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第三章(13)光の乙女の祈り

 突然倒れたエール。

 サラは、尋常ではないエールの様子に、冷静に対応しなければと深呼吸をして震える体をおさえた。


 最初は単に熱でも出たのかと思い、額に手を当ててみて……あまりの冷たさに驚いた。

 凍死寸前という人間が、こういう体温になるのではないかと思ったくらいだ。


 サラは、エールの名を大声で呼び、その青白い頬を何度か叩いてみたが、その程度ではエールが瞳を開くことは無かった。

 以前、馬場先生に教わった緊急時の対応を思い出し、サラはエールの首筋にそっと触れた。

 指先で脈を測り、耳を近づけて呼吸を確認する。


 かすかに感じる生命の炎。

 ただ、1秒ごとに脈も呼吸も少しずつ弱まっているような気がする。


 サラの心臓が嫌な音を立てて、エールの呼吸の音をかき消した。


  * * *


 エールを背負って移動できないかと考えたものの、意識を失ったエールの体は想像以上に重く、担ぎ上げたサラはひざから崩れ落ちた。

 サラの力では上半身を抱えて後ろ向きに引きずるのが精一杯だ。

 その行為が、エールの命をますます削るような気がして、サラは移動を断念する。


 エールをこの場所に残して、サラだけでもバラのテラスへ戻るという選択肢もあるが、ただでさえ方向感覚の無いサラが真っ直ぐ辿り着ける保障はない。

 また迷ったりしたら、最悪の結果になる。


「誰か……リグル王子! クロル王子! ルリ姫っ!」


 3人の名前を叫んだサラは、早く来てと願いながら、ふとエールの台詞を思い出した。

 時間が無い……エールが告げた意味は、このことかもしれない。

 これはきっと、彼の持病なのだ。


 サラは、助けを求めて喉が潰れるほどの大声を出しながら、エールをやわらかな芝生に横たえ、マントを脱がす。

 その下のあまりにやせ細った体に、サラは嗚咽を漏らしかけた。

 この世界の病気がどんなものかは分からないが、この体を見れば深刻さは分かる。


 ――だめだ、泣いてる場合じゃない!


 エールのシャツをまさぐると、小さなピルケースを発見した。


 持病ならきっと薬を所持しているはずという勘が当たった。

 サラは震える手で小さなケースの蓋を開け、落とさないように慎重に、真珠のようにきらめく小さな丸い粒を一つ摘んだところで……固まった。


 意識の無いこの人に、どうやって薬を飲ませたらいいんだろう……。


「エール王子! ねえ、起きて! 薬飲んで!」


 先ほどより容赦なく、エールの頬を何度も叩いたが、エールは微動だにしない。


 その唇を無理に開かせ薬を押し込もうとするが、エールの舌先に留まってしまう。

 せめて水があればと思ったが、サラもエールも手ぶらで来てしまったし、花壇に水道などというものはない。

 この世界は、魔術を使えない人間に厳しい。

 コップ1杯の水を呼ぶくらい、子どもでもできるというのに。


 サラは絶望しかけて……エールのシャツの胸に、ぽたぽたと落ちる水滴に気づいた。

 蘇ったのは、今と同じくらい水を欲していた、あの砂漠の旅。


 あのとき自分は……どうしたらいいと思った?



 サラはエールから体を起こし、自分の左手薬指を見つめた。

 夕日を受けて潤むブルーの瞳には、覚悟の色を浮かべて。

 魔力も腕力も無い、無力な自分にも、たった一つできることがある。


 サラは、自分の薬指に唇を近づけると、ほとんど跡が分からないくらいキレイに治ったその古傷に、思い切り噛み付いた。

 痛みは、ほとんど感じなかった。


 もっと……もっと要る……。


 心の中で呟きながら、肉を噛み切るくらいに、サラは歯に力を入れる。

 舌は苦く鉄くさい血液の味に満たされ、そのえぐみのある味から逃れようと唾液も溢れてくる。


 サラは、右手に握った薬を、自分の口の中へ。

 役目を果たした右手は、そっとエールの唇に触れ、無理やりねじ込んで口を開かせる。


 そのまま躊躇せず、サラは自らの唇を、エールのそれに押し当てた。


 サラの瞳から涙が一滴零れ落ち、エールの頬を濡らした。


  * * *


「サラ姫っ!」


 かすかなサラの悲鳴を聞き、広場へと飛び込んできたリグルは、目の前の光景が信じられずに立ち止まった。

 一足遅れて到着したクロルも、言葉を失った。


 目にしたのは、芝生の上に寝転んだエールに、深く口付けるサラの姿。


「サラ姫……」


 お気に入りのドレスが破れたのも気にせず、必死で駆けつけたルリ。

 立ち尽くす2人の奥に、サラを見つけた。


 エールから顔を離し、ゆっくりと顔をあげるサラの頬には、途絶えることの無い涙の筋。

 その唇の端からは、真っ赤な液体が零れ落ちた。


 その姿は、童話にでてくる魔女そのもの。

 エールの命を狙う、悪魔。


 硬直する3人に、サラは一瞬微笑み……目を見開いたまま大量の涙を溢れさせた。



「ねえ……どうしたらいいの? 薬を3つも飲ませたのに、エール王子は目を覚まさないの……」



 固まっていたリグルとクロルが、エールとサラの元へ駆けつける。

 まるで死人のように青ざめ、かすかな呼吸すら途絶えがちなエールを見て、クロルは瞬時に治癒魔術を発動した。

 ルリも2人に遅れて駆け寄り、クロルの脇から僅かに使える癒しの魔術でサポートした。


 二人合わせても魔力は少なく、エールの意識は戻らない。

 母親の血筋である王族特有の強い魔力は、兄弟の1人、このエールに偏ってしまった。

 クロルとルリの魔力が尽きてしまったら、リグルが担ぎ上げて王城へ戻るしか手立ては無い。

 それまで持ちこたえることができるかはわからないけれど。


 リグルには、癒しの魔術は一切使えなかった。

 2人の邪魔にならないよう、1歩2歩と後退りながら、リグルは思い出していた。


 それは、城に来る前のことだ。

 まだルリは赤ん坊だったし、クロルは生まれていなかった。


 子どもの頃から冒険が大好きだったリグルは、木に登ったり剣を振り回しては、何度も怪我をした。

 両親や大人の魔術師に見つかると、もう外へ出してもらえないと怯えたリグルは、怪我を隠し平気な振りをして家へ戻った。


 しかし、両親すら騙せたリグルの怪我を、兄は全て見抜いた。

 しょうがないなと苦笑しながら、いつも魔術で治してくれたのだ。

 日中、すでに魔術師としての訓練を受けていたエールは、リグルの治療に魔力を使いすぎて、翌日には熱を出してしまう。

 それでも両親には何も言わず、「魔力のコントロールくらい覚えなさい!」と、自分の代わりに怒られてくれた。


 リグルは、自分の目がおかしいと思いたかった。

 エールの命の炎が、弱まっていくのが見える。

 あと僅かで、消えてしまう。


「嫌だ……兄さん……」


 どんなにケンカしても、対立しても……失いたくない!

 リグルの瞳からは、いつの間にか涙が溢れていた。


 そのとき、淡く揺れるリグルの視界に、夕日を受けて輝く黒髪が映った。

 エールの傍らで声をかけ続けていたサラが、立ち上がったのだ。


「クロル王子、ルリ姫、試してみたいことがあります」


 発せられたサラの声は、鈴が鳴るような少女の声ではなく、低く澄んだ黒騎士のもの。

 ドレスの袖を破り捨てて左手に巻きつけ、もう片方の袖で乱暴に涙をぬぐうと、首元からネックレスを取り出し、あの指輪をルリに渡した。


  * * *


「ルリ姫、この指輪をつけてください。そして、2人で私に向かって、癒しの魔術をぶつけてください」


 意味が分からず戸惑う2人に、リグルは声をかけた。


「頼む……サラ姫の言うとおりに!」


 リグルの真剣な眼差しを受けて、サラは深くうなずく。

 自分1人には力がなくても、みんなの力を集めれば、きっと……。



 固く繋がれた、クロルとルリの手。

 もう1つの手のひらは、サラへと向けられている。


 永遠に続くのではないかと思われた、魔術の詠唱。

 現れたのは、水と風で起こされた癒しのシャワー。

 細かい水滴が、2つの手のひらからサラの体へと伸びていく。


 お守りは無いので、龍は現れなかった。

 しかし、そのシャワーを浴びたサラの体は、水面に映る真昼の太陽のように輝きはじめた。

 光は、サラが降ろした金色の龍の光を彷彿とさせた。


 先ほどは、魔女のように見えたサラ。

 光をまとったサラの姿は、今は壁画に描かれた女神のように見えて、3人は瞳を逸らせなかった。



 充分な熱を体にまとわりつかせたサラは、心で強く祈った。

 どうか、この人の命を救って欲しいと。

 しかし、熱はサラの体から離れず、ただ温度を上げていくだけ。


 やはり、無理なのか。

 自分の力では、術を放った相手につき返すことしかできないのか。

 目の前に、こんなにも救いたいと願う相手がいるというのに!


 体温が上昇し続けるサラの顔は真っ赤になり、大量の汗が噴出す。

 しだいに頭の中まで熱くなり、思考がまとまらなくなってきたサラは……考えるのを止めた。



「エール王子……ねえ、起きて?」



 ひんやりと冷たいエールの頬に手のひらを当てるサラ。

 冷たい体を抱きしめ、髪を撫で、頬擦りする。

 そして、乾いた唇に、もう何度目かの口付けを。



「――起きなさい!」



 サラの体から溢れる光が、サラの命を受けて、一気にエールへと流れ込んだ。


 そのの光は、すべての生命を癒す奇跡。

 3人は寄り添いながら、その奇跡を瞳に焼き付けた。


 周囲を真昼のように照らし、本物の太陽が放つ赤をかすませ。

 木々の葉は光を受けてざわりと音を立て、花々は朝を迎えたように次々と咲き誇っていく。

 空からは鳥たちが舞い降り、ピチュピチュと可愛らしい音楽を奏でた。


 癒しの魔術をサラに送り続けていたルリは、限界を感じてその場にうずくまった。

 続けて、クロルも。

 2人の肩を抱きかかえるリグル。



「あ、目が覚めたのね……良かった」



 涙でぼやける視界の中、苦しげに眉根を寄せてうめいたエールが、ゆっくりとその黒い瞳を開くのを、3人は瞬きもできずに見守っていた。


 エールが自力でその上半身を起こすのと入れ替わりに、傍らに跪いていたサラの体は、ゆっくりと地面に吸い込まれていった。


↓次号予告&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。











 サラちゃん、エセ魔女っ子(吸血鬼?)変化→女神さま変化と頑張りました。作者は、目の前で人が倒れたらとりあえずパニクリます。泣きながら吹雪の中へ駆け出したトオルのように……(←かまい達の夜というゲームの、バッドエンドの1つです)しかし、魔術ができないとこの世界本当に不便だなー。サラちゃん、3人目のうにうにちゅー体験ですが、脳内では神聖な救命行為ということで、女子のエシレ姉さんと一緒にノーカウント処理されてます。あ、今回のタイトルは好きなアイドル真野えりなちゃんから。

 次回、エール王子がそんなに貧弱貧弱ぅぅぅ……だった理由が明らかに。同時に、魔女っ子の話もどろっと。

※今日は更新遅くなってスミマセン!コタツでうたたねしてもーた……。

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