第三章(10)嘘をついてはいけない
サラには、苦手なモノが2つある。
1つは、夏に良く現れる黒い虫。
もう1つも、夏の風物詩といわれるもの。
「クロル王子……待って……」
お約束な『ギギギギギ……』という蝶番のきしむ音。
クロルの魔力と腕力ギリギリで開かれた重い鉄製ドア。
その向こうには、完全な暗闇が広がっている。
「嫌なら1人でここにいたら?」
躊躇せず、すたすたと入っていくクロル。
サラは手を離すことができず、引きずられるように室内へ足を踏み入れた。
* * *
月明かり一筋すら届かないこの闇は、部屋に窓が無いせいだ。
どのくらいの年月閉ざされていたのか、強烈なカビ臭が鼻につく。
サラは、クロルのシャツを握っていない手で自分の鼻と口を抑えたが、焼け石に水だった。
隊長……菌が……今まさに肺胞に到達しました……。
震えるサラが、ミクロの決死圏な妄想をしているのと正反対に、クロルはやけに明るい声を出す。
「へえ……初めて入ってみたけど、案外広いんだなあ」
クロルは、好奇心いっぱいで部屋の中を見渡した。
図書館のある塔と作りは同じなので、その最上階と考えれば妥当なのだが、本が置かれていない分だけ広く感じる。
元々通風孔があったのか、壁の高い位置には定間隔で鉄板が打ちつけられているが、その板も錆びてボロボロだ。
天井にも壁にも、他には何もない。
通常取り付けられるはずの蝋燭立てすらない。
図書館は、本が傷まないようにと、なるべく日光を排除されるのは分かるが、この場所は……。
『幽閉』
その言葉が浮かび、クロルは一人うなずいた。
地下牢には入れられないような重要人物を、ここに閉じ込めていたのだろう。
命の危険にさらされた人物が、逃げ場として使っていた可能性もある。
王族の住むエリアの奥……つまり、厳重な警備を通り抜けた先にあるのも、開かずの間として長く放置されていることも納得できる。
国王のみが、この部屋の鍵を持っていたことも。
少なくとも数年は、ここが使われた形跡はなさそうだが……。
もしくは、使えなくなった理由があるのか?
手のひらの炎にはめいっぱい力を注ぎ込んでいるのだが、いかんせん魔力が弱く、アルコールランプ程度の大きさにしかならない。
腕を伸ばして、炎を四方の壁際へと向けながら、より奥へと歩みを進めていく。
サラの視力は、両方2.0だ。
見たくないと思いながらも、顔を覆った指の隙間からつい見てしまった。
部屋の奥の壁に残る、黒ずんだ汚れを。
「いや……あっちはいや!」
サラが思いきりシャツの背中を引っ張ったので、クロルは首がしまった。
「ちょっ……僕のこと殺す気?」
「ごめん。でもやだ……やなの」
本気で嫌がるサラに、クロルはしぶしぶ部屋の中央で立ち止まった。
自分を掴むサラの手を「とりあえず、歩きにくいから一回手を離して」と言い、サラに向き直った。
怯えきったサラはしばらく抵抗したが、「灯り消すよ?」と言われ、慌ててクロルのシャツを離した。
代わりに、クロルの手をガッチリ握る。
1人で部屋の奥へ進むつもりだったが、サラが一緒では無理らしい。
クロルは、手汗でびっしょりになったサラの手を握り返しながら、苦笑した。
「何をそんなに怖がるの? ただの部屋だよ。何も置いてないしさ」
まがりなりにも年下のクロルがあっさり言ったので、サラはそうよねと呟くと、無理やり笑顔を作った。
その顔が見事に引きつったブス顔だったので、クロルはプッと噴出した。
クロルは、あえてサラの嫌がりそうなことを言ってみる。
「あーあ、魔女の部屋って言うからには、拷問道具でもあるかと思ったのに」
「やめてよっ……」
クロルが発言するたびに、サラはその距離を縮めていく。
手を繋ぐだけから、腕組みし、より密着する形へ。
今なら抱きしめても何も言わないだろうなコイツ、とクロルは思って……我に返る。
――なんで僕が、この女を抱きしめなきゃならないんだ?
「おい、サラ姫の弟!」
「はいっ!」
思わず元気よく返事したサラに、クロルは意地悪げな表情を浮かべた。
「この部屋で起きた事件のこと、キミは知ってる?」
ぷるぷると、大きく首を横に振るサラ。
炎に照らされ、サラの短い黒髪が跳ねるたび光を放つ。
この髪が伸びたら、エール兄より綺麗かもしれないとクロルは思った。
「これは、古参の侍女から聞いた話なんだけれどね……」
クロルは、妙にゆっくりとした低い声色で、語り始めた。
* * *
まだこの大陸が、平和だった頃の話。
国王ゼイルの弟には、親衛隊と呼ばれる7人の守り手がいた。
当時の魔術師たちから、力の強い順に選ばれた7人。
筆頭魔術師は、女だった。
それは、国王が精霊の森を攻略し、国民を引き連れて凱旋した夜のこと。
英雄となった国王を追い出したという事実が、王弟たちを追い詰めていた。
国王に入城を許す前に、魔術師たちと王弟はいつも謀をするこの部屋に集った。
女魔術師1人を除いて。
少し遅れて呼び出された女魔術師は、王弟から残酷な宣告を受けた。
「兄を陥れる策略を考え、実行したのはすべてお前だ。反逆罪でお前を処刑する」
女魔術師は、なぜと泣いた。
彼女は、王弟を愛していたからだ。
そして、王弟も彼女に愛を告げていた。
「それは、お前の真名を手に入れるため……お前を操るための嘘だよ」
王弟と6人の魔術師は笑った。
そしてこの部屋で、女魔術師は王弟に殺されてしまった。
死ぬ間際に、女魔術師は呪いの言葉を1つ残した。
『私の魂は永遠にここへ留まる。この部屋で嘘をついた者は、無残な最期を遂げるだろう』
その後王弟と6人の魔術師は、数年ぶりに戻ってきた国王と面会した。
兄弟の対立を仕掛けた人物が判明したため、その者を処分したと告げて、あらためて英雄となった兄に忠誠を誓った。
もちろん、それは真っ赤な嘘だった。
その日の深夜、事切れている王弟と6人の魔術師の遺体が発見されたという。
この塔は封鎖され、この部屋は開かずの間と呼ばれるようになった。
* * *
クロルの腕がしびれるほど、強く抱きついていたサラ。
聞きたくないけれど、聞かなければならない、重要な話だった。
「じゃあ……魔女というのは、もう亡くなった人なのね?」
サラはかすれる声で問いかけて、1つの矛盾に気づいた。
確か国王の姉、クロル王子たちの母親も、魔女に殺されたという話だったような?
「それがね、この事件にはもう1つ、有力な説があるんだ」
クロルは、怖がりながらも食いついてくるサラに、くすりと笑みを漏らした。
「殺されたはずの女魔術師の遺体は、見つからなかったそうだ。つまり、死ななかった可能性がある」
サラの体にびっしり立っていた鳥肌が、ようやくおさまった。
やっぱり、生きている人より死んだ人の方が、断然恐ろしい。
霊には対抗できないけれど、生きている人相手ならなんとかなるかもしれないし。
「呪いではなく、実際に王弟たちに手を下して復讐したとしても、女魔術師がその後どうなったかはわからないけどね。しばらく王城内に隠れて、暗殺者として生きてたって話もある。そのターゲットには、王の姉……僕の母親も入っていたっていうけれど、それはどうかなと思うよ」
クロルの口調が、少しだけ柔らかくなった。
「理由はね、魔女の呪いが振りかかったのは、王に仇なす者ばかりだったから。王弟を担ぎ上げようとした残党とか、邪な理由で王妃の座を狙う女とかね」
ある意味、父様にとってはキツイ呪いだったのかもね。
自分の婚約者が、次々と死んでいくんだから。
おかげで父様はずっと独身だし、迂闊に妾も作れない。
赤く揺らめく光に照らされて、冷笑するクロル。
サラは、なんだか話の雲行きが怪しくなっていくのを感じた。
国王の婚約者って、もしかして……?
「そう、キミはもう、魔女の呪いを受けているんだ……」
だから、近づくなって言ったのに。
キミは夕べ、国王と2人で会ってしまったんだってね。
フフ……と不気味な声色で笑いながら、クロルは手のひらの炎を消した。
暗闇の中、クロルの限りなく低い声が響く。
「この部屋で、嘘をつく事は許されない。さあ、キミの……」
話を続けようとしたクロルは、自分の腕にかかっていた重みが突然無くなるのを感じた。
サラは、クロルの足元にパッタリと倒れていた。
* * *
熟睡していたサラは、ほんのりと温かいものが、自分の頭の下にあることに気づいた。
ああ、湯たんぽだ。
湯たんぽ枕なんて珍しい。
ちょっと固いけど、悪くないな……。
寝返りを打とうとしたサラの耳元に、不機嫌な低い声が届いた。
「ねえ、いい加減に起きてほしいんだけど?」
そこは、記憶に新しい魔女の住む部屋。
サラが枕にしていたのは、クロル王子の太ももだった。
サラは、ドレスの袖で口元の涎をぬぐいながら飛び起きた。
「ゴメンナサイ! 夕べあまり良く眠れなかったから……」
クロルの話を聞いていて、恐怖のあまり気を失った。
それなら、まだいい。
可愛らしいと言えなくもない。
しかし、真実はいつも1つ。
『昨日の寝不足がたたって、話の佳境でうっかり寝入った』
我ながら、失礼にもほどがある。
しかも、ちゃっかりクロル王子に膝枕までしてもらい……そのズボンに涎まで垂らすなんて……穴があったら入りたいとはこのことだ。
「でも、ちゃんと話聞いてたからねっ。私、国王様にヨコシマな気持ちで近づくつもり無いし、ダイジョブダイジョブー!」
ははっと乾いた笑いを浮かべるサラを、クロル王子はむっつり膨れて睨んだ。
どうしてこの女は、こうやって自分の思惑を裏切りまくるのだろう。
このコントロール不能さは、リグル兄以上だ。
目を閉じていれば、それなりに見られるのに……。
クロルは、すやすやと眠り込むサラを、ずっと見詰めていた。
初めて見たその無垢な寝顔は、とうてい男には見えなかった。
これまで、長い間黒騎士として過ごしてきたというし、男らしいしぐさや態度が癖になっているのかもしれない。
こんな風に鋭い目つきじゃなくて、もっと笑えばいいのに。
クロルは、また変なことを考えている自分の頭をぶんぶん振ると、苛立ちをぶつけるように言った。
「それで? 結局キミの正体は何なの?」
「だから言ったじゃない、弟じゃないって」
時間にすると数分程度だが、熟睡したことでサラの頭はスッキリしていた。
この部屋では、嘘をつかなければいいのだ。
だとしたら、私は嘘をついていない。
「質問を変えるよ。キミの目的は何?」
「それも言ったよ。和平を成し遂げることだってば」
本格的に苛立ってきたクロルは、つい勢いで聞いた。
「じゃあキミは、リグル兄が……好きなの?」
少し余裕を取り戻していたサラは、再び追い詰められる。
この部屋では、嘘をついてはいけない。
私は、リグル王子のことを……。
「――うん、好き」
澄み渡る空の下、熱情を込めて自分を見上げていたあの瞳。
サラは、リグル王子の告げた言葉を思い出し、吐息をついた。
* * *
クロルは、その返事を予想していたはずだった。
それなのに、心臓を鷲掴みにされたような衝撃。
胸の痛みに気を取られて、うっかり手のひらの炎を消してしまった。
再び、部屋は暗闇に包まれる。
静寂の中で、サラの小さな声が響いた。
「でも……クロル王子も、好きだよ」
クロルは、炎を出せなかった。
自分の顔に、血が上っていくのを感じていたから。
「なっ、何言ってんだよっ!」
暗闇の中、サラの表情は見えない。
分かるのは、繋がれた手のぬくもりだけ。
「クロル王子は、私の望みを叶えてくれる?」
クロルは手のひらを開き、小さな灯りをともした。
先ほどまで熱かった自分の感情が、冷たい炎となり燃えているような気がした。
こいつも、他の女と一緒か。
自分に擦り寄って、利用しようとするのか。
「ただ和平に協力してくれるだけでいい。結婚相手は誰でもいいの……なのに……」
瞬きしたサラの瞳から、こぼれ落ちた雫。
クロルの気持ちは、また反転した。
サラがなぜそこまで思い詰め、涙を零しながらも和平を求めるのかは分からない。
ただ、願いの行き先を見届けてやってもいいような気がした。
「その相手は、リグル兄じゃダメなの?」
「うん……多分、ね」
「理由は?」
「私には、本物の王妃になる資格は無いから……」
その返事で、クロルはサラがどんなことを言われたのか、理解できた気がした。
やっぱり、リグル兄はこいつに惚れたんだ。
パーティの時から、様子がおかしかったもんな。
その前に、決勝戦で黒騎士が顔を見せたとき……いや、あの予選を見ていたときだって、リグル兄の視線はこいつに……。
それは、僕も一緒……か。
「いいよ……僕が、結婚してあげる」
再び消された、小さな灯り。
クロルは握られたままのサラの左手を両手で包むと、ゆっくりと引き寄せ、羽が触れるように軽く口付けた。
↓次号予告&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。
クロル王子とお化け屋敷……ただのスキンシップ過多なイチャイチャデートのはずが、ラスト意外な方向へ転がりました。これまだ隠れ家デートの翌日なんだよなー。たった2回のデートでクロル君ゲットか。早すぎ? ありえへん世界すぎ? ま、リグル君に比べるとそんなにヘビーではないプロポーズでした。ヘビーすぎると引かれるという好事例。でも国王様&クロル君、一見ライトに見えて実は一途なので、この先どーなることやら。魔女っこの正体も出てきたけど……侍女の噂ってとこが信用ならないなと、作者も思いつつ書いてます。そうそう、「ミクロの決死圏」は人間がミニサイズになって体の中を探検するという古い映画です。細かすぎて伝わらないボケが多くてスンマセン。
次回は、ルリ姫主催の王族限定お茶会にサラちゃん飛び入り参加。弟2人のプロポーズ話聞いて、クールぶってるエール王子の嫉妬心にも火がつくか?




