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瀬戸内少年鵺弓譚  作者: 暗光
海坊主
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亡者船


満月の皓々(こうこう)とした明かりを浴びて薄金色に揺蕩う暗い波の上を一艘の漁船が進んでいた。船尾から生みだされる白い航跡が月の光に映えて黒い海面に降り積もった霧雪のように続いていく。


玄備讃瀬戸の沖合、夜の六時過ぎ、玄狼はその船の右舷灯が発する緑色の光を浴びながら小さな椅子に腰かけて揺られていた。船の反対側には紅色の左舷灯に照らし出された加賀美 紅狐の姿があった。


他にこの船の乗組員は船長を含めて三人、よって玄狼と紅狐を含めると五名の乗員がいることになる。漁船のように居室のない船舶においては明確に規定された最大搭載人数という物がない。

よって船舶検査を受けていない場合、余り乗員数を気にする必要はない。

とはいってもこの船の大きさから考えれば四名から五名という所であろう。


玄狼は未だ満12歳になっていないため0.5人と数えられるから乗員数は4.5名という計算になる。だから厳密に言えば定員オーバーという事になる可能性もあるのだが船長をはじめとする三人の乗組員は女祓い師とその御付きの少年を快く乗せてくれたのであった。



「何じゃ、女子おなごの子かと思たら男の子(ぼく)やったんか? 道理で女の子にしてはえらいスラリとしたお稚児さんじゃなと思たんじゃ。

まぁ、こなに(こんなに)別嬪の鵺弓さんと美形の稚児さんがあやかしどもを祓うてくれるんじゃったら有難いこっちゃが。


それにしてもこの子は男前じゃのう・・こら将来、女泣かせになっりょるぞ。

ハァーハッハッハ。」



六十代ぐらいの船長が大声で笑いながらそう言うと他の乗組員たちも笑いながら頷いた。玄狼はやや憮然とした面持ちで自分の身体を見た。


彼が身に着けているのは黒紗の額当ぬかあて、紅い亀甲地の水干すいかん、朱塗りの末広扇、浅葱色の袴に黒の浅沓あさぐつだった。


これらは全て加賀美 紅狐(かがみ べにこ)が事前に用意して持ってきたものだった。彼女は金曜日の午後に車で玄狼の家である神社に乗り付けると何やら大きな風呂敷に包んだものを持って家に入って来た。

その風呂敷の中から出て来たものは神道における女性神職の常装の品々であった。



「ウチの上の娘が小学生の時、使っていたものだけどピッタリだわ。

というかあの子より似合っているかも・・・

なんなら今度、巫女服も着せてみようかしらね?」



只の見学にこんな装束、それも女子用の装束なぞ着たくはなかった玄狼であったが仕事である以上、それなりに身なりの体裁は必要なものらしい。

とは言え紅狐の言う巫女服だけは断固、拒否したかったが下手な事を言うと藪蛇になりそうな気がしたので黙っておいた。

そんな彼に代わって反応したのは母の理子だった。



「あら、紅狐? 貴女、娘がいるの?」


「ええ、今年で中三と中一の姉妹がね。何かと手を焼かされているわ。」


「でもいいじゃない、女の子って色々弄れて・・・

着せ替える楽しみがあるじゃない?」


「ハァッ? こんな弄りがいのある綺麗な男の子を息子に持ちながら何を言ってるのかしら?」



その後、紅狐とみちこによって稚児コスプレの如く仕立て上げられた玄狼は紅狐の運転する車で島の魚港まで連れて来られた。そこで彼らを待っていた魚船にそのまま乗り込む事となったのである。

そして今、海坊主の出現を待ちながら船の上で揺られているのだった。


玄狼は水干の懐に()()物の存在を布地の上から確かめながらぼそりと呟いた。



「これは一体・・・何なんだ?」



彼が気にしている懐の中の物、それは刀身二十センチ余りの漆黒のつかと鞘のみから成るつばの無い合口造りの短刀だった。乗船前に紅狐がそれを渡して来たのである。



「貴方に一切の危険がないようにするつもりだけど万が一という時の為にこれを渡しておくわ。」



紅狐はそう言って何処からか手品のように取り出したそれを玄狼の手に握らせた。

外見は時代劇のドラマや映画で見かける懐剣によく似ている。但し、模造刀の類ではない。中身は本物の真剣であった。

不思議なことに黒光りする重厚な見た目に反してそれには重さという物が殆ど感じられなかった。


ところが彼がその短刀を手にした瞬間、彼の指先から凄まじい勢いで何かが吸い取られていくのが分かった。厳寒の海に手を付け込んだかと錯覚しそうなキリキリと痺れるような感触に彼は思わず手を放しそうになった。


だが彼の指先はその黒いつかに吸い付いたかのように離れなかった、と言うよりも短剣の方が玄狼の指を離そうとしなかったと言う方が正確であろう。気が付けば先程は重さが無いように感じられたそれにズッシリとした重量が生じていた。


やがて短剣は鈍く黒光りする拵え全体を震わせながらギイィィィーンと音を立てた。それはまるで上等な肉にありついた飢えた獣が歓喜の呻きを漏らしたように聞こえた。



「その子がそんな声で哭くだなんて・・・玄狼君の精気が余程、美味しかったのね。」



紅狐がそう言って意味ありげにクックと笑った。玄狼は戸惑いながら彼女に向かって訊ねた。



「この刀は・・一体・・・?」


「その子の名前は ” 骨噛ほねがみ ” 。加賀美家に代々伝わる式神の一体よ。

鵺退治の際に鵺にとどめを刺したとされる名刀なの。

尤も本物かどうかは判らないけどね。私が玄狼君に渡した時は念体だったけど今、貴方の精気を吸収して実体化したみたいだわ。」


「これを僕はどうすれば・・・?」


「怪異を相手にするときはそのまま使いなさい。大概の妖は切り裂いて消滅させる事が出来る筈よ。

万が一、人間を相手に使う時は更に念を込めて完全に物質化させる手もあるけど・・それは本当に最後の手段にする事。きっと相手の被害が甚大すぎるから。」



その言葉を聞いた後、船に乗って暫くするうちに彼はうつらうつらとし始めていた。

はっと目が覚めると漁師の誰かが掛けてくれたらしい毛布が体を覆っていた。どうやら椅子に座ったままの姿勢で小一時間程、眠り込んでしまったらしい。


船に乗り込んだのが夕方の六時ごろだった筈だからそろそろ七時頃になるだろうか?

船は既に漁場に着いていて網の流し込みが半分ほど終了したところだった。網の設置がすんだら後は魚が網に刺さるのを四時間ほど待つのだと言う。


それから一時間ほどの間、特に変わったことは無かった。漁師のおっさん達が偶に話しかけてくるぐらいだった。紅狐は甲板の反対側でじっと暗い海を眺めているだけの様に見える。

そうしてギコギコと波に揺られながら何もせずにじっとしていると頭の中に色んな事がとりとめもなく浮かんでは消えて行った。


ゲームを教える約束をした郷子の笑顔、怒ったように走り去った志津果の後ろ姿、そして亜香梨の呉れたよく分からないアドバイスなどが泡沫の如く浮かんでは流れていく・・・そうだ、あの桜貝のアクセサリーとやらは結局、何だったんだ?


そうした日々の些事をあれこれと考えていた時、不意にガタンと音がした。紅狐が椅子を蹴るような勢いで立ち上がっていた。

雲に隠れた満月の薄明に映える黒い海面の向こうをじっと睨んでいる。二重瞼の澄んだ双眸が今は冴え冴えとした冷たい輝きを放っていた。



「現れたようね・・・」



彼女がぼそりと呟くとやがて仄暗い波間の向こうから何かが水面を打つような音が聞こえて来た。



バシャッ、バシャッ、ギィッ 


バシャッ、バシャッ、ギィッ



同時に低くしわがれたざわめきが黒い海面を這い寄る様に響いて来る。



『 ヨォ~~~イ マテェ~~~ 

 

  ヨォ~~~イ ヨコセェ~~~ 』



それは聞く者の背筋をゾッとさせるような不気味な呼び声だった。


分厚い雲の緞帳から僅かに滲み出る月明かりの中に不気味な一艘の船が浮かび上がっていた。それは古来より伝馬船と呼ばれる和船であった。

そのボロボロに朽ちかけた舳先へさきからともの間には大勢の水夫かこがひしめき合って櫂を漕いでいる。


漕いでいるのは全身がぐっしょりと濡れ、蒼白くふやけた額に海藻のような乱れ髪がベッタリと張り付いた男達だった。

水夫かこ達の身体と船をぼうっと取り巻く青白い燐光がユラユラと鬼火の様に揺れながら暗い波間に浮かんでいる。それは一目でこの世の存在ではないとわかる者達であった。



バシャッ、バシャッ、ギィッ


バシャッ、バシャッ、ギィッ



『 ヨォ~~~イ マテェ~~~

 

  ヨォ~~~イ シズメェ~~~ 』



三人の漁師達は無言のまま凍り付いたかのように身動きしない。全員、恐怖で顔が引きつり血の気が引いた形相になっていた。その内の誰かが ”ぐぅっ” と喉の奥から絞り出すような呻き声を発した。


するとそれが合図であったかのように水夫かこ達が次から次へと海の中に飛び込み始めた。暗く冷たい海面に首まで浸かりながら玄狼達の漁船に向かってワラワラと泳ぎ出す。



ドブン、ザブリ ~ ザブン、ドブリ


ドブン、ザブリ ~ ザブン、ドブリ



そして青白く光るふやけた腕を何かに縋ろうとするかのように伸ばしながら船に迫って来た。



『 ヨォ~~~イ ヨコセェ~~~ 


  ヨォ~~~イ シズメェ~~~ 』



亡者達は眼玉も歯もないただ黒い穴が空いただけの眼と口を大きく開けながら餌に群がる魚のように玄狼達の漁船を取り囲んだ。

そしてその水膨れした蒼白い指先を漁船の船縁にかけて甲板へとよじ登ろうとし始めていた。


二十トンクラスの船体がグラグラと大きく揺れる。漁師達の一人がたまらず重心を崩してコロコロと甲板を転がると右舷の棚板にぶつかって止まった。

忽ち、船縁からいくつもの亡者たちの手が伸びてその漁師を海中に引きずり込もうとする。



「・・・・・・!!」



恐怖で声も出ない漁師の身体が船縁を越えて棚板の向こう側に引きずり出されようとした時、


()っ!」


という鋭い気合が発せられた。

それは変声期前の未だ青さの残る少年のものではあったが周囲の大気を凛と震わせ亡者達の動きを一瞬止めるには充分な効力ちからを持っていた。


その気合を発したのは玄狼だった。

彼はその場に滑るように走り寄ると握り込んだ ” 骨噛ほねがみ ” を鞘から抜きざまにいくつもの不気味な手を目掛けて切りつけた。


それはまさしく凄まじい威力を持った一閃であった。


虚空を疾り抜けるその銀閃に触れた途端、大蛸の触手の如く漁師に絡みついていた幾本もの青白い手が紫炎に包まれながら煙のように消えていく。

切り飛ばされた手だけではない。残った亡者たちの本体も紫色の炎と化して燃え上がった。


猟師の身体に群がっていた亡者達は瞬く間にボッ、ボッという音を立てて燃え尽きていく。玄狼はすぐさま船外に落ちかけていた漁師の身体を必死になって甲板へと引き戻そうとした。


だが多少背が伸びたと言っても所詮は小学生である彼にとって大人の体躯は手軽に扱えるほど軽くはない。それでもどうにか漁師を甲板の上に引っ張り込んだ玄狼はゼイゼイと息を切らしながら周りを見て愕然とした。


既に亡者達は船縁全体ををぐるりと取り囲むように身を乗り出し始めていた。青膨れした薄気味悪い手を触手の様にウネウネと伸ばして甲板に乗り込もうとしている。



『 無理だ・・防ぎ切れない・・・! 』



彼の脳裡を絶望的な思いが掠めたその時、凛とした声が響き渡った。



「汝の名は " 雷上動 "  高天原に 神留坐かむづまります 大神の命を以て今、我が元へとうちいでたまへ 急急如律令!」



更に厳かな声で祝詞が朗々と続いていく。




掛巻(かけまく)(かしこ)き    稲荷大神(いなりのおおがみ)大前(おんまえ)に 


(かしこ)(かしこ)みも(もうさ)く    大神(おおかみ)(あつ)(ひろ)



恩頼(みたまのふゆ)(より)て    家門(いえかど)令起賜(おこさしめたま)令立栄賜(たちさかえしめたま)



夜の守日(まもりひ)の守に守幸(まもりさき)(たま)へと    (かしこ)(かしこ)みも(もう)




玄狼は驚いてその声の主を捜した。彼がそこに見つけたものは己の身長を凌駕するような長大な弓を持って立つ紅狐の姿だった。

一体どこから出したのか見当もつかないその弓を斜め下に向けて構えると彼女は玲瓏たる声で叫んだ。



鳴弦めいげんの法!」



そして弓柄ゆづかをしっかりと握り、矢をつがえずに弓弦だけをグイッと後ろに引くと指を離した。その刹那、



ヴイィィィィィーーーーン!



という強烈な振動音が凍えた夜気を打ち砕くように震わせながら響き渡った。

彼女は一糸乱れぬ動きでそれを粛々と繰り返し続ける。



ヴイィィーーン!


ヴイィィィィィーーーーン!


ヴイィィィィィィィィーーーーーーーーン!



それは大気を震わせるのではなく空間そのものを振動させる不可思議な破邪の音であった。

紅狐の為した「鳴弦の法」によって船に纏わりついていた亡者達は次々と頽れるように暗い海面へ転落していく。そして黒い波間に呑まれて溶ける様に消えていった。


朧げな月光に照らされた海面には青白い燐光を纏わりつかせた不気味な伝馬船だけが残っていた。

紅狐はそれに向かって弓を向けると再び声を発した。



「汝の名は "水破 "  高天原に 神留坐かむづまります 大神の命を以て今、我が元へとうちいでたまへ 急急如律令!」



するとそれまで何もなかった筈の弓幹ゆがらの横に突然、黒い矢羽根の鏑矢が現れた。彼女はそれをつがえると大きく弓弦を引いた。そして鋭く言葉を発しながら矢を放った。



蟇目(ひきめ)の法!」



放たれた鏑矢は ヒュウォォォ~~~~ン と甲高い笛のような音を立てながら伝馬船目掛けて海面すれすれに飛んで行く。


夜目にも鮮やかな紫色の炎を曳いたそれはまるで追尾機能を備えたホーミング魚雷の様に途中で軌道を修正しながら目標に命中した。

次の瞬間、巨大な紫炎の火柱が亡者船を覆いつくすように吹き上がった。


それは黒い海面に咲いた巨大な竜胆の花の如き浄炎であった。やがてその中から無数の青白い鬼火がユラユラと飛び出してきた。玄狼達が見守る中、それらは全て金色の光子へと姿を変えて夜光虫のように輝きながら波間へと消えて行った。


そして後には何も残らなかった。








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