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1 隣国から来た魔法使い①

「……こうして悪い魔法使いは倒され、王子様とお姫様はいつまでも幸せに暮らしましたとさ。おしまい」


 絵本を閉じた母が、ブランケットを掛け直してくれる。そこから顔だけ出して、少女はくふふ、と楽しそうに笑った。


「おもしろかったぁ。ねぇねぇ、おかあさま。まほうつかいって、ほんとうにいるの?」

「ふふ……どうだと思う?」


 眠る気のない娘の額をゆったりと撫でながら、母が微笑む。

 少女はうーんと唸ってしかめっ面をした。


「わからないけど……でももしほんとうにいたら、ちょっぴりこわいなぁ。だって、まほうつかいはわるいことをするんでしょう?」

「あら、そうとは限らないわよ。お母さまの生まれた国のおとぎ話ではね、お姫様を助けるのは良い魔法使いの役割なのよ」

「えっ、そうなの? おはなしききたい! よいまほうつかいがおひめさまをたすけるおはなし!」

「じゃあ明日はそのお話にしましょうね。さ、今日はもう良い子でおやすみなさい」


 枕元のランプを吹き消し、母は再び少女の額を撫でる。

 途端に少女は、ふわぁと大きなあくびをした。


「……ねぇおかあさま……いいこにしていたら、わたしのところにも、よいまほうつかいさん、きてくれるかなぁ……?」


 少女の声は次第に間延びし、瞼は重たくなっていく。

 カーテン越しの月明りが、子ども部屋の母子を静かに照らす。

 

「ええ、きっと来てくれるわ。ソフィが困った時には、きっと……」


 母の声が遠くなっていく。

 額を撫でる手の心地よさとブランケットの温もりに包まれ、少女は幸せな眠りに落ちていった。






◇ ◇ ◇






 カナル王国王宮内の庭園に作られた温室は、甘い柑橘の香りと華やかな空気で満ちていた。

 今日のお茶会のために用意されたテーブルセットでは、花々に負けじと美しく着飾った令嬢達がお喋りに興じている。

 ソフィは同僚の女官達と共に、色とりどりのドレスの隙間を縫うようにティーワゴンを押して回る。

 空いたティーカップがあれば紅茶のおかわりを勧め、デザートスタンドの焼き菓子が減っていれば補充する。

 歓談の邪魔をしないよう、静かに、目立たぬように。

 一段落ついてソフィが壁際に下がったとき、上座のテーブルで上品な笑い声が上がった。


「ほほ、ジークベルト殿は本当にお上手でいらっしゃること」


 扇子の陰で上機嫌な笑みを浮かべるのは、お茶会の主催者であるカナル王国王妃、アグネス。

 御年四十歳を迎えるアグネス王妃は、世継ぎとなる王子を含む五人の子を産んでなお、若々しい美貌を保ち続けている。ドレスに包まれた身体は引き締まり、肌は白く滑らかでシミ一つない。

 その妖艶な眼差しは、隣に座る隣国からの客人に注がれていた。


 ジークベルトと呼ばれた見目麗しい青年は、煌めく銀の髪に深い紫色の瞳を持つ、隣国ツァウバル王国の王弟である。

 二日後に開かれるアグネス王妃の誕生祝いの夜会に、ツァウバルを代表して出席するため、昨日からこの王宮に滞在しているのだった。


「おや、お世辞と取られるとは心外です。アグネス王妃殿下の前では、この牡丹の花ですら色褪せてしまう。ほら、このように……」


 言いながら、ジークベルトはテーブル上の花瓶からピンク色の牡丹の蕾を一輪抜き取り、片手をかざした。

 すると蕾が微かに震え、ゆっくりと開き始めた。見る間に満開に咲いた牡丹はさらに開き、ついに限界を超えてはらはらと花弁を散らした。


「まぁ……」


 王妃や令嬢達から、ため息混じりのどよめきが起きる。

 ジークベルトは口元に微笑みをたたえたまま、形の良い眉をわずかに下げた。


「ああ、申し訳ない。美しい花を散らしてしまうなど、無粋な真似をいたしました。これでご容赦を……」


 ジークベルトはテーブル上に散らばるピンクの花びら達を指差し、楽団で指揮を執るように宙で指を動かした。

 すると、花びら達がにわかに淡い光をまとい始めた。ふるふると震え、わずかに宙に浮く。

 アグネス王妃が身を乗り出した。ソフィも息を詰めて見入る。

 皆が固唾を飲んで見守る中、花びら達はくるくると踊るように宙を舞い、ジークベルトの持つ牡丹の茎の先端に集まる。まるで時を巻き戻すように花びらは牡丹の花を形作り、もっとも美しい瞬間にその動きを止めた。

 先ほどよりも大きなどよめきが起きる。


「これをアグネス王妃殿下に。時を止める魔法をかけてあります。殿下と同じく、永遠に色褪せないことでしょう」


 ジークベルトが恭しい仕草で満開の牡丹の花を王妃に差し出す。

 淡い光をまとう牡丹を受け取ったアグネス王妃は、少女のように目を輝かせた。


「お見事でしたわ! なんて素敵なお誕生日プレゼントなのでしょう!」


 王妃が手を叩いたのを合図に、令嬢達から一斉に拍手が湧き起こった。


「素晴らしかったですわね!」

「あれが魔法というものですのね! わたくし初めて拝見しましたわ!」

「わたくしも。息をするのも忘れて見入ってしまいましたわ!」

「ええ、ええ、本当に!」


 令嬢達が口々に賞賛の声を上げる。興奮と憧憬の眼差しがいっせいにジークベルトに注がれた。

 その中には、ソフィの「義姉」であるベリンダ・クラプトンの姿もあった。

 輝く金の髪を結い上げ、瞳と同じ濃い青色のデイドレスを身に纏ったベリンダは、集まった令嬢達の中でもひときわ美しい。

 その白く滑らかな横顔から、ソフィはそっと視線を逸らした。


「久しぶりにジークベルト殿の魔法を目にすることが叶いましたわ。皆もあなたに釘付けでしてよ」


 アグネス王妃が満足そうな笑みを浮かべる。


「それにしても、普段はお国に籠って滅多に他国には出ていらっしゃらないのに、今回はどういう風の吹き回しかしら?」

「もちろん、敬愛するアグネス王妃殿下のお誕生日をお祝いするためですよ。それと、実はもう一つ……」


 ジークベルトは内緒話をするようにアグネス王妃に顔を寄せた。


「先読みの魔法で、興味深い結果が出たのです。このカナル王国で運命の出会いがある、と」

「まあ、それは本当ですの?」


 アグネス王妃の声に喜色が混じる。聞き耳を立てていた令嬢達からも歓声のようなざわめきが起きた。


「数々の浮名を流してきた稀代の色男も、ついに身を固めるときが来たというわけですのね」

「さぁどうでしょう。運命といっても、そういう出会いとは限りませんが……。それに、浮名だなんて誤解ですよ」

「あら、我が国にまで噂が届いていますよ。ツァウバルでは年頃の娘は皆、一度はあなたに恋をすると」

「とんでもない。ただの噂です」

「それなのにジークベルト殿ときたら、どんな美女も袖にしてしまって、いまだに独り身で過ごしていらっしゃると。お兄様――ツァウバルの国王陛下も心配なさっているのではなくて?」


 ジークベルトは小さく苦笑いを浮かべた。


「はは、早く身を固めろと、顔を合わせる度に小言を言われますよ。お前ももう二十八なんだぞ、とね」

「そうでしょうとも。そんなジークベルト殿の運命の女性が我がカナル王国にいるだなんて、なんて喜ばしいことでしょう。どうかしら、この中に誰か気になる娘がいて? いずれも家柄、容姿ともに申し分のない令嬢達でしてよ」

「この中に、ですか」


 ジークベルトの目が令嬢達へと向けられる。令嬢達はそわそわと期待に満ちた表情でジークベルトに注目している。


「そうですね……」


 給仕の女官達までもが浮き足立った雰囲気をまとう中、ジークベルトの視線がゆっくりと令嬢達の上を滑っていく。


(礼儀正しい……けれども熱の籠らない目をしていらっしゃる……)


 そう気付いたのは、ソフィ自身もまた冷めているからだろう。一介の女官の身で美貌の王族に見初められるだなんて、そんな物語のようなことを夢見たりはしない。


(……もしもアレさえなければ、わたしも夢くらいは見たのかしら。皆のように……)


 ソフィは小さく首を振る。


(もしもなんて、考えても仕方がないわ。それに、とっくに分かっていることじゃないの。良い魔法使いは、わたしのところには来てくれないって……)


 そんなことを考えていると、不意に紫の瞳と視線がぶつかったような気がした。

 咄嗟に目を逸らすこともできないでいるうちに、ジークベルトの視線はあっさりとソフィから離れていき、気のせいだったかとホッと息をつく。

 令嬢達全員を見回し、ジークベルトは整った微笑みを浮かべた。


「皆さんお美しい方ばかりで、この中から誰か一人を選ぶことなどとてもできそうにありませんね」


 ピンときた者はいないと暗に告げる答えに、会場の令嬢達から残念そうなため息が漏れる。

 アグネス王妃もまた口惜しそうに眉を寄せたが、すぐに気を取り直した様子でジークベルトに笑みを向けた。


「まぁまぁ。運命の相手と言っても、このように一瞬で分かるものでもないでしょう。ジークベルト殿が帰国されるまで、彼女達と親交を深める時間はまだまだたっぷりありましてよ。無事に運命の相手が見つかることを願っておりますわ」


 ここに集められた令嬢達の誰かがジークベルトに見初められる。それをアグネス王妃が期待していることは明らかだった。元々このお茶会には、そういう狙いで、家柄の良い未婚の令嬢ばかりが集められているのだ。

 世界でも稀な、魔法の存在する国、ツァウバル。魔法の力は血筋によるところが大きいため、一流の魔法使いであるツァウバルの王族が魔力を持たない他国の者と婚姻を結ぶことは滅多にない。

 普通であれば政略結婚が望めない国の王族と、自国の貴族が縁続きになれるまたとない機会。実現すれば、カナル王国に大きな利益をもたらす可能性が高い。アグネス王妃が期待するのも無理はない話だった。

 

 アグネス王妃の言葉を受けて、令嬢達の顔に再び希望の色が浮かんだ。

 一方のジークベルトは小さく苦笑いを浮かべたが、次の瞬間には整った微笑みを再びその美しい顔に乗せた。


「ところで王妃殿下、無礼を承知でお尋ねするのですが……本日、殿下のお化粧を担当したのはどなたですか?」


 ソフィの心臓がドキリと跳ねた。

本日もう1話投稿する予定です。

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