青い背広の亡霊
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※ 注意
この作品はフィクションです。実在の人物や地名、団体などとは関係ありません
その話を瀬尾浩一が藤本和樹から聞いたのは数日前の夜の事だった。行きつけの飲み屋で酒を酌み交わしながら聞かされたのだ。
和樹は酔いで目元を赤く染めながら彼にこう言った。
「六十何年も大昔に奥城島の近くの海域でそなん悲惨な事故があったゆうんを初めて知ったわ。」
浩一は和樹の話を聞いてそれが青雲丸の沈没事故であることに気が付いた。
国鉄戦後五大事故に数えられている海難事故である。
舟幽霊たちが姿を消した理由は和樹の叔父が推測した通り潮流の流れが転じたことにあったのではないのかと浩一は思った。
和樹達が見たという死者の行進とは二ヶ月ほど前に起きた小型タンカーと外国籍貨物船との衝突が原因で起きた念能現象に違いない。
夜の海面に現れたセーラー服の少女達とはその事故で海面に流出した液状精霊鉱の触媒作用によって六十五年前の青雲丸事故の犠牲者達の残留思念が実体化したものではなかったのか?
液状精霊鉱は水中に何もなかった場合はゆっくりと均一的な拡散をするがそこに念エネルギーが存在すればそれに反応する。その際、濃度差は維持されたままで拡散は起こらないことが確認されている。
恐らく死者の行進が現れた海面下には高濃度の液状精霊鉱を含む巨大な水塊が生じていた可能性が高い。
それの触媒作用によって実体化した念体達が船体を転覆させかねないほどの揺動を生じさせたのだろう。
だが転流の発生によって高濃度の液状精霊鉱を含んだ水塊が遠くへ押しやられたことで実体化が維持できなくなり死者の行進が消えたのではないかと推測される。
逆に言えばその水塊が流れて来た場所に漂う残留思念は実体化する可能性があるという事だ。
だとするならば今、浩一の眼の前に立つこのずぶ濡れの青い背広を着た長身の男はもしかして・・・・・
そう考えた時、彼の背筋にゾッとするような寒気が走った。
まるでそれに気が付いたかのように男がゆっくりと彼の方を向いた。
一瞬、浩一の呼吸が止まった。
「・・・!!」
瀬戸大橋の橋げたから海面までの距離は約31メートル。
もし橋から落ちた場合、重力加速度から計算すれば時速80キロメートル以上の速度で海面に衝突することになる。
水の持つ表面張力はコンクリートなどのそれに比べれば遥かに低いがそれでもその速度で叩き付けられれば人体は無事ではいられない。
男の顔は半分が砕けたように潰れていた。眼窩から飛び出た眼球がだらりと垂れ下がり千切れて捲れ上がった口唇から剥き出しになった歯肉と歯が覗いている。
頸椎がへし折れているのか首から上が斜めに傾き身体全体が歪に捻じれていた。
その身の毛もよだつ様な凄まじい形相で男は浩一の方へ近づいて来た。裂けた唇から洩れる呼気がシュゴォ、シュゴォという不気味な擦過音を響かせている。
それに混ざって男が呻くように囁く言葉が聞こえた。
「ぢぃえぇ・・ぢぃ・・えは・・どごぉだぁ・・・どぉごにぃヴぃるうぅぅー。」
男が何を言っているのか浩一には分からなかった。何より恐怖と悍ましさで気が狂いそうだった。
この世の者ならざる存在が自分の傍に居る、その現実が受け入れられなかった。
男は操り糸の絡まったマリオネットの様なぎこちない動きで足を引き摺りながらジリッジリッと近寄ってくる。
それを見た彼はクルリと背中を向けると路側帯の上を一目散に走った。パトロールカー目指して転びそうになりながら必死に駆けた。恐ろしくて後ろは振り向けなかった。
やっとたどり着いたパトロールカーのドアノブに指を掛けようとするが震えて上手く掴めない。
背中に爪を喰いこませて来る激しい恐怖と戦いながらどうにかそれを掴むと力任せに引っ張ってドアを開けドライバーシートに背中を叩きつけるようにして乗り込んだ。
そして差し込んだままになっていたイグニッションキーを回してエンジンを始動させると蹴りつけるが如くアクセルを踏み込んだ。
忽ちエンジンが轟音を上げて咆哮する。急激なトルクの上昇に耐え切れず後輪タイヤが悲鳴を上げながら白煙を噴き出す。
パトロールカーは車体を左右に蛇行させながら車線へと飛び出した。
走り出してから直ぐに浩一はルームミラーで後方を確認した。ミラーにはLEDライトの黄色い光に満ちたレーンの路面のみがリアウインドウの硝子越しに映し出されていた。
フゥーッとざらついた安堵の息を吐いて浩一は早鐘を打つ様な動悸を静めようとした。そして何気なく助手席に眼をやった瞬間、彼の心臓は再び気が狂いそうな恐怖に凍り付いた。
そこには今しがた、橋の上に置き去りにしたはずのあの男が座っていた。それはボタボタと水の滴るねじくれた指先を彼の方に伸ばそうとしていた。
「ギャアァァァァーーーー!」
魂消るような悲鳴を上げて浩一は反射的に急ブレーキを踏んだ。同時に右に急ハンドルを切った。男から離れたいという恐怖の思いが無意識の内にそうさせていた。
それによって車は横転する寸前まで車体を傾けながら踊る様に路上をスリップした。そしてどうにか前後を逆にして止まった。
ドアを蹴破る勢いで路上に飛び出した彼は必死にアスファルトの上を走った。自分が車道の上りと下りのどちらを向いて走っているのかも分からない。
只、あの男から逃げたい! その一心だった。
ヒィヒィと息を切らして走る浩一の横を一筋の透明な液体がスルスルと音もなく這い抜けていく。やがてそれは黄色い光に照らし出されたアスファルトレーンの先にドボッと丸く蟠った。
そのドロリと澱んだ水溜まりからズルッと首が生え、手が生え、足が生えて忽ちズブ濡れになった青いスーツを着た男の姿へと変化した。
「ヒィッ、オッ・・・アォッ!」
浩一は絶望の声を上げた。
多量の液状精霊鉱を含んだ海水によって念は様々な状態に実体化される。海面に叩き付けられて死んだ時の念状態がそのまま実体化され再生されたのが今のこの青いスーツの男なのだ。
液体、個体、気体の三態に形態を自在に変えることが可能なのかは分からないがもしそうなのであれば物理的にこの化け物を引き離すことは不可能だ。
自分の逃げる先を予測してそこに実体化されればどうしようもない。
男は頽れるように体を揺らしながら彼に向かって近づいてくる。ぬちゃり、ぬちゃりと不気味な足音を立てながらごぼごぼと泡立つ様な声を出して迫って来ていた。
「ぢえぇ・・ぢえはどごだぁぁぁ・・・ぢぃえに・・ぢえにあいだいぃぃぃーーー」
その時だった。オレンジ色の明かりに照らし出された車道レーンを橋ごと飲み込む夜闇の彼方に二筋の光芒が現れたのは。
豆粒の様なその二つの光は見る見るうちに大きくなって迫って来た。夜気を切り裂いて発生する猛烈なスリップストリームの轟音が響き渡る。
やがて漆黒の帳の中から橋梁灯の黄色い光の中にヌッと現れたのは巨大な大型トラックだった。
全長十二メートル、総重量二十トンを超える巨体が橋桁を震撼させながら時速百キロ近い速度で驀進して来る。
怪獣の咆哮の様な轟音をとどろかせながら幅2.5メートル、高さ3.8メートルの巨大な壁の如きフロントマスクが迫っていた。
両の眼を思わせるヘッドライトから放射された強烈な光が前方を射抜いた。
浩一は突然、そのライト目掛けて駆けだした。五百メートルほど離れた位置にあったそれがあっという間に近づいてくる。
約十秒ほど走った時、彼の姿に気付いたトラックの運転手が烈しくクラクションを鳴らした。
その時、彼と大型トラックの間のアスファルトの上にあの青いスーツの男がニュッと生えるように姿を現した。
自分が逃げれば男はその先回りをして必ずそこに現れる筈だと踏んだ彼の感が当たった。
だがこのままだと数秒後には彼自身がトラックと接触する。浩一は高速レーンから路側帯へと飛び込むように身を投げた。
次の瞬間、青い人影が大型トラックのフロントグリルに飲み込まれた。
バシャッ! という湿った破裂音がして透明な液体が噴煙となって弾け飛んだ。ほぼ同時に橋のガードレールに縋りつくようにして身体を支えた浩一のすぐ横を巨大な鉄の箱がすり抜けて行った。
大型トラックは数百メートル進んだ後で黄色いハザードランプを点滅させながら高速レーンから低速レーンへと車線変更をして路側帯に停まった。
トラックの運転席から青褪めた顔をした運転手が降りて来た。
浩一は近づいてくるその運転手の怒り顔と泣き顔がないまぜになったような表情を見つめながらヘナヘナとそこに座り込んだ。
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