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瀬戸内少年鵺弓譚  作者: 暗光
神 対 妖
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決戦の裏で


朱雀と人狼の闘いがあった海沿いの国道のトンネルから沖へ三十メートル程離れた暗い海の上を滑るように進む影があった。一見、サーフィンボードに乗ったサーファーのように見えるほっそりとした姿の下には黒い波がうねりながら続いていた。それは瀬戸内の穏やかな波とは違う荒々しさを帯びた太平洋の波であった。


だが不思議な事にその影の足元から生まれ出る筈の航跡波にはわずかな曳き波さえ見当たらない。何故ならその影が乗った小さな板が波の十数センチ上に浮いているからであった。

影は王 美雨(ワン メイユイ)だった。彼女は今しがた目にした血みどろの死闘に対する恐怖の余韻に慄きながら海沿いの道路ならぬ浜沿いの波間を北上していた。


あの毛むくじゃらの人狼の後を追って着いた先には先史時代の翼竜を上回るほどの巨大な鳥、副隊長である朱 媛雀(ジゥ ユァンチャオ)が符術によって変態メタモルフォーゼした朱雀がいた。朱雀は身を屈め頭を下げて今まさにトンネルの中に火を噴かんとしていたところだった。首を伸ばして低くなっていたとはいえ地表から四メートル近い高さにあった彼女の下嘴を人狼は苦も無く飛び上がって蹴り抜いた。


それをきっかけに激しい闘いが始まった。人狼の戦闘力は凄まじかった。身長で五倍、体重で三倍以上の体格差をものともせず朱雀と渡り合った。

やがて膠着状態に落ち入った戦況に朱雀がひびを入れた。巨大な両翼が生み出す風圧で人狼の動きを封じ強大な鉤爪で抑え込んだのだ。そして赤樫オークの成木をも噛み砕くその硬い嘴で人狼の身体を噛み千切った。その後、彼女ユァンチャオは勝利を確信した顔で空高く首を伸ばすと獲物を丸呑みにしようとした。


美雨メイユイ彼女ユァンチャオに思わず『危ない・・・副隊長!』という警告の叫びを上げそうになった。男が猛炎に包まれて生けるトーチ(たいまつ)と化しながらも平然と動き続けることが出来る超絶的な再生能力を持った怪物であることを知っていたからであった。


果たして事態は美雨メイユイの危惧した通りになった。朱雀の口腔内で潰れた肉塊から元通りに再生復活した人狼はその獰猛な爪と牙で朱雀の舌を引き千切った。

巨鳥ユァンチャオ美雨メイユイが耳を塞ぎたくなるような恐ろしい悲鳴を上げた。変態メタモルフォーゼによって発声器官が変わってしまった筈ながらそれは朱 媛雀(ジゥ ユァンチャオ)の声となって彼女の脳に突き刺さった。


朱雀は血に塗れた人狼まかみの身体を口から吐きだした後、ゴボゴボと泡立つ赤黒い血を嘴から撒き散らしながら空へと逃げ去った。それを見送った人狼まかみはグネグネと蠢くアルビノのパイソン(にしきへび)の如き薄ピンク色の肉塊を強大な握力で鷲掴みにしたまま夜闇の中に溶け込むように一瞬で姿を消した。


美雨メイユイは斥力板に乗って浮遊した状態で海側の崖の上に立つガードレールの下側から頭の部分だけを覗かせて一部始終を見ていた。

頭の中がボウッと痺れてしまって今後の行動をどうするべきなのか判断する事が出来なかった。それ程凄まじい闘いだった。



舌を引き抜かれた副隊長ユァンチャオはしばらく戻ってくることは出来ないだろう。傷が再生するまでどこかに身を潜めるしかない筈だ。それがどのくらいの時間を要するかまではわからない。如何にいにしえの符術によって賦活化された念能をもってしても再生能力には限界がある。いや、朱雀に変態していられる時間そのものさえ無限ではあるまい。


それに比べるとあの人狼の再生能力はまさに驚異的だった。あれは脳内において生み出された念の物質化による再生ではない。肉体を構成する個々の細胞自体が念を自律的に発生し生体組織化できる強大な再生機能を有しているとしか思えなかった。


その時、突如美雨メイユイの持つ携帯電話スマホが短く鳴った。それは通話ではなくメールだった。美雨メイユイはすぐさまメールを画面上に呼び出し内容を確認した。驚いた事に差出人はなんと朱 媛雀(ジゥ ユァンチャオ)であった。


通常、部隊の任務において盗聴の恐れがある携帯電話は使用されない。専用周波数を使用した軍事用のトランシーバーを使用する。美雨メイユイ媛雀ユァンチャオが舌を抜かれて発声が出来ない為にトランシーバーではなく携帯電話のメール機能を使ったのだと推測した。そしてその事実は既に部隊の非合法活動の隠蔽を放棄しなければならないほどに状況が追い詰められていることを意味していた。


ジゥから送られてきたメールの内容は次の様な物だった。


間もなくすればトンネルから少年を乗せた警護車が出て来てその先の何処かで自衛隊のヘリと合流するであろうこと。


その場所を確認して自分にその位置を知らせる事。


そうすれば自分は再度、朱雀へと変化へんげしてその場に向かい彼らを始末するつもりであることが書かれていた。


最後に完全再生するような時間もなく変態メタモルフォーゼを維持する念能もわずかしか残っていない為、これが自分ユァンチャオにとって自滅必至の最後の作戦であること、そして少年がヘリに乗り込むのを出来る限り阻止して朱雀の再生の時間を稼ぐようにすることが美雨メイユイへの指示として記されてあった。


美雨メイユイ副隊長ユァンチャオはあの人狼との戦闘の最中でも自分メイユイの存在に気付いていたのだと知った。そして今だ傷の癒えやらぬ身体で最後の任務に挑もうとしているのだと思った。


彼女は斥力板に乗って道路ではなく暗い海の上へと滑り出た。少年を含む内閣情報調査室一行に気取られない様にするためだった。そして安定しづらい荒い波の上を見事な念操力で渡りながらトンネルの出口を目指して北へと向かった。


700メートル弱の長さしかないトンネルだ。進みにくい波間の上であっても出口は直ぐに見えて来た。彼女は先程と同じく空中浮揚レビテーションした状態のままガードレールの下から頭一つ分だけ突き出した格好で白いワンボックス車を待った。


五分程過ぎたところでそれはトンネル内より現れた。何かを警戒するかのようなゆっくりとしたスピードであった。黒く煤けて抉れたように陥没した後部のスライドドアが緩やかに反対側の車線を通り過ぎて行く。やがて危険を及ぼす存在が無い事を確認した車は一挙に加速すると猛烈なスピードで海沿いの国道を北に向かって駆け抜けて行った。


王 美雨(ワン メイユイ)はそれを確認した後で再び海上へと滑り出た。そして白いワンボックス車の後を追って打ち寄せる波の上をトビウオの如く鮮やかに滑空していった。




― ― ― ― ― ― ― ― ―




石川 瑠利(いしかわ るり)はハァッと短いため息をつきながらガラスウインドウの外を見回した。

トンネルの中は暗くひっそりと静まり返っていた。主要高速道路等のそれとは違い車が故障した場合の避難用駐車スペースや空調システム点検用のスペースなどは無い。そのため左車線を完全にふさいだ形で止まるしかなかった。

しかし後続車や対向車があったのはほんの数台でそれから後は一台も通らなかった。ひょっとすると機関からの要請で警察による緊急的な通行規制が敷かれているのかもしれないと彼女は思った。



「・・・・そろそろ出てみますか?」



広田がそう訊ねて来た。トンネルの中に車を停めてから10分ほどが過ぎていた。外部からの連絡はまだ無い。頼みの真上もまだ帰ってこない。あの巨大な妖鳥の動向がはっきりしない状態でこのトンネルを出るのは危険であった。出て少し走ったところをあの火球で狙われたらどうすることも出来ない。

Uターンしている間に格好の標的にされてしまうだろう。かといってバックでトンネル内に戻ることなど論外であった。


しかしいつまでもこのままトンネルの中でじっとしているわけにはいかない事も事実であった。忉利天とうりてんの追手があの妖鳥やモンスターバイクのライダーだけとは限らないのだ。この逃げ場のないトンネルの中で破壊工作のプロである特務工作員達に襲われたら重装甲車両と言えどもそう長くは持たないだろう。

だから自衛隊のヘリを待たせてある合流場所に出来るだけ早く向かわなければならなかった。



「後三分だけ真上さんを待つわ・・・それで帰ってこなかったらこのトンネルを出ましょう。」



同じ時間であっても置かれている状況次第で長く思えたり短かく感じたりするものだ。だがこの場合はその差異を感じる暇が無かった。瑠利がそう答えた十数秒後に右側の後部スライド式ドアが突然ゴゴォーッと引き開けられたからであった。


現在、右側の後部ドアはロックをしていなかった。何らかの緊急事態で外に出る必要が生じた場合の事を考えてそうしてあった。

内部から開ける時は油圧式のパワーアシスト機能が働いて楽に開けることが出来るが外部から開けようとすると鋼板と特殊繊維を詰め込んだ厚さ15cmの装甲ドアはそう簡単には開かない。大人が二人掛でどうにかという重さだった。


それを障子を開けるかのように片手で苦も無く開けてしまった相手を見て車内は恐怖に固まった。ワンボックス車の屋根に頭が届くほどの巨大な毛むくじゃらの獣がそこに二本足で立っていたからだった。


玄狼は最初、熊が出たのだと思った。確かに四国の徳縞県と高地県にまたがる剣山系の周辺の森林にはツキノワグマが生息しているが全部で僅か数十頭しかおらず絶滅寸前と言われている。そこから約40キロ離れた海沿いの平地に熊が出て来ることはあり得ない。

だがそんなことを知らない少年にしてみれば二本足で立つ毛むくじゃらの生き物は熊以外に考えられなかった。


玄狼が小さく ” 骨噛ほねがみ ” と呟くとギイィィンと金属質の哭き声を発して手元に黒光りするこしらえを持った短刀が現れた。鍔の無い合口造りの短刀を彼は素早く鞘から引き抜くと銀色に輝くその刃を熊であろうものに向けた。


広田の反応は更に過激であった。眼にもとまらぬ速さで背広の胸元に手を突っ込むとホルスターから拳銃を引き抜いて構えた。

まさしく電光石火の早業だった。石川瑠利がいち早く制止の命令を発していなければそのまま発砲していたのではないかと思われた。



「遅かったじゃないですか? 真上さん。待ちきれずに出発するところでしたよ。」



瑠利がホッとしたような口調で得体の知れぬ毛むくじゃらの巨獣に話しかけるのを聞いて玄狼と広田は えっ! という表情になった。



「無茶言うなよ。新明解放軍最強と言われる忉利天とうりてんの四神の一角が相手だ。おまけに空を飛びやがるし・・早々簡単には片付かねえよ。」


「でも水上 理子(みなかみ みちこ)さんは四神を三体まとめて倒しましたけど。」


「ハッ、ありゃ特別な存在だ。次期 高天ヶ原 総帥(アマテラス) 候補と噂される相手と一緒にされちゃかなわん。まぁこれが満月期だったら多少は話が違うかもしれんがな。」



玄狼は驚愕で口を開けたまま固まってしまった。しかしそれは会話の中に自身の母親の名前が出て来たからではなかった。



「く、熊が…言葉を喋った!?」


「熊じゃねえよ! よく見ろ、全く! 狼だよ、狼!・・いや、それも嬉しくはねえがな。」



広田が呆然とした表情で獣人化ゾアントロピーした真上を見詰めながら口を開いた。



「えっ 真上……さん?  エッ、そんな・・・」



彼はその毛むくじゃらの獣が本当に真上なのかどうか判断しかねていた。ただピタリと構えたSIG SAUER(シグ・ザウエル) P220の銃口はいささかもブレることなく真上に向けられたままであった。



「広田、その物騒なものをはやく仕舞え。ホントに俺だ、真上だ。

それから坊主、おまえの持ってるそれは更にヤバイ。物凄い霊気が刃先から溢れ出していやがる。

それで切られたら大抵のあやかしは塵一つ残さず消滅するだろうな。俺でも再生するのがやっとというところかもしれん。いずれ名のある神刀か何かといったところか。

だが生憎俺はあやかしじゃないしましてや熊なんかじゃないからな。さっさと幽世かくりよの狭間にでも仕舞ってくれ。」



真上は二人にそう言うと今度は瑠利るりに向かって急かすように言った。



「とにかく早くこのトンネルを出ろ。化物鳥の方は大丈夫だ。暫く火球が吐けないように痛めつけてやったからな。だが長くは持たんかもしれん。ひょっとすると玉砕覚悟で早く戻って来る可能性もある。そうなったら危険どころじゃない。

このトンネルのどちら側からでもあの火炎球を連続して吹き込まれてみろ。信楽焼の登り窯よろしく骨も残さずに焼かれてしまうぞ。」



真上の言葉に瑠利は脅えた様にブルッと身を震わせると言った。



「広田君、直ぐにここを出て! 真上さんも早く乗ってください。」



だが真上は何故か車に乗ろうとはしなかった。代わりに右手に持った太い縄の様な物を玄狼達の前にドサリと投げ出した。



「キャアァァァァァーーーー!」



投げ出されたものを視認した瑠利が物凄い悲鳴を上げた。それは軟体動物の体組織の一部の様に見えるものだった。蒼白いピンク色をしたそれはピクピクと震える様に蠢いていた。



「それは大蛸の足でもなけりゃ化けミミズでもない。朱雀の舌だ。その内、物体化を支えていた念が切れて自然消滅する筈だ。あの化物鳥が復活するのは念が入れ替わるちょうどその頃だろう。そん時は気をつけるといい。


それから俺はこの車に乗ってはいかない。行った先々で一般人にこの姿を見られでもしたらめんどくさい事になりかねん。おまけに近頃じゃ写メだ、防犯カメラだ、ドライブレコーダーだ、てな鬱陶しい物がちまたに氾濫してやがるからな。

どこぞのオカルトサイトに投稿されてUMAとして追い掛け回されたりする事になっちまったらお終いだ。だから獣人化ゾアントロピーが解けるまで何処か人目に付かないところで大人しくしているつもりだ。」



玄狼はまだ熊だという認識が抜けきらない真上に恐る恐る聞いた。



「あのクマさ・・・真上さん、ひょっとして自分では変身が解けない・・ってことですか?」


「ああ、まぁそう言う事だ。てか今、熊って言い掛けなかったか? 

俺は人間だからな、基本的には。

獣人化ゾアントロピーする時は意識的に出来やすいんだがそれを解くとなると自分ではどうしようもないのさ。


女性をあの手この手で振り向かせるのはどうにかなってもいざ別れようとするとにっちもさっちもいかねえ。そういう時は相手に出来る限り会わないようにして身を隠しちまうんだ。そうすりゃいつの間にか縁が切れてる・・てのと似たようなもんだ。

まぁ坊主にはまだ分からんかもしれんがな。」


「へぇ……そうなんだ・・・何となく分かる気がする。」


「真上さん! 私の生徒に不埒な事を教えないで下さい!

玄狼君、本気にしちゃだめよ! 広田君、早く車を出して!」



瑠利が怒った声を出してパワーアシストレバーを引きながらドアをドォンと閉めた。

車はそのまま発進すると出口に向かって進みやがてトンネルを抜けた。広田はゆっくりと車を走らせながら上空と周囲に異常が無い事を確認すると一気に加速して合流場所へと向かった。


その時、反対車線のガードレール下から覗いていた何者かがフッと渚を覆う夜闇の中に姿を消したのを誰も気付かなかった。





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