崖っぷちの口付け
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この作品はフィクションです。実在の人物や地名、団体などとは関係ありません
昼間は抜けるような青い空からギラギラと輝く太陽が灼け付くような陽光を容赦なく照り付けていたのに夕方からは空模様がおかしくなった。
やがてポツリポツリと振り出した雨は瞬く間に激しい土砂降りとなった。
所謂夕立である。ひょっとすると近頃はやりのゲリラ豪雨などと呼ばれる奴かもしれない。それは見えるもの全てを灰色に塗りつぶすような豪雨であった。
そのせいで花火大会は中止となった。後日に延期されるかどうかはまだはっきりしていない。
小一時間程激しく降り続いた後、雨は小降りになった。父兄同伴で学校に集まった生徒達はそのまま親に連れられて家に帰って行った。
その流れで行けば当然、肝試しも中止となるはずだった・・のだが小降りになった雨は午後七時前には完全に止んだ。
「日頃の行いやな!」
賢太が得意顔でそう言った。いやだからこそ雨が降ったんじゃないのか? と玄狼は突っ込みたかった。
花火大会を純粋に楽しみにしていた下級生達の夢を奪ったのはコイツの邪な欲望に対する天の戒めではないのか? と彼は思った。
何にしても肝試しは予定通り実施されることになり現在、大人一人と子供七人が海岸通りにある大傘松の下に集っていた。
大人は玄狼の母の理子で子供の七人は六年生達であった。
何故、六年生の人数が六人ではなく七人なのかというと五年生から思わぬ飛び入り参加があったせいである。
「いや、今夜は肝試しがあるから遅なるいう話を親にしとったらこいつが横でそれを聞いとってな。ほんでウチも行きたい言いだしてな。
ペアリングや時間の都合で無理じゃ言うたんやけど親が連れて行け言うけん・・ホンマに父ちゃんや母ちゃんは此奴に甘いから。」
賢太が申し訳なさそうに肩をすぼめながら皆に言い訳をした。ジトッとした半眼で見詰めて来る志津果や郷子と目を合わせないように下を向いている。
飛び入りした五年生とは賢太の妹の佳純だった。彼女は家に帰らずそのまま大傘松までついて来たのだ。
「な、肝試しが終わったでええきん、ウチとクロ君のペアで海岸通りを少し歩こ!
ちょっと遅なってもウチは兄ちゃん居るしクロ君はお母さん居るしなんちゃ問題ないやん。」
当の本人はその場に漂う微妙な雰囲気を知ってか知らずか玄狼の腕を小脇に抱え込んでそんな事を言っている。
それを聞いた志津果が呆れたように郷子に囁いた。
「全く・・あのトンビ娘はどなんしたらええんかいな? 六年生だけの企画やのに首突っ込んできて。前には玄狼にキスまでしたっちゅう話やし。
い、イヤ、その、別にウチもそうしたいっちゅうわけやないけんどな。なんかイラッと来るんやわ。郷子もそんな気せぇへん?」
「エッ・・あ、アア、そうかな。 そうかもしれないね。ウン・・・」
何故か曖昧な反応を返した郷子に志津果はやや違和感を感じたものの深くは気にしなかった。ところが郷子の方は試験で不正行為がばれた時の様な焦りを感じていた。
『あ、アレは不可抗力よね。
私のせいじゃないもん・・・悪いのは玄狼さんよ。』
彼女は胸の中で必死にそう弁明しながらあの出来事を思い返していた。
昼間にコンマイさんで玄狼が倒れた後の経緯を・・・
― ― ― ― ― ― ― ― ―
しまった! と思った時にはもう遅かった。視認できるほどに手刀に溜め込んだ荒魂の気が根こそぎ玄狼の身体に注ぎ込まれてしまっていた。
彼は意識を失って地面にゴロリと横たわったままピクリともしない。
それがあの赤髪の幼女の霊に生気を吸い取られたせいなのか自分の放った〈荒魂の気打ち〉のせいなのかは分からない。
しかし技が当たったのは頭ではなく背中だ。内臓を蝕む悪寒と苦痛によって動けなくなったとしてもすぐに意識を失う事はない筈だ。
恐らくは細胞内の活性エネルギーが急激に流出したことで脳内の血流が弱まり立ち眩みを起こしたのだろう。
そこに入れ替わる様に〈荒魂の気打ち〉による強烈な陰の気の流入が重なったことがこうなった原因に違いない。
だが理由はどうあれ現状は非常に不味いものであった。なにしろ生身の人間に超精霊合金鋼によって最大限に増大させた負の念を叩き込んだのだ。
このままでは最悪、命を失う可能性も絶対にないとは言えない。
郷子は焦った。
玄狼ほどの念能者ならば彼女の放った荒魂の気にも充分に抗し得る筈だが今の状態では無理だ。ならば・・・自分がやるしかない!
彼女は玄狼の身体をうつ伏せにひっくり返すと彼の薄青色のTシャツを捲りあげた。そしてその白い背中に両の掌を押し当てて精神を集中した。やがて彼女の両掌と玄狼の白い背肌の隙間から凝縮された 和魂の気 が溢れ出す。
きらきらと金色に輝く粒子が零れ落ちる砂金のように玄狼の滑らかな白磁の背肌を覆いながら浸み込んでいく。
郷子は数分の間、一心不乱に〈和魂の気入れ〉と呼ばれるその行為を繰り返した。
やがて彼女の額に玉のような汗が浮かび、頬は赤く上気して眼が涙で熱く潤んだ。
それでも玄狼は目を覚まそうとはしなかった。瞼を薄く開いた状態で横たわったままだ。
「駄目! 駄目だわ・・・和魂の気が素通りしてしまう!」
郷子は投げ出すような口調で泣き声交じりの声を出した。
注ぎ込んだ 和魂の気 の大半が彼の身体をそのまますり抜けてしまう。
細胞エネルギーを生み出すミトコンドリアの活力が低すぎて反応するのが一部でしかないため余剰となった 和魂の気 は無駄に体外へと流れ出してしまうのだ。
『皮膚接触による気入れでは効率が悪いという事? だったら・・・』
ここで彼女が思い出したのは以前に聞いたタキさんの言葉だった。タキさんは浦島家の家政婦として勤めて十年ほどになる四十代後半の女性である。
元々は巫無神流神道の鵺弓師として活躍していた女性だったのだが出産を機会に鵺弓会を引退をした。やがて子供が手を離れたので再就職しようとしたところを郷子の父に請われて家政婦として浦島家に来たのである。
つまり表向きは家政婦であるが側面として郷子の鵺弓師としての指導係も兼ねている女性だった。郷子と父の秀次郎が東京から瀬戸内海の小島に移住する際も一緒に付いて来てくれた有難い存在である。
彼女は夫を数年前に癌で亡くしており一人息子が大学に進学するため家を出て一人暮らしを始めたのも都合が良かったのだろう。
そのタキさんが何年か前に郷子に教えてくれたのは
「服は三流、皮膚は二流、粘膜一流」
という言葉だった。
彼女は和魂と荒魂の気の扱いについて郷子にこう言った。
「いいですか、郷子さん。和魂の気も荒魂の気も常に人体を容易に流れてくれるものではありません。
素材にもよりますが衣服の上からだと1割から三割、皮膚同士を接触させた状態で四割から六割です。余程緻密で強大な波動を備えた念なら話は別ですが普通の念ではそうなります。
勿論、時間と回数を掛ければそれなりに大きな効果を伝えることは出来ますけど一刻を争う場合はそうもいきません。
では緊急の場合はどうするのか? 一つだけ方法があります。
それは粘膜同士の接触による気入れです。これならば最低でも七割、やり方次第ではほぼ十割近い念を効果的に伝えることが可能となります。
ただ〈荒魂の気打ち〉の場合は恐らく相手とは戦闘状態ですから粘膜接触はまず無理ですが〈和魂の気入れ〉においては最も有効な方法です。」
彼女はそこで粘膜接触とはどうやればいいのかをタキさんに聞いた。
「口と口を合わせてそこから気を送り込むのです。そう、言ってみれば人工呼吸のような状態ですね。
違う点があるとすれば・・・舌を差し込んで相手の舌や口腔内粘膜に接触すればより一層大きな効果が得られるという事でしょうかね? もし人工呼吸でそれをやれば逆効果ですが・・・
粘膜接触という点においては更に効果的な方法が無いわけではありませんがそれは貴女には未だ早いというか無理です。そちらについては上級者編ということで置いておきましょう。
今は只、次の言葉を覚えておいてくれればそれで結構です。
服は三流! 皮膚は二流! 粘膜一流!
分かりましたね。」
最後の辺は分かったような分からないような説明ではあったがそれでも最初のそれが接吻にほぼ近い行為であることは当時の彼女にも理解できた。
より一層の効果を得るためには濃厚な接吻が望ましいことも分かった。
六年生になった今ではタキさんの言った上級者編の意味するところに思い当たる行為も上げることができる。
それをやってみたいとは思わないが初級者編ぐらいなら・・・・やれる・・かも?
そして今、その危機というかもしくは機会と呼ぶべきかの崖っぷちが迫っていた。
郷子は覚悟を決めたかのように大きく息を吸いこむととうつ伏せにした玄狼の身体を再度、仰向けへと変えた。そしてその半開きになった瞼に手を伸ばしてそれを閉じた。次に首の後ろに手を潜り込ませて持ち上げる。
くの字に折れた玄狼の首を支えながら空いた方の手でその額を押さえた。そして一瞬の躊躇いの後、半開きになった彼のやや青褪めた淡桜色の唇に自分のそれをグッと押し付けた。
冷たい唇だった。
そのまま舌先で彼の唇を割ると小さく開いた歯の隙間から舌をゆっくりと差し込んだ。口の中は仄温かかった。しっとりとした湿り気があった。
直ぐそれが自分以外の人間の唾液なのだと思い至ったが嫌悪感は全くなかった。
『やってしまっちゃった・・・』
彼女は何処か後ろめたさを感ぜずにはいられなかった。だが止めるわけにはいかない。何としても彼の身体を蝕みつつある彼女自身の荒魂の気を鎮めなければならなかった。
自分と玄狼が今こうしていることを知る者はいない。志津果もトンビ娘も誰も知らない。そして玄狼自身さえも・・・
だが今、玄狼を救えるのは自分以外いない。自分だけが彼を救えるのだ。
そう考えた途端、郷子の胸の中に熱い幸福感のような物がゆっくりと満ちて来た。彼女は舌の先に溜め込んだ和魂の気を一気に玄狼の口腔内へと放出した。二人の合わさった唇の隙間から溢れ出た金色の粒子がキラキラと輝く風となって夏の空に舞い上がった。
口腔内粘膜より吸収されたそれは驚くような速さで彼の体中を駆け巡る。
同一人物から生み出された同一形質の気は何の拒否反応も起こさずに互いに相手を中和して消えていった。
迅速な中和反応によって生じた熱が玄狼の細胞を活性化させた。
忽ち、冷たく冷え切っていた彼の身体が燃え上がるように熱くなった。別の理由からではあったが同時に郷子の身体も熱くなっていた。
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