第三章(終)旅立ちの決意
本格的に泣き出してしまう前に、なんとか自力で涙を止めたサラ。
今後は顔筋トレーニングも加えよう、特に目元は徹底的にと思いつつ、水玉模様になった国王の腕をそっと押し返した。
斜め上から心配そうに覗き込む鳶色の瞳に、サラは「もう大丈夫です」と微笑みかける。
国王は「そうか」と言って、サラを支えていた腕を外したが、代わりに大きな手のひらがサラの肩に置かれた。
サラは、その手の重みを受け止めながら、背筋を伸ばして立った。
自分を見つめる数百の瞳へと笑顔を返し、深く一礼する。
姫として仕立て上げられた、優雅な礼を。
今からは、サラ姫の姉か妹として振舞わなければならない。
そうでなければ、自分をかばってくれたクロルの好意を無駄にしてしまう。
悲嘆にくれている暇は無い。
一度、クロルとアイコンタクトを取ったサラが見つけたのは、人差し指を立てた知的な少年。
シィーッという、子どもにも分かる『しゃべったらダメ』のポーズ。
そのとき、大きな瞳の片方がパチリと閉じられたので、サラは任せたというように笑みを浮かべた。
* * *
「……さて、国王様。これから、どのように動かれますか?」
クロルのあからさまな挑発に、国王は思わず破顔した。
パーティの日とは、完全に立場が逆転してしまった。
あの日は、自分に似ていると言われるこの生意気な末っ子が、本気で動揺している姿を見たのが収穫だったのに。
完敗だった。
敗因は、リサーチ不足。
忙しい公務の中、サラ姫とはできるだけ会う時間を取ってきたつもりだった。
それなのに、クロルとはこんなにも差がついてしまった。
彼女の心を、掴み切れなかった。
「まったく……お前には脱帽だ」
国王は苦笑いしつつ、自らの頭の上に片手を伸ばす。
もちろん、サラの肩を抱いた腕はそのままに。
いつもとは違う、戴冠式で着用する国宝の王冠は、それなりの重量がある。
今朝からずっと、首が凝っていた。
……俺にはもう、こんなものは要らない。
目の前で勝利の笑みを浮かべる、小生意気な少年。
国王は小さなボールを投げるように、それを軽々と放り投げた。
慌てて手を伸ばすクロルが、ポーカーフェイスを崩すところを見て、少しだけ溜飲を下げる。
「とりあえず、それはお前にやる。お前が、次の国王を選べ」
「父様っ! そういう大事なこと、たらい回しにしないで!」
手の中で光る王位を、やっかいもののように見つめながら、口を尖らせるクロル。
豪快に笑いながら、国王は再び寄り添ったままの少女を思った。
彼女が心の奥に秘めた想いを、自分は聞き出せなかった。
もちろん当初は、サラ姫が本物かどうか……身代わりの姫ではないかという懸念はあったのだ。
それなのに、いつのまに信じ込んでしまったのだろう?
この澄み切った、ブルーの瞳のせいだろうか……。
「俺の目は、節穴だったのかもしれんな……」
こうして月巫女の毒が回りきった自分は、真実を見極める目が濁っていたのかもしれない。
いや、その前からもうずっと……。
「……クロルと、皆の言うとおりにする。和平の件は一旦白紙だ」
サラが和平を強く望んでいることだけは、良く分かっていた。
それでも告げなければならない台詞に、国王の表情は曇る。
一度中腰になり、サラと視線の高さを合わせながら、顔を覗きこんでくる国王。
「いいな、サラ姫……と、そう呼んでもいいのかな?」
初めて『ネルギの姫』ではなく『ただのサラ』という少女を見つめるような、戸惑い混じりの瞳。
サラが見つめ返すと、なにやら照れたように頬を赤らめ、視線を逸らした。
つい先ほど、自信満々でサラの頬に何度もキスを落とした人とは思えない。
態度が変わった理由は、きっと重たいものを放り出したせい。
今の私と、同じかもね。
サラはコクリとうなずくと「今までどおり、私のことはサラとお呼びください」と、少しすましたお姫さまの笑顔を返した。
* * *
サラの背後に寄り添っていた国王は、ようやくサラを解放した。
サラの隣に立ったまま、あごひげをしゃくりながら何かを考え込んでいる。
エールも、リグルも、ルリも……きっとまだこの展開に頭が追いつかないようで、ぼんやりと椅子に座り込んでいる。
クロル1人が、飄々とした表情で会場を見渡している。
「ちょっと、クールダウンした方がいいかもね……デリス! 皆にお茶でも配って!」
クロルの指示で、この事態を固唾を呑んで見守っていた侍女たちがバタバタと動き出す。
全員に冷たいお茶が配られ、ほとんどの人間がそれを一気に飲み干した。
サラも、そのお茶をいただいた。
温かいものより少し香りは落ちるものの、冷たいお茶が喉を通り抜けていく爽快感に、心が晴れた。
空になった美しいグラスに、サラは包帯からはみ出した指の先を滑らせる。
湿度の高いこの国では、グラスの側面はすぐに汗をかいてしまう。
水滴が集まり濡れた指先を見つめながら、サラは1杯の清潔な水を得ることもできずにいる、砂漠の民のことを思った。
侍女たちが速やかにグラスを回収すると、再び会場は静寂に包まれる。
サラは、壇上から臣下たちの表情を1人1人確認するように、ゆっくりと眺めた。
胸に湧き上がるのは、黒騎士として戦いの場に立ったときとは違う感情。
あのときは、自分のために強くなりたい……そう思った。
でも、本当に強くなるには、自分以外の誰かが必要なんだ。
私は、この世界が好き。
大好きな人たちが暮らしている世界を、簡単に捨ててしまえるわけがない。
――逃げるなんて、自分らしくない!
サラは、一度大きく深呼吸した。
自分の運命を、一歩前へと進めるために。
思案を続けている国王に向き合うと、サラはありったけの力で、声を張り上げた。
「国王、謀るような真似をして、申し訳ありませんでした!」
あっけに取られ、目を丸くする国王。
サラは気にせず、続けて王子たちへ、そして臣下たちへと丁寧に頭を下げた。
床に手をつき、か細く震える声で謝罪の言葉を告げたときとは、まるで別人のように。
顔をあげたサラから漂うのは、一国の王女の風格。
近くでその表情を見ていた王子たちはもちろん、その場にいる全員が心を奪われてしまう。
その美しい姿に。
なにより、瞳から放たれる意思の強さに。
「もし許していただけるなら、私にも、手伝わせてもらえませんか? どうしたら、この世界が平和になるのかを……」
その言葉を口にしながら、サラは思った。
もう、あの台詞を言うしかないのだと。
目を閉じたサラの脳裏に、一瞬緑の瞳が現れる。
『サラ……お前の夢、叶えろよ』
さも簡単なことのように告げた、精霊王。
臆病な自分の背中をいつも押してくれる、ハスキーな声。
小さく微笑んだサラは、次の瞬間、心の中で黒剣をふるった。
一薙ぎで、甘い幻想は消える。
黒剣を胸に抱いたまま、サラは低い声で告げた。
「国王、皆さん……私に1つ提案があります」
徐々に日差しが強くなる、オアシスの国。
会議室の天窓から、鮮やかな光が差し込んだ。
天から降るその一筋の光は、少女の黒い髪をくぐり、ブルーの瞳を煌めかせる。
あまりの美しさに、誰もが目を奪われかけたとき。
「私は、戦場に行く……ネルギ軍は、私の力で止めてみせます!」
力なく座り込むなよやかな姫は、もう居なかった。
そこに立つのは、幾度もの戦いを乗り越えてきた、1人の戦士。
黒騎士となったサラに誰もが魅入られる中、ただ1人クロルだけが、「僕に任せろって言ったのに」と呆れたようなため息をついた。
* * *
どのくらいの時間が経ったのだろう。
静まり返る会場に、クロルの人を小馬鹿にしたような声が響いた。
「あのさー、こんなか弱い女の子が、戦場に行くっていうんだよ?」
サラを見つめることしかできなかった臣下たちは、ハッとしたように顔を上げ、姿勢を正す。
クロルは、そんな彼らの反応をチラリと見やると、興味なさげに顔を戻した。
長い睫に縁取られたその大きな瞳は、次のターゲットとして2人の兄へ。
「筆頭魔術師サマ、次期国王サマ、どーするの?」
2人は、ガタリと椅子を鳴らして立ち上がる。
クロルとの間に、目には見えない火花が散った。
するりと視線をかわしたクロルは、今度はサラの隣の国王へ。
お茶の時間に近くの椅子へ置いた、王冠を指差す。
「この国は僕たちに、戦争はサラ姫に押し付けて……それでも○○に○○○ついてるんですか?」
自治区の若者が良く使う、強烈なスラング。
あの街で暮らしていた、国王とサラだけが分かった。
先ほどまではサラの肩に優しく乗せられていた国王の手が、強く握り締められる。
その表情は……見なくても分かる。
あまりの毒舌に放心状態のサラは、クロルの凍えるような視線を、真正面から受け止めてしまった。
「さて、サラ姫サマ? 覚悟はいいかい?」
クロルは、どこか吹っ切れたような笑顔で、サラに近づいてくる。
いつか見たことのある、完璧な王子スマイルを向けて。
昔の国王は、きっとこんな男の子だったのではないかと思わされる、良く似た表情と口調でささやきかけながら。
「サラ姫ってば、僕の言うこと、大人しく聞いてくれなかったから、仕方ない……決めたよ」
サラの心臓は、トキメキとはまた別の音を発する。
耳の奥に、警鐘が鳴り響く。
こんな笑顔のクロルは……危険だ。
怯えて一歩身を引くサラの手を取ると、目にも留まらぬ早業で、クロルはふわりと口付けた。
当然のように、包帯のある方へ。
上目遣いでサラを覗き込むクロルは、本日最大の爆弾を落とした。
「――戦場には、僕も行く!」
サラはもちろん、会場にいた全員がパニック寸前だった。
クロルは無邪気に笑うと、サラの右手も取って『せっせっせのよいよいよい』の動作で、ブンブンと両手を縦に振る。
「だってサラ姫は、僕の嫁だしね! それに、前から実際の戦場ってのを見ておきたかったし!」
口から魂がでろんと飛び出して、なすがままにされるサラ。
チャンス到来とばかりに、クロルは力強い男の腕で引き寄せ……。
3本の腕に止められた。
1本目の太くたくましい腕は、リグル王子。
「ちょっと待て……一緒に行くなら俺だ。俺は騎士団長だ!」
「えー、リグル兄、騎士団長はバルトに返上したんじゃ」
「じゃあなんでもいい! 俺は1人の男として、サラ姫を守る!」
お前こそ待てよと突っ込まれたのは、久しぶりにローブを脱いで正装した、エールの華奢な腕。
「お前は、次期国王だろう。ここに居ろ。クロルも戦場では役立たずだ。行くべきは筆頭魔術師の俺だ」
「エール兄、病み上がりのくせに、でしゃばるんじゃねえっ!」
「ほう……お前、いつから俺にそんな口をきけるようになったんだ……?」
まあ待てと3人を引き剥がしたのは、一番太い国王の腕。
「お前ら、最初の話を忘れたのか? サラ姫は俺のモノだ。砂漠に行くも戦場に行くも変わらん。俺が行く」
「なあ、サラ姫?」と、鳶色の瞳を細めながら同意を求める国王。
氷の微笑を浮かべつつ「僕だよね?」とささやくクロル。
逞しい胸を張りながら「俺だろっ」と叫ぶリグル。
手のひらに魔術の炎を浮かべ「俺しかいないな」と呟くエール。
4人の男から、殺気のこもった視線をぶつけられ……。
サラの頭は、真っ白を通り越して、透明になった。
そして……。
サラの体は、勝手に動いた。
* * *
その光景を見た臣下たちは、あのシーンを彷彿とさせられた。
それは、決勝トーナメント第二試合。
屈強な剣闘士と対等に戦う、小柄な少年。
少年がまるで風のように舞うとき、男たちは……ただ崩れ落ちるのみ。
サラは、自分に詰め寄る4人の男のみぞおちに、拳を1発ずつねじ込んでいた。
細身なエールとクロルはもちろん、それなりに鍛えているはずの国王とリグルも、不意打ちと的確な急所への打撃に、唸りながら膝をつく。
黒騎士サラは、くるりと後方を振り返った。
「ルリ姫!」
「は……はいっ!」
目の前の光景にパニック状態のルリは、サラの放った低い声にビクリと震える。
「あなたは、強い男が好きだと伺いましたが……この中で一番強いのは、誰だと思いますか?」
ルリの目には、サラのドレスは一切映っていなかった。
このホールも、あの日のコロセウムに見える。
ブルーの瞳に吸い込まれるように見入り、心を奪われながら、ルリは言った。
「それは、黒騎士様、です……」
「ありがとう」
サラは、颯爽とルリに歩み寄り、その右手に感謝のキスを落とす。
白い肌をピンクに染めたルリに微笑むと、自分の髪に刺さっている白いバラの髪飾りを抜き取り、ルリの手に握らせた。
軽くなった髪をバサリと豪快にかきあげながら、サラは再び壇上の真ん中に進む。
まだ立ち上がれない国王と王子を横目に仁王立ちし、その場にいる臣下たち全員を見据えて、叫んだ。
「オレは、1人で行く……オレを止められる者がいるなら、かかってこい!」
そのとき、ようやく上りきった太陽が、厚い雲を押しやった。
天窓から差し込む光の筋が、まるで黄金の龍のように輝きながら舞い降り、黒騎士の体を照らす。
戦場だろうがどこだろうが、関係ない。
この少女は、きっと何かを成し遂げる……。
そんな予感に胸を震わせながら、誰もが息を止め、光に包まれる黒騎士を眩しげに見つめていた。
↓次号予告&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。
本当に長かった第三章最終話……お付き合いいただき感謝です! トキメモ結果としては4人とも振られるというオチでしたが、スッキリしていただけましたでしょうか? やっぱり男は強くなくちゃねというのが、サラちゃん&ルリ姫の結論でした。というか、サラちゃんは並みの男より男前に! 男に頼って守られて満足するようなキャラにはしたくなかったのです。これヤンデレってやつかしら。 4人の中で一番イイセン行ったのは、やっぱクロル君かな? 国王様は何気に一歩引いてたし、エール君は愛というより感謝、リグル君は初恋ワンコなので直球のみ。ま、強さで言ったら頭領君ダントツなのでどっちにしろ望みは無く……最終章では皆幸せにしてあげる予定ですが。一応次章は『女神降臨』、その次が最終章『砂漠に降る花』となる予定です。もうしばらく一緒に旅してくださると嬉しいです。
次回、エピローグ……は簡単に。この話の直後からスタートです。その後の閑話が、若干ボリューム多目になりますので。




