11:40-12:10 怪獣
「何っスかあのバケモノ。……あんなの、完全に大怪獣じゃないっスか」
悠馬の目の前に広がる『田んぼ』には無数のオーク達が沈んでいる。そのオーク達の怨念とも取れる巨大な姿が、対岸の後方に現れたのである。
今は悠馬達から距離があるため、その正確なサイズを測ることは難しい。それでも優に二十メートルを超えんとする威容である。
そんな怪物の存在に気づいた人々は、まさに茫然自失といった様子で立ち竦んでしまっている。
「───ジェームズ。指示を」
いち早く立ち直ったアネリアが、ジェームズに声をかけた。
「う、うむ!」
これを受けてジェームズも正気に戻る。彼は直ちに騎士達を除く非戦闘員の退避を命じた。
人々が慌ただしく走り回る中、当の怪物はこちらへ向けてゆっくりと歩き出す。巨大であるが故に歩幅も大きく、『田んぼ』との距離を瞬く間に詰めていく。
「彼奴は、恐らく『オークキング』でしょう。実際にこの目で見るのは私も初めてです」
《ほう、王ときたか。確かにバカでかいのう!》
震える声で語られる説明に、自転車が興奮気味に応える。
「曰く、動く災厄。見ての通りの巨体であり魔法の耐性まで備えているとか。
かつての事件では目についたものを根こそぎ喰らい尽くし、いくつもの村や町を壊滅させたと聞きます。その当時は腹を満たして寝ている所を何とか仕留めたらしいのですが、被害は甚大であったと……」
《なるほど、寝首を掻いたわけじゃな。じゃが今は全く眠そうでないのう。どうしたもんかのう?》
そんなやりとりの最中、オークキングの進行方向とは逆方向に進む影があった。命からがら『田んぼ』から逃げ延びた、少数のオーク達である。
「……ブモ」
オークキングが声を発した瞬間、オーク達は足を止める。オークキングは一体のオークに顔を近づけて再度声を発した。
「ブモ」
「ブ……ブヒ! ブヒブヒ、ブヒ……」
「……ブモ」
「まさか、会話をしてるのか!?」
ジェームズが驚くように、オークとオークキングはコミュニケーションを取っているように見える。それは一見するとあたかも落ち込む部下を上司が慰めるような、微笑ましいものに見えた。
「「「「…………ッ!」」」」
しかし次の瞬間、その印象は一変する。
「ブヒッ! ブヒ、ブ……ブヒイィーーッ!!」
オークキングが先程まで話しかけていたオークを無造作に掴み上げ、思いきり投げたのである。
投げ飛ばされたオークは空中を一直線に飛び、その頭からザクリと『田んぼ』に突き刺さる。そのままピクリとも動く気配がない。
「ブヒッ!」「ブヒ……」「ブ、ブヒーーッ!」
オークキングは硬直するオーク達を次々と投げていく。その剛腕による投てきが行われる度に、オーク達の悲しげな絶叫が木霊した。
オークキングは、オーク達の全てを投げ終えると『田んぼ』の岸に向いてニタリと嗤う。その醜悪に歪んだ表情を目にした人々は、一様に息を呑んだ。
《なんと、酷い。部下を投げ捨てるなどとは何たる暴挙じゃ! あんなモノ……『王』の風上にも置けぬッ!》
「ブゥモオオオォォーーーーッ!!」
憤るガイアの声に反応するかのように、オークキングは雄叫びを放つ。そのまま盛大な水音を立てて『田んぼ』に突っ込んで来る。
そこには未だに気絶した多数のオーク達の身体が浮かんでいるのだが、オークキングに避ける様子は見られない。──否、わざと踏みつけながら進んでいるように見える。
「ッ! ガイア殿ッ! 先程の魔法を!!」
《了解じゃ! やるぞいッ悠馬!!》
「あ……わ、分かったっス!」
ガイアに請われ、悠馬は慌ててペダルを漕ぎ出した。
《行くぞいッ!
───【サンダーボルト】ッ!!》
ガイアは二度目の雷魔法を発動した。先程と同様に『田んぼ』の水面が不気味に泡立つ。オークキングはビクリと反応し、その場で歩みを止めた。
「やったかッ!」
「どうっスか!?」
オークキングはゆっくりと中腰に屈む。しかし、悠馬達に向いて醜悪な笑みを浮かべた。
「ブウゥ……モオォーーーッ!」
まるで往年のクイズ番組の如く「……残念!」と言わんばかりの態度である。
「全然効いてないみたいっスよ!?」
《皮がゴムででも出来とるんかの? しかしあの人をコケにする態度は何じゃ! ムカつくわいッ》
「確かに酷いと思うっスけど。……けど今はとにかくアイツを止めないとヤバくないっスかッ!?」
「クッ! 我命ずるは紅蓮の火球、砕け散れッ!
───【ファイヤーボール】ッッ!!」
悠馬の呟きを受けて、咄嗟にジェームズが渾身の火魔法を放つ。
「……ブモッ!?」
───ドゴォォォン!!!
果たして、ジェームズから放たれた火球はオークキングに当たり大爆発を引き起こした。先の雷魔法によって電気分解された酸素と僅かに残存する水素により、普段の倍以上の威力を発揮したのである。
オークキングは表情を驚愕のものに変えながら、大爆発を受けて後方へ吹き飛んだ。
「うわッ!」
「お……おおおおおッ!!」
「ジェームズ様ッ!」
《やるではないか、ジェームさん!》
土壇場で発揮された凄まじい威力に、周囲の人々が驚き沸き立った。一番驚いているのは、当の火魔法を放ったジェームズ本人である。
「「「「……………………ッ!?」」」」
しかし爆発により生じた水蒸気が晴れてくると、人々の表情は落胆したものに変わった。オークキングは泥と煤とで汚れているものの、軽傷で済んでいる様子である。
《耐火性能も込みときたか。なんと厚い面の皮じゃ》
「オークキングが絶大なる魔法防御力を誇るという噂は、真であったようですな……」
ジェームズが苦り切った表情を浮かべる中、オークキングは『田んぼ』に尻餅をついた状態で悔しそうに顔を歪めた。間もなく無茶苦茶に鳴き声を上げながら、その場で地団駄を踏み出したのである。
「ブウゥ……モオオ゛オ゛」
《何じゃアレは》
「子供っスか!?」
ガイアと悠馬が呆れた次の瞬間、オークキングはとんでもない行動に出た。自らの周囲の水面に浮かぶオーク達を、次々に悠馬達に向かって投げ始めたのである。
「うわッ、こっちに飛んで来るっスよ!」
《回避じゃ! ハンドルを左に切って走れッ!!》
「アネリア、捕まれ!」
「……助かる」
空から降ってくるオーク達を躱すべく、人々は右へ左への大騒ぎとなった。
しかし言わずもがな、一番の被害者は当の投げられたオーク達である。頭から落ちて息を引き取った者が多数。たまたま息を吹き返して立ち上がろうとする者もいたが、それに気付いた騎士達による攻撃を受けて結局は絶命する事になる。
「ブ……ブヒャ! ブヒャーッヒャッヒャッッ!!」
声が聞こえた方向へ悠馬が振り向くと、そこに、信じられないモノを見た。オークキングが逃げ惑う人々やオーク達を指差し、腹を抱えて爆笑しているのである。
そんなあまりにふざけた態度を目の当たりにして、ついにガイアがキレた。
《なんて奴じゃ……待っておれ、今すぐに叩き切ってくれる! よし、これじゃッ!!
───【サモン・ドリル】ッ!》
ガイアの呼びかけに応じ、ガチャガチャと機械的な音と共にそれは姿を現した。
巨大なドリル。
前かごから前方に突き出した全長三メートルにも亘る円錐形の鋼鉄が、陽の光に反射して鈍い輝きを放っている。
「ガイア……さん? そんなバカでかいドリルなんか出して、一体どうするつもりっスかね?」
《無論、ヤツのあの汚いどてっ腹にぶつけるのじゃ! 行くぞい、悠馬ッ!!》
「いやいやいや。あんなバケモノになんか近づけないっス! 地面だってぬかるんでるっス! 近づくなんて無理っスよッ!!」
怒りで我を忘れ周囲が見えなくなる事は、自転車にも起こる事らしい。『田んぼ』の中のオークキングに強烈な殺気を放つ自転車だが、この場においては悠馬の意見が妥当であろう。
《ぬ! ……ぐぬぬ》
ガイアが悔しそうにうめき声を上げる。一方で、その巨大なドリルにキラリと目を光らせる存在があった。
エルフの少女、アネリアである。
「我が命ずるは冥府の鎖。捕縛せよ
───【アースバインド】」
彼女はオークキングに視線を向け、地面に両手を付いて呪文を唱えた。するとその視線の先でミシリと音が鳴り、オークキングを中心とする泥濘が、セメントのように固まったのである。
「……ブモ?」
四つん這いになって次のオークに右腕を伸ばしていたオークキングは、その右腕を除く残りの四肢が地面に固められた。突然地面が固くなった事に、不思議そうに首をかしげる。
そんな様子を尻目に、アネリアは矢継ぎ早に指示を飛ばす。
「ユウマとガイア、それと……アゼル。こちらに来て欲しい。ジェームズは撹乱を。イーチス、ニーナ、サンドリヨンは『風』を。タイミングが重要。こちらと合わせて欲しい」
その求めに応じ、悠馬はペダルを漕いでアネリアに近づいた。巨大なドリルのせいでハンドルが重い。ちなみにドリルはペダルに合わせて回転する作りらしい。悠馬がペダルを漕ぐ度に、フォンフォンと怪しげな音を立てて回る。よく見るとペダルから前方にもチェーンが伸びており、その先がドリルの基部に収容されている。
ふらふらと悠馬がアネリアの元にたどり着いた時、既に一人の騎士がその場に到着していた。先に悠馬の案内を務めた例の騎士である。どうやら彼が『アゼル』であるらしい。
彼の名前を聞きそびれていた事を気にしていた悠馬は、密かに安堵した。
「ユウマ殿こちらです。無事で何よりです」
「アゼル、さんも無事で良かったっス。アネさんも……って何をやってるっスか?」
悠馬が見ると、アネリアは木の棒で地面に一心不乱に記号の羅列を書き込んでいた。悠馬にとって理解不能な内容だが、何やら複雑な計算式に見えなくもない。
「……これでよし」
作業を終えたアネリアは、悠馬とガイア、騎士アゼルの姿を確認すると棒をしまい両手を地面に着け、呪文の詠唱を開始した。
「我が命ずるは立ち上がる竜脈。その道を示せ
───【アースウォール】」
ゴゴゴゴと地鳴りを上げて地面が揺れる。地震かと悠馬が身構えていると、アネリア・アゼルを含む三人と一台は、隆起する地面によって一気に持ち上げられたのである。
「ちょ! う、うわわッ!?」
《おおぅ!》
振動が収まり悠馬が周囲を見回すと、そこは巨大な土壁の上であった。否、悠馬の前方から急激に下るように傾斜し、その先端で僅かな上り坂を描いているそれは、決してただの壁ではない。
悠馬達は巨大なジャンプ台──スロープのスタート地点に立っているのである。スロープの先は、今も『田んぼ』に拘束されているオークキングへと延びている。
《アネリアさんや。何となく狙いが分かったが……じゃがこれで奴の所まで届くかのう?》
「魔法で軽くするから大丈夫。なので、私も乗る」
アネリアはそう言って悠馬の後ろに乗ろうとする。微妙に届かずプルプルとつま先が震え出した所で、アゼルの介助が入った。
《魔法で軽く……なるほど、その手があったか。アネリアさんは天才じゃ! 悠馬、行けるぞいッ!》
「ん? 『行ける』って、どこにっス……か……」
悠馬は首をかしげる。その質問の最後で詰まったのは、アネリアが彼の腰に両手を回したためである。腰と背中に温かくて柔らかい感触が伝わってくる。
「私の【アースバインド】での封じが破られるまで時間がない。ユウマ、早く足を回してほしい」
「足? いや、そんな事をしたら……え、ええーーッ!?」
ようやくアネリアの意図が分かり、悠馬は顔を青くする。とにかくまずは目の前の巨大なスロープを、自転車で一気に駆け下りる必要があるらしい。
「…………うわぁ」
高さがある上、とんでもない急斜面である。悠馬の位置からは、もはや崖にしか見えない。
先に少年がオークに襲われた時、悠馬は無我夢中で壁の上から跳んだ。しかし、あの時はよくもあんなが危ない事ができたものだと悠馬は今更ながら思った。
「本当に時間がない。アゼル、押して」
「承知しました」
アネリアの指示を受けたアゼルは自転車の後ろをがっちりと掴んだ。その感覚に、悠馬は激しく狼狽える。
「ま、待つっス! ……自分のタイミングで行くっスから、もうちょっとだけ待って欲しいっス!」
悠馬は引きつった声で嘆願する。このタイミングで
「ブモッ!」
オークキングが雄叫びを上げて、地面から自分の左腕を引き抜いた。
《……ほれ悠馬よ。早う行かんと》
「大丈夫っス。ちゃんと行くっスから。ちょ、アゼルさん。押しちゃダメっス! 絶対に、押しちゃダメっスよッ!!」
心に余裕が無い悠馬は、思わずその台詞を言ってしまう。それを聞いたアゼルだが、何やら納得したように頷いた。
「ユウマ殿、分かっております。全て私にお任せ下さい。──押しますよ! 今ッ!!」
アゼルは猛ダッシュをかけ、急斜面の手前で自転車を放った。
「うっ……うっぎゃあぁあぁぁぁッッ!!!」
「――――ッ!」
《行くぞおおおぉぉぉぉぉぉぉいッッ!!!》
悲鳴や雄叫びによるドップラー効果を生みながら、自転車は一瞬で加速する。瞬く間に先端のジャンプ台を登り切り、そのまま空中に踊り出る。
「───【フロート】!」
それと同時にアネリアが重力魔法を発動する。加速の勢いをそのままに、悠馬達を乗せた自転車は、空を飛んだのである。
「「「───【ウインド】!!!」」」
その背に、アネリアにより指定された三名の騎士達による風魔法が続く。息の合った発現により、ガイアにとっての追い風、オークキングへの風の道が形成される。
「ッ!? …………!?!?」
自転車は人々の支援を受けて、矢のように突き進む。悠馬は相対的に迫り来るオークキングに怖気づいたのか、必死な形相でハンドルを切ろうとする。が、ハンドルはピクリとも動かない。
「ブモオオオォォォォッッ!」
そんな悠馬達に向けて、オークキングが激怒の雄叫びを放つ。そのオークキングに対しては、先程から石や矢、槍、シャベルなどの投てきが続いている。しかし、より危険に見えるドリルを掲げて強烈な殺気を放ってくるガイアの存在に気付かないわけがない。
「ブモ……」
オークキングは右手を振り上げた。その角度から、ドリルを避けてガイアの側面を叩くつもりらしい。
「ひっ!」
「ーーーーっ!」
《……むッ!》
攻撃の構えを見せたオークキングに、悠馬とアネリア、ガイアに緊張が走る。
「ブゥモオオーーーーッ!!!」
「我が命ずるは巨人の礫! 当たれぃッ!
───【ストーンバレット】ッ!!」
強烈な平手が悠馬達に放たれた刹那、横から飛来するものがあった。ジェームズの土魔法により形成された、巨大な岩石である。
果たして、オークキングの頭に岩が命中し、悠馬達の目の前でゴン──と鳴った。オークキングの上半身が大きく仰け反り、繰り出された平手の軌道が悠馬達から逸れたのである。
《ナイスじゃジェームズさん! ……フヒヒ、待たせたのう。遠慮なく喰らうが良いッ!!
ハイパアァ・ドリル、クラアアァッシュッ!!!》
オークキングの眉間にガスン――とドリルが突き刺さる。ちなみにガイアが放った台詞に魔法的な効果はない。悠馬の過去の発言をそのまま引用した、その場のノリというやつである。
「ブモォ……オ゛」
オークキングは血走った目で、額にドリルを突き刺したガイアを、もといその運転席に座る悠馬を睨んだ。悠馬の目の前にドリルを正面から受けて赤く血に染まるオークキングの凶相が迫る。その鉄臭く、生臭く、荒々しい息遣いを間近に受けて、悠馬の心は恐怖に支配されてしまう。
「う、うぁ……うわあああああぁぁぁッッッ!!!!」
恐怖に駆られ、悠馬はペダルを思い切り漕いだのである。
ペダルに合わせて高速回転するドリルが一気にめり込み、バガンとかち割った。その中から真っ赤な液状物が溢れ出す瞬間を、悠馬は至近距離から目撃してしまう。
「オ゛……」
かくしてオークキングは、微かな断末魔を残して絶命したのである。
《──仕舞いじゃ》
パキンと乾いた音を立ててドリルの根本が折れた。僅かな間を置いて、ガイアが『田んぼ』の泥濘に着地する。同時に、オークキングの躰は膝から崩れて後ろ倒しになり、土の混じった水飛沫が上がる。
「……………………」
静寂が訪れる。
オークキングのあまりに壮絶な最期に、一部始終を目撃した人々は一様に言葉を詰まらせる。
「…………ヒック」
その時人々の耳に、決して大きく無いが、はっきりと聴こえるものがあった。『田んぼ』の真ん中で生じる声――悠馬の嗚咽である。
「じぶ、自分……ヒック、……絶対に押すなって言ったっス。……なのに、なんで押したっスか! ……ヒック。何かハンドルも効かないし……」
《悠馬よ……》
「ユウマ……?」
悠馬の口から泣き言が漏れる。
「あんなの恐いに……ヒック、決まってるじゃないっスか! ……グスン。じ、自分、なんか悪いことしたっスか!? ベトベトするっス! 臭いっス! あ、あんまりっス!! うぅ……うわああぁぁぁぁぁん!!!」
悠馬は大声で泣き出してしまう。その姿は、オークキングの返り血や臓物、汚物にまみれて凄まじい事になっている。
「……どうしよう」
アネリアは戸惑った様子で呟いた。オークキングの撃破に際して悠馬の背中にあった彼女の顔は、至って綺麗なものである。
《これは落ち着くまで時間がかかりそうじゃ。アネリアさんや。とりあえず、落ち着ける所に戻らんかの?》
ガイアの提案に、アネリアは次の言葉を返した。
「どうやって?」
悠馬達が乗る自転車の車輪は『田んぼ』の泥沼にどっぷりと嵌っている。その光景に、アネリアは、途方に暮れた表情を浮かべるのである……。