7 夜会での求婚
アグネス王妃の誕生日を祝う夜会は、盛会のうちに終わりを迎えようとしていた。
「王妃殿下、最後のご挨拶に伺いました」
国王への挨拶を終えたジークベルトが、アグネス王妃の前で恭しく礼をした。
「ああ、そうでしたわね。夜会が終わり次第、転移の魔法でお国に戻られるご予定でしたわね。……そういえば結局、運命のお相手は見つかりましたの?」
「実はそのことで、王妃殿下にお願いがあるのですが……」
あら、とアグネス王妃の目が期待に輝く。
「どうやら先読みのとおり、運命の相手と巡り会えたようなのです」
「まあ、そうでしたのね!」
「それで、彼女をツァウバルに連れ帰るお許しを頂きたいのです。もちろん、本人の承諾を得た上で、ということになりますが……」
「ええ、ええ、もちろん許可しますとも! カナル王国王妃の名において請け負いましょう。ツァウバルの王弟殿下にして世界有数の魔法使いであるジークベルト殿の伴侶が我が国から出るだなんて、願ってもないことですもの!」
「ありがとうございます。そのお言葉を聞いて安心いたしました」
ジークベルトの唇が美しい弧を描いた。
「それで、誰なのです? その幸運な女性は。もう本人にはお伝えになったの?」
アグネス王妃が興奮ぎみに身を乗り出した。
夜会の参列者達もお喋りを中断し、興味津々で上座の二人のやり取りに注目している。
「実はまだなのです。ご迷惑でなければ、今この場で彼女の意志を確認してもよろしいでしょうか?」
「まあ! ということは、この会場に運命のお相手がいらっしゃるのね! ふふ、聞きましたわよ、ジークベルト殿。昨日、数名のご令嬢と個別にお茶をご一緒されたとか。中でもベリンダ・クラプトンと、最も長い時間を過ごしていたと……」
思わせぶりに口の端を上げ、ジークベルトが成り行きを見守っていた周囲の人々を振り返った。期待と好奇心に満ちたざわめきが起きる。
ゆるりとホールを見回したジークベルトは、すぐにお目当ての人を見つけた様子で視線を定め、美しい顔に甘やかな微笑みを乗せた。溢れ出た色気に、会場の令嬢達から黄色い声が漏れる。
ジークベルトは会場の視線を一身に集めながら、ゆったりと歩を進める。それに合わせて人の波が割れる。
ジークベルトの向かう先には、彼の瞳の色と同じ紫色のドレスをまとったベリンダが、頬を染めて立っていた。
「ジークベルト様……」
ベリンダがうっとりとジークベルトを見つめ、片手を差し出す。
ジークベルトもまた麗しい微笑みでベリンダに歩み寄り――。
「……え?」
けれどその横を無言ですり抜けた。片手を宙に浮かせた姿勢で固まるベリンダには見向きもせずにさらに進み、壁際で足を止める。
壁際に佇む女官姿のソフィ。ジークベルトがその前に跪くと、会場から悲鳴混じりのどよめきが起きた。
ジークベルトはそんな周囲の動揺など気にした様子もなく、姫君を前にした騎士のように、右手を自身の胸に当ててソフィを見上げた。
「ソフィ嬢、美しく聡明なあなたに心を奪われてしまいました。私の妻として、ともにツァウバルに来て頂けますか?」
恭しく左手を差し出され、紫の瞳にまっすぐ見つめられて、ソフィは息をのんだ。
周囲のざわめきが遠のいていく。
(いま……いま、妻とおっしゃったの? まさか、そんなこと……)
想定外の言葉に思考が停止し、かぁっと頬に熱が集まる。
「ソフィ嬢? この手を取って頂けますか?」
ジークベルトが意味ありげに口角を上げ、小さく首を傾げた。
その瞬間、二日前の別れ際にジークベルトから言われた言葉が脳裏に蘇る。
『二日後の夜会で、私はいくつか嘘をつく。だけどどうか私を信じて、この手を取って欲しい』
つまり、先ほどのプロポーズのような台詞も「嘘」の一つなのだ。
(……そうだったわ。私の魔力のことを秘密にする以上、『弟子として』とは言えないのだもの……)
ソフィの頭が冷静さを取り戻す。
ジークベルトはソフィのためにこんな茶番劇を演じてくれているのだ。勘違いして足を引っ張るわけにはいかない。
ソフィは小さくうなずき、ジークベルトの目をまっすぐに見つめ返した。
「わたしでよければ、喜んで」
差し出された手に、緊張で震える右手をそっと乗せる。ジークベルトが艶やかな笑みを浮かべた。
「ありがとう、ソフィ。私の運命の人」
「ひゃっ……!?」
右手の甲に柔らかな口づけを落とされ、ソフィは真っ赤になって固まった。
立ち上がったジークベルトは、そんなソフィの腰を抱き寄せ、愛おしげに目を細めた。ますます頬が熱くなる。
(演技……殿下のこれは全て演技なのよ……!)
自分にそう言い聞かせても、心はドキドキと落ち着かない。
「では行こうか、ソフィ」
ジークベルトがソフィの手を取って歩きだそうとしたそのとき、鋭い声が二人の足を止めた。
「お待ち下さい、ジークベルト殿下!」
振り向いた先にいたのは、ベリンダの父親でありソフィの伯父であるクラプトン伯爵だった。
傍らには夫人と、大きな瞳を潤ませたベリンダの姿もある。
ふわふわと浮ついていた気持ちが、一瞬にして凍り付いた。
「やはり来たか……」
ソフィにだけ聞こえる声で、ジークベルトが呟く。そして、体を強張らせたソフィの耳元に唇を寄せた。
「ソフィ、ここは私に任せてくれるかい?」
見上げると、やわらかな微笑みが返ってきた。それに不思議なほどの安堵を覚え、ソフィは小さくうなずく。
ジークベルトは満足そうに口角を上げると、ソフィの腰を抱いたままクラプトン伯爵に向き直った。
「これはクラプトン伯爵。私に何か?」
ジークベルトが事務的な微笑みを伯爵に向ける。伯爵は尊大に顎を反らし、愛想笑いを浮かべた。
「おそれながら殿下、運命の相手をお間違えではありませんかな?」
「間違い、とは? おっしゃっている意味がわからないのですが?」
心底不思議そうなジークベルトに、伯爵は苛立たし気に片側の頬を引き攣らせた。
「はは、お戯れを。殿下は我が娘を……ベリンダを見初めて下さったとお聞きしておりますぞ。そうなんだろう、ベリンダ?」
「ええ、そのとおりですわ!」
父親に促され、ベリンダが進み出てくる。胸の前で手を組み、上目遣いにジークベルトを見上げた。
「だってジークベルト様、昨日わたくしにおっしゃいましたわ。『明日の夜会で運命の相手に求婚するつもりだ』って」
「確かに言いましたね」
「それから、『あなたには誰よりも紫色がよく似合う』って」
「ええ、とてもよくお似合いですよ、その紫色のドレス。で、それが何か?」
「何って……」
ジークベルトは笑顔で首を傾げる。
ベリンダは、自身のまとう紫のドレスをきゅっと握り、絶句した。
代わって口を開いたのは父親のクラプトン伯爵だった。興奮で鼻の穴が膨らみ、貼り付けた愛想笑いは崩れかけている。
「ああ……はは。もしや、娘は娘でもソフィの方でしたか。ですが殿下、私の承諾もなしにソフィをツァウバルに連れて行こうだなんて、あまりにも横暴が過ぎるのでは――」
「おや、なぜ父親でもない伯爵の承諾が必要なのです?」
「は!? 当然でしょう! ソフィは私の弟の娘。実の娘同然に慈しんできた子を、無断で連れ去ると申されますか!?」
「娘同然に慈しんだ、ねぇ……」
地を這うような声がジークベルトの口から漏れた。整った微笑みは消え失せ、紫の瞳が冷ややかに伯爵を見下ろす。
「だが正式な養女にはしていない。そうですよね? そしてソフィはすでに十六歳で成人を迎えている。伯父とはいえ、あなたに行動を制限される理由はないはずだが?」
「ぐっ……それは……」
クラプトン伯爵は悔しそうに口ごもる。
そのとき、隣で呆然としていたベリンダがわなわなと唇を震わせた。可憐な表情を消し去り、燃えるような瞳でソフィを睨みつけた。
「ソフィ、あなた……ジークベルト様を誑かすだなんて、どれだけ恥知らずなの!?」
あと2話で完結の予定です。