第三章(16)エールの視線
クロルの推理からしばらくの沈黙を経て、ルリが呟いた。
「ごめんなさい、もう無理……これ以上は、考えられない……」
その言葉をきっかけに、会合はお開きとなった。
また近いうちに集まろうと約束して。
このヘビーな話し合いで一番ダメージの少なかったクロルは、そうと決まると「あー、疲れた。じゃねー」と言い捨て、さっさと部屋を出て行った。
クロルが出て行くのと同時に、手馴れた様子でお茶の片付けを始めるルリ。
何か手伝えることはないかと近寄ったサラに、人差し指を立てて一喝。
「けが人は座ってなさい! というか、お茶会は片付けまでが主催者の仕事だから、気遣いはご無用よっ」
大人しく元の席に戻ったサラは、見るからに高級なカップ&ソーサーをジェンガのように重ね、絶妙なバランスで流しへ運んでいくルリを見つめた。
ドレスの上からエプロンをつけ、ミニキッチンに立つルリの姿は、女のサラから見ても最高に魅力的だ。
顔が可愛いのはもちろん、出るとこ出て引っ込むところは引っ込んでいるあの素晴らしいスタイル。
そして、王女という立場にあっても失われない、労働や奉仕への熱い心。
なにより、言いたいことはハッキリ言う、竹を割ったような性格……。
無意識に、サラは呟いた。
「ああ、ルリ姫と結婚したい……」
その後、猛スピードで片づけを終えたルリは、サラの顔を見ずに「私はこれでっ!」と退室した。
* * *
リグルの部屋に残ったのは、家主のリグル、エール、サラの3人。
サラは、ルリと一緒に自室へ戻ろうと思っていたのに、アテが外れてしまった。
この場所から後宮へ、迷わず辿り着ける自信は無い。
エールかリグルに、後宮の入り口まで送ってもらおう。
それとも、誰か侍女を呼んでもらおうかな。
「じゃ、そろそろ俺も」
ちょうどエールが立ち上がったので、サラは送ってくれないか打診しようと、慌てて声をかけた。
「エール王子、あの……」
「いいこと思いついたっ!」
サラが話しかけるのと同じタイミングで、テーブルに座ってなにやら考え込んでいたリグルが、突然両手をバシンと叩いた。
「エール兄っ、今日から俺は、エール兄の部屋で寝泊りするからな! もし突然発作が起きたら大変だし!」
「いや、要らない」
あっさりと否定したエールは、足早に部屋を出ようとする。
そのローブの裾を、リグルはとっさに掴んで引き止めた。
ただでさえ腕力の強いリグルに引っ張られ、病み上がりのエールはバランスを崩すと、なすすべなく絨毯に転がった。
柔らかい絨毯なのでダメージは無いが、靴についた土を落とすような気遣いの無いリグルの部屋だけあって、たった1日で汚れがたまる。
黒いローブについた埃を払いつつ体を起こし、文句を言おうと口を開きかけたエールは……リグルの豪快な笑みとバキボキと鳴らされる指を見て、抵抗を止めた。
「分かった。とりあえず今晩一緒に過ごしてみて、うまく行きそうだったら、な?」
青白い顔をしたエールが、真剣な男女交際には逃げ腰なプレイボーイ的提案をするも、リグルは最初の一言しか聞かずに「よっしゃ!」と大喜びだ。
今まで距離を置かれていただけに、リグルはこうしてまた昔のように仲良くなれることがよほど嬉しいのだろう。
2人のやり取りを見ていたサラは、以前テレビでやっていた大家族ドキュメントの反抗期兄弟の和解シーンを思い出し、よかったねえと呟いた。
「エール兄のためなら、多少の階段と廊下くらい我慢できるぜっ」
リグルの部屋は、王族の部屋のある一画からはずいぶん離れている。
元々は他の王子と同じく、王族専用の厳重警備エリアに部屋があったのだが、リグルが「いちいち階段を昇るのは面倒。訓練場に近い方がいい」と主張したため、この場所になったそうだ。
そしてリグルの長所は、一度決めたらまっしぐらな、その行動力。
「では、後で侍女たちに簡易ベッドを持ち込ませ……」
「大丈夫! 確か医務室に余ったベッドがあったから、俺が持ってくよ!」
「いや、あのベッドは……」
患者の……と呟くエールの言葉は、勢い良く部屋を飛び出して行った秋田犬リグルには届かなかった。
* * *
部屋にサラと2人で残されたエールは、若干の気まずさを感じていた。
自分がどうやって助けられたのかは、庭園の広場から移動する間に、肩を貸してくれたクロルからしっかり聞かされた。
時系列で整理されたクロルの説明は、非常に簡潔で分かりやすかった。
『サラ姫、最初はエール兄さんの顔殴ったんだろうね。兄さんの頬ちょっと腫れてたし。そのうち服脱がせて、薬を見つけたみたいだよ。でも彼女魔力無いから水が呼べなくて、代わりに自分の指噛みちぎって血と一緒に飲ませたみたい。あ、もちろん”口付け”でね。僕たちが到着したとき、まさにその場面だったから、本当にビックリしたなあ。サラ姫って実は痴女だったのかと思ってさ。そしたら、次の瞬間口からダラッと血を流すから、痴女じゃなく魔女が降りたのかと。でも、光の魔術でエール兄さんを治した時は、まるで女神だったな。あ、エール兄さんそのときもサラ姫に”口付け”されてたよ。良かったね』
クロルは淡々と語ってくれたが、その眼は一切笑っていなかった。
特に、口付けという単語には、やけに力が入っていた気がする。
エールは、すぐ隣に大人しく座っているサラを、チラリと盗み見る。
長袖のドレスの袖が左腕だけ無残に千切られ、のぞいた白い腕の先には、包帯の巻かれた手。
一度顔と手を洗ったので、汚れてはいないが、黒いドレス全体は砂埃にまみれ、短髪を隠すための髪飾りは美しい黒髪から離れまいとするように、かろうじてひっかかっている。
傷に巻かれていた包帯が緩んだのか、せっせと巻きなおしているその表情は、真剣そのものだ。
片手しか使えないせいか、案外不器用なのか、上手に巻けず何度もやり直す姿がいじらしい。
――その傷をつけさせたのは、自分だ。
サラに魔力が全く無いことは、エールにとって衝撃だった。
力の差はあれど、あらゆる人間に宿るといわれる魔力。
それが、治癒の魔術すら受け付けないなんて……そんな人物は見たことも聞いたことも無い。
代わりに、サラが持つ能力は、非常に特異なものだった。
『人の放った魔術を、転移させる』
エールは、決勝トーナメントの戦い方を見ていて、単に黒騎士は魔力が少ないのだろうと思っていた。
少ない魔力をギリギリまで溜めこみ、強力なマジックアイテムの力を活用することで、あの爆発的なパワーを得たのだろうと。
その予想は、完全に外れていたことになる。
本来、一度魔術師の支配を受けた精霊は、他の存在から干渉されることはない。
使命を遂げるか、遂げられずに消滅するか、そのどちらかだ。
しかし、黒騎士……サラ姫は、精霊に使命を上書きするのだ。
決勝戦の決め手となった金色の龍も、元々魔術師ファースの術により生まれた存在。
それを一度受け止め、別の形に変えて放出し直すなんて、まさに神の域に達するような……。
サラ姫は、もしかしたら神の声を聞く巫女姫なのかもしれない。
砂漠の国は未開の地だし、このような不思議な力を持つ巫女姫がいてもおかしくない。
なにより、サラ姫は神の御使いのように美しい……。
そこまで考えたとき、エールの視線に気づいたサラが顔を上げ、不思議そうに小首を傾げた。
「エール王子?」
エールは、ブルーの瞳に射止められた。
無理やり視線をずらしたが、今度は高く澄んだ声を紡ぐサラの唇を見てしまった。
ふっくらと柔らかく血色の良いその唇は、紅をさしていないというのにひどく赤い。
慌ててうつむいたエールの視線が、サラの首筋、胸、腰へと移っていったとき。
エールの心臓が、ドクリと強い音を立てる。
エールは思わずサラに手を伸ばし……。
「その包帯貸せっ!」
サラの手にぐっちゃり乗った白い布を、乱暴に奪い取っていた。
* * *
サラの近くに椅子を寄せて陣取ると、器用にするすると包帯を巻いていくエール。
目下最大の課題が解決したサラは、上機嫌だ。
「そうだ、私エール王子に聞きたいことがあったんだ」
エールはなるべくサラの笑顔を見ないように、手元に意識を集中させた。
「さっきバラのテラスで言ってたことって、本当ですか?」
「何のことだ?」
「私と結婚してくれるって」
もう少しで巻き終わるというときに投げられた、サラの爆弾。
呆気に取られたエールは、その手から包帯の残りを取り落とした。
シュルシュルと一気にたるんでいく包帯を見ながら、サラは「あーあ」と呟いた。
↓次号予告&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。
いきなりMAXコーヒーの前に、微糖ミルクな感じのお話でした。ええ……本当は、書いてて長くなってしまったので、途中で分けました。極甘は次回に先送りで、今回はライトなコメディ風に。がっちり打ち解けたことで、だんだん王子&姫が壊れ……くだけてきて、キャラが勝手に動くようになってきました。特にエール君、トラウマ系ポーカーフェイスでめんどくさいヤツだったけど、世話好きお兄ちゃんになってからは楽チンです。いつものように動物に例えると、コリー犬って感じ? 突然なぞなぞ『コリーが逆立ちすると、何になるでしょう?』 ヒントは業務用コピー機の……。(←スルー推奨)せっかくキャラ立ってきたんですが、もうそろそろ第三章はクライマックスです。フルスピードで! 勢いだけで!(←いいのか?)
次回、サラちゃん視点に戻り、エール君に小さな奇跡を起こします。そしてついに、プロポーズ大作戦完了……となるか?




