09:50-11:00 陣営
草原を走る一台の自転車がある。
とでも言えば聞こえは良いが、それに接続されるリアカーには気絶した少年が横たわり、中学生に見えるスーツの男がペダルを漕いでいる。さらには豪奢な赤いローブ姿の男と、使い込まれた鎧を纏う男がこれに並走しているのである。
日本であれば確実に通報されているであろう異様な光景である。
「ひぃ……ふぅ……」
《どうした悠馬よ。さっきから明らかにスピードが落ちとるぞい?》
息を荒げて自転車を漕ぐ中学生……もとい悠馬に、年老いた男の声が届く。その声は、悠馬が必死に漕いでいる自転車のものであるという。
「いや……この状態での上り坂は、ひぃ……さすがに、きついっスって! ふぅ……」
悠馬が言うように、キレス砦から森へ向かった往路は緩やかな下り坂になっていたのに対し、復路は上り坂になっている。加えて自転車に接続されたリアカーと、それに乗せられた少年の重量もかかっている。
《まぁきついんは分かるが、儂は一介の自転車にすぎんでの。悠馬が頑張ってペダルを漕がん事にゃどうにもならんのじゃ》
などと自転車は釈明する。これまで奇跡のような超常現象を引き起こしている自転車だが、できない事はできないらしい。
「森に潜んでいたオーク共は、追っては来ないようですな?」
悠馬達に並走するローブ姿の大男──ジェームズである。鋭い視線を時折後方に向けている。
「ホントっスか? 何とか命拾いしたっスね」
悠馬はフゥと息を吐く。
《いいや、アレは完全に獲物を狙う目じゃったわい。大挙して押し寄せて来るんは時間の問題じゃの》
「ちょッ! 縁起でもないこと言うもんじゃないっスよ、このッ……自転車ッ!」
自転車の悲観的な意見に、悠馬はたまらず抗議の声を上げた。平和な世界で生まれ育った悠馬は、この世界──オークの蔓延る危険地帯に来てもなお、平和というものに強い未練を残している。
そんなやりとりの横で、途中合流した騎士が隣のジェームズに声をかける。
「ジェームズ様。その、自分の剣も先程の戦闘で根本から折れてしまいました。彼の件といい申し訳ありません」
「其方だけが悪い訳ではない。責任は全て私にある。だが……剣か。むぅ」
ジェームズは辛そうに唸る。
「ユウマ殿。少し宜しいで《ちょっと悠馬よッ!》
ジェームズの声に自転車が被った。
「お先にどうぞ」
《すみませんの、では改めて。……悠馬よ! いい加減その『自転車』と言うんは止めてくれんか? 儂にはガイアという立派な名前があるんじゃ。儂の事もちゃんと名前で呼んでもらえんかの》
「「えぇ……」」
オークの一斉襲撃という危機を前に、自転車の名前などどうでも良い。自転車による斜め上の主張に、ジェームズと騎士は頬を引きつらせた。
「…………何っスかその『ガイア』って。さっきもチラっと言ってた気もするっスけど、自分知らないっスよ? そんな名前」
《うぬッ、知らんと言うことはないじゃろう! 他の誰でもない悠馬自身が付けてくれた誇り高き名前じゃぞ!?
あれは七年前になるか。桜が咲いた、よく晴れた日じゃったわい。店の奥で埃を被っていたこの儂を悠馬と母君が買うてくれた記念すべき日じゃ。
お主は儂に乗りながら
今日からお前は『ガイア』っス! 大いなる大地――ガイアを切り裂くその走りを魅せてくれっス!!
と、言うてくれたじゃろう?
あの時のお主の嬉しそうな顔は決して忘れんわい! けど最近はすっかり名前で呼んでくれなくなってしもうて、寂しい限りじゃがのぅ》
自転車はそう語り、ため息らしきものを漏らす。
今ガイアが語った『大いなる大地、ガイアを切り裂くその走りを……』は悠馬の痛い過去、黒歴史の暴露である。悠馬はかつての自らの所業を思い出たのか、その顔をみるみると赤くしていった。
「ああ……」
「ユウマ殿にも、そんなカワイイ時代があったのですな」
ガイアの話を黙って聞いていた騎士とジェームズは、遠い目になって呟く。
《ちと違うの。悠馬はの、今でもカワイイぞい!》
「い、い……いやあぁぁーーーーっスッ!!!」
ガイアの一言がとどめになったのか、悠馬は叫び声を上げると猛烈な勢いでペダルを漕ぎ始めた。
《おぉ早い早い。やれば出来るではないか悠馬よ》
「さすがですな。私も負けてはいられませんな。
───【アクセル】!」
「待って下さい、ユウマ殿、ジェームズ様ッ!」
悠馬に続き魔法で脚力を強化したジェームズが速度を上げ、その後を慌てた騎士が追う。
悠馬とガイア、ジェームズ、騎士、それと未だに意識を取り戻さない少年が、皆が待つキレス砦の門扉に到着するのは、もう間もなくの事となる。
――――
――
―
「───というわけで、我々はどうにか生還することができた。しかし『魔の森』には、依然として多数のオークがひしめいている。一斉襲撃が来るのも時間の問題であろう」
キレス砦に到着するなり、ジェームズは直ちに作戦会議を開いた。講堂のような広い一室に騎士達が集結し、悠馬と自転車もその場に招かれている。
因みに、悠馬達により辛くも救出された少年は医療班と名乗るおばちゃ──もとい妙齢の女性達が引き取った。先にジェームズが回収班と呼んだ、青少年達が見守る中での出来事である。
口々に悠馬達への感謝が伝えられる中、一人の少年が次のように発言した事でその場が凍りついた。
『勇者様! 大地を切り裂くその走り、凄かったです! 感動しましたッ!』
すぐにおばちゃ……一人の女性が彼の口を塞ぎ、その発言は無かったかのように扱われた。しかし悠馬の黒歴史は、周囲にもバッチリ伝わってしまったようである。
その傷心からか、現在悠馬はデビューに失敗した高校生のようにも見える若干老け込んだ表情で、ぼんやりとジェームズによる報告を聞いている。
「繰り返しになるが、万一オーク共にここを突破されたとなると、力のない村の民達が危険にさらされてしまう。故に、我々は是が非でもオークどもの浸入を防がねばならない! 無辜の民を生み出すわけにはいかぬのだッ!
……というわけでしてユウマ殿、ガイア殿。何か良案はないでしょうか?」
「───えっ?」
唐突に名指しで指定され、悠馬の頬が引きつった。
「けど……そうっスね」
少なくとも事は身の安全に関わる。さらには騎士ではない村の民達……一般人と思しき人々が危険にさらされてしまうというのも問題であろう。
そうした事から、悠馬も真面目に打開策を考える。その表情は自然と引き締まったものに変わった。
「さっきの森に火を付けてオークを丸焼きにするのは……その、ダメっスかね?」
とりあえず思い付いた事を口にする。おっとりとしたタレ目の外見にしては過激な提案である。
《悠馬よ、生木は簡単に燃えん。火をつけてる間に奴らに襲われでもしたら危ないかもしれんぞい?》
「それに森全体に燃え広がってしまったら、それこそ大変な事になります。……あの森はオークを始めとする魔物だけでなく『魔族』の生息地に続いているという噂です。その地まで火の手が延びた場合、『魔族』をも敵に回してしまう恐れがあります」
ガイアと、先に悠馬の案内を務めた騎士が、否定的な意見を述べた。
「質問っス。『魔族』って何っスか?」
「『魔族』とは、言葉を解する人型の魔物の総称です。しかし一方で、肌の色や角の有無が違うというだけであって、実は我々人族とさして変わりない。という説もありますな」
学者肌のジェームズが回答する。いずれにしても、森に火を付けるのは止めたほうが良さそうである。
「ガイア様。あなたからは何かないです?」
会話が途切れたタイミングで鈴のような声がかかった。ローブ姿のエルフの少女、アネリアである。
《アネリアさん、と言ったかの。とりあえず儂にも『様』は要らんぞい。……そうじゃの。策を考える前にいくつか質問があるんじゃが》
「何を聞きたい?」
《うむ。まずは彼我の戦力差かの。敵の戦力はどれくらいで、それに対して戦える者はどれほどおるんかの?》
「オークの数は、森に紛れて正確な数は分からないのですが大体三百から四百と踏んでおります。我々の戦力として、正規の騎士は私とアネリアを除くと五十。見習いは八十程おりますが、そちらはオークが相手となると正直荷が重いです」
ガイアの質問に、アネリアに代わってジェームズが答えた。
《とすると、騎士一人につき最低六体って勘定になるが、その点はどうじゃ?》
「正直厳しいです。恐らく武器が持ちません。私とアネリアの魔法と残りの矢でもう少し数は減らせると思いますが、それでも乱戦になってしまうと騎士一人で二、三体が限界ですな」
ジェームズは苦しそうに見解を述べる。周囲の騎士達も辛そうである。
《なるほどの、乱戦になってはいかんと。それなら……うむ。ジェームズさんや。魔法で『土』と『水』が使える者はどれくらいおりますかの? 『風』なんかもあると良いんじゃが》
「魔法、ですか。『土』や『水』の単純なもので良ければ騎士に限らずほとんどの者が使えます。元々農業に携わる者も多いですからな。非戦闘員を含めざっと二百くらいかと。……ただ、『風』に関しては少数です。精々十といった所ですかな」
「因みに私は土のエキスパート。水も問題ない。任せて」
ジェームズの説明の後、アネリアが慎ましやかな胸を張った。
《それは重畳じゃ。そうなると、あと必要になってくるんが……》
――――
――
―
キレス砦の場外、緩やかな坂を下った先において、現在急ピッチで作業が進められいる。
「───【グラスウィード】!」
「───【ストーンバレット】!」
「───【アースクラック】!」
地面に自生していた草花が魔法で除かれて、さらに魔法によって邪魔な石が飛ばされる。そうした上で人一人がすっぽりと入る深い地割れが魔法で形成され、その上の土が人々に支給された道具によって耕されていく。
「これは、なんと言いますか……」
「畑っスね」
《畑じゃの》
作業を監督しているジェームズと、今はその横に待機している悠馬、ガイアの前に、程よく耕された茶色い地面が展開されている。太陽からの光が柔らかく降り注ぎ、川のせせらぎや鳥達のさえずりが聞こえてくる。そんな中で人々が集い土いじりに勤しむ姿は何とも牧歌的である。
しかし現に彼らが進めていることは、オークの殲滅を目的とした、れっきとした戦争準備である。作業に勤しむ人々の表情は真剣そのもので、周辺には弓を装備した騎士達が目を光らせている。
現時点でオーク達に動きは無い。先の襲撃以降、オーク達は不気味な沈黙を保っている。
「我が命ずるは大地の爪跡。延びよ
───【アースクラック】」
ぼんやりと作業を眺める悠馬の耳に、アネリアの声が届いた。彼女を起点にメキメキと地面が裂けていき、前後に大きく延びた地割れが形成される。
さらに、このようにして作られた地割れに十名程の騎士達が集う。彼等も支給された道具を使い、地割れを溝の形に整えていくのである。
「ジェームズ様。この頂いた道具──『シャベル』は素晴らしいですよ! この薄く尖った先端が地面に深く刺さり、効率よく土をかき出せるのです。全てが良質な鉄で出来ているのがまた嬉しい」
先に悠馬の先導を務めた例の騎士が嬉しそうに報告する。彼はあたかも重機の如く、大量の土を掻き出している。
《そうじゃろう! シャベルはの、工事にはもちろん戦闘にだって使えるのじゃ。きれいに洗えば料理にも使えるぞい! まさに掘って良し、突いて良し、焼いて良しじゃ》
ガイアの解説に、ジェームズを含む周辺の騎士達からどよめきが起こった。
「シャベルで戦闘? それに料理って。そんなの聞いた事ないっスよ」
悠馬がいぶかしげに呟く。しかし、シャベルが料理にはともかく武器として使用されたのは、悠馬が知らないだけで割と有名な話である。かつての第二次世界大戦においてソビエト軍や赤軍パルチザンの白兵武器として使われたという記録も残っている。
そのシャベルが騎士達を始めとする全ての人員に行き渡り、各々が土木作業や戦闘訓練に勤しんでいる。新しいオモチャ――もといシャベルの使い勝手に、誰もが興奮している様子である。
「それにしても、あんな大量のシャベルなんて一体どこから出したっスか? ガイアはついに手品でも覚えたっスか」
《無論、魔法でじゃよ。【サモン・シャベル】という、おあつらえのものがあったでの》
「ガイア殿。それはもしや【サモン・サーベル】ではないですかな? 元々は納刀中の片手剣を瞬時に手中収める魔法のはずですが……」
「ガイアの魔法は、恐らく『固有魔法』。私も初めて見る。意外と地味」
現場から一時的に戻って来たアネリアの見解に、ジェームズが唸る。騎士団長である前にその道の専門家である彼にとって、思う所があるらしい。
「ジェームズ様! 第一班、作業完了いたしました」
「うむ。よくやった!」
ジェームズは騎士の報告を受けて顔を上げた。
「アネリアよ。『畑』の準備が完了したようだ。そちらもそろそろ繋げてくれぬか?」
「了解。行ってくる」
少しして、アネリアの詠唱が開始される。新たに創り出した地割れがメキメキと進み、ついに川岸を割ったのである。
決壊した川から大量の水が流れ出し、長く削られた溝を伝って『畑』へと流れて行く。
さらに魔法による増水も行われ、そうして出来たものが
「……田んぼ、っスね」
《田んぼじゃの。稲は無いがの》
いずれにしても、作戦準備の第一段階は完了したようである。
《やはり砦の石垣までには届かんか。であれば、こいつを並べて行こうかのう》
ガイアがそう呟くと、その背後に接続していたリアカーがガチャリと音を立てて外れた。
「外せたんスね。それ」
内心でリアカーを重いと感じていた悠馬は、「外せるなら早くそう言って欲しかったっス」とボヤいたのである……。