教師・高田宇紗美(後)
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※ 注意
この作品はフィクションです。実在の人物や地名、団体などとは関係ありません
長かった梅雨も終わりに差し掛かったのだろう。雲の晴れ間からあぶらっこい日差しが覗くことが多くなったような気がする。
宇紗美は手にしたiPhoneの画面をブラウザーに切り替えて天気予報のサイトを呼び出すと週間天気を調べてみた。
思った通り週末には瀬戸内地方に梅雨明け宣言が出されるらしいと書いてある。
「あれ! うさちゃん、そのスマホ戻って来たん?!
鷹松で無しにしてしもた言よったのにどやって却って来たん?」
目ざとくそれを見つけた賢太の妹の門城佳純が傍に来て不思議そうに訊いた。一重瞼のシュッとした涼し気な目が好奇心一杯に覗き込んでくる。
「ああ、これな・・見つけた人が送ってくれたんよ。昨日、小包で小学校に届いたんや。」
「小学校に? ふぅーん・・・その人、ようそれがうさちゃんのスマホやて分かったな。しかもワザワザ送ってくれるやなんてメッチャ親切な人やん。」
「親切・・・さぁ、そらどやろな? そなんもんとは無縁の人種やろと思うけど。」
宇紗美の言葉に へ? という表情を浮かべた佳純を見ながら宇紗美は十日程前のあの砂利道の夜を思い出していた。
彼女のiPhoneには特殊なチップが仕込まれている。そのチップは定期的にGPS位置情報を発信し続けるように設計されていた。
たとえ電源が切られていても本体のバッテリーが残っている限りその機能は働き続けるのである。
その機能により自分のiPhoneの在処が鷹松市内の印藤組という反社会的勢力の事務所であることを知った彼女はその団体の規模、活動内容、構成員等をくまなく調べ上げた。
と言っても彼女自身が何かをしたわけではない。自身の所属する国家機関に調査を依頼しただけだ。それでも全てのデーターが揃うのに半日とかからなかった。
印藤組の主だった組員達の動向は機関の特殊工作員の働きで定期的に報告された。
彼女はただ待つだけで良かったのだ。そしてあの夜、ついに奴らは動いた。
結果、印藤組は手打ちを受け入れる事となり玄狼に降りかかりつつあった凶禍は消し去られた。
機関は印藤組の上部団体である山仁組に対しても働きかけた。印藤組は山仁組にとって子と親の関係に当たる組である。
他人からわが子を制裁しろと言われて素直に従う親はいない。ましてやその親が日本最大と言われる暴力団であれば尚更であろう。しかし彼らは機関の要請を受け入れた。
もともと面子とは己と同等以下の相手に対しての物であって遥かに格上の相手に対しては無意味な物だ。
山仁組上層部も行政機関、警察、政治家、軍隊そして世論すら操る力を有した存在に抗ってまで拘るものではないと判断したのだろう。
そして昨日、職場に彼女宛の小包が届いた。開けてみれば亜香梨に貸したまま行方が分からなくなっていたiPhoneが入っていた。筐体にディズニーキャラクターのプリントが入ったそれだった。
佳純の言う親切というよりは得体の知れない後ろ盾を持つ得体の知れない人物の所有物など気味が悪くて持っていられないというのが本音だろう。
「うさちゃん、志津果ちゃんと郷子さんて鷹松でなんぞあったん?」
佳純が不意に小声でそう訊ねて来た。
「何かて・・・何?」
「あの二人な、ちょっと前までそうでもなかったのにこの頃、クロ君にベッタリひっついとんよ。
ほんで二人でなんかよう分からん言い合いしよるんよ。ほら、あんなふうに・・・」
佳純はそう言って教室の窓の外を指差した。そこには校庭の隅で玄狼を挟んで左右で睨み合う志津果と郷子の姿があった。
あの日、鷹松市のM商店街で彼らと別れてから後、何があったのかはおおよそのところで把握している。
あの近辺を根城にして悪さを繰り返していた蛇悪暴威主という不良グループと玄狼達の間でトラブルがあった事、そのグループのボスが印藤組組長の息子である印藤征道である事、そして蛇悪暴威主の主要メンバー数人が大怪我をして入院している事などは既に知っていた。
ただその一連の出来事が三人の少年少女達にどのように関わりどのような影響を与えたのかまでは分からない。
分かるのはどうやら玄狼が二人の少女に挟まれてその仲を取り持つのに困惑しきっているという事であった。
「あららぁ、モテる男はつらいわねぇ。ま、鷹松で何があったにせよ、三人がそれぞれの気持ちに素直になったんやったら良えことやな。 まさしく青春やがな。」
「うさちゃん、なんで! なんちゃええことやないわ!
兄ちゃんは何かふてくされとるしクロ君には話しかけ辛なるし・・あの二人、ホンマええ加減にして欲しわ・・・
とにかくクロ君にはうちのファーストキッスを捧げた責任はとってもらわな!」
佳純の爆弾発言に宇紗美は眼を丸くした。
これは?・・ひょっとするとこれも留意しておかなければならない事柄なのだろうか?
少年の守護及び監視者としては彼の生活を不条理に脅かすものを速やかに排除するように努めなければならない。機関からもそう厳命されている。
未だ思春期に差し掛かったばかりの年齢で彼が既に二つ、いや三つ巴の異性交遊の戦いに巻き込まれているとは気づかなかった。
約2.5倍分の人生を生きて来た自分には浮いた話一つ寄りつかないというのに・・・
ふと玄狼を見ると志津果と腕を組んで郷子に頬を撫でられていた・・・のせいにしては表情が苦悶に歪んでいるように見える?
よく見れば志津果に逆関節を極められ郷子に頬肉を抓りあげられているだけだった。宇紗美は守護者の義務として彼を不条理に脅かすものから救うことにした。
「玄狼君! ちょっとこっちへ来て!」
先生の呼び掛けに少女二人は仕方なさそうに彼を解放した。玄狼はリードを外された犬の如く彼女の立つ窓の下へと走り寄ってきた。
「先生、何ですか?」
玄狼は頬と肘を交互に擦りながら少し息を切らして宇紗美にそう訊いた。
白桃のような頬っぺたが赤く充血し眼にはうっすらと涙がにじんでいる。
彼女はそれを見るとおかしくなってクスクスと笑った。
そしてこう訊いた。
「大丈夫やった?」
彼は憤懣やるかたないと言った表情になると怒ったように言った。
「ハァ、まあ、なんとか大丈夫やけど・・・
先生! あの脳筋暴力女と腹黒冷血女を何とかしてください!
退学は無理でもせめて夏休みまで停学っちゅうんは出来んのですかね?」
「停学?・・・そらちょっと無理やなぁ。あの二人のやっとることがイジメやったら対処するけんど。
『その原因があんたに対する悪意やなしに好意やからなあ・・・』
ああ、大丈夫か言うたんはその事と違て此処んとこ変わったことはないかいう事やがな。 玄狼君だけやなしにお母さんとかも?」
玄狼はきょとんとした眼を彼女に向けると訊き返した。
「へ、母さん? いえ、別に何ちゃないですけど・・・何か?」
「ああそれやったらええんよ。別に大したこっちゃないきん。」
「ハァ・・そうなん?」
佳純が横から手を伸ばして玄狼の頬っぺたの赤くなったところに触れた。彼は一瞬驚いたような表情になったが何も言わなかった。
「クロ君、薬塗ってあげるわ。保健室に行こ。」
「え、イヤ、そんなんせんでええわ、佳純ちゃん。」
「いかんよ、ほっといたら跡が残るかもしれんやん! そのままシミとかになったらどうすん? さ、早よ行こ!」
玄狼は押し切られて渋々、保健室に向うことになった。背の高い佳純に背を押されるようにして歩く後ろ姿は上級生のお姉さんに連れられて行く下級生のように見える。
遠くから郷子と志津果が睨むようにそれを見ていた。
宇紗美は窓の外を見た。先程まで灰色だった空が割れて白い光が差し込み始めていた。じっとりと湿った空気が少し乾いたものに変わったような気がした。
彼女は大きく腕を伸ばすと心の中で叫んだ。
『良し! 今日も平常運転!』
薄い緑色を帯びた夏の匂いがすぐそこまで来ていた。
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