第三章(20)月巫女
国王の「落ち着け、デリス」という言葉で、小さなため息をつき、何事も無かったかのように席へついたデリス。
うまく隠しているようだが、良く見るとその体が小刻みに震えているのがわかる。
デリスの細い肩を軽く叩くと、国王はサラに鋭い視線を向けた。
「魔女の呪い、か。サラ姫にそんな不謹慎なことを言うヤツは、1人しか思い浮かばないな……クロルだな?」
国王の表情は、一切変わらない。
変わらないのに……何故だろう、この業務用冷凍庫バリの寒さは。
とりあえず、国王と別れたらすぐクロル王子に会いにいって、逃げろと忠告しなければ。
怯えるサラが固まっている間に、国王は何事も無かったかのように立ち上がると、デリスが運んできたワゴンに乗せられたままの水差しを掴んだ。
美しい女神と咲き誇る花々の模様が掘り込まれたガラスの水差しは、花弁1枚1枚の縁取りに宝石があしらわれた、特別なもの。
中には7分目ほどの水が入っており、国王の手の動きに合わせて波のように水面を揺らす。
その水差しをサラの目の前にかかげながら、国王は冷静な表情で告げた。
「サラ姫に問おう。今ここにある水は、1口飲めばどんな病をも治すという特別な水だ。目の前に、この水を欲している者がいるとしよう。さあ、この水を使うか? 捨てるか?」
* * *
唐突な謎かけに、話の流れが分からず混乱するサラ。
国王の瞳に、何一つ陰りがないことを確認すると……じっとその水差しを見つめた。
ちゃぷりと揺れる水は、窓から差し込む光を乱反射してきらめく。
その光の向こうに浮かんだのは、先日倒れたエール。
そして、病院のベッドで青くなっていたカリム。
もしこの水が、本当にそんな不思議な効果を持つとしたら……。
「私なら、使います」
国王は、サラの答えに静かな笑みを返す。
「では、もう1つ質問だ。この水を飲んで救われた者が、奇跡の水と呼ぶようになった。その人物は、これさえあればと頼り続けた。さあ、この水は必要だろうか?」
問答の意味を考えずに、サラは素直に答えた。
「一度その水を隠すか、いっそ捨ててしまいます。世の中に起こる出来事には、良いことも悪いことも、すべて理由があると思うから……」
サラは、水差しから目を逸らさず答える。
この水がもし戦場や砂漠にもたらされたら、どのくらいの人が救われるのだろう。
逆に一部の人だけがこの水を利用し、救われ続けるなら……。
「奇跡なんてものは、予想外に起こるからこそ奇跡なんです。その水が、本当に奇跡を望む者の手に渡らず、特定の人物のみに益をもたらすとしたら……単に所有者の欲望を埋めるための、便利な道具でしかありません」
澱みなく答えるサラを凝視する国王。
うつむいていたデリスも、いつしか顔を上げ、背筋を伸ばして真っ直ぐサラを見つめている。
「サラ姫のことを、クロルが気に入るわけだな……」
国王の呟きに、サラは首を傾げる。
水差しをそっとテーブルに戻すと、とってから手を離さないまま国王は言った。
「答えを言おう。今俺は、こうして奇跡の水を手にしている。すでに乱用していると言っても良いかもしれない。もちろん弊害もあるが、手放せずにいる……クロルの話はそういうことだ」
まったくもって、意味が分からない。
怪訝そうに眉をひそめるサラから、国王は少しばつが悪そうに唇を噛み締め、瞳を逸らした。
サラは顎に手を当てて少し考えると、思いついたことをそのまま告げた。
「あの、1つお願いしていいですか?」
「なんだ?」
サラは、自分のグラスに残っていたオレンジジュースを一気に飲み干すと、空になったそれを差し出した。
「私もそのお水、1口欲しいです。片手が使えないのって不便で……」
無邪気におねだりするサラ。
無言で顔を見合わせる、国王とデリス。
「あっ、もしかしてこの程度の怪我じゃ、ダメですか? これって乱用?」
すみませんと慌てて謝るサラに、2人は……大爆笑した。
* * *
サラの勘違いにより、シリアスなムードはぶち壊しとなった。
「だいたい、王様が悪いんですよ! そんな分かりにくい例を使って、さも本当のことみたいに真剣に話すから……」
白いナプキンで涙をぬぐいながら、国王はサラに「悪かった」と謝った。
普段冷静沈着がウリのデリスも、このときばかりは笑いをかみ殺している。
「それで、その奇跡の水っていうのは、一体何のことなんですかっ! もう比喩は無しですよ!」
赤っ恥をごまかすように、ぶっきらぼうに尋ねるサラ。
ひとしきり笑ったおかげでスッキリしたのか、国王は軽く答えた。
「サラ姫もすでに会っているだろう……”月巫女”と呼ばれる女と」
緩みきった雰囲気が、その単語を契機に、再び引き締まる。
月巫女という言葉に、びくりと体を震わせとっさに目を伏せたデリス。
サラは、豹変したデリスの態度を訝しく思いつつ、あの銀の髪が美しい女性を思い描いた。
国王の部屋でディナーをいただいた日。
初めて間近で見た月巫女は、美しすぎて……冷たい人形のような表情だった。
会話しても、笑顔を作っていても、一切サラを見ていないような。
クロルも、最初はそういう人物かと思った。
でも、パーティで挨拶したとき、クロルはサラのガンつけに、侮蔑や挑発という人間味のある意思を返してきたのだ。
見た目の美しさに目を奪われていたから、あまり気にならなかったけれど、月巫女は不思議な人だった。
まるで目の前にある、この美しい水差しのような……。
水差しの向こう、国王の手のひらがあごひげをしゃくるのが見えた。
困ったり迷ったとき、国王はそんなしぐさをする。
「俺がかつて……精霊の森の神殿に辿り着いた話は、覚えているだろう?」
サラは強くうなずくと、水差しの女神から視線を外し、目の前の国王に集中する。
「神殿に辿り着いた者には、褒美がつかわされる。俺は、何か1つだけ望むものを持ち帰って良いと言われた。宝石、宝剣、妖精がらみのマジックアイテム……数々の宝の中から、俺が選んだのが、あの”月巫女”だった。いや……本当は、強引に連れ帰ったんだ。精霊王が留守なのをいいことにな」
国王は、だから罰が当たったのかもしれないなと、あの夜のように苦しげな表情で自嘲した。
* * *
月巫女は、もともと大陸のはるかかなたにある国の巫女姫だった。
精霊を信仰するその国からは、定期的に巫女姫が遣わされ、一定期間森で暮らすのだという。
森で多大な力を得てから、国へ戻った巫女姫は、その後国政の重要なポジションに就く。
つまり国王は、他国の王女を攫ったようなものだ。
それほどまでに望んだ、月巫女という女性は、いったい……。
「月巫女には、普通の魔術師には無い特別な能力がある。当時の俺には、確かに必要なものだった。それは”過去見”という……人の過去や記憶が読めるということ」
その能力は、国王を数々の危険から守ったという。
特に、王弟の残党がひしめく中、誰が本当の味方か分からないという状況で、信頼できる人間のみを選ぶために。
「もちろん、月巫女にも全てが読めるというわけではない。比較的読みやすいのは……言葉で告げられた嘘だ。特に、意図的につかれたもの」
サラは、その言葉にピンと来た。
「じゃあ、私が女だとバレたのは……」
「そう、月巫女が読んだ……というのが、半分当たりだ。あの黒騎士はどう見ても少年だったから、本当に驚いたぞ」
思い出したのか、国王は軽く笑む。
一瞬明るさを取り戻した鳶色の瞳は、再び陰りを帯びた。
「軽い嘘、無害な嘘、善意の嘘……そういうものは、月巫女には読めない。もし読めたとしても、報復は受けない。彼女が捕えるのは、悪意のある嘘だ。王弟派の残党も、俺の命を狙う刺客も……捕らえたら、彼女は決して逃がさない」
まるで漫画やドラマのような話だった。
他人の考えていることが分かってしまう、特殊能力を持つ人物。
人間の建前の奥に隠れた本音……見たくない人の暗闇を、いやおうなく見せ付けられるとしたら。
あの人形のような表情になってしまうのも、理解できるかもしれない。
……ううん、問題はそこじゃない。
『報復』
精霊の森と関わる者に、必ず降りかかる呪い。
国王が森へ入ったときも、5年前に魔術師ファースの幻を受けて死んだという男も。
自分自身の持つ暗闇に押しつぶされて……。
「――狂って、死ぬんですね?」
国王は、サラの言葉に瞳を見開くと……深くうなずいた。
↓次号予告&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。
ずっとチラチラ出て気になる存在だった、月巫女さんの正体暴露編でした。べっぴんさんだけど、かなり怖い人です。でもお宝。ドラクエでいうと、呪い系アイテムみたいなもんか。能力数値高いけど自分にもダメージあり。それにしても暗いなー。もうちょっとこの暗い話続きます。本当はここに戦後処理の話も入れたかったんだけど、ますます暗い話になってしまってボツに。(いずれは触れなきゃなんないから、また後で)とにかく、ストーリー進行に関係無い話はなるたけカット! あ、明るくてくだらないボケ&ギャグはカットしません。むしろ入れ込みます。この話の前半にも無理やりコメディ入れてみたんですが……ちょっと苦しかったかも。ギャグは練らなければウケないという好事例でした。
次回、月巫女ネタ後編。今度はデリスの告白メインです。ばーちゃんの愛がにじみ出る感じで。苦い話続きなので、ラストにチロルチョコ1個プレゼント。




