決戦の裏で ②
評価並びにブックマークをして頂きました方、誠にありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
それは海沿いの国道から分岐して海岸へと向かう細い道路だった。左側に大きく湾曲した国道と砂浜との間には灌木の生い茂った緩やかな斜面がある。
その一部を造成して設けられたパーキングへと下るその道路は暗い闇へと吸い込まれるように続いていた。
車が100台ほど停まれる広さを持ったそのパーキングは秋から冬にかけてこの沿岸周辺に発生する大波を狙って集まるサーファー達の為に造られた物であった。
しかしシーズンオフとなるこの時期は昼間でさえ車は殆ど停まっていない。夜半ともなれば当然ながら無人、無車両である。そんな場所に白いワンボックス車がゆっくりと進入してきた。
ワンボックス車のへッドライトが誰もいないパーキングの中央部分に停まった巨大な物体を照らし出した。大型トラックをも凌駕する長さと横幅を持ったそれは迷彩模様を施されたUH-1Jと呼ばれる多用途ヘリコプターであった。
ワンボックス車に乗っているのは玄狼、瑠利、広田の三名で車はヘリから少し離れた位置に停まった。運転席のドアが開いて広田が降りた。続いて後部のスライドドアが開いて瑠利が降りた。眠たそうな玄狼を車内に残したまま二人掛りでどうにか重い後部ドアを閉めるとゆっくりと徒歩でヘリに近づく。
ヘリには安本二等陸尉が乗り込んでいる筈だ。ここが指定された場所であることは間違いないが瑠利の感覚の中に漠然とした違和感が首をもたげていた。ヘリの中からは人の動く気配や物音らしきものが全く感じられなかった。
何故彼は外に出て来ないのだろうか?
恐らく外部からの眼を惹かぬよう一切の照明と音を消してコクピット内に待機していたのであろうが自分達が到着した以上、直ぐに何らかの反応があってしかるべきであった。しかしUH-1Jの天蓋から覗くコクピットの中は暗くて操縦席に人がいるかどうかすらはっきりしない。
後部に続くキャビンも同様だった。瑠利は素早く操縦席のドアに近寄るとコンコンと窓ガラスを叩いた。そして抑え気味の声で呼びかけた。
「安本さん、内調の石川です。今、到着しました。保護した子供も一緒です。出て来て下さい。」
しかし何の返答もない。些細な物音すらなかった。嫌な予感が瑠利の頭の中をよぎった。首筋にあのチリチリした感覚がよみがえり始めた気がした。彼女は思い切って操縦席のドアレバーに手を掛けるとグイッと引いた。途端にむせかえる様な生臭い匂いが鼻を突いた。それは血の匂いだった。
― ― ― ― ― ― ― ― ―
操縦席の辺り一面に血が飛び散っている。その中に安本二等陸尉がガックリと前のめりになって操縦桿と計器に寄りかかる様に突っ伏していた。生きているのか死んでいるのかわからない状態だ。
瑠利はまず操縦席を最大限までリクライニングさせてそこに安本の体をもたれかけさせた。弱々しくはあるが呼吸はしている。だが早く浅い呼吸だ。顔色は青白く意識は無いように見える。相当に危険な状態であるのかもしれない。
彼女はすぐさま出血個所を捜した。出血個所は左側の首筋だった。刃物によると思われる創傷が開いていてそこからピュッピュッと血が噴き出していた。
彼がコクピットから動いていない状況から考えると刺されたことによる失血のせいで動けなくなったのではなく恐らく何らかの方法で動けない状態にされた後で刺されたのであろう。
通常人間は総血液量の二十パーセント以上失血すると出血性ショックを起こす。更に三十パーセントを越えると死に至る事がある。大量出血の場合三十分で半数が死亡すると言われている。見た感じだとそこまでの失血ではないと思われるがそれでもかなりの出血量だ。
よって安本二等陸尉を助けるためには至急に出血を止めなければならなかった。手足からの大量出血ならば緊縛止血法が最も有効である。だがこの場合、末端部位の出血とは違い頸動脈を縛ることは出来ないため脱脂綿や布で傷口を押さえる圧迫止血しか方法が無かった。
手持ちのハンカチは忽ち溢れ出る血で真っ赤に濡れそぼり直ぐに絞らなければならなくなった。これでは助からない …… そう感じた瑠利はスーツの内ポケットから薄墨色のスマートフォンサイズの箱を取り出した。その箱の側面に飛び出た丸い突起物を押すと上面全体がパカッと蓋の様に開いた。
箱の中には銀色に光る袋の様な物が二枚折りたたまれてあった。彼女はそれを取り出すと慎重に左右の手に嵌めた。銀色の袋のように見えたものはメタリックな素材で出来た手袋であった。
瑠利はそれを嵌めた左手で安本の手を握り右手の人差し指を彼の首の傷にグッと差し込んだ。そして静かに目を閉じると何かに集中する様に眉根にしわを寄せた。やがてバシュッという微かな音と白い煙が傷口から立ち昇った。
それが数回続いた後で瑠利は傷口から指をそっと抜いた。最後に親指と人差し指で傷口をギュッと摘まんだ。摘まんだ指の間からジュッと肉が焼ける音と白い水蒸気の煙が上がった。驚いたことに先程まで脈打つ様にドクドクと噴き出していた血が止まっていた。
「広田君、手伝って!」
瑠利と広田は二人で安本二等陸尉を操縦席から外へ引きずり出し後部にあるキャビンの中へと移し込んで寝かせた。キャビンの中に在ったマットレスを折りたたんで踵の下に差し込む。両足を上げた状態にして脳への血流を増やすためだ。下肢挙上と呼ばれるこの手法は一時的な効果しかもたらさないがやらないよりはましだと瑠利は判断した。
「さっきのは発電能によるジュール熱で出血を焼き止めたんですか?」
広田がそう訊いた。瑠利はちいさく頷きながら銀手袋を脱いだ。その手袋は不導体繊維に発電性精霊合金を蒸着させたものだ。手袋の素材である不導体繊維に念を流して表面の精霊合金から発電することで発電機能と使用者自身の感電防止を併せ持つように作られた器具だった。
瑠利は念能自体はそれほど強いわけではない。だが念操力については飛びきりのものを持っていた。複数の念能力を同時に発動しそれぞれの強弱を自在に調整するという難易度の高い技を使うことが出来た。
彼女はその卓越した念操力を電流、熱、力、及び生体賦活化の四系統に活かしそれらを複合的に操作することで優れた治癒系念能者としての評価を得ていた。
巫無神流神道で言えば 「和魂の気入れ」 の術を極めた神職と言ったところだろう。その特異な才を買われて中学校教師と言う形で玄狼の身辺保護に任命されたのである。
「どうにか動脈の傷の止血は出来たわ。」
念触覚を指先から這わせて頸動脈の傷を探り当て斥力能で周囲の組織を開き更に引力能で動脈の裂目を密着させた後、瞬間的に発現させた高圧電流でそれらをまとめて焼いた。高周波電流を利用する外科用の電気メスには及ばないが簡易的なそれと言える技だった。
瑠利は次に安本の服を脱がせに掛かった。血で湿った下着が皮膚に貼り付いて脱がせにくかったがなんとか上半身を露出した状態にした。取り敢えず出血は止まったが失われた血液は戻らない。もし安本が出血性ショックを起こしているのであればリンゲル等の輸液や輸血が必要となる。だがここにそんなものがある筈もなかった。
更に状況を見る限り彼を救命できたとしてもヘリを飛ばすことが出来ない事は分かりきっていた。しかしそれでも瑠利はどうにかしてこの定年間近のノッポの自衛隊員を救いたかった。
今朝方、安本の操縦するヘリに乗ってこの地まで飛んできた航行時間の中で彼と何度か会話を交わした。その時彼に三人の子供がいること、その一番下の子が玄狼と同い年であることなどを方言交じりの朴訥な口調で話してくれた。
自衛隊の規律において本来なら任務遂行中の私語は慎むべきものだろう。まして相手が一般人となれば尚更かもしれない。機内における会話の内容や飛行状況は全てフライトレコーダーとボイスレコーダーからなるブラックボックスに記録されるはずだから何かあって解析が行われた場合、懲罰の対象になる可能性もある。
にも拘らず自分や理子に話しかけようとしてくれたのはひとえに彼の人柄によるものだったろう。不安と焦燥に強張った自分達の心を解きほぐそうとしてしてくれたのに違いなかった。
「子供は国の宝です。絶対に取り戻さんかったらいかんです。なぁに、こなに(こんなに)凄い狐の神様がついておられるんじゃけん大丈夫です。坊ちゃんを取り戻してきたら帰りは自分が命を懸けてでも無事に送り届けますきに。」
ヘリを降りる時、安本は優しい笑顔でそう言ってくれた。その彼が今こうして危険な状態に陥っている。自分達の為にまさしく命を懸けてくれたのだと瑠利は思った。
彼女は剥き出しになった安本の胸に両手を添えると練り上げた念を心臓目掛けて送り込んだ。右掌から送り込まれた念によって心臓の拍動は増幅され静脈血を肺へ、動脈血を全身へと送り出し始める。
その動脈血に溶け込んだ念は酸素と共に身体中を巡ってあらゆる細胞を活性化させながら二酸化炭素と共に静脈流に運ばれて戻って来る。そしてエネルギーとなって消費された念の残りを左掌で回収し新しく練り上げた念と共に再度右掌から送り込んで循環させる。
この技法によって必要最低限の脳内血流と体温を確保された安本の容態はしばらく安定する筈であった。
だが瑠利の表情は険しいまま変わらなかった。送り込んだ念がまるで返ってこないため回収できないのだ。いくら細胞の活性化が効率よく進みその分念が大量に消費されていたとしても回収される念がゼロという事はあり得ない。
考えられるのは逆に血流そのものが止まった状態にあるという事・・・つまり心臓の拍動が起きていないのではないか?
彼女の練り上げた念は心拍数を通常の三倍、血液の拍出量を四倍にまで高める事が可能だ。それが効かないという事は・・・・・
『 まさか・・心室細動! 』
心室細動とは全身に血液を送り出すために最も重要な部位である左心室が突然けいれんを起こした状態になる事である。結果、全身へ血液が送り出せなくなり数分この状態が続くと死に至るため緊急の対応が必要となる病気だ。大量出血によって血圧が急激に下がった場合にも起こることがある症状だった。
「不味いわ! 広田君、AEDを捜して頂戴!」
自衛隊のヘリであれば万が一に備えて自動除細動器であるAEDが備え付けられている可能性がある。二人は必死に周囲を見回したがそれらしいものを見つけることは出来なかった。が、仮にAEDが装備されていたとしても一刻を争う中、スマホの照明ぐらいしか明かりの無い機内でそれを見つけるのは極めて困難であった。
「無茶だけどもうこれしか方法が無いわ。」
瑠利はそう呟くと再び銀手袋を嵌めた。そして空中高く両手を差し上げた。忽ち左右の掌に強烈な電気エネルギーが蓄えられていく。細く開いた指と指の間で絶縁破壊された空気中を青白い火花がチリチリと飛び始めていた。
安本の身体に接触しないギリギリの歩幅で腹部を跨ぐ格好になった彼女は大きな声で警告を発した。
「広田君、もっと離れて! 絶対に安本陸尉の身体に触れないように!」
広田が充分に離れた位置にいることを確認した後、彼女は屈みこんで両掌を安本の右鎖骨と左わき腹にドンと押し当てた。一千ボルトを超える高圧電流が0.005秒ほどの極短時間、彼の身体を駆け巡る。
途端に安本の身体が引かれた弓の様にグゥンッと海老反り返った。長い手足が出鱈目に跳ねて床を叩く。心電図モニターどころかパドル代わりの両掌に塗る熱傷防止用のペーストすら無い荒っぽく野蛮な電気ショック療法であった。
その行為を数度繰り返した後で瑠利は銀手袋を外し素手の両掌で再び念を心臓へと送り込んだ。暫くすると蒼褪めて生気のなかった安本の顔に赤みが射してきたような感じがあった。能面の様に硬かった彼女の顔が柔らかく緩んだ。
「心臓の拍動が戻ったみたい! 念が回り出したわ。」
これで彼の容態は数十分程度は安定するだろう。だがその間に適切な処置のできる設備のある施設に連れて行かなければ同じことであった。あっという間に血流が衰え容態が悪化して死んでしまうだろう事は眼に見えていた。
とは言え操縦士が居なくなったヘリを飛ばすことは出来ない。内調本部に連絡して救援を要請したところで今からでは間に合うまい。
後はワンボックス車で安本を何処かの病院に運ぶしか手はないがその間にあの巨大な怪鳥が襲撃してきたらどうすればいいのか?
事態は依然として深刻なまま彼らの前に立ちはだかっていた。
その時だった。パーキングの冷えた夜気の中にゴ、ゴゴォォォォーーーという重く錆びついた鉄の門が開くような音が響いたのは。
それは何者かがワンボックス車の分厚く重たい装甲ドアを外側から押し開いた音であった。




