第三章(27)闇を克服するために(前編)
目を覚ましたエールは、自分がまだ深い思考の海に溺れているのではないかと思った。
薄闇の中で自分を覗き込む、見たことも無いような深い緑色の瞳が、そう思わせた。
――どこからか聞こえる、あの優しい声。
『精霊の森には、深い深い緑色の、まるで木漏れ日を映しとったような光る泉があるの。そこには、傷ついた動物達が集うのよ。その泉の水に触れると、どんな病気も治ってしまうんですって』
さ、このお茶を飲みなさい。
お母さんが、森へ行って汲んできたの。
全部飲んだら、きっとお熱も下がるわよ。
濃い緑色をしたそのお茶は、薬草が溶かされていて……ひどく苦かった。
思わず顔をしかめたエールの瞳を覗き込みながら、彼女は良い子ねと、頭を撫でてくれた。
「母さん……」
あの魔女のことは、一切思い出さないようにしていたのに……今、こうして記憶が鮮明に蘇るのはなぜだろうか。
「おい、寝ぼけてないでこの水飲め。お前の体から毒抜けるからよ」
低く唸るような男の声に、エールは浅い夢から醒めた。
至近距離で自分を見つめるその人物に、見覚えは無い。
とっさに離れようとする体を、リグル並の腕力で捕まえられてしまった。
「いいからさっさと飲めっつーの!」
猫の子のように首根っこを掴まれたエールは、目の前の男の突き出したコップから、無理やり大量の水を飲まされた。
少しだけ光を帯びて見えるその水を飲み干すと、あの日飲まされた薬湯のように、エールの体は不思議と楽になった。
「ジュ……頭領、もうちょっと優しく……」
もうだいぶ聞きなれた、鈴が鳴るような声を聞いて、エールは初めて自分の置かれた立場を理解した。
* * *
エールとサラは、ジュートが光の魔術をかけた水をしこたま飲まされた。
部屋の隅には、コーティが寝かされたまま放置されている。
エールには、即効性があったらしく、ジュートに抵抗するそぶりをみせるほど元気だ。
サラは、先ほどの毒が多少薄まったような気がしたが、まだぐったりとベッドに横たわったまま。
そんなサラを見つめると、悲痛な表情でエールは土下座した。
「サラ姫、すまない。俺は何も覚えていないんだ。この部屋に来たことも、君に何をしてしまったかも……」
サラは「顔をあげて」とささやいたが、ゲンコツ饅頭を作ったジュートは、エールの後頭部を木魚のようにポクポクと叩いた。
「俺が間に合ったからいいけどなあ……あの紐が解かれてたら、てめえの命は無かったぞ」
……紐?
サラは、手首を縛っていた紐のことを思い出して、文脈的に違うと心の中で打ち消し……。
「あっ……あんた、どこ見てんのよっ!」
サラの手は、脳内ではスピーディに、実際はのそりと、ワンピースの裾へ移動した。
先ほどスカートの中を覗かれたときに、きっとサラの太ももの脇にチラリと、2本の紐を見つけたに違いない。
「これは、エシレがっ、リコがっ!」
パニックになってわめくサラをスルーして、ジュートは再びエールのローブの首根っこを掴む。
無理やり顔を持ち上げさせると、その青ざめた顔に薄い唇を近づけて……。
首筋に、強く口付けた。
「――っ!」
慌てて、ジュートから離れようともがくエール。
ジュートは薄い唇をぺろりとひと舐めし、笑った。
「おい、これでお前のしたことはチャラにしてやる。サラ、お前は真似すんなよ?」
「真似するかっ!」
叫んだサラは、首を捻じ曲げてエールを見た。
強烈なショックを受けたであろうエールは、熟れる前のトマトのような、赤いんだか青いんだか分からない、不思議な顔色をしていた。
ああ、頭が痛い……。
先ほどまで、ぐんぐんと回復の兆しを見せていたサラが、再び脱力して布団に顔を埋める。
やっぱり、この頭領あっての、あの盗賊たちなのだ。
目には目を、歯には歯を、拳には拳を、キスにはキスを……。
首筋を手のひらで押さえていたエールは、わなわなと体を震わせたかと思うと、目の前のシャープな顔を睨みつけた。
「サラ姫には、すまないと思う……でも、お前はいったい何者だ!」
真っ先に出てきてもおかしくないだろう疑問。
サラが、なんと説明しようかと思考を巡らせる間に、エールを離したジュートが仁王立ちに腕組みした王様ポーズで答えていた。
「俺は、この女の――守護者だ」
鋭い眼光が、エールの胸を貫いた。
はるかな高みから見下ろされていると、エールは思った。
こんな気持ちになったのは、初めて国王に面会したとき……いや、それ以上の圧倒的な存在感だった。
深い緑の髪と、緑の瞳。
月明かりの中でも、男の全身が光り輝いているのが分かる。
この男に揺り起こされたときから、そのことは分かっていたのに。
エールの体は、今更ながらカタカタと震え出した。
* * *
ネルギ国の巫女姫、サラ。
彼女を守る守護者とは、もしや聖獣のたぐいではないだろうか。
体つきは若干リグルより華奢な、ただの人間の男にしか見えない。
しかし、その引き締まった体からにじみ出るのは、黄金の龍を超えるほどの恐ろしい魔力。
エールは、その緑の瞳に魅入られ、言葉を失っていた。
ジュートは放心状態のエールに笑みを向けると、その逞しい腕を伸ばし、エールのローブの襟元を掴んだ。
先ほど痕をつけられた首筋が、かすかな痛みを放つ。
思わず瞳を閉じたエールの耳元に、低くハスキーな声が響いた。
「もっと率直に言えば、この女は”俺のモノ”だ。今後近づいたら、ぶっ殺す」
呆気に取られたエールは、サラの部屋の柔らかな絨毯にへたりこんだまま、その光景を見つめていた。
しつこくねちこく、クロルにささやかれ続けた、あのシーン。
確かにこれを間近で見せられたら、愚痴の一つも言いたくなるだろう。
うにうにうにうに……。
力で抵抗できないサラは、なすがまま。
放心状態のライバルを横目に見ながら、ジュートはその甘い果実のような唇を、思う存分堪能した。
↓次号予告&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。
はい、桃缶ジュースな回でした。ジュート君、やりたい放題です。王道っぽく”守護者”って言わせたかったんだけど……どっちかっつーと魔王っぽくなってきたような。今まで出番少なかったしまいっか。エール君&優しかった頃のママンエピソード、そのうち番外編でちゃんと書いてあげたいなあ。パピィ&マミィ(←心配性風に変えてみた)の身分差ラブ話でもいいかも。あっ、やっぱラブはしばらくイイっす! うっぷす。ところで皆さま、ヒモパンはお好きですか? ヒモパンについて、熟考の良い機会をお作りしました。日記の方で呟いてた壮大スペクタクルSF短編が(小一時間で)完成! ……モノカキ仲間に内容見てもらって案外好評だったのでUPします。ああ、これでまた作者のブランドイメージが、アホ方面へググッと移動してしまふ……まいっか言っとけマイッカー。
※こちらにUP済の『エロマゲドン』です。どうか笑ってやってください。
次回、そろそろ魔王ジュート君退場。サラちゃん、次の逢瀬への伝言残します。そして怒涛のご都合主義クライマックスへ……。