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SCENE 10

 今日は休日。


 皇都座に入って以来、新人悪役女優ケイにとって、初の稽古休みの日。

 

『――次の休みは空けておけ。お前を連れて行きたいところがある』


 件の劇作家皇太子ベルトルトは、その予告通り午前の内には迎えの馬車を寄越した。

 とはいえ、御者と共に皇都座へやって来たのは従者エリアスであったが。


「殿下はすでに目的地であなたを待っておられますよ。それはもう、万全の御手配をなさって、ね」


 新鮮でポカポカとあたたくなりゆく、昼まだき。

 あらゆる生命が息づいているようなその光の中を馬車に揺られながら、対座するエリアスの話をケイは緊張しながら聞いている。

 外出なので、もちろん男装をして。


「……そ、それであの、エリアスさん。き、……今日はどちらへ?」

「もう種明かしですか? 到着まではまだしばらくあるのですよ、ケイ様。ここは一つ、従者エリアスめの余興にお付き合い願いたく」


 従者というのはとかく拘束時間が長い仕事のわりに息抜きというものがほとんどなく、こんな馬車移動の際にあなたのような「殿下の見つけたあこがれ深き花のようなお姫様」と語らう楽しみを味わえずして生きながらえることなどできましょうか。

 否!

 と、緑髪の従者エリアスは身を乗りだし小声で一息にまくし立ててからニッコリ微笑んで座り直した。


 実際のところ、ケイは「殿下の見つけたあこがれ深き花のようなお姫様」などではなく、ただの生まれの貧しいそばかす娘にすぎないのだが、本人がそれを訂正する暇はなさそうだ。

 従者エリアスはいかにも楽しそうに会話を進める。


「それはそうと、ケイ様は毎日とても劇の稽古を頑張っていらっしゃるようですね。殿下からご様子は伺っております」

「こ、皇太子殿下が、……わ、わたしのことを?」

「ええ、皇都座から御帰りの際にはいつも語っておられますよ。あなたがその悪役令嬢を演じる稀有な才能に溺れることなく、いかにひたむきに稽古に励んでおられるかを」 


 小気味よい蹄の音が、通りを渡って馬車を運んでいく。

 車窓からチラと外を視界に入れれば、ついこの前までそばかす娘が清掃婦として駆けずり回っていた皇都中心街の街並みが流れていく。


(――だ、だれかがわたしを、み、見つけてくれるなんて……。ベルトルト皇太子殿下が、あ、あの人が、自分を見てくれているなんて)


 それは、悪役令嬢役に抜擢されたものの芝居の稽古に付いていくだけで精一杯なケイの心に、まだ実感の伴わない不思議な気持ちを抱かせる。


「でもほら、ぶっちゃけあの殿下、愛想のカケラもないでしょう? 何しろ世間じゃ『冷然たる皇太子』で通ってますからね。あなたにだって、きっと稽古場でもあの凍てつく仏頂面で接していらっしゃるんでしょうね」

「い、いえ! そ、……そんなことは」


 エリアスの鋭い探りに噓をつききれず、柘榴石(ガーネット)の瞳を泳がせる男装のそばかす娘。

 その様子にクスリと笑ってから、緑髪の従者は言う。


「昔からああなんですよ、あのベルトルト皇太子殿下はね。ただ、それなりに故あってのことです。殿下と御近づきになられるケイ様には、このことを是非知っていただきたい。あなたはあるいは、殿下の運命を塗り変えてしまわれるかもしれないお方なのですから」


 残りの移動時間、従者エリアスが聞かせてくれた話によって、貧民街育ちのケイは少しずつベルトルト皇太子殿下の存在へと近付いていくことになる。

 ちょうど彼女を乗せた馬車が、新たな場所へと向かっていくように。





 ***





 冷然たる皇太子。

 ベルトルト・フォン・ラークライゼン。


 その凍てつく仏頂面は生来のものだと巷では噂されるが、事実は少し違う。


 端的に言えば、幼少期の経験によるところが大きい。

 皇后を産褥死で亡くしているベルトルトは、その生みの母の面影をじかには知らない。

 皇宮御所での生活で、母親代わりは宮仕えの女官たちであった。


 女官たちは皆恭しく、まだ無邪気で脆弱なベルトルトの面倒をよく見てくれた。

 ベルトルトが笑うと女たちは歓喜し、泣けば青ざめながら命がけであやしてくれた。

 そう、命がけで。


 くらべる者なき高貴な身分に自分が生まれついてしまったことを、ベルトルトが感じるのはそんなときだった。

 己が不用意に喜怒哀楽を示せば、周囲の者はその何倍も右往左往することになる。

 けっきょくのところ、自分がやっているのはこの女たちの人生を狂わせるだけのことではないのか。


 賢く思慮深いベルトルト皇太子は早くからそれに気付き、幼くして人前で表情を動かすことをほとんどやめてしまった。 


 厳しい皇子教育の中で帝王学を学ぶようになってからは、その姿勢はますます強固なものになった。君主の地位を継ぐ者の在り方として、自分があながち間違った選択をしていないと悟ったからだ。


 ラークライゼン皇国を治める真教皇を父に持ち、男子成人の儀から史上最速でエリート枢機卿に就任。以来、類まれな政務の才を容赦なく発揮。

 武芸にも秀で、いまやその剣さばきは聖騎士団も舌を巻くほどの剣聖。


 スラリと背高で精悍な肉体。

 見目麗しき完璧皇子。


 青味がかった濡羽色の髪に、切れ長な光の筋を引くインペリアルトパーズの瞳。

 鼻筋の通った端正な顔立ち。鋭利な月のように薄い唇。

 けしてこれ見よがしではないが、着ている衣服も身にまとうオーラも明らかに高貴なる者のそれ。


 齢二十一、二にして、同盟国にも敵対勢力にも、まして国中で沸き立つ引く手あまたの女たちになど一切媚びぬ冷たい美貌のポーカーフェイスは、こうして出来あがったのである。





「と、まあそんなわけでして」


 皇太子と歳が近く、「善き友としても仕えよ」との皇命で子どもの頃から従者をやっているエリアスが、颯爽と話を切り上げにかかる。

 緑髪の彼の瞳に、尊敬と忠義と親愛の情が、友愛の情が木漏れ陽に踊る影のようにきらめく。


 馬車を運ぶ蹄のテンポが、ゆっくりと落ちていく。

 目的の場所へ到着するようだ。


「――そんないささか面倒な生い立ちの、しかしけして人は悪くない高貴なる殿方が、あこがれ深き花のようなあなたを今かいまかとお待ちしているはずです。さあ、ケイ様、こちらへ」


 従者にうながされて、柘榴石の瞳をした男装のそばかす娘は馬車を降りる。


 陽光に照らされた洋裁店が、そこに建っていた。

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