第三章 閑話 〜名探偵クロルの事件簿(2)〜
サラの手が触れた瞬間、その黒ずんだ壁には光の亀裂が入った。
亀裂が形作ったのは、ちょうどひと1人が腰を屈めてくぐれるほどの、小さなドア。
「ああ、やっぱりね」
再び瞳を輝かせるクロルと、目を丸くしてドアを見つめるエール、何が何だか分からないといった表情のリグル。
サラは、会議中に飲んだお茶が一気に下腹部へ集まるのを感じたが、おトイレに行きたいなんていえる雰囲気ではない。
授業中にもじもじする内気な生徒を心の中で蹴飛ばして、サラは下っ腹から気を逸らすように言った。
「これって、魔術の封印?」
「うん。このしかけを最初に作った魔術師は、かなりの力があったんじゃないかと思うよ。元々壁だったところに、魔術のみで細工したみたいだから」
ありがとうと言いながら、サラの手を一瞬キュッと握ったクロルは、当たり前のようにそのドアを押し開けた。
ドアの先に続いていたのは……階段。
ただし、石で岩を削ったような、緩やかなスロープのような小道で、人が1人通り抜けるのがやっとという狭さだ。
クロルを先頭に、サラ、エール、リグルの順で、薄暗い通路の中を体を縮めながら上っていく。
魔術に関する話を聞けば聞くほど、魔力も魂も持たない相手を操作することが難しいのだと分かる。
だからこそ、魔術のみでこの洞穴の道を掘り進んだとしたら、かなり恐ろしい。
誰かの血液や生命……そんなものを、贄として使ったのではないだろうか?
「――むぎゃっ!」
考えながら歩いていたサラは、鼻の先をクロルのお尻にぶつけた。
涙目で覗き込んだ先にあったのは、行き止まりだった。
そこでもクロルは「あった」というと、何かを拾って再びもとの部屋へ。
振り向くのが難しい狭さなので、後ろ歩きになりながら慎重に……と思った矢先に、帰り道先頭になったリグルが豪快に転んだ。
* * *
ここまで来ると、さすがに察しがついたのか、エールは言った。
「次は“物見の塔”か……?」
「うん、正解!」
クロルは笑う。
エールは……開かずの間に着いたとき以上に、顔色を悪くしている。
1人着いていけないリグルは、不機嫌そうに叫んだ。
「早く俺にも分かるように説明しろって!」
「あ、リグル兄は、さっきの問題まだ答えてないよね。それが分かったら教えてあげる」
勢いを削がれたリグルが「さっき? 問題? 魔術が……なんだっけ?」と呟く中で、4人は最後の場所へと走った。
王城に来たばかりのサラにも、うすうす分かってきた。
この城には3つの塔がある。
城門を正面にして、右手には図書館塔。
一番奥には、開かずの間のある閉ざされた塔。
左手には、エールの言う“物見の塔”があるはず。
3つの塔の最上階が、サラの力を使わなければ開かないくらい強い結界に守られているということは、これから行く塔でも同じことがあるのだろう。
エールの顔色の悪さを気にしつつも、サラは全力で走った。
物見の塔には、部屋は無いようだ。
吹き抜けになった円形の塔の壁には、ただぐるぐると渦を巻くように、らせん状の階段が続いている。
壁からはガッシリとした鉄板が突き出し、細い手すりがついただけのシンプルな階段はスカスカで、高所恐怖症の人間には耐えられないだろう。
幸いサラは、ジェットコースターなど、この手の怖さは大好きだ。
カンカンと乾いた音をさせながら、4人は階段を昇っていった。
サラの右手は、クロルにつながれたまま。
2人並ぶのはキツイ幅なので、斜め後から引っ張られるようにして歩く。
「ここに来るのは初めて? サラ姫」
すぐ後にはリグルが居て、少しワクワクしたように声のトーンをあげながら話しかけてくる。
サラがうなずくと、リグルは「俺、ここお気に入りなんだ」と言った。
壁はランダムに石を抜いてあり、いわゆる“物見”をするための穴が開いていて、その窓の手前だけはちょっとした踊り場的なスペースが作られている。
単調な階段は辛いけれど、次々と違う景色が見えてくるので、上っていて飽きない。
リグルと同じく単純なサラは、なかなか素敵な場所だなと思った。
物見の塔の階段を昇りながら、リグルはクロルに向かって「お前、そーいやこの間ここでサボってたなあ」と言った。
クロルは首から上だけ振り返って、サラを見つめると、「もう少し進んだら説明するよ」と言ってウインクした。
4階分の長い階段を上り詰めた頃から、視界を遮るものは無くなり、展望台のように素晴らしい景色が広がり始めた。
かなりの風雨にさらされるため、石は薄汚れ苔むしているが、なにより差し込む太陽が心地よい。
「ここから下の方、のぞいてごらん?」
不意に、クロルが足を止めた。
サラがざらつく石壁に手をつきながら、少し身を乗り出して下を向くと、そこにはサラたちが予選を行った訓練場があった。
あの予選がずいぶん昔のことのように感じて、サラが懐かしさに目を細めると、リグルが言った。
「こいつ、授業サボってここから予選見物してやがったんだよ」
「えー、リグル兄だって後から来て、一緒に見てたじゃん」
「バカ、俺はオトナだからいいんだよっ。つーかお前、いつまでサラ姫の手握ってんだよ!」
やつあたりーと呟くクロルのおでこを太い人差し指で弾くと、クロルはずっと握り締めていたサラの手を離した。
手のひらにひんやりと冷気を感じるのは、びっしょりと汗ばんでいたから。
その汗が、いったいどちらの手から出たものだろうと思いつつ、サラは黒いスカートのレース部分で乱暴にぬぐった。
「しかし、あの時の少年騎士は、ずるい……じゃなくて、賢い戦法を使うなと思ってたんだよ」
眼下の風景に目を奪われていたリグルは、あらためてサラへと尊敬の眼差しを向ける。
「ここから見ていても、魔術防御を使うヤツラの背中に隠れて、逃げ回っているようにしか見えなかった。本当は、奴らの魔術障壁を消していたんだな……すまなかった!」
「いや、謝られるようなことでは」
「あっ! あいつら、まだ誰も訓練してねーじゃねえか! 何サボってんだ!」
コロコロと変わる、リグルの感情。
きっと1度に1つのことしか考えられないタチなのだろう。
思わず微笑んだサラの耳に、かすかな震える声が届いた。
「リグル……ここがどこなのか、お前、分かってるのか?」
3人が振り向くと、そこには今にも泣き出しそうなほどに顔を歪め、唇を強く噛んだエールがいた。
* * *
「さ、休憩はおしまい」と、エールの言葉を無視して、先に進もうとするクロル。
サラは、足を止めていた。
サラが行かなければ、クロルの目的は達成しないと分かっていたから。
「エール王子に、ちゃんと説明してあげて!」
クロルは舌打ちして、エールを睨んだ。
先ほどまでクロルにつながれていたサラの右手が、今はエールの白い上着の袖を掴む。
採寸したときよりずいぶん痩せたのか、腕周りの生地はぶかぶかだ。
包帯を巻いた方の手も、労わるようにそっとエールの背に置かれた。
「お、おい……なんだよこの空気」
2人の間に挟まれたリグルは、きょろきょろと兄弟の間に視線をさまよわせる。
「リグル兄は黙ってて。ていうか、この先も楽しく“物見”したかったら、耳を塞いでた方がいいよ?」
「お前も知っておけ、リグル」
クロルの言葉を打ち消す、長兄の強い言葉。
降参といったように、ふうっと大げさなため息をついクロルは、壁際へと体をもたれかけた。
サラとリグルが真剣に見守る中、エールは言った。
「ここの別名は“黄泉への塔”……母さんが、飛び降りた場所だ」
口をあんぐり開けて固まるリグルに、クロルが冷静に補足する。
「対外的には、母さんは別の場所で死んだことになってるけどね。この王城内で王姉が自殺したなんて醜聞を隠すために、ごまかしたヤツがいるみたいだよ?」
さりげなく近づいていたクロルが、「隙アリ!」とサラの手を奪い返した。
「ちょっ……クロル王子っ!」
「サラ姫を返して欲しかったら、着いてきて!」
強引に腕を引っ張られながら、階段を昇り切った行き止まりの壁に、サラの手のひらが触れた。
現れたのは、先ほどと同じ隠し扉。
ただし、サイズは随分と小さい。
ゆっくりと開いたドアの先には、大型の金庫ほどの空間があった。
体育座りした子どもが1人おさまる程度の広さだ。
そこから、1つなにか摘み上げたクロル。
明るい光の差し込むこの塔で、サラはようやくクロルが集めていたものが何かを知った。
「よし。これで証拠集め完了!」
「ここには母さんの亡霊がいる……俺には見える……」と、今にもチビりそうに震えながらまとわりつくリグルを引きずりつつ、ようやくサラたちの元へたどり着いたエールは、「後でちゃんと説明しろよ?」と苦笑した。
↓次号予告&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。
塔の探索完了です。内容スカスカしておりますが、ちっちゃいことは気にすんなー……と言いたいとこですが、書いた端から改稿宣言。「お前が読むに〜至る前に〜言っておきたい〜ことがある〜」(←さだまさーしーさんです)高いところや物理的に理解できることは平気、でも目に見えないものや使えない魔法は苦手という意味で、サラちゃんとリグル君の傾向は似ています。東京タワーの展望台に行くと、あの床が一部透明な部分(わかる?)に嬉々として乗っかるだろう2人。クロル君も全然平気。エール君は高いところ苦手。実は国王様も苦手です。しかし、リグル君の豹変っぷりはやりすぎ? 最近ライトノベルについて研究中なので、こういうオーバーリアクションなキャラになっちまいますが、ご勘弁を。
次回、リグル君に出された問題の解答編。魔術のカラクリをご説明するという地味な回ですが、最後にちょっとした謎解きを。