七十余年後の顛末
※ これで青い背広の男編は終了です。
肝試しの日から数日後、島は大変な騒ぎとなった。七十余年前に行方不明となったままの幼女の遺骨と着物が水神を祀った古い祠の下の枯れ井戸から発見されたためであった。
本土から県警が来て調べた結果、遺骨は二歳から四歳の女児の物であると鑑定された。
加えて当時から現在までにおいて他に行方不明になった女児がいない事、衣類の切れ端にキエというカタカナの文字が黒い仕付け糸で刺繍されていた事などからそれが当時三歳であった門城 希恵の遺骨にほぼ間違いないと断定された。
瀬戸内海に浮かぶ小さな過疎の島は数週間の間、警察や報道陣、本土からのやじ馬でごった返した。奇妙な事に第一発見者は不明だった。では何故、幼女の遺骨は発見されたのか?
警察を動かしたのは一本の匿名の通報であった。しかし通常であればそのような通報だけで警察が動くことはまずない。
にもかかわらず警察が動いた背景には強大な影響力を持った何らかの存在からの指示があったのではないかと噂された。
門城 希恵の死因は遺骨の状態から頭部外傷及び全身打撲による外傷性ショック死と鑑定された。それが事故によるものなのか殺人によるものなのかは不明である。
どちらであったにせよ今から七十年以上も前の事件であり戦後の混乱期でもあったことから真相の解明は困難であった。
門城 希恵の父は事件の少し前に戦死しており母は事件が起きてから間もなく消息不明となっていた。
その状況から希恵の母が彼女の死に関与していたのではという推測も出たが当時の状況を知る人物のほとんどが存命しておらず確証するには至らなかった。
そのため事件は事実上の迷宮入りとなることが確定したようなものであった。
そして事件から二ヶ月近くが過ぎて騒ぎもやや下火になりつつあった九月の初旬、玄狼はコンマイさんの祠の前に来ていた。
あの後、ネットやメディアの報道によって事件を知った全国の人々から寄付金が送られてきた。
そこで危険な古井戸を埋めて水神様の祠を別の水源地に移転し現在の祠があった場所の近くにコンマイさんの慰霊のための塚が新しく造られることとなった。
彼は何故か祠が取り壊される前にその最後の姿を見ておきたいと言う気がしてやってきたのだった。
祠の前に立って作法通りに二礼二拍手一礼のお参りを済ませた後で玄狼は今朝の母との会話を思い起こしていた。
「なぁ、母さん。祠の下に枯れ井戸があった事を誰も知らんかったんやろか?」
「事件が起きた当時なら、高齢の人の中には知っていた人もいたかもしれないわね。
だけど井戸の穴口は分厚い鋼板で塞がれてその上から土や石が載せられておまけにその上に祠が建っていた状態だから誰もそこまでは調べなかったんだと思うわ。」
「そんなに厳重に塞がれていた場所にどうやってキィちゃんの遺体を投げ込んだんだろう? 分厚い鋼板とか男の人でも持ち上げられないんじゃ?」
「多分だけど・・・ひょっとするとその鋼板は只の鉄の板じゃなくて精霊鉱を混ぜ込んで造られた斥力鋼板だったんじゃないかな?
それを利用して斥力能を発現させたら鋼板ごと上に乗っかっている物全てを持ちあげることだって出来る筈よ。
門城 希恵のお母さんと言う人は地元で育つうちに何かの拍子でその事を知ったのでしょうね。
恐らく彼女はかなり強力な念能の持ち主だったんじゃないかしら?
子孫である佳純ちゃんがあれだけの念視能を持っていることから考えてもその可能性は高い気がするわ。」
「フゥーン・・・佳純ちゃん、私ン家、父ちゃんも母ちゃんも兄ちゃんも誰っちゃ念能なんてたいして持っとらんて言ってたけど?」
「そりゃお父さんと兄ちゃんは男だしお母さんは他所からお嫁に来た人だもの。
つまり門城家一門に伝わる優れた念能の力を受け継いでるのは佳純ちゃんだけという事になるのかもしれないわね。」
母は玄狼にそう言った後で何故かクスッと笑った。
玄狼は何が可笑しいのだろう? と思ったが特に気には止めなかった。
実は理子はその時、彼と佳純が大傘松へ戻る前にした佳純との会話を思い出していたのである。
彼女は理子に旦那さん以外の男と仲良くなって自分の娘を殺してしまうような女と同じ血を引いているというのは嫌な気がすると言った。
更に ” ウチは絶対そなんことせえへんきに心配せんとって ” と言い加えた。
理子は佳純の言い方にどことなく微妙な違和感を感じながらも貴女がそんな事するような娘じゃない事ぐらい言われなくても分かっているわよと答えた。
すると彼女はホッとした表情になって自分はキィちゃんにある事をお願いしたのだと言った。
理子が何をお願いしたの? と聞くと佳純は驚くような事を言った。
自分は将来、絶対女の子を産む。だからキィちゃんはその子に生まれ変わって自分のところに来てなとお願いしたのだと・・・
理子は内心で ” ハァッ? それはまた随分、気の早い事をお願いしたものね ” と思ったがそれを表情に出さぬように努めながら 成程、それなら今度生まれ変わった時はキィちゃんも幸せになれるかもしれないわねと答えた。
すると彼女は少し得意げな顔付になって
「うん、それは絶対大丈夫! ウチはキィちゃんの事、大好きやし優しいお母さんになれるはずやし。
《お父さん》もキィちゃんの事を身体を張って守ってくれた人やから安心して生まれて来てなって言うてあるから。」
と嬉しそうに答えた。
理子はその《お父さん》とやらにとっては全くの寝耳に水の話であろうことを考えると可笑しくて笑ってしまったのだった。
そして玄狼は母の思い出し笑いの理由なぞ露ほども知らないままここに立っていた。
訪れる人も殆どない寂れた風情の木祠はその姿を九月の陽光の中に晒してポツンと寂し気に建っている。
祠の足元にはトラテープと呼ばれる黄色と黒との縞模様のテープの切れ端が巻き付いていた。恐らく警察の捜査の際に張られたものであろう。
陽の光に褪せたそのテープは余計に物哀しさのような物を感じさせた。
暫くその光景を眺めているとパラパラと雨が降って来た。空は晴れているのにも拘らず雨は降り続ける。
突然の雨だったので傘など持ってきていない。祠の姿も充分眼に収めたことだし玄狼は帰ろうと思った。
クルリと踵を回して来た道を戻りかけた時、彼は不意に誰かに呼ばれたような気がして後ろを振り返った。
それは去り行く夏の残暑が見せた幻であったのかもしれない。
祠の上にちょこんと小さな女児が座っていた。黒い髪をおかっぱにして真新しい丹色の着物を着た愛らしい人形のような幼女が黒いつぶらな瞳で彼を見詰めていた。
ユスラウメを思わせる小さな口元が微かにほほ笑んだような気がした次の瞬間、その姿はかき消えるように見えなくなった。
玄狼は呆然としてそこに立ったまま祠の屋根を見ていた。陽の光に輝きながら雨はサラサラと優しく振り続いている。彼はその雨に濡れながらポツリと呟いた。
「狐の嫁入りかぁ・・・・」
お天気雨は良い事が起きる前ぶれ、玄狼は以前、誰かからそう聞いたことを思い出した。そうであるのなら短く哀しい人生だったコンマイさんに何かいい事があればいいなと思った。
今、見たことを今度、佳純にも話してやろう、次の日曜日は一緒にお参りしてみようか、彼はそう思いながら歩き出した。
海岸通りへと続く農道の道端にほころび始めた秋桜の蕾が雨に濡れながら揺れていた。
秋はもう、すぐそこまで来ているらしかった。




