トンビ少女と油げ狼
二話目です。結局長くなっってしまった。三つに分けるべきだった。
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※ 注意
この作品はフィクションです。実在の人物や地名、団体などとは関係ありません。
『人のいないの教室ってどうしてこんなに寂しいんだろう?』
玄狼はふとそう思った。
窓に掛かった分厚い遮光カーテンの隙間から射し込む傾きかけた陽光が薄ぼんやりと理科教室の中を照らし出している。
ひんやりとした空気とそこはかとなく漂う薬品の匂い。壁面の戸棚を埋め尽くすガラス器具の数々。時が止まってしまったかのような静けさと鄙びた倦怠感。
それらが一体となって教室の中に独特の雰囲気を造り上げていた。
彼は理科教室のこの雰囲気が好きだった。
小難しい勉強や面倒臭い掃除や退屈な訓話などの一切が遮断された、ただそこに自分と言う存在が在るだけの空間。穏やかな解放感と透明な寂しさが同居した世界。
もしこの様な状況でなければここで暫しの微睡みを堪能していたかも知れなかった。
そう、この様な状況でなければ・・・・
今、玄狼は理科教室の中に置かれた六人掛けの実験用長机の中ほどの位置に座っている。そして机の天板を挟んだ反対側には志津果と郷子が少し間を空けて並んで座っていた。
机の表面は暗い苔色の耐熱性樹脂シートで覆われている。冷たい無機質な光沢をもった表面だった。
その上に両肘を乗せて頬杖を突いた志津果がぼつりと言った。
「ほんで、あんたどっちにすんな? 私それとも浦島さん?」
「いや、どっちや言われても・・・俺、どっちが悪てどっちが合うとるなんてわからんわ。
そんなん俺が決めれる事なん? 違うんでないん?
志津果と浦島さんの二人で話して決めたらええやん。何で俺に訊くんかの?」
「あんたがうちらが揉めた直接の原因やからや。
もし私が正しかったら私はこれからも自分の思うた通りに玄狼に接する。
要するに今まで通りいうこっちゃ。誰にも遠慮せーへんいうこっちゃわな。
もしこの子が正しかったら今後は何をするにも私はこの子に相談してからあんたに接する。そういう事になったんよ。
ほんでもどっちが正しいかなんてわからへんやん。そこで当事者本人であるあんたに決めて貰お、という事になったんやがな。」
当事者本人と言われても実際の所、玄狼の全く預かり知らぬ話だ。正直な感想を言わせて貰えばこれからは最低限、彼自身には遠慮して欲しいし二人で相談する前に彼自身に相談して欲しいところである。
まぁ、どうせそんな感想は彼女達の片方の耳から入って脳の中のシュレッダーでズタズタに細かく切り刻まれてもう片方の耳から排出される、それだけの事だろう。
これって要するにどっちが正しいかって言うより俺自身からのお墨付きをもらって相手に対してマウントを取りたいってだけじゃないの? と玄狼は思った。
そんな彼の考えに気付いたかのように郷子が口を開いた。
「ま、ぶっちゃけて言えばどっちのお供になるかって話かな?
付き合いは長いけど乱暴で自分勝手な桃太郎か、まだ出会って日は浅いけど優しくて誠実な温羅か、どっちを主人として選べばいいのかって事だよ、多分。」
「何が多分な! そなん言い方したら私が悪者になるん決まっとるやない!
あんたがやってくる前までそれで問題なく動いとったんやきん、余計な口ださんとってよ。」
「あら、だからこそそこを玄狼さん自身に決めて貰おうって話だったでしょ?」
そして二人はグッと玄狼を睨むように見ると揃って声を上げた。
「「さあ、どっちが正しい!?」」
彼は理科教室の天井を見ながらその女の子のような整った顔をしかめて大きく溜息をついた。
『あほらし・・・どっちを選んだ所で俺は家来やんか!?
ほんでもこら不味いことになったぞ。どっちを選んでも針の筵みたいな日常しか思い浮かばんしな。
逃げた所で無動領域かけられたら捕まるし、俺が無動領域かけたところで三竦みになるだけじゃ・・・ヤバい! どよんしょうか?(どうしようか?)
誰か、助けてくれぇ!』
その時、彼の心の叫びに呼応するかのように教室の扉がガラッと開いて一人の少女がスタスタと入って来た。すらりと高く伸びた細身の身体がクールな印象を与える少女だった。
彼女はそこに座る玄狼を見つけるとその切れ長のちょっと鋭い眼を輝かせた。可憐な顔一杯に幼気な微笑みを浮かべて彼目掛けて駆け寄る。
「クロ君、此処におったん! さっきから探しよったんよ。
教室にランドセル忘せとったやろ?(忘れていたでしょ?)
私持って来て上げたきん。ほら、もう暗なって来よるよ。
早よ一緒に帰ろ。」
「お、おお、そやな・・・そうしょうか。」
「なあ、クロ君。私さっきな、教室が青かったように見えたんやけどなんでやろな? ここもなんかちょっと青いような気がするけんど・・・
誰かがヤバい薬かなんかを撒いたんやろか? そやったら怖いで。
私、明日、うさちゃんセンセに言うてみろかな?
ま、とにかく早よ帰ろ、クロ君。」
そう言って玄狼の手を引っ張って立たせるとそのまま廊下へと連れ出してしまった。まるでつむじ風のような少女だった。
そこに座る上級生二人には眼もくれず玄狼だけをあっというまに連れ去ったのである。玄狼は天の助けとばかりに自分より背の高い少女に抱きかかえられるようにして逃げ去った。
理科実験教室に残された志津果と郷子の二人は意表を突いた突然さと手早さに呆然として為す術がなかった。暫くして郷子が訊ねた。
「誰なの? あの娘。」
その問い掛けにに志津果が応えた。
「門城 佳純。賢太の一つ下の妹よ。」
それを聞いた郷子がちょっと驚いた様に呟いた。
「ヘェ-・・・お猿の妹はトンビだったという訳か。意外な伏兵がいたんだぁ。
油げ持って行かれちゃった!」
「今度は、無動領域とか言うん使わなんだんやな?」
「あの娘、どうもそれが視えているっぽい気がするの。こっちがあまりそれを公にしたくないって事も薄々、勘付いているんじゃないかな?
高田先生云々は間違いなく私達を押さえ込むための牽制よね。どうやらお兄さんよりもちょっとばかしお利口さんなのかもしれないわ。」
「まぁ、どっちにしても肝心の玄狼が居らんようになってしもたんではしゃあないわ。勝負はお預けっちゅうことにしょうか。」
「そうね、仕方ないわ。 ・・・・で、どうするの? 私と一緒に帰る?
呉越同舟ってことで・・・」
「はっ、ホッコ気な事(馬鹿気た事)言わんといて! 少し時間置いてから一人で帰るわ!
何やのん、そのゴエツなんたらて?」
「呉と越というのは昔、中国にあった国の名前よ。その二つの国はずっと戦争ばかりしていたんだって。
ところが或る時、その二つの国の民が運悪く同じ渡し船に乗り合わせてしまったの。
つまり呉越同舟っていうのは仲の悪い者同士が一緒になってしまった状況の事。でも本来は苦境を乗り越える為に敵同士が協力し合う事らしいわ。」
「フーン、ま、確かに私とあんたは敵同士やからそのゴエツなんたらには違いないな。ほんでも協力し合う事やは(事なんかは)あり得んわ。」
「あら、そうかしら?
ま、それじゃ取り敢えず貴女が呉で私が越という事かな?」
「ああ、何でもかまんきん。(かまわないわ。) ほんなら私はもう行くけんな。」
志津果はそう言うと立ち上がって理科教室を出ていった。一人残された郷子は薄い笑みを浮かべて独り言のように呟いた。
「でもね、互いに勝ったり負けたりしながら最後に残ったのは越だったんだけどね・・・ウフフッ」
― ― ― ― ― ― ― ― ―
玄狼と佳純はいつもの通学路である農道を並んで歩いていた。この時期の男女には珍しくない事だが佳純は一学年上である玄狼よりも背が高い。恐らく七センチほどは高いだろう。
外見も未だあどけなさの残る彼に比べて大人びた雰囲気がある。だからチョット見には姉と弟が並んで帰宅している様な雰囲気があった。
実際は、何やかやと話しかける佳純に対して玄狼が適当に相槌を打っているだけなのだが傍目には姉が弟に何かを言い聞かせている様に見えるかもしれない。
玄狼は佳純の話を聞きながらも頭の中を別の事で悩ませていた。
『あーぁ、明日からどよんしょうか?(どうしようか?)
あの脳筋暴力女と不可解腹黒女が絡んで来たらじょんならんぞ。(手に負えんぞ。)
まぁ取り敢えずは我関せずで無視するしかないか。
よっしゃっ、それで行こ!
ほんでヤバいな思たらとっとと逃げる。これを続けとったらその内、二人共忘れるか、興味を無くすかするやろ。
夏休み前には ”念力統一測定” があるし多分、皆そっちの方に夢中になってしまうやろしな。』
”念力統一測定” とは正式には ”全国児童念能力統一測定” と呼ばれる物で小学六年生と中学三年生において受ける事を義務付けられている検査である。
検査は念能を強度、精度、質、量、希少さ等のいくつかの項目に分けてそれぞれのレベルを数値化するものだ。
これは女子にとっては人生の将来に相当な影響を与える重大な検査であった。男子は元々念能そのものが微弱である為、検査に対して然程関心を示さない者が多い。
只、男子にも稀に強力な念能力を持つ者がこの検査によって発見される事がある。
その場合、その男子は法制度的にも社会観念的にも特別な状況に置かれる可能性が高い。そうした面を考慮すれば男女ともに重要な意味を持った検査だと言えた。
『それとさっき逃げてしもたきん聞けんかったけんど志津果があの時、無患子の木陰に隠れとった理由ちゅうのは何やったんやろな?
まぁ、告るちゅうのはあり得んとしてもなんぞ俺に言いたい事があったんは間違いなかろな。 一体何じゃろか?・・・・・・』
「・・・・・・という事なん。クロ君、それでも構ん?」
突然、耳元で囁かれて玄狼は我に返った。慌てて隣を見るとそこには不安そうな色を目に浮かべた佳純の顔があった。
野性味を帯びた精悍そうな切れ長の眼が今は少女らしい頼りなげな雰囲気を漂わせて彼をじっと見つめていた。
思わず護ってやりたくなる様なその可憐な表情にドキッとした玄狼は反射的に声を出した。
「ヘッ あ、・・・ああ、か、構んよ、なんちゃ。」
何の事やら分からぬままに盲判を押す様な相槌を打つ。途端に佳純の顔に喜色が湧きあがった。
「ほんま! 嬉しい! ありがと、クロ君!」
彼女は弾んだ声で重ねるように言った。
「クロ君が一緒に帰ってくれるんやったら安心やわ! 私明夫兄ちゃんは苦手なんよ。」
「明夫兄ちゃん?」
「うん、一昨年まで一緒に通学しとったからクロ君も覚えとるやろ。
二つ上の倉本明夫。」
「倉本・・・明夫? 」
玄狼はその名前に聞き覚えがあった。確か二学年上のずんぐりした色の黒い男子がそんな名前であったように思う。
彼の二学年上は男子四人に女子三人と言う珍しく男子の多い学年だった。
おまけに学年が二つも違うと一緒に遊ぶ機会も殆どなかった。だから名前も顔もうろ覚えでしかない。
そう言えば賢太が時々、その上級生の事を明夫兄ちゃんとか呼んでいた記憶がある。どちらかと言えば無口な少年で彼はあまり口を利いたことがなかった。
「あれ、私の母さんの姉さんの息子なん。私は昔からあんまり好っきゃ無いんよ。しつこいし強引やから・・・
従兄やから仕方ないきんど通学路が一緒で困っとったん。
それがどしてか知らんけんど一昨年あたりから私に構てくるようになってなぁ。時々、手握ったり、胸触ったり、スカート捲ろうとしたりするようになって。
卒業して中学行って会わんようになったからホッとしとったのにまた、寄ってきて・・・」
「それやったら賢太に言えばええんとちゃうん? 彼奴やったら佳純ちゃんをいじめる奴はぶっ飛ばすんでない?」
「それがそうでもないんよ。小さい頃から上下関係言うんを擦り込まれとるし。
それに仮にも親戚やし兄ちゃんその辺こだわる性格やし・・・」
適当に聞き流している間に何だか少しきな臭い話になってしまっていたようだ。佳純の話振りからするとどうやらその倉本明夫が現れたら玄狼に護って欲しいという話だったのだろう。
『護る言うてもなぁ・・・むこは(向うは)中学の二年生やし身体も結構大っきょいやろしまともにやりおうたら俺が一方的にボコボコにされておしまいやが。
うーん、ほんでも友達の妹やし何よりさっきは助けてもろたし逃げるわけにもいかんやろな。』
亜香梨達とのいつもの合流場所がもう直ぐという処まで来たその時、佳純が玄狼にピタッと身体を寄せて彼の腕をギュッと掴んで来た。
何処から現れたのか彼らの行く手に黒い影が立っていた。
黒いジャージの上下を着たその影は半身を赤い西日に染めながらそこに立っている。
身長は百六十センチ半ばと言ったところだろうか。ずんぐりとした体つきと少し縮れたような癖のある髪に見覚えがあった。
影は倉本明夫だった。彼は捲り上げたジャージの両袖から覗くゴツンとした太い腕をポケットに突っ込んだままのっそりとこちらに向かって歩いてきた。
日に焼けた四角い黒い顔を白い膿を持った紅いニキビがぽつぽつと覆っている。彼は険のある眼で玄狼を見ると硬い声で喋った。
「おい、佳純。そのおなご染みた餓鬼はどこの誰や?」
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