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3 ソフィのお化粧

 お茶会がお開きになって間もなく、ソフィは応接室でジークベルトと向かい合っていた。

 目の前のローテーブルには、愛用の化粧箱が置かれている。アグネス王妃の命により、ジークベルトに化粧を実演して見せる場が設けられたのだ。


「それではさっそく始めてもらいましょうか。どなたか、モデルになって頂きたいのですが」


 ソフィの周囲、ジークベルトが視線を向けた先には、お茶会にも参加していた令嬢達数名の姿があった。当然のようにベリンダもいる。

 「わたくしもぜひ拝見したいですわ」とベリンダが言い出し、アグネス王妃が許可した。そこにさらに数人の令嬢が便乗した形だ。

 ジークベルトの言葉に、集まった令嬢達は戸惑った表情で顔を見合わせた。


「モデル、ですか……?」

「ええ。皆さんはソフィ嬢の化粧技術に関心がおありなのでしょう? ソフィ嬢の化粧を体験できる絶好の機会だと思いますが」

「それはまぁ、そうなのですが……」


 爽やかに微笑むジークベルトに対し、令嬢達の反応は鈍い。


「もちろん関心はあるのですけど……ねぇ」

「あなた、立候補なさったら?」

「あらそんな、あなたこそ」


 ひそひそ声で押し付け合う令嬢達を横目に見て、ソフィは「よろしいでしょうか」とジークベルトに発言の許可を求めた。


「差し支えなければ、わたし自身でモデルを務めさせて頂きます」

「君が?」

「はい。モデルをするとなれば、一旦化粧を落とし、殿下の御前に素顔を晒すことになります。お嬢様方には酷なことと存じます」


 令嬢達があからさまにホッとした表情を浮かべる。ベリンダにしても他の令嬢にしても、本当に関心があるのはソフィの化粧技術などではなくジークベルトなのだ。


「いいの? 顔に痣があるんでしょう?」

「問題ございません」 


 ソフィは真っすぐにジークベルトの瞳を見つめ返した。

 本音を言えば、他人に痣を見られたくはない。そのためにこそ化粧の腕を磨いてきたのだ。


(だけど、これはチャンスだわ)


 ソフィは十七歳にしてすでに恋愛も結婚も諦めている。

 十四歳になると同時に住み込みの女官として王宮に勤めて三年。この間、涼やかで整った顔立ちのソフィに好意を向けてくれた男性がいないわけではなかった。けれど皆、痣の噂を耳にするや否や、潮が引くようにソフィから離れていった。


 結婚に関してクラプトン伯爵家を頼ることもできない。

 ソフィは五歳のときに両親を亡くしてクラプトン伯爵家に引き取られたが、正式な養女になったわけではない。伯爵家にとってソフィは、政略結婚の駒にできるわけでもない、価値のない娘なのだ。


 ソフィとしても、クラプトン伯爵家とはできる限り関わらずに生きていきたいと思っている。あの家に良い思い出は何一つない。最低限の衣食住を提供してくれたことと、王宮に勤める際に推薦状を書いてくれたことだけは感謝しているけれど。

 休日もほとんど伯爵家の屋敷には寄りつかないでいるが、年に数回は、「不憫な養い子を気に掛ける親切なクラプトン伯爵家」の体面を守るためだけに呼び戻され、その度に居心地の悪い思いをしているのだった。


 結婚の望みもなく、頼れる実家もない。ソフィは一人で生きていくために、化粧の腕を生かした仕事を続けたいと考えている。

 そのためにも、アグネス王妃の絶対的な信頼を勝ち取りたい。賓客であるジークベルトからの評価は、アグネス王妃の評価に直結する。

 痣を晒し、それを綺麗に隠してみせることができたなら、これ以上ないアピールになるはずだ。

 ジークベルトの真意はいまだに不明ながら、ソフィは前向きに気持ちを切り替えていた。


「では始めさせて頂きます」


 鏡台の前に移動し、背後に立つジークベルトに鏡越しに宣言した。

 まず小瓶を手に取り、クレンジングオイルを手の平の上にたっぷり垂らす。両手で挟むようにして温めていると、「いい香りだね」とジークベルトが鼻で深呼吸しながら言った。


「ローズマリーの精油を混ぜているのです。気持ちがすっきりしますし、肌を美しくする効果も期待できます」

「もしかして君が作ったの?」

「はい。なるべく肌に良いものをと思いまして」


 元々は、少しでも痣を薄くできないか、ヒリヒリとした痣の痛みを和らげることができないかという思いから始めた化粧品作りだった。

 幸運なことに、宮廷薬師を務める初老の女性と親しくなったおかげで、相談に乗ってもらったり、材料を融通してもらうことができた。

 クレンジングオイル、化粧水、保湿クリーム、パック……。 

 残念ながら痣が薄くなることはなかったが、肌の状態が良くなったのか、痛みはほとんど気にならないまでになった。

 なにより、ソフィが考案した手作り化粧品は、薬師を介してアグネス王妃の目に留まり、化粧係に抜擢されるきっかけになったのだった。


 手の平で温めたオイルを顔全体に広げる。十分に馴染ませてから、水を浸したコットンで拭き取る。鎧のようにソフィを守る化粧を、丁寧に剥がしていく。

 何枚ものコットンを使い、全てを拭い去ったとき、鏡の中にソフィの素顔が露わになった。近くで見守っていた令嬢達から静かなざわめきが起きた。

 

 透き通るような白い肌、涼やかな薄青の瞳を縁取る長い睫、形の良い細い眉、頬はほんのりと紅色に染まり、唇は艶やかに色づいている。

 気品を感じさせる美しい顔立ちだった。化粧をした顔よりもむしろ華がある。普段は化粧であえて地味な印象にしているのだ。

 けれど、令嬢達の中でそのことに気付いた者はいなかった。皆、ソフィの顔の痣に意識を持って行かれていたからだ。 

 顔の左半分、頬から額にかけて、燃え上がる炎のような赤い痣が、くっきりと浮かんでいる。

 その他全ての美しい部分を台無しにする、醜い痣だった。


「まぁ……話には聞いておりましたけど、あんなに酷いなんて」

「ええ、驚きましたわ……」


 令嬢達が眉をひそめて囁き合う。その目に浮かぶのは、憐れみ、嫌悪、我が身でなくて良かったという安堵、そして優越感。

 覚悟の上とはいえ、いたたまれない気持ちになる。

 だが、鏡越しにソフィの顔を見つめるジークベルトの瞳の色は、そのどれとも違っていた。


(なんだろう、不思議な色……)  


 思わず見つめていると、視線に気付いたジークベルトがふわりと微笑んだ。


「ソフィ嬢、君の勇気に敬意を表するよ。……さあ、続きをお願いできるかな?」

「かしこまりました」


 頷き、ソフィは化粧水の入った小瓶を手に取った。


「化粧水とクリームで肌を整えていきます。ここを丁寧にすることで、仕上がりが違ってくるのです。時間があるときはさらにパックもするのですが、本日は省略させて頂きます」


 説明しながら、化粧水、続いてクリームを塗っていく。

 ジークベルトは頷きながら、ソフィの手元と顔に熱心に視線を注ぎ続けている。予想外の真剣な表情に、ソフィも自然と背筋が伸びた。


「次は白粉です」


 使うのは、少しずつ色味の違う五種類の白粉。これをしっとりと潤った肌に乗せていく。

 このベースメイクが、ソフィの最も得意とするところだ。


(痣がすっかり消えますように。透明感のある綺麗な肌になりますように)


 そう念じながら、丁寧に時間をかけて白粉を重ねていく。


「ベースメイクはこれで完成です」


 仕上げ用の白粉をブラシで軽く乗せると、醜い痣はすっかり消え去り、白く滑らかな肌になった。


「……美しいな……」


 背後に立つジークベルトから吐息混じりの呟きが漏れ、ソフィの心臓がドキリと跳ねた。

 一度深呼吸して、気持ちを切り替える。


「ここから仕上げに入ります」


 眉、アイメイク、口紅。正直なところ、この辺りの技術に関してはまだまだ未熟だという自覚がある。

 けれど今持てる最大限の力で、ソフィは化粧に取り組んだ。


「……これで完成です」


 紅筆を置き、鏡の中のジークベルトにうかがうような視線を向けると、魅入られたようにソフィを見つめるジークベルトと目が合った。

 我に返ったように紫の瞳を瞬かせ、ジークベルトは真剣な表情から一転、儀礼的な微笑みに戻った。


「ありがとう、ソフィ嬢。素晴らしいものを見せて貰ったよ。本当に見事な腕前だ。我が国に引き抜きたいくらいだよ」

「あ、ありがとうございます……」


 ジークベルトが盛大に手を打ち鳴らし、令嬢達からもパラパラと拍手が送られる。

 予想外の賛辞に、ソフィの頬が熱を持った。

 気恥ずかしさに俯くソフィの横顔を、ベリンダが顔を歪めて睨みつけていた。

本日もう1話投稿する予定です。

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