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卅と一夜の短篇 

Lady Capulet(三十と一夜の短篇第48回)

作者: 惠美子

 人の世の営みは有史以前から現代まで基本的に変わらない。

 自分だけは特別だと信じこみ、大袈裟に捉えているのかも知れない。


 ああ、なんとかなしい。

 わたしの命、わたしの娘。

 一人の娘を二度も弔わなくてはならないなんて。

 愛する甥の死を嘆いた涙が乾く間もない。

 娘の恋心に気付かなかったのかと責めないでください。気付かなかったのは夫もモンタギュー家も同じこと。大事な子どもを喪った親に更に鞭を与えるのはおやめください。

 わたしは父や兄に命じられるままキャピュレットに嫁ぎました。恋も世間も知らぬ年頃でした。父から夫へと手渡される時、夫に従っていれば仕合せになれるよと言い聞かせられ、その通りと信じて生きてまいりました。

 すぐに身籠って、月満ちて産まれたのがあの子、ジュリエットでした。わたしが望んだように男児ではありませんでした。夫には先の奥様との間に男の子がいて、その時は元気にしておりましたので、夫は純粋に可愛らしい子に恵まれたと喜んでくれました。

 ええ、あの子に愛情を抱かなかったのではありません。ただ、世の中の仕来りで、女児よりも男児であれば将来の道筋が開けていると思うものでしょう? 誰だってそう思うものでしょう?

 そのうち先の奥様との男の子、夫にとっての跡継ぎが病であっけなく亡くなりました。こうなると、若いわたしにもう一度子を、それも男の子をと、夫からも周囲からも期待が掛かりました。

 しかし、願いに反して、ジュリエット以外の子は授かりませんでした。

 こればかりは神様の思し召しです。

 夫は自分の精力が衰えたと認めたくないようでしたが、お互い子を儲けたことのある身でわたしの方が若いのです。

 わたしに夫の気を惹く魅力が不足している、床上手ではないと噂する方々にどんな悔しい思いをしたでしょう。

 夫は、ジュリエットに弟がいたらと今はもう口に出さなくなっています。ご自分のお歳を自覚しているのです。ジュリエットに良い婿を迎えたい、お互いそう考えるようになっていました。

 あの子の十四歳の誕生日を間近に控えて、ヴェローナ大公のご親戚のパリス様があの子を妻にと申し込まれたと夫に聞かされ、大変光栄で、嬉しかったです。良縁に恵まれることこそが女の仕合せ。これで肩の荷が一つ降りるとホッとするのが人の常でございます。

 それなのに、パリス様からの求婚を伝えたその晩の宴で、モンタギュー家の跡取り息子のロミオと出会い、乳母の話では、あの子は恋に落ちたのです。その夜のうちの二人は語らい、互いの想いを確かめると、結婚しようと決めてしまったのです。

 なんと性急なのでしょう。

 乳母がわたしに注進してくれていたら、あの子を止められたのにと返す返すも残念でなりません。

 翌日午後に懺悔の口実で教会へ行き、ロレンス神父の下でロミオを神の前で結婚の誓いをしてきたというのです。あの子はきっと天にも昇る思いで屋敷に戻り、新床を待ち侘びたのでしょう。

 良いことばかりで行かぬのがこの世の中です。ロミオは帰り道にベンヴォーリオとマキューシオと一緒になり、わたしの愛する甥のティボルトと鉢合わせしたのです。

 剣を抜いたのはマキューシオが先だと聞いています。ティボルトが応戦して、ロミオは懸命に止めようとしたと言いますが、どうでしょう。ティボルトの手でマキューシオが斃されると、一転ロミオはティボルトを突き殺してしまったのです。

 わたしは必死に大公に訴えました。血は血で贖うべきだと、ロミオに死をと。

 大公はティボルトがマキューシオを先に死なせたからと、ロミオに追放を言い渡しました。

 大公のお決めになったことに逆らえませんが、わたしの胸は煮えくり返っておりました。男児のいないわたしにとってティボルトは息子のような存在でした。とはいっても兄の息子で、弟と言っていいくらいわたしとは年齢が近いのです。わたしが年齢を重ねるのを追うように背が伸びて、若木の瑞々しさと獅子の逞しさを備えた、惚れ惚れするくらいの青年に成長しました。

 十代半ばでキャピュレット家の妻、ジュリエットの母と役割を定められたわたしとは違って、どのような冒険も栄達も望むままにできる翼があると、甥を眩しく眺めるのがわたしの日々の慰めでした。

 それが突然絶たれてしまいました。

 ああ、胸が引き裂かれそう、また涙がこみ上げます。

 夫がパリス様との婚礼を早くとお決めになったので、それをあの子に告げに行きました。あの子は嘆いていたけれど、それは愛するティボルトの死よりも、ロミオとの別れ故でした。わたしがティボルトの仇とロミオへの憎しみを吐いていたのに、あの子はそれに合わせるようにしながら、違う気持ちを吐露していました。親の心を欺いていました。

 パリス様との婚礼を急がせるとわたしと、次いで夫から説明されて、あの子は抗いました。ロミオと結婚していたのですから今となっては当たり前ですが、あの子の態度が頑なだと、苛立ちを感じました。夫が怒鳴り出し、それでもあの子は屁理屈を言うのをやめません。夫を宥めようとしていたわたしは気持ちを抑えて、夫に同調しました。

 わたしだって、わたしだって……。

 いいえ、父親に従うのが子の義務です。結婚したら夫に従うのが義務です。それ以外の生き方など、無力な女に許されると?

 そんな目をしないでください。

 恋を知らずに結婚して、子を儲けた女は情けを知らぬとでも?

 いいえ、わたしだって、わたしだって。父より年嵩の殿方との結婚は怖かったのですよ。もっと年齢の近い方と娶わせてくださらないのかと、父を恨みました。しかし、これ以上の家柄は望めない、もしわたしが男児を産めば、先の奥様の子を置いて跡取りにできるかも知れない、キャピュレット家の令夫人となれば誰もが羨み、頭を下げ、影をも敬うと仲人口を聞かせました。一党の中でも尊敬するキャピュレット家の当主と義理の兄弟になれるのだと兄は喜んで、わたしの意思にはお構いなしでした。

 心に浮かぶ不満は我が儘にすぎないのだと自分を説き伏せ、わたしはキャピュレットの妻になりました。わたしはここヴェローナの街で勢力を誇る家の家刀自として務めを果たしてまいりました。何ら後ろ暗いところはありません。

 わたしが二十歳になるには間がある頃、ぐずるあの子に昔話をして寝かしつけました。夫は屋敷を留守にしてどこか別の女性の窓辺に寄って、恋の詩を読み上げているのかと眠れぬまま、手の届かぬ美しい月を眺めていました。わたしには窓辺で恋を謳ってくれる男性はいません。このキャピュレット家の塀を乗り越え、わたしへ熱い想いを訴えて、手を取り一緒にどこまでも行きましょうと囁いてくれる恋人を夢見たくなるのは、心で姦淫を犯す罪でしょうか。同じく屋敷に残っていたティボルトが、「伯母様、伯父様は独り者の某の加勢に付いていっただけです。心配なさらないでください」と、声を掛けてくれました。月の光は人の心を狂わせると言いますが、やさしい言葉を伴えば心を慰め、落ち着かせてくれます。わたしはティボルトが頼りでした。

 夫と我が子への愛情を育み、妻の務めを果たしてきているのですから、甥へ眼差しを向けるくらいのよろこびを持っていてもよろしいでしょう?

 十四になるやならずで、親の目を盗んで恋をして、その相手と結婚してしまう奔放な情熱こそが尊いと仰言るのですか? わたしは母親として、あの子に女の嗜みを教えてきたつもりです。恋したら、それを実らせなければならない、欲したら必ず手に入れる、それがすべての人に叶えられると?

 確かにあの子は恋した相手が自分に恋してくれている幸運に巡り合えたのでしょう。その幸運を逃がさないようにと性急に行動して、命を落としました。

 そう、恋で命を落としました。

 あの子が足元覚束なく、わたしや乳母にまとわりついていたのが昨日のことのようによみがえるのに、あの子はそんなことなどすっかり忘れてしまったのでしょう。親との関わり合いなど、大人の世界に踏み出している若者にとって煩わしいものでしかないのでしょう。

 あの子が夫からきつく言われてしょげかえっていて、急にまた懺悔にと教会に行き、やがて晴れ晴れとした顔をして屋敷に帰ってきました。ところが安心して婚礼の日を迎えたら、あの子は寝床で冷たくなっていました。涙に暮れながらキャピュレット家の墓所にあの子を葬って、鶏の声より早く起こされました。墓所に赴き驚いたこと、驚いたこと。再びあの子の死を目の当たりにするとは! 

 わたしはなんと不仕合せな母親なのでしょう!

 それもこれもロミオとの恋を成就させる為には、親をもパリス様をも騙してかなしみに突き落とすことさえ気に掛けられないほど熱くなっていたのでしょう。あの子は、ジュリエットは母を味方にしようとはしませんでした。親や夫に従う日常は、本の中の文言を白紙に書き写していく詰まらぬ作業と思い込み、従兄の仇との恋を貫くのが至上であると火の輪くぐりの曲芸さながら、この世の岸からあの世へと飛び込んでしまいました。

 恋の熱病に浮かされて、周りが見えなくなっていたのでしょう。

 わたしが娘の言うことに聞き耳を持たなかったではないかと仰言りたいのですか? ごちゃごゃと謎掛けのような屁理屈を言わず、正直に話してみればよかったのです。ロミオとのことに賛成しなくても、少なくとも、婚礼を先に延ばすくらいの理解はできたと思います。時間が掛かっているうちに細くなっていく恋情であれば味気ない湯冷まし同様打ち捨てられ、血潮が沸き立つのが止まないというなら周りをも溶かしてそれなりの方策が出てくるものです。

 熱情だけで暴走して、一度だけの人生を短く済まし、老いた親よりも先に死んでしまうなんて、あんまりです。

 モンタギュー家の奥様はロミオの追放が決まってからお嘆きのあまり亡くなられましたが、わたしも生きる力を失いそうです。ティボルトを喪い、ジュリエットを喪い、この先何の楽しみがあるというのでしょう。赤く灼けた鉄が固まっていくように、我が身も冷たく硬くなってしまえと強く願います。

 もう一度あの子と刺繍や季節の花のことなど日常の何気ない会話を交せたら、どんなにか仕合せでしょう。何もかもが悔やまれます。


参考

『シェイクスピア全集2 ロミオとジュリエット』(松岡和子訳 ちくま文庫)


『ロミオとジュリエット』の戯曲の中で、キャピュレット夫人が十四歳の誕生日を直前に控えた娘ジュリエットに、「お前の年頃でお前を産んだのよ。」と言い、キャピュレット家の当主がパリスに、自分を老人と言い、「頼みの綱の子供らにはみな先立たれ、残るはあの子ひとり。」とジュリエットのことを語る。(キャピュレット夫人が夫に「若い頃はお盛ん」と言い、「妬くな」と返す台詞がある)キャピュレット夫妻は年の差夫婦であり、夫人は後妻の可能性が高く、ジュリエットには早世したきょうだいがいたかも知れない、と着想した。


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[良い点] 拝読しました。 なんと、ジュリエットの母親目線文章とは! 恐れ入りました。 ロミ・ジュリの感動巨編の裏には、きっとこういう人間臭い感情もあったんだろうなあ、としみじみ思いました。
[一言] ティボルトというと、なぜか『ウエスト・サイド物語』のチャキリスが出てきてしまう私です。あれはかっこよかった( ̄▽ ̄) ロミジュリで好きなサブキャラクターってなんだろうか。意外と考えたことな…
[良い点] ロミジュリ、母視点!! なんとなくあらすじとオチを知っているので物語自体をちゃんと読んだことないのですが、これでバッチリです。 たしかに、たしかに、と思うところが多々ありました。母親の語…
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