混雑率185パーセントの恋の記憶
・黒森 冬炎 様の『ライドオン・テイクオフ〜移動企画〜』参加作品です。
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「小花柄 (アップ)」
作成:モノ カキコ 様
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これはまだ、電車に乗るのにマスクがいらなかった時代の話だ。
18歳の私は、10月上旬の平日の午前8時過ぎ、混雑率185パーセントの埼京線の中で恋に落ちた。
不快指数と人口密度が物理的な圧として襲ってくるあの環境で、姿勢をまっすぐ維持するのに四苦八苦していたら、不意に蜂蜜とレモンとアロエの混ざった匂いが香ってきて、振り向いたらそこに彼女がいたのだ。
混雑率185パーセントという、修羅の跋扈する世界線と言っても過言でないような車内で、花のつぼみを思わせる形のいい唇を閉じたまま、彼女は感情の読めない表情で前を向いていた。
何を見るともなく見ている目、大きく開くその上の瞼。
さらにその上では、太めの眉が外に向かってスリリングに細っていく線を描いている。
肩まで伸びた髪は、その隙間から形のいい耳を透けて見せる。
その毛先はゆるく内側にはねていて、白いシャツとグレーのカーディガンに僅かにかかっている。
ガーディガンの生地には小さな花柄が色とりどりに飾られている。
つぼみのような彼女の唇が開いた後を連想させる花々。
私はその花に触れてみたいと思い、指を伸ばしかけて、正気に戻り、我に返る。
人は混雑率185パーセントの状況でも恋に落ちるのかって?
お願いだからそんなことを聞かないでほしい。
わかれ、頼むから。
あの時の私を、見せられるものなら見せてやりたい。
ただまっすぐ立つことが何でこんなに難しいのかと疑問に思うのを忘れて、彼女に見とれていた私を。
人工甘味料なし、100パーセントオーガニックの、甘ったるい感情にむせそうだった私を。
修羅の跋扈する混雑率185パーセントの世界線にだって、花が色とりどりに咲くような感情があってもいい。
それが許されないって?
触れるのではなく、ただ見ていることすらも?
それなら、あれは恋じゃなくていいし、この世界に恋なんてなくていい。
もし彼女に出会ったのが今の時代なら、私はあんなにも激しく恋に落ちなかったかもしれない。
きっとあれは、車両の中の、普通じゃない人口密度の高さがもたらした気の迷いだったから。
圧力作用で科学反応が早まるように、混雑率185パーセントという環境に、私の心がどうかしてしまったのだろう。
そのせいで、あの溶けるような甘い感情が掻き立てられてしまった。
そうだ、きっとそうに違いない。
そうじゃなきゃ、それらしい動機の見当たらないあの情動には説明がつかないのだから。
「狂気は日々の生活の中に確かに内包されている。」
まだ18歳だった私は、そんな科学におけるロマン主義を地で行くような、欺瞞に満ち溢れた心理学的洞察を弄びながら、平日の埼京線で乗り合わせた、名前も知らない彼女に狂おしく思いを募らせた。
直通運転の電車に乗ると渋谷まで1本で行けるのだが、それでは彼女に会えないことにほどなく気が付いて、あえて池袋か新宿で電車を乗り換えるようになった。
彼女に会えるかもしれないという期待に胸を膨らませながらシャワーを浴びて磨き上げた体を、混雑率185パーセントの埼京線の車内に喜んで投じた。
保湿力と使用感と価格のバランスの最適解を目指して、選びに選び抜いた乳液のおかげで半日は潤いを保てるはずの肌は、不快指数と人口密度のせいで絶え間なく棄損されていく。
その日一日で一番綺麗な朝イチの私は、電車がレールの上で揺れる度に、大きな音を立てながら損なわれていく。
でも修羅の世界は、移動しながら損なわれていく私に息つく暇も与えてくれない。
次の駅で彼女が乗ってきて、朝イチの私の姿を目に留めるかと思うと、気なんて抜いていられない。
私は狂気に駆り立てられて、何かを我慢しながら都内へと揺られていく大人たちに挟まれたまま、心の準備をする。
だってそこは混雑率185パーセントの埼京線で、修羅の跋扈する世界線なのだ。
恋人を奪い取って喝采を上げる無邪気で邪悪な奴らから、命がけで彼女を奪い返す決心のような、強い気持ちが必要だ。
そんなことを考えながら、私はいつも彼女が乗ってくるドアの方をじっと見つめる。
日中、ふとした時に、正気に戻ることがあって、私はおかしいのかもしれないとその度に思った。
全ては埼京線の作りだした幻で、彼女を一目見たいがために通学の乗り換え回数を増やす私は、ただの馬鹿なのではないかと。
理性の正しさは怖い。
自分の内から湧いてくる確信めいたものは特に。
その度に私は、自分で自分に言い訳をする。
違う、これは恋じゃない。
私はこれまで女子を好きになったことがないから、だからこれは恋じゃない。
私はそう自分に言い聞かせるけれど、よくよく考えてみたら別に男子のことも好きになったこともなかった。
じゃあこれはもう恋ってことでいいんじゃない?
突然、思ってもみなかった言葉がじんわりと頭の裏に浮かび上がってきて、私は考えを手放しそうになる。
じゃあこれはもう恋ってことでいいんじゃないかって?
ああ、そうだ。
もうこれは恋ってことなんだから、それでいいのかな?
それでいいの?
うん、それでいいの。
いや、良くない。
良くないよ、そういうの。
違う、そんな凝り固まった固定観念の方がよっぽど良くない。
そんな風にして、理性への言い訳は、その理屈を捻じ曲げながら堂々巡りをする。
でも結局、彼女を一目でも見たい私の気持ちにとって、理性など敵ではなくて、私はいつものように思う。
なんだっていいよ、私は。
もし良くないって言うなら、それでいい。
それじゃ駄目だって?
ただ見ているだけ、ただ思っているだけでも?
それなら、あれは恋じゃなくていいし、この世界に恋なんてなくていい。
それはまだ、電車に乗るのにマスクがいらなかった時代の話だ。
あれから数年が経ち、私は埼玉から引っ越して、埼京線に乗らなくなった。
学校も卒業して、働き始め、色々あって、職場の同僚の知人だった男性と付き合っている。
そうこうしているうちに、感染力の強いウイルス性の病気が流行し、みんなマスクをするようになって、電車に乗らなくなった。
もし彼女に出会ったのが今の時代なら、私はあんなにも激しく恋に落ちなかったかもしれない。
感染症のせいで朝の通勤ラッシュは和らいで、埼京線の混雑率は130パーセントを下回るようになった。
新しい生活様式は人と知り合うのを難しくさせたし、マスクのせいで、誰かの花開く前のつぼみのような唇を見て、触れてみたいと思うようなこともなくなった。
ラップトップの画面越しにクライアントとリモートで打ち合わせを済ませた後、休憩がてら、お昼ご飯の下ごしらえをしていると、彼女に会いたいなと、何となく思うことがある。
混雑率185パーセントの埼京線で、難しいことなど何もないと言いたげに凛とした佇まいで立つ彼女に。
結局、一度も話しかけることができなかった彼女に。
もちろん、それが叶わないことはよくわかっている。
きっと彼女はもう髪の毛先を緩く内側に巻いてなどいないだろうし、着る人の年齢を選ぶような、花柄のカーディガンに袖を通してはいないだろう。
それでも、心がどうかしてしまい、溶けるような甘い感情を掻き立てられてたあの頃のことを、私は懐かしく思い出す。
蜂蜜とレモンとアロエの入り混じった匂いを嗅いだ、今日のような空の高い秋の日は特に。
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