神様にお願い
病院の個室のベッドの上で、今、私の母が逝こうとしている。78歳。令和の今ではまだ亡くなるには早い年齢だが、10年前から足を骨折したり、認知症が進んだり、腎臓病でおしっこが出にくくなったり、さまざまな障害を抱えながら、よくここまで頑張ったと思う。
口にも鼻に、チューブやプラスチックマスクが繋がれ、布団で見えないけれど、胸や腕にも点滴の管がたくさん刺さっている。これらを取り去れば、すぐに死んでしまう。機械に生かされている。いや、もうその話は何度も考えた。医師とも相談し、できるだけ母に苦痛のないようにしてもらっている。
6歳になる息子の秋楽が妻の服の裾をしっかり掴んだまま、彼にとっての祖母を見つめている。誰もなにもしゃべらないことに、退屈したのか、怯えたのか、
「ねえ、おばあちゃん、寝てるの?」と妻に聞いた。
「おばあちゃんはね、遠くに行こうとしているのよ」と妻。
「遠くって? 天国?」
「たぶんね、ママにもわからないけれど、きっとそうよ」
すると、秋楽は、少しすねたように
「神様に、おばあちゃんが元気になりますように、ってお願いしたけど、叶えてくれなかったね。どうしてだろう」
妻は黙って秋楽の頭を撫でた。私は、息子をなだめるような、いらだちを落ち着かせるような妻の手つきに、ふと大昔、自分も母に神様の文句を言ったことを思い出した。
確か、運動会のかけっこで1等になれますようにと神様にお願いしたのに、転んでビリになった時だった。「かみさまの嘘つき〜」と泣いて罵っていたっけ。
母親は、私の頭を撫でながらこう言った、と記憶している。
「願いを叶えてくれるのはアメさんの神様だよ。ここは日本だよ。日本の神様は、頑張る力をくれるんだ。お前も、神様にお願いするんなら、『あれをくれ、こうしてくれ』じゃなくて、『こうしたいから頑張れるように応援して下さい』って頼むんだよ」
当時は理解したわけではないし、今もそれが正しいとは信じてはいないが、母の信念、生き方の核心だったのかもしれないと思う。母のオリジナルの論理だったのだろうか?
妻の横にいる秋楽の腕をひょいとつかんで、私の真横、秋楽のおばあちゃんの顔のすぐそばにひき寄せた。
「秋楽。神様は、お前の願いを叶えてくれなかったんじゃないんだよ。パパが『おばあちゃんが痛くないように、苦しくないように、幸せに眠れるように、おばあちゃんを応援して下さい』ってお願いしたんだよ。病気の神様に」
「なんで、おばあちゃんが元気になるようにお願いしなかったのさ。元気になったほうが良いじゃないか。またおばあちゃんとおもちゃ屋さんに行きたいよ、ボク」
「秋楽だって、熱がある時、お腹が痛い時は、元気になれないだろう? おばあちゃんも今は眠りたいだろうと思ったんだ」
「そっかぁ」
本当に納得したのかはわからない。今夜から、母の葬儀の準備で忙しくなるだろう。落ち着いたら、秋楽にも教えてやろう、外国の神様と日本の神様の違いを。ただ、あとひとつだけ、秋楽にわかってほしいことがある。
「なあ、おばあちゃんの顔、見てごらん。笑ってるだろ。2ヵ月前に入院してから、頑張って頑張って、やっときっと痛くも苦しくもないところへ行けたんだよ。神様が応援してくれたから、頑張れたって、おばあちゃん、笑ってるんだよ」
秋楽は、じっと祖母の顔を見て、笑った。
「おばあちゃん、頑張ったね」