勇者と魔王と咬ませ犬
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※ 注意
この作品はフィクションです。実在の人物や地名、団体などとは関係ありません。
志津果がドンッと床を蹴った。小麦色の弾丸が郷子目掛けて一直線に突っ込んでいく。目にも止まらぬ速さで上段順突き、中段逆突き、下段逆蹴りが繰り出される。
鐘林寺拳法の三連攻と呼ばれる連続攻撃だ。三連とは言え実際にはその全てが決定打を狙ったものでは無い。
最初の順突きは陽動であり当たらなくても良い、と言うか先ず当たらない。本命はその次の中段逆突きである。そして僅かに遅れて最後に繰り出される逆蹴りは止めだった。
女子小学生とはいえ志津果が本気になれば標準的な中学生の男子なぞは容易に叩きのめす事が可能だ。県下でもトップレベルの身体能力と幼い頃から父に科せられた裏天部の修練が彼女の素手の戦闘力を稀有な状態にまで高め上げていた。
その自分が同じ女子小学生の下腹部をまともに蹴ればどうなるか? 学校の保健室で休んだぐらいでは済まないだろう。下手をすれば病院行きだ。
しかしカッとなった彼女は自分を制御する事が難しくなる。自分でもそれが不味いことであるのは分っている。
分かっていながら止める事が出来ない。
最初の上段突きを放った瞬間、志津果は次の中段突きが郷子の腹にめり込む感覚を予想してゾクッとなった。
固く握りしめた右拳を躊躇わずに思いっ切り斜め上に突き込む。
快感とも苦痛ともつかぬ熱い何かが破壊衝動と一緒になって己の背骨を駆け上ってくる。そのままがら空きになった筈の相手の下腹部を容赦なく蹴り込んだ。
ところが彼女を待っていたのは全ての攻撃が空を切る空虚な感覚だった。勢いのついたままの蹴り足の足底が教室の壁に激突する。その衝撃の反作用で志津果は後ろに踏鞴を踏んだ。
トッ、トッ、トンと片足で退きながら崩したバランスを取り戻そうとする彼女の視界の片隅にスゥーと近づいてくる白い物が映った。それを見た時、志津果は胃の中に冷たい氷の塊りが生じた様な気がした。
彼女は必死に体を捻ってその白い物を避けようとした。それは郷子の掌底だった。
細く白い五本の指の先が揃って曲げられた彼女の掌が志津果の肩をコンッと掠めながら目の前をシュッと通り抜けていく。
次の瞬間、志津果は掌底を喰らった己の肩から先が痺れて動かなくなっているのを知った。もしまともに喰らっていれば全身が痺れていたのかも知れなかった。
郷子が放った掌底が物理的衝撃以外の何かを含んだ物であったことに気付いた彼女はすぐさま大きく退くと三メートルほどの距離を取って郷子を見た。
彼女は志津果が飛び掛かる前の、腕を組んで両の足を揃えたあの姿勢のままでそこに立っていた。まるで先程の攻防など無かったかの様に・・・・
「ふーん・・・成程」
志津果が何かに気付いたかのように呟く。
突如、彼女は郷子に向かって小走りに駆けだすとそれを助走にして大きく高く宙を飛んだ。五指をビシッと張った右腕を頭を覆うように翳す。ただ痺れた左手はだらんと垂らされたままだった。
「哈阿っ!」
鋭い気合と共に短く折り畳んだ右足の足刀がジャックナイフの刃が開くかの如く真直ぐに伸びて郷子に襲い掛かった。
今度も結果は同じだった。志津果の蹴り足は何もない空間を薙ぎ払っただけであった。彼女は着地点から素早く飛び離れると郷子の姿を眼で追った。
彼女はやはりあの姿のままでそこに立っていた。
「やっぱりそう言う事やったんか。」
志津果が郷子を睨みながらぼそりと言った。何故かその口元には太々しい笑みのようなものが浮かんでいる。
「テヘッ! 気付かれちゃった?」
郷子はペロッと舌を出すとニマッとした冷たい笑いを浮かべながらそう答えた。
彼女がやったのは身体の前に念を実体化してガラス板のように光を屈折させる事で自分の位置をずらして見せることだった。
正面からの攻撃では気付かれなかったが志津果が宙高く飛んだことで自身の実際の位置を晒す事になった。彼女は中空への光の反射までは手を加えていなかったためだ。
「まさか念を使とるとは思わんかったわ。ほれなら私も・・・」
志津果は独り言のようにそう呟くと静かに目を閉じた。そのまま額の真中に念を集中させる。
仏教における仏陀の白毫、ヒンドゥー教の神、シヴァの第三の眼に相当する念の眼がそこにカッと開眼する。
だが肉眼では見えないそれに他の生徒達は気付かない。念視能を持つ郷子だけがその形良い眉根に微かに皺を寄せた。
映像の媒体である光を絶たれて真っ暗な闇となった視界が徐々に念を媒体とする視界に置き換わっていく。
やがて志津果の頭の中に白黒の色相のみで構成された単色の世界が浮かび上がって来た。
郷子は志津果が今まで肉眼で認識していた位置から約五十センチ近く左にずれた位置に立っていた。彼女の前面を薄い灰色の板のような何かが覆っている。
それが郷子が造り出した半物質の壁である事に志津果は気付いた。
その壁こそがレンズの様に光を屈折させて彼女の攻撃を無力化した元凶だったのだ。
そして自分の左腕を今も麻痺させているあの得体の知れぬ掌底突き。
だけど・・・
今度はこっちの番やわ!
と志津果は思った。
自分は念能については然程、優れているわけではない。平均的なレベルからは数等上ではあるだろうがそれだけであった。
念視能においても白黒の映像ならどうにか認識できるといったところである。しかし優れた術者ならば色のみならず触感まで知覚できるらしい。
だがそんなものは必要ない。大まかな位置さえ分かれば充分だ。最後にものを言うのは肉体そのものが持つ力なのだから。
念能など相当量の念能力とその発現媒体である精霊鉱を持たなければ実戦において実用的ではない。
精々が目くらまし程度だ。尤もあの掌底突きには充分気を付けなければいけなくはあるが・・・
見れば郷子は両腕を組んで足を揃えて立つ例のあのポーズを止めていた。
何時の間にか両手を拳の形にして太腿の付け根辺りの高さに置き、両足を揃えて立っている。
膝を微かに曲げて緩やかな前傾姿勢で立つその姿は能の"構え"と呼ばれる基本姿勢を彷彿とさせる姿だった。
些かの気負いも緊張も感じさせずただぽつねんと立つその姿は逆に隙というものが無かった。
来るなれば来れば良し、来なければそれも良しと言った風情のその立ち姿に志津果は引き込まれる様な衝動を覚えた。
「行くで!」
気合のような言葉を発して彼女は郷子目指して床を蹴った。
まさに静と動の両極が触れ合わんとしたその瞬間、志津果の寂漠としたモノクロームの視界に濃密な深青色の帳が舞い降りた。
あり得ない筈の色だった。
― ― ― ― ― ― ― ― ―
志津果が郷子目掛けて突進していくのを見た玄狼はしまったと思った。二人の感情的な諍いが昂じて喧嘩になる前に割って入ろうと足を踏み出した瞬間の事だった。
志津果の直情径行振りは充分過ぎる程、知っていたがまさかいきなり飛び掛かるとは思っていなかった。
郷子の挑発的な言葉にも疑問は残る。まるで志津果の怒りをわざと煽った様ようにも感じられる言い方だった。
どちらにしても女の子二人が組んず解れつの取っ組み合いになるのはあまりいただけない。彼は二人を止める為に慌てて歩み寄った。
ところが志津果の飛び掛かった場所は教室の後ろの何もない壁の前だった。素早く繰り出されたパンチやキックの連続コンボが無意味に空を切った。
最後にゴンッと言う鈍い音がして彼女の身体がよろめいた。壁にぶち当たった蹴り足の反作用で跳ね飛ばされかけたらしかった。
その時、体一つ分ほど離れた位置にいた郷子が滑る様な歩法で志津果に近づいた。指先を軽く曲げた彼女の白い掌がスゥーと流れるように志津果に向かって伸びる。
それは打つと言うより当てると言った感じの掌底打だった。
その掌底は志津果の左肩を軽く弾いただけで後ろへと流れた。まともに喰らわずに済んだのは彼女の並外れた反射神経が為せる技であったろう。
しかし一見緩やかに見えるその掌底打が持つ威力の恐ろしさを玄狼は知っていた。
「荒魂の気を乗せて打ったんか・・・またいかさま(また随分)エグイ技を・・・・」
志津果が跳ぶ様にして後ろへと逃げたのが見えた。強張った顔で郷子の顔を睨んでいる。右手で押さえた左肩から下は意志を失ったかのようにだらりとぶら下がったままだ。恐らく数分間は麻痺したまま動かせないだろう。
流石のわがまま姫も少しは懲りたかもしれない。少なくともまた直ぐに突っ込む事はしない筈だ。この後、郷子がどう動くか分からないが様子をみて止めに入ろう、と玄狼が考えたその時だった。
予想を大きく裏切り、志津果が再び猛然と床を蹴って出た。おまけに今度は宙高く跳び上がって飛び蹴りを仕掛けるというパワーアップ付きで。
制服のスカートをはいたままの大胆なアクションに一瞬玄狼は目を奪われた。しかし彼女の翻ったスカートの中に見えたのは太腿の半ばまでを覆う黒いショートレギンスだった。
レッドゾーン近くにまで一気に吹き上がった彼の期待感は夏の打ち上げ花火の残り火の如く心の夜空に消えていった。
そしてまたも攻撃は不発に終わった。志津果の足刀が貫いた空間には郷子は居なかった。にもかかわらず彼女はその口元に獰猛な笑みを佩きながら言った。
「やっぱりそう言う事やったんか。」
「テヘッ! 気付かれちゃった?」
郷子もペロッと舌を出して応じた。
二人の美少女が互いに微笑み合う様は傍目には可愛らしく見えたかもしれないが事実は決してそのようなものではなかった。
ギィンッと硬く冷たいものが二人の間に張り詰めるのを玄狼は感じ取った。
今迄の二人のやり合いは牽制、若しくは小手調べに過ぎない。だが互いの手の内が分り合った今、次のぶつかり合いは全力を掛けた真剣な物になる。その証拠に郷子が今までの姿勢を解いて構えを取っていた。
あれは巫無神流神道の舞の型 " 朧月 " の基本立ちだ。巫無神流において顕教部の舞は密教部では武となりその運用が変わる。
その文字の違いが示す通り、舞の型の動きはそのまま武の型の動きとなるのである。
対する志津果は真言宗禅通寺派の裏天部、独鈷衆の体術を使う気満々なのが見て取れる。たかが小学生同士、それも女の子の喧嘩に何をそれ程、気遣う必要があるのかと言えばその通りだが実はその通りではない。
何故なら二人の備える念力、体力及びそれらを活用する念術、体術が平均的な小学生のそれとは比較にならない程、高レベルだからだ。
下手をすれば二人の内のどちらか、あるいは双方が大怪我をする可能性がある。
だから俺がこの喧嘩を止めなければならない。
そこまで考えて玄狼は はて? と考え込んだ。
『いや、まてや? そなん事をして俺は大丈夫なんか? ちっさい頃から母さんに教え込まれた巫無神流神道の数々の技は確かに役には立っとる。
自分の念能の量や質が一般人の平均を遥かに上回っとるらしいことは前にも何度か聞かされた。
ほんだけどこいつらときたらそなんもんちゃうぞ!
浦島さんについては良う知らんけどあの全身から駄々洩れしとる念光の輝きを見たらごっつい念能力を持っとるんが丸わかりじゃ。
ほんで志津果は志津果であの手負いの熊みたいな凶暴さと圧倒的な体力を併せ持った脳筋女じゃ。
こいつらの本気の喧嘩を俺が止めるちゅうんはひょっとして魔王と勇者の最終決戦を咬ませ犬キャラの騎士隊長あたりが仲裁に入る様な物と違うんか?
ほら、瞬殺パターンやろがい?!
いや、こら、やばいが。一体、どよんしたらええんかいの?』
玄狼が頭を抱えたその時、志津果の
「行くで!」
という短い掛け声が聞こえた。
顔を上げた彼の眼に郷子目掛けてロケットの如く飛び出していく彼女の背中が見えた。慌てた玄狼は反射的にその背中に向けてある念能を発現させてしまった。
それはその特殊性から彼がずっと禁忌としてきた念能だった。
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