かしい思い出と巡り合ったように。
あるいはまだ見ぬ未来を、ぴったり探りあてたかのように。
「――大丈夫か、ケイ?」
そっと肩に添えられる大きな手と、こちらを覗き込む背の高いその人の冷然とした声と面差しに、ケイはふっと我にかえった。
いつのまにか自分の頬をつたっていたひとしずくの涙を、ベルトルト皇太子が指先で拭ってくれている。
その指は長く関節がゴツリとして、そして冷たい。
「……あ、あれ、ご、ごめんなさい、わ、わたしったら、どうしたんだろう……?」
居心地の悪い照れ隠しに、新人悪役女優ケイはもう一度そのドレスへ向きなおる。
雅やかな、真紅のロングドレス。
それは、前世ゆずりの記憶にある乙女ゲームの最推しキャラ――あこがれの悪役令嬢ロザレーヌが着ていたドレス、そのもののように見える。
「わ、わたし、これにします……。こ、このドレスを着て、悪役令嬢がやりたいです」
そう言ってケイが皇太子と仕立て師を振り返ると、見つめ返す皇太子の冷然たる目には驚きの色がきらめいた。
ケイがそんな無防備な表情で微笑むのを、彼女に出会って以来おそらく劇作家皇太子ベルトルトはこのとき初めて見たのだ。
かたや、仕立て師ダミアンはよく整えられた片眉を吊り上げながらその古めかしいトルソーに近付き、真紅のロングドレスに語りかけた。
「あらやだ、時代向きじゃないし、ずっと買い手も付かなかったのに。まさか、あんたが売り物になる日が来ようとはね……」
***
その真紅のロングドレスには、仕立て師ダミアンの人知れぬ思いが込められている。
彼の出自をかえりみずして、誰かがその思いに気付くことはおそらくないだろうが。
いまでこそ自前の洋裁店を持ち、皇室御用達の仕立て師としても名高いダミアンだが、彼はもともと没落貴族ホイス家の出である。
地方の男爵領主としては人の好すぎた曾祖父の代に、ホイス家は一度破算も同然の事態に陥っている。
乞われるまま下位の資産家たちに貸しあたえた財産を、あれこれ理由を付けすべて踏み倒されてしまったのだ。
訴えようにも、そんな資産家たちの大半は国外へ逃亡。その逃亡を手助けした黒幕の存在らしきものも、けっきょくは明らかにできなかった。
そんなわけで、ホイス家の末っ子ダミアンは極めて慎ましい生活の中で育った。
彼には三人の姉がいたが、いずれも美しく、愛らしく、可憐で、服装は質素だった。
なんの冗談か、三人が三人とも、弟ダミアンを残し若くしてこの世を去ったが。
長女は重い肺病を患い、次女は失恋の痛手で自死、三女は湖の真ん中に浮かんだボートの上で雷に打たれて即死だった。
ホイス家は呪われていたのかもしれない。
仮にそうだとしても、末っ子のダミアンにできることはさして多くはなかっただろう。
ダミアンは、ちょっとおかしな子だった。
体格の大きな男児のくせに姉たちと同じ女言葉で話し、小さな頃から仕草も女性的で、絵を描くのが得意だった。
そのせいで町村の悪ガキどもにはよくいじめられたが、体に生じる痛みほどには苦を感じなかった。
家に帰れば、姉たちがかわるがわる愛情を注いでくれた。
多くの場合、ダミアンは自前のボロボロのスケッチブックに姉たちの絵を描いた。
どんな風景よりも、彼女たちが美しく、愛らしく、可憐だったから。
「ああ、一度でいいから、もっとましな服を着たいわ。ろくなドレスの一着もないんだもの。これじゃお嫁にだって行かれないじゃない」
いつだったか、姉の一人が火の消えた暖炉の前でそう言って、姉妹のはしゃぐ笑い声が居間にはじけた。
誰が言ったにせよ、皆が同じ気持ちだった。
姉の最後の一人が亡くなったとき、ダミアンはなぜかその日の場面を思い出した。
それからスケッチブックを取り出して、ドレスのデザイン画を描いた。
葬儀から家にもどったばかりで、まだ頬の丸い年頃の彼自身は喪服すら着替えてはいなかったけれど。
ドレスを描いているあいだ、姉たちの声がして彼の筆運びを助けてくれた。
「ねえダミアン、色は真紅にして。ありきたりじゃつまらないわ。雅やかな、真紅のロングドレスよ」
「胸もとは潔く切り込んで。肩袖から裾先へ、誇らしさを微塵も失わず高潔なシルエットが落ちていくの」
「ウエストラインにはストーンブローチで甘さを引き締めましょう」
いいわね、そうしましょう。
サテンにチュールを重ねたスカート部分にも、真紅の色あいを、時に燃えたつ虹のように揺らめかせて……。
数分で描き上げたそのデザイン画を機に、ダミアンは服飾の道へ。
皇室御用達の仕立て師となったいまも、その処女作は表立っては売り出されることなく、アトリエの奥まった一隅でトルソーに長年掛けられたままである。
――雅やかな、その真紅のロングドレス。
「わ、わたし、これにします……。こ、このドレスを着て、悪役令嬢がやりたいです」
なんの因果か、長い長い年月を経て、そんなドレスに買い手が付いた。
「驚いたわね、直しもまったく必要ないみたいじゃない。ケイちゃん、あんたいったい何者なわけ?」
「ひ、ひぇっ!? そ、そんなたいそうなものじゃ……」
寸法直しのために試着させたその真紅のドレスは、皇太子が今日連れてきた新人悪役女優ケイの体に、まるで前もって採寸し仕立てたみたいにぴったりと馴染んでいる。
舞台の上ではさらに何倍も映えるだろう。
悪役令嬢になりきってドレスを選んでいたケイの様子から、業界ではまだ女優として当然無名ながら彼女の演技がどれほど高潔で素晴らしいものであるかは想像に難くない。
まあ、ふだんはこうしてまごつくだけの人慣れしない娘にすぎぬようだが。
「普通ありえないけど、今日このまま持って帰ってもらってもいいくらいよ、そのドレス。第一場、第三場用の制服とセットにしても、数日中にはお届けできちゃうわね」
新作演劇「聖なる恋の☆ドキドキ魔法学園」において、悪役令嬢ロザレーヌの衣裳は2パターン。
第二場「舞踏会場」用のドレスと、第一、第三場で着る魔法学園の制服。
そのいずれも、これにて算段は整ったも同然。
仕立て師ダミアンはシュルと巻き尺を胸にしまいながら、この悪役女優の絶対的支援者を務める気らしい皇太子に歩み寄るとこっそりささやいた。
(……ねえ、それはそうとベルトルト殿下、結婚するならこの子になさいな。運命の娘ってのは、ケイちゃんみたいな子のことを言うのよ。妃用のウエディングドレスなら、いつでも作ってあげるからさ)
(――なっ……!?)
からかわれて、冷然たる皇太子は珍しく動揺を見せただろうか。
いずれにせよ、姿見に映り込む真紅のドレスに見惚れる貧民街育ちのそばかす娘に、そんなことは気付けようはずもなかったのだが。




