嘘と盗みの断罪
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※ 注意
この作品はフィクションです。実在の人物や地名、団体などとは関係ありません。
ヤスオはたった今、目の前で起きた異常な出来事に呆然として立っていた。といっても何かが見えたわけではない。
ただ、何もないはずの空間に得体の知れぬ大きな生き物同士が烈しく争い合うのをまざまざと肌で感じたのだ。
そこには彼の理解を超えた不可視の何かが紛れもなく存在し跋扈していた。
いつの間にかデジタルカメラを痛いほどに握りしめた手がじっとりとした汗に濡れていた。その冷たい感触が彼を我に返らせた。
気が付けばほっそりとした少年が透き通るような黒い瞳を彼の方に向けていた。その白い綺麗な顔を見た時、ヤスオは何故かゾクリとしたものを感じた。
「お兄さんはどうしてそんなものを持っているの?」
少年の問いかけに彼は答えることが出来なかった。そこに居る少女達のあられもない痴態を写真に撮って口止めに使うためだなどと言える筈もなかった。
だが乾司に殴られて床に倒れていた大柄な少年がヤスオを糾弾するかのように言い放った。
「そいつはそれで志津果や亜香梨の裸の写真を撮ろうとしたんじゃ!
それだけと違うけん! 買い物やゲームのできるええ店がある言うて俺らを騙して此処へ連れ込んだんもそいつともう一人の女じゃきん!」
ヤスオは背筋が凍り付くような恐怖を感じた。中性的な美しさを湛えた少年の顔からゾッとするような強烈な怒気が彼目掛けて放射されていた。
彼は喉の奥でヒィッと叫ぶと背を向けて逃げようとした。しかし数歩走っただけでそこから動けなくなった。
息が出来ないほどの圧倒的な圧力が彼の身体を締め上げていたからだ。それは馬鹿でかい皮製のグローブでギュッと胴体を掴まれたような不気味な感触だった。
動けない状態のヤスオのそばに少年が近づいて来た。そして彼の額に人差し指で触れながら言った。
「ちょっとだけの時間、あんたに天眼通をあげるよ。幽世の世界をゆっくりとご覧あれ。」
途端に極色彩の渦巻きが無数の紫電の煌めきと共に彼の脳裡を駆け巡った。それらが消え去った時、そこには異様な光景が広がっていた。
ヤスオは自分の身体を圧搾するかような猛烈な力の正体を知って絶句した。
巨大な赤黒い手が彼の腰回りを握り込んでいた。それは現在の地球上には存在し得ない生物の量感と質感を持った手だった。
子供の腕ほどの太さを持った指の背には金色の剛毛が渦巻いている。その指の先には園芸用の手持ちのスコップほどもある灰色の尖った爪が生えていた。
彼は目もくらむような恐怖にかられて暴れた。無慈悲な幼児の手に捕まった虫のようにもがいた。しかし彼を捕らえる分厚い肉の檻は小動もしない。
「お兄さん。嘘をついて人を騙した人間は地獄に落ちた後、どうなるか知ってる?
閻魔大王の命令で鬼に舌を抜かれるんだよ。」
少年の言葉が終わらぬうちにヤスオの身体は宙へと持ち上げられた。空中に捧げるように突き出された彼の正面に蒼い大きな手が伸びてきていた。それは彼を捕らえている赤い手に匹敵する大きさと強大さを備えた手だった。
二本の蒼い指が彼の両頬を万力のような力で押さえつけた。顎の骨が砕けるようなその凄まじい圧力に彼は堪らず口を開いた。
こじ開けられたその口の中にもう一方の青い手指が差し込まれるとピンク色に蠢く舌を引きずり出した。
巨大な青黒い二本の指の腹に挟まれて限界近くまで引き延ばされたそれはビクビクと別の生き物のように震えている。
「ヒッ・・アッ・・アヴィィィ・・」
今から自分が何をされるかを感づいたヤスオが恐怖の余りに意味不明の呻き声をもらした。
太い鋼棒のような指が顎を離れて引き出された舌の上に近づく。
蒼い人差し指の鋭く尖った爪の先がその舌の根元近くに無造作にズブリと突き立てられた。
そして薄紙を破るかの如く舌先までズリッと走り抜ける。舌を突き破った巨大な爪先がヤスオの舌を真っ二つに引き裂いた。
「イギィィィィッ! ガヴォッ・・ゴベッ、ゴヴォ・・・」
舌を無残に引き裂かれた激痛に彼はすごい悲鳴を上げた。だがそれは喉に流れ込む大量の血によって直ぐに泡立つ咽び声へと変わる。
玄狼はやや青褪めた表情でその様子を見ていた。本当に舌を抜き取ったら人は死んでしまうと聞いたことがあった。
だから舌を割くだけにしておけば死ぬことはないだろうと思った。
一部にはスプリットタンと呼ばれるそれを愛好するマニアックな人達も存在するらしい。自分の舌を外科手術によって蛇のような二股に分かれたそれにわざわざ変えるのだという。
” 蛇悪暴威主 ” などという刺繍文字を入れたジャージを纏った奴らには相応しい罰だと思った。
だが実際にそれを目にしたら気分が悪くなった。
泡立つ血涎に首から下を塗れさせながらヤスオはコンクリートの床をのたうち回っていた。自分が式神に命じて行わせた無慈悲で残酷な仕置きであった。
賢太の言葉を聞いた時は志津果や亜香梨を傷つけられた怒りで我を忘れていた。しかし今は後味の悪い後悔だけが残っていた。
感情に任せて他を傷つけることを躊躇しない幼児じみた残虐性が残っているぐらいには彼もまだ子供であったのだろう。
玄狼はまず賢太と団児の手首を縛った縄を解いた。次に亜香梨を吊るした鎖を緩め縄を解いた。
そして亜香梨に頼んで志津果の衣服を元通りに直して貰った後で彼女の鎖を緩めて床に座らせた。
彼女の手首の縄を解いた瞬間、志津果がギュッと彼の身体にしがみついた。
「ヒィグッ・・ヒィッ・・・ウッ、グゥ、アグゥゥゥゥーーーー」
彼女はしばらくの間、玄狼の肩に顎を乗せて声を噛み殺して泣き続けた。玄狼は戸惑った表情で彼女の為すがままに任せるより他なかった。
マンドアの吹き飛んだ穴の向こうに覗いていた漆黒の闇が元の薄闇に戻っていた。
玄狼はトンボカミが消滅した後すぐに空間座標に干渉していた念能を解除していた。
今、空間はそれ自身の持つ復元作用によって元の状態に戻ったようだった。
薄闇の向こうから二つの影が入って来た。一つは郷子でもう一つはキョーコだった。千切れ飛んだマンドアの穴跡から漏れる投光器の黄色い光に気が付いて入って来たらしかった。
その両人ともが工作棟の中の状況を見て固まったように動かなくなった。
キョーコが見ているのは蛇悪暴威主の面々の姿だった。征道は床に横たわったまま死んだようにピクリとも動かない。他の四人は血に塗れてのたうちながら呻き声をあげていた。
彼女の瞳に激しい脅えの色が浮かんだ。彼らの受けた仕置きの凄まじさを想像しただけで立っていられないほどに足が慄えた。
そしてその恐ろしい仕置きを次に受けるのが誰であるのかを考えると恐怖で息が出来なくなった。
丁度その時、ゴボゴボと泡立つ悍ましい呼吸音を立てて上を向いたヤスオとキョーコの目が合った。彼は助けを求めるかのように彼女に向かって血塗れの手を伸ばした。
ヤスオの口の中に溢れるどす黒い血の海の中に再生途中の巨大なプラナリアの如きものが蠢いていた。それが二つに裂けたピンク色の舌であることに気付いたキョーコは小さくヒィッと叫んで後ずさった。
一方、郷子が見ているのは互いに寄り添う玄狼と志津果の姿だった。
あの男勝りの志津果が眼を潤ませ玄狼に抱き着いて泣いていた。玄狼は戸惑った様子だったがやがておずおずと両手を彼女の背中に回すと子供をあやすようにその背中を優しく叩いた。
同程度の身長を持った二人が正面から抱き合えば当然顔の位置も近くなる。
頬と頬が触れ合わんばかりに近づいた状態で少年と少女は自分達だけの空間に浸り込んでいるように見えた。
隣で亜香梨がポォーッとした顔でうっとりとそれを眺めている。
郷子は冷たい能面のような表情で彼らに近づくと密着する二人の間に自分の身体をグィッと割り込ませた。いつもの優雅な身のこなしを何処かに忘れて来たかのような力任せの動きだった。
志津果の身体から伝わる柔らかな感触と仄かな温みに軽い夢心地の状態だった玄狼は突然、自分を押しのけて立ち塞がった黒く高い影に驚いた。
慌てて見上げるとそこには彼の顔を冷たく見下ろす郷子の黒い巴旦杏のような眼があった。
「みんなに ” 和魂の気入れ ” をする必要があるわ。玄狼さんは門城君と古志野君を看て頂戴。私は亜香梨さんと志津果さんを看るから。」
郷子は何処か事務的な口調でそう言うと志津果の肩を抱いて連れ添いながら亜香梨のそばへと向かった。玄狼も言われた通り男子二人のところへと足を運んだ。
” 和魂の気入れ ” とは巫無神流神道に伝わる念による治癒を施す技である。
それは気と呼ばれるエネルギー波を緻密な波動に整えて送り込むことで細胞の治癒力を賦活化させ傷付いた細胞を修復し痛みを和らげるものだ。
これと対を為す物に ” 荒魂の気打ち ” と呼ばれる打撃術がある。
玄狼は手早く賢太と団児の顔と腹に和魂の気入れを施した。
「おお、こら凄いが! 体が熱うなって痛みが消えていっきょるがい。」
「ほんまや! 体がごっつ楽になったど。」
まるで老人会で湯治の旅に来たような科白を小学生二人が吐きながら喜んでいる。
女子の方も和魂の気入れによる治癒が終わったらしい。
亜香梨が少し元気になったように見える。志津果も顔の腫れが幾分引いたようだ。
超精霊合金鋼製の指輪によって強化された郷子の気入れは短時間でも相当な治癒力を発揮できるらしい。
だが志津果は顔面に受けた暴行による脳震盪と精神的ショックが大きかったためかどことなく虚ろな表情だった。
巻き上げられた財布はトシキとカズマサがまとめてボスである征道に渡していたことが亜香梨の話でわかった。郷子は倒れたままの征道に近づくとそのポケットをゴソゴソと捜した。財布は四つとも回収された。
後はどうするべきか?
通常であれば高田先生に話をして警察へ連絡してもらうのが最も良い方法だろう。
だが自業自得とは言え不良少年達の怪我は半端なものではない。生涯を通じて日常生活に支障が残る可能性が高い怪我ばかりだ。
もし警察が介入してくればこの事件は恐ろしく厄介ものとなるに違いない。
念能を使用した傷害事件。それ自体は過去に例がないわけではない。
精霊鉱を使って発現させた熱や電気で人に危害を加えた罪で有罪になった例は実際にいくつか存在する。
だがそれらはどれも精霊鉱を組み込んだ器具を使った物理的な傷害行為を伴ったものであった。
勿論、物理的暴力を伴わなくとも傷害罪は成立する。精神的ストレスを与えたことによる生理機能傷害がそれである。
ただ玄狼の場合、物理的な暴力を振るったのは不良達で彼は殴られただけだ。精神的ストレスも与えてなどいない。ましてや式神を使役した傷害行為を立件することなど不可能である。
更に被害者、加害者ともにまだ少年であることから玄狼が罪に問われることはまずあり得ない。
しかしそうなればマスコミや世論による格好の話題となって玄狼達はおそらく普通の生活には戻れなくなるだろう。
尤もまだ小学生でしかない玄狼にそんな状況を理解できるはずもない。彼の頭の中に浮かんだのは ”全てをうっちゃって逃げる” という単純明快な答えであった。
ならば誰かに見つかる前に一刻も早くこの場を立ち去らなくてはならない。
玄狼が後ろを振り返るとキョーコがビクッとその身を強張らせた。
『忘れとった! このお姉さんをどうしたらええんや?』
彼は、逡巡した。
眉間にしわを寄せてキョーコの顔を睨みながらあれやこれやと思案した。
だが玄狼がその答えを思いつく前に彼女は彼に駆け寄ると縋り付いて懇願した。
「お願い・・お願いやきん、許して! 私何でもするきん。
あんたの言う事を何でも聞くきん・・・お願い、あ、あんな酷いことせんとって!
う、私、あんたの女になるけん、ほ、ほら 私の身体、好きにしてええよ!」
震える声でそう言いながらキョーコは玄狼の手を掴むと自分の乳房に押し付けた。赤いタンクトップの下でぷっくりと盛り上がったそれが玄狼の手の下でグニュッと押しつぶされる。
「「「・・・!!・・・」」」
初めて味わうゴム毬のような弾力性と艶めかしい感触に彼は頭の中が真っ白になった。どう対応していいのかわからず硬直してしまった。
キョーコは益々、積極的に彼の手をぐりぐりと揺するように動かして自分の胸に押し付けた。
その状態に終止符を打ったのは志津果の猛烈な体当たりと郷子の強力な顔面クローだった。
志津果の肩と肘による押打を喰らって倒れかけた彼の顔面を郷子の指がガシッと掴んでグイッと引き起こす。
天国と地獄を同時体験したショックでふらつく玄狼の肘を志津果がギュッと抱え込んで支えた。
「さあ、玄狼、早よ先生のとこ行かな。(行かなくちゃ。)」
ほぼ強引に玄狼と腕を組んだ志津果が恥ずかしそうに囁いてふらつく彼を引き摺るように壊れたシャッターに向かって歩き出した。
唖然としてそれを見送るキョーコに郷子がそっと近づいて言った。
「山から下りて食べ物を食い荒らす熊を捕まえたらどうするか知ってる?
唐辛子スプレーを眼に噴いてお仕置きするのよ。もう二度と人里に近づかないように学習させるためにね。
お姉さんも他人の物を盗っちゃ駄目よ。たとえそれが物じゃなくて男の子でもね。忘れないようにお仕置きしといてあげる!」
郷子の手に握られた小さなスプレー缶から一筋の液体がキョーコの眼にビュッと噴出された。彼女は魂消るような苦痛の悲鳴を上げて顔を掻き毟りながら床に転がった。
「さっき盗られた財布を回収した時に見つけたの。お姉さん達の頭に返しておいてね。
さてと・・あの娘から玄狼さんを取り戻さなくちゃ。」
そう言い残すと缶スプレーを床に放り投げて彼女は仲間の後を追った。
取り敢えず玄狼達の危機は去った。無法な悪童連中に奪われた財布と仲間達の身柄もどうにか取り戻せた。
だが・・・一つだけ回収し忘れたものがあった。
そしてそれがしばらく後に物騒な事態を引き起こすことになるのを誰も知らなかった。
作品を読んで頂きまして誠に有難う御座います。
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