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第三章(29)闇を克服するために(後編)

 不遜な態度の男から「いつまで床に座り込んでるんだ?」と言われ、エールとコーティはテーブルへ移った。

 コーティは、上司の前に置かれたティーセットを、ワゴンの方へとさりげなく片付ける。

 まだ体がだるいサラは、ベッドの上にちょこんと座ったまま、3人のやり取りを見守っている。


 輝く水を死ぬほど飲まされ、ようやく体の力を取り戻したコーティは、緑の髪の男に目を奪われ……そして、心も奪われていた。

 コーティに凝視されていることなどまったく意に介さず、窓辺にもたれかかったまま、長い足を組み返すジュート。


「お前ら、自分が何をされたか、分かってるんだろうな?」


 まだ意識が混濁しているのか「これはやっぱり夢? こんなステキな方が存在するわけない……やっぱり目を閉じた方が現実?」と、ブツブツ呟いているコーティ。

 淡い月明かりを受け、瞳にほの暗い光を宿したエールは、ジュートの言葉にしっかりとうなずいた。


 人の心に踏み込み、恐怖を増幅させ、あまつさえ意識を完全に奪った上でその体を操る……それが、闇の魔術の一種。

 当然、禁呪である。

 まさかこうして、自分自身がかけられることになろうとは……。


「とりあえず、俺もできる限りのことはしてやる。お前ら、そこでしばらく大人しくしてろよ?」


 ジュートが手のひらをひらりと仰ぐように動かすと、月明かりの角度が変わった。

 捻じ曲げられた光のラインは、エールとコーティの2派に分かれて2人の体を包み込む。

 光を受けて、エールの胸の小さな灯りも嬉しそうに発光し返す。


 その光のやわらかさは、まさに世の理を外れるもの。

 大いなる女神に抱かれているようだと、エールは目を細めた。

 隣のコーティはといえば、再び意識を飛ばしかねないほど恍惚の表情を浮かべている。


「今こうして俺が光を与えても、お前らの心の闇は消せない。理由は……分かるな?」


 ハッと我に返り、緩んだ表情を引き締めるコーティ。

 焦燥を顔に出し、苦しげに息をつくエール。


 闇の魔術は、光の魔術でも消すことはできない。

 なぜなら、この闇はすでに魂と一体化しているから。


 いくら外から照らしてもらっても、闇はその裏側に隠れて生き延びる。

 月の見えない夜のように、自分の心が陰るとき、闇は再び表へと滲み出すだろう。


 「お前らは、何度でも使える便利な傀儡扱いだ」という、ジュートの言葉が胸に刺さった。


  * * *


 エールの右手は、自然と胸のポケットに添えられていた。

 俺はここに、希望の光をもらったはずだった。

 サラ姫のことを、命の限り守っていきたいと決意したはずだったのに。


「守護者殿……どうすればいい? 俺はもう、彼女を傷つけるようなことは、絶対にしたくないんだ」


 一見すると、自分とさほど年も変わらない、目の前の男。

 しかし、長く接するほど、彼が”異端”なのだということが分かる。

 見上げた先にあるのは、悠久の時を生き抜いてきたような、全てを見透かすような瞳だった。

 彼に比べて、今の自分はどんなに情けない顔をしているのだろうと、エールは心の中で自嘲した。


「お前の場合は、母親か……」


 唐突に告げられた言葉に、エールの体は硬直する。

 ついでのように「お前は兄だな?」とコーティに確認するジュートは、コーティの瞳に浮かんだ涙には気づかない。

 ジュートはゆるやかに歩み寄ると、2人の座るテーブルに両手をつく。

 腰を曲げ、2人と視線の高さを合わせながら、心の奥まで届くような低く掠れた声でゆっくりと告げた。


「いいか? 人の心は、変えられるんだ。お前たちの中の、闇に打ち勝て。それができなければ、お前ら……死ぬぞ?」


 2人の心に、嵐が起こった。


 愛する魔術師ファースを越えるほどの強烈な眼力を受け、ただその瞳を見つめ返すことしかできないコーティ。

 その瞳にじわりと浮かびかけた涙を、目の縁で必死に留める。


 蘇るのは、人生でたった一度だけ、本物のファースを捕まえたあの日のこと。

 まるで子どものように嗚咽を漏らしながら、日が暮れるまで泣いたというのに、その後自分はいったい何を変えたのだろう……。


 そう、泣いただけだ。

 兄が荒れた日の夜のように。

 先ほどまで見ていた悪夢のように。


 ――もう、泣くのは嫌だ。


 コーティは、新たに見つけた心の恋人に、決意と熱意を込めた視線を送り返した。


  * * *


 ジュートを真っ直ぐ見つめ返すブラウンの瞳とは対照的に、反らされたのは黒い瞳。


 自分は近いうちに死ぬ。

 そう覚悟して生きてきた10年だった。


 生への執着を少しずつ削ぎ取ってきたことが、エールの心を闇に捕らえる新たな枷。

 鎖に繋がれる生き方に慣れた動物が、突然自由を与えられたからといって、そこからすぐには逃げ出さない……むしろ、自ら鎖を求めてしまう。

 エールはそんな自分を自覚し、愕然とする。


 ようやく、魔女の飼い犬……傀儡として利用される人生から抜け出すチャンスが来たのだ。

 それなのに、エールは逃げた。


 しかし、逃げた先には……涙をたたえながら揺らめく、ブルーの瞳が待っていた。


「……お願い、エール王子」


 サラは、その整った顔をくしゃくしゃにしながら、慟哭した。


「私、あなたを助けたいの……お願い、生きて……!」


 サラの言葉に反応するように、エールの左胸が強く激しく輝いた。

 自分が一生を捧げると誓った女に、生きて欲しいと望まれている。

 それ以外に、どんな理由が必要なのだろう?


 ――俺は、生きる。


 エールは何も言わず、ただ一度うなずいてみせた。



 2人のやりとりを見て、あからさまに不機嫌そうな表情になったジュートは、野生の狼のように唸った。

 その苛立ちを察して、2人が瞬時に身を引いたと同時に……あまり頑丈ではなさそうなデザインのテーブルに、男のゲンコツが落とされた。

 ミシミシと嫌な音がしたが、さすがにその一発で崩壊までは至らず、エールは「腕力だけならリグルが上か」と、かるく安堵した。


「話は終わりだ。お前らもう出て行け! 俺とサラの逢瀬を邪魔すんな!」


 その台詞を最後まで聞くか聞かないかというタイミングで、ジュートの強力な魔術が放たれた。

 次の瞬間には、強制的に部屋を追い出されていた、エールとコーティ。


 目の前で勢い良く閉まった扉を見つめながらと、「サラ姫様の恋人でしたか……」と呟きがっくりと肩を落とすコーティ。

 エールは、長い前髪をかきあげながら、「まったく、ワガママな侵入者だな」と苦笑した。


  * * *


 再びジュートと2人きりになったサラ。

 先ほどまでは、うにうに星人でお口と心がいっぱいだったが、今は違う。

 暗い闇に囚われた2人のことを考えて、サラの頭はフル回転していた。


 サラの中に、恨みや憎しみという負の感情はほとんど無い。

 心の奥深くにはあるのかもしれないが、彼らのように明らかな闇は抱えていない。

 だから、解決策など見当も付かない。


 せめて、もっと食事を取らせて太らせることくらいしか……。

 ついでに自分の髪の毛も混ぜ込んでみるかと、サラは本格的な坊主への覚悟を決めた。


「ねえ、ジュート……もし私が坊主になっても、私のこと嫌いにならないよね?」

「はぁっ?」


 ジュートは額に手を当てながら、大きなため息をついた。


「相変わらずお前、意味わかんねーな……」


 サラは、ふふっと笑いながら立ち上がった。

 今更ながら、まだこの相手とはたった2回しか会っていないことを思い出して。


 僅かな時間だからこそ、大切にしなきゃいけないんだ。

 迷っている暇なんてない。


 サラは、ずっと疑問に思っていた言葉を、ついに口に出した。


「あの……ジュートには、本当に救えないの? 闇に囚われた人のこと……」


 光をあれだけ操るというのに。

 この世界で、最も魔力が強い存在なのに。


 そんな気持ちのこもったサラの問いかけに、ジュートは寂しげに笑った。


「悪いな。残念ながら今の俺には、できないことの方が多いんだ」


 サラは、ジュートが”今の俺”と言ったことが引っかかった。

 それは昔のジュートならできたかもしれないということ。

 なぜ……と言いかけたサラの耳に、ジュートの呟きが届いた。


「光の当たるその裏には、必ず闇ができる。闇を完全に消すことは……誰にもできないんだ」


 か細い声。

 陰りを帯びた瞳。

 ジュートも、何か心に抱えている闇があるのだろうか?


 常に自信満々な人だからこそ、そんな姿はやけに胸を締め付ける。

 サラは抱きしめてあげたくて、必死で手を伸ばした。


 ジュートは、おぼつかない足取りで歩み寄ろうとするサラを笑顔で出迎え、その腕の中に閉じ込めた。

 この腕の中にいることにずいぶん慣れたサラは、あたりまえのようにその広い背中へ腕を回す。

 白いラウンドテーブルには、1つの大きな影が映し出された。


  * * *


「これで、またしばらくお別れだな。サラ……お前の夢、叶えろよ」


 少し汗のにおいがするそのシャツに顔を埋めながら、サラは小さくうなずくと、瞳を閉じた。

 そのとき、サラの心の中に、1つのキーワードが浮かび上がった。



『光と闇』



 先ほどジュートが呟いたその言葉が、サラの頭の中で強く警鐘を鳴らす。

 その意味を求めて思考を深めていくと……サラの脳裏にある映像が現れた。


 それは、光のリング。

 真昼の太陽を覆う、暗闇。


「皆既日食……」


 以前テレビのニュースで見たことがあるだけの、その現象。

 いつも光の裏側へと隠れている闇が、ほんの一瞬だけ逆転する日。


「うん?」


 サラの呟きは、パズルのピースのようにばら撒かれる。

 自分自身も、何を口走っているのか分からず、サラは心に現れては消えるイメージの断片を拾っていった。


「砂漠の、砂嵐の中に、私がいる……女の人の、涙と……ジュート」


 映像の中のサラは、その場所に横たわっていた。

 見も知らぬその場所に、なぜ自分がいるのかは分からない。

 ただ、寝転んでいると分かるのは、砂を踏みしめながら近づいてくるジュートの足が、90度傾いて見えるから。


 履き潰しかけの薄汚れた革靴、細く引き締まった足首、強い脚力を支える足、麻を黒く染めた膝丈のズボン。

 立ち止まり、腰を屈めるジュートのズボンの裾から、角ばった大きな膝が現れる。

 そして、風を受けてはためく白いシャツの裾、適当に留められた胸のボタン、はだけた胸元からのぞく胸筋とキレイな鎖骨……。


 カメラのファインダーをのぞくように、少しずつ移ってゆく風景。

 太い首、シャープな顎のライン、薄い唇、形の良い鼻……そして、ずっと会いたいと願っていたその緑の瞳を見つけたとき……。


「光……ジュートに、光が降りて……」

「サラ?」


 サラは、ジュートのシャツの背中に回した腕を、そっと外した。

 サラを捕まえていたジュートも、腕を外す。

 冷たい月明かりの中で、2人は視線を絡め合った。


 無意識に、サラは微笑んでいた。

 まるで別人のように、凄艶な笑み。

 陶器のような白い肌の中に咲いた赤い唇が、月明かりの中で艶めいている。


「1つだけ、お願いがあるの……」


 その唇が紡いだ言葉には、確かな力が込められていた。

 サラの声は光の精霊へと変化し、ジュートの心を支配した。


「真昼の太陽が、闇に隠れるその時に……戦場に来て……私待ってる」


 言葉の意味は、分からなかった。

 だが、ジュートは「ああ、必ず」と言った。

 サラが「よかった」と呟き、いつも通り無邪気な笑顔を見せたことに、ホッと吐息をついた。


 ――もう、行かなければ。


 ジュートは一度窓の向こうをみやる。

 その行為に別れを察したサラが、笑顔を泣き顔に変えかけるのを、ジュートはやさしいキスで止めた。


 唇を離して、ささやいた言葉は。



「じゃあな、サラ……愛してるよ」



 一瞬、強く吹き抜ける風。

 力が抜け、その場に崩れ落ちても、もう抱きとめてくれる腕はなかった。


 窓枠に飛び乗ったジュートは、ふわりと窓の外へ消えていった。

↓次号予告&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。











 今日は週末記念でちょい長め……もう言い訳しません。これもひとえに作者の頭が(←言い訳)ということで、魔王様強制退場です。この捨て台詞みたいな告白、ひどすぎる。どいひー。サラちゃんに好き連呼されたときから、言わせよう言わせようと思ってたんですが、タイミングを逸し続けてこの場所に。たくさんの「好き」より一回の「愛してる」の方が10倍界王拳だと思う作者。ん? 意味ワカラン? んじゃ、歩兵10枚よりと金1枚……って、最近自分の使う比喩が年配のエリアだというショックな指摘があり……10個のケータイストラップより、1個のソフトバンクでか犬ストラップ! どーだ!(←すぐ古くなるネタ)サラちゃんの予言への流れは、唐突だけど仕方なく……これ以上話長くしてらんないので、ここはご都合主義万歳ってことで勘弁です。

 次回、ついに会議スタート。第三章クライマックス突入。主役はもちろん主人公……じゃなくて、賢いあの人?

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