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第二章(終)金色の龍

試合再開の合図とともに、三度静まり返るコロセウム。

サラも魔術師も距離を置き、睨み合ったまま動こうとしなかった。


魔術師の表情は、フードの影で隠れて良く見えないが、薄い唇の口角が上がっていることは分かる。

しかし、サラは魔術師の笑みに動じなかった。

魔術師が、サラを動揺させて面白がっているとようやく悟ったからだ。

サラの心に湧き上がった恐怖は怒りへと変わり、くすぶり続けていた怯えを完全に押さえ込んだ。


王族までもが固唾を呑んで見守るこの大舞台で、人を愚弄するにもほどがある。

もしも悪ふざけでなく、本気で自分を殺しこの黒剣を奪うというなら……打ち砕くだけだ。


「ふーん。いいオーラ出てきたじゃん。俺もそろそろ本気出しちゃおっかなー」


魔術師は、サラの思いをようやく受け止めることにしたようだ。

相変わらずお喋りだが、その口調は僅かに変わった。


「俺を本気にさせてくれた礼に、とっておきの魔術を見せてやるよ」


その台詞にこめられた言霊が、会場全体を駆け回った。

次の攻防が最後になるだろうと、サラも観衆たちも、予感していた。



魔術師は、細い指で自らの指輪に触れた。

その指輪には、光を乱反射し虹色に輝く宝石が埋め込まれている。


サラを挑発するように薄く笑んだまま、詠唱は行われた。

この世界に来てから初めて耳にする、韻を踏んだ歌のような心地よい響きだった。


アレク、そして前回大会を見ていた一部の観客たちの脳裏に、5年前の記憶が蘇ってくる。


あの日も、女神の愛し子である太陽は高く昇り、空は青く澄み切っていた。

魔術師の前に立っていたのは、一人の屈強な剣闘士だった。

目の前の敵に自分の力が到底及ばないことに目を背け、重い体を引きずるように、魔術師へとにじり寄っていった男に、襲い掛かったものは……



「サラ!逃げろ!」



思わず叫んだアレクの声は、観客のどよめきにかき消された。


魔術師の指輪から現れたのは、一匹の龍。


人の背丈ほどもある頭、見るものの魂を奪うという鋭い瞳、長い髭、裂けた口から覗く牙。

水色の鱗がびっしりと敷き詰められ捩れた胴体には、鋭利な爪を持つ腕が2本生えている。

妖精と並んで、伝説の中にしか存在しない生き物だ。


水龍は咆哮をあげながら、長い体をくねらせ、サラへと襲い掛かった。


 * * *


一部の観客に、記憶がフラッシュバックする。

あの日、龍に襲われた男は、二度と意識を取り戻すことはなかった。

魔術師は、やっちまったなと呟くと、審判の合図も聞かずに壇上を降りた。


結末を知っている者たちは皆、絶望に瞼を閉じた。

アレクでさえ、恐怖に張り裂けそうな心を抑さえつけ、薄目を開けているのがやっとだ。

過去を知らない者たちは、ただ目を見開き、呆然とその光景を眺めるだけだった。



龍の召喚は、魔術の中でも最高上位ランクだ。

魔術師の召喚に応えた、力のある幾多の精霊たちが集い、形を変え、龍の姿となる。

一部の魔術師からは”禁呪”と呼ばれ、恐れられる魔術だった。


魔力のある者には鮮明に、魔力の少ない者には水晶のように透き通って見える水龍。

恐ろしくも美しいその存在から、誰1人目を反らすことはできない。

風をまとい、土ぼこりを巻き上げながら、目の前の獲物へと襲い掛かる水龍は、サラの目の前に迫ると、巨大な口を開いた。


そこから放たれたのは、灼熱の炎。

本来なら、火と水は相容れないものだが、稀代の魔術師にとってはわけのないこと。


「この複合魔術ってやつが、俺の特殊能力なんだよね」


呟きをかき消すように、水龍が哮る。

強さを求める全ての魔術師を絶望へと追いやるような、圧倒的な力がそこにあった。



魔術師は、指輪の宝石の艶やかな表面を撫でた。

宝石からは、解放された森の精霊たちの歓喜が伝わってくる。


実は、この龍には秘密があった。

鮮烈な光景を外から見ているだけの者には、決して伝わらない真実。

あの日死んだ男でさえ、気づいていたかどうか。


この龍は、全て幻なのだ。


見るものの恐怖や悪意など、負の感情を餌に暴れ狂う、決して触れることのできない魔物。

恐怖にかられ剣を突き出したならば、その剣の痛みがすべて当人へ返される。

前回、この魔術は1人の男の命を奪った。

だいぶ手加減したつもりだったが、よほどあの男は腹に悪意を抱え込んでいたらしい。


今回の獲物は、果たしてどうだろうか……?


どうか簡単に壊れてくれるなよと、魔術師は残忍な笑みを浮かべた。


 * * *


何か恐ろしいものが近づいてきている。


水龍が迫る気配を察したサラは、身の毛がよだつような恐怖を覚えた。

ここから逃げろと、第六感が訴えてくる。

しかし、迫り来るそれが一体何なのか、サラのブルーの瞳に映ることはない。


炎も、水も、光も、何も見えない。

何の魔術なのか、どの程度の威力なのか、考えても意味が無かった。


サラは、黙って瞳を閉じた。


魔術を、受け止めるために。



まず失ったのは、前方に突き出していた腕の感覚。

魔術師に向かって真っ直ぐ構えていた黒剣を、サラはいつの間にか取り落としていた。


次に、体全体が繭に包まれていくような、温もりを感じた。

眠いような、だるいような、奇妙な感覚だった。

温かい空気の中に、サラの持つ生気が溶け出していくようだ。


サラの体だけでなく、思考をも麻痺させるように、温かくやわらかな繭が広がり、ついにはサラの視界を閉ざしてしまった。

サラの心は、上も下も無い、純白の空間に閉じこめられた。


なんという不思議な魔術だろう。

この魔術を受け止めているのか、跳ね返しているのか、サラにはもう分からない。

自分が立っているのか、倒れているのかすらも。


頭の中に、サラを眠りへと誘う何者かの声が聴こえる。


このまま眠ってしまえば、この戦いは終わる。

楽になれる。



(嫌だ……負けたくない!)



抗う心に応えるように、胸の傷がドクンと熱を放った。


サラの胸の傷の熱さが、唯一残った感覚。

いや、違う。


熱いのは……左胸の奥。



胸に感じる不思議な熱に意識を揺さぶられ、サラはそっと瞳を開いた。


サラの瞳に映る世界は、目映い黄金に染まっていた。


 * * *


水龍の吐き出した炎が少年騎士を包むのを、まるでおもちゃ遊びに飽きた子どものように眺めていた魔術師は、思わず叫び声を上げた。



「何っ……!」



炎に包まれ、ふらりと崩れかけた体を包んだのは、少年の胸から広がった淡い光。

昇る朝日のように輝きを増していく光は、炎の赤をあっという間に飲み込むと、やがて大きなうねりとなり、魔術師の前にその姿を現した。


魔術師の思惑を完全に裏切る、その光の正体は。


まさに魔術師が生み出した、幻の龍そのものだった。



サラの体から現れた龍は、眩しい太陽光を受けながら、水龍の何倍もの大きさへと膨れ上がり、咆哮を上げながら天へと駆け上る。

太陽に届く手前でぐにゃりと体を曲げ、地上へと舞い降りた光龍は、巨大な口を開けて水龍を飲み込むと、そのまま地を這うように一気に魔術師へ向かった。


あまりの眩しさに、目を閉じる時間すら与えられなかった。

魔術師の全身を覆い尽くした光は、彼の意識を一瞬で奪っていった。


光の龍は、立ち尽くす魔術師の心を腹の中におさめると、再び天高く昇り、太陽に溶けて消えた。



黄金の光が消え、静寂に包まれたコロセウム。

その場に居る数千人のうち、正気でいたのはサラだけだった。


眩しい光の中で立ち尽くしていたサラは、発熱する左胸ポケットのお守りに手を当ててみた。


大丈夫、私はちゃんとここに立っている。

変な術を受け止めたせいで頭がもやっとしたときは、もうダメかと思ったけれど。

このお守りのおかげで、意識を失わずにすんだ。


やっぱり、アレクの忠告は聞くもんだなあ。


まさかあのタイミングで、お守りが”ホッカイロ”に変身するなんてねえ……



光が引いて、徐々に視界がクリアになっていく。

さあここから反撃だと、足元に転がっていた黒剣を拾い上げたサラが見たものは……


床に倒れ伏して、ぴくりとも動かない魔術師だった。


 * * *


倒れた魔術師をじっと見つめ、こくりと首を傾げるサラ。

いったい何が起こったのか、さっぱり分からない。


まさか死んでないだろうなと、魔術師へとにじり寄ってみる。

悪夢にうなされるように、うーんと唸り続ける魔術師。

フードが頭から外れてしまったせいで、魔術師の寝顔がばっちり見える。

整った顔が、少し苦しげに歪められているものの、たぶん大きな怪我はないだろう。


浮かんできた数々の疑問はさておき、心の中で10秒数えたサラは、魔術師から離れた。

今度は床にへたりこむバリトン騎士に近づき、ちょいちょいと肩をつつく。

うつろな目でサラを見上げた騎士が、ヒッと叫んでお尻で後退しようとするところに、サラは声をかけた。


「あのー、10秒、経ったみたいですけど?」


夢幻の世界にトリップしていたバリトン騎士は、自らの頬を両手で叩くと、ふらつく体を起こした。


そして、恐怖を振り払うように、声の限りに叫んだ。



「勝敗は決した……鳴らせ、勝利の鐘をっ!」



その声が、引き金となった。


響き渡る鐘の音。

会場全体が揺れるほど、踏み鳴らされる足。

終わらない拍手と大歓声。


王族たちも、全員立ち上がって惜しみない拍手を送っている。


アレク、カリム、リコ、リーズの4人も、一人の観客として、サラに声援を送った。

全員が流れる涙にも気づかず、手のひらが真っ赤になるほど手を打ち鳴らし続けた。



コロセウムの外に居た観客たちも、天高く駆け上っていった黄金の龍を見ていた。


「あの龍は、少年騎士の魔術だ!大逆転勝利だ!」


会場から転がり出てきた観客の1人が叫んだことで、歓声は一気に膨れ上がる。

猛スピードで伝播していく興奮と熱狂は、いつしか街全体を飲み込んでいった。



倒れていた魔術師は、観客たちの上げる声に、うるさいなと思いつつ意識を取り戻した。

魔術師の敗北を告げる鐘の音に、ハッとして立ち上がる。


体に痛みはない。

金色の龍に食われたが、どうやら自分は無傷ですんだようだ。

そして、心はすっきりと晴れ渡る空のように、すがすがしい。


人生で初めての……完敗だった。


立ち上がった魔術師は、きょろきょろと所在なさげに視線を動かすサラに近づき、苦笑しながら「まいったまいった」と告げた。

サラとしては、どうして勝てたのか分からず、まるっきり消化不良だ。


困惑するサラの腕を取り、魔術師が満面の笑みでその手を掲げると、空が割れんばかりの大喝采が起こった。



そっと腕を下ろした魔術師は、サラの耳元で「そろそろ、その覆面を取ってもいいんじゃないか?」とささやいた。


そういやそうかと、サラはうなずく。

流れる汗と熱気で蒸れた、その金色の髪と黒い覆面を外した時。


会場は、水を打ったように静まり返った。


 * * *


覆面の下に隠されていたのは、この世のものとは思えないほどの、美しい少年だった。


輝く漆黒の髪、長い睫に縁取られたブルーの瞳、意志の強そうな眉。

透けて見えるほど白い肌に、すっと伸びた鼻と赤い唇。

上気した頬はバラ色に染まり、汗ばんだ横髪が張り付いている。


つうっと流れた汗を、さも鬱陶しげに手の甲で乱暴に拭い取る。

そんなありふれたしぐさ一つも、目が逸らせないほどの存在感だった。


今まで戦っていた魔術師も、素顔の少年騎士……いや、少女の姿を間近で見て、魂を抜かれたような表情をしている。


誰もが茫然自失で少年を見つめる中、1人の男が立ち上がり、その青い瞳を見据えながら問いかけた。



「勇者よ、お前は、何者だ?」



英雄王と呼ばれるトリウム国王を、サラは初めて視界に入れた。


サラはゆっくりと片膝を付き、その前に黒剣を水平に置く。

一度深く顔を落とし、再び上げたサラの瞳が、挑戦的にきらめいた。



「オレの名は……黒騎士!」



何にも遮られない、力強い少年の声が、会場に響いた。


国王の瞳が、サラのブルーの瞳とぶつかる。

全てを見透かすようなその鳶色の瞳が細められ、国王の顔に笑みが広がったとき、サラはようやくこの戦いの終わりを感じた。


黒騎士と呼び続ける大観衆の中で、サラは太陽のような笑顔を解き放った。


↓次号予告&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。











第二章、終了です!読んでいただいてありがとうございました!最終話も長かったー。苦しかったー。ヒッヒッフー。反省点多々ありますが……似たような表現多用とか……才能キラキラシーンも上手く伝わったか……こんなんでええんのんか……まっ、とにかくこれでようやく作者の苦手なバトルモード終了です。ファンタジーに必須の龍も出してみました。これで王道1個クリア。ついでにサラちゃん、また得体の知れない男子1名引っ掛けちゃいましたけど、彼の出番は第二章で終了です。サイナラッキョ。

次回、エピローグ。ツワモノどもが夢の後、というかお疲れさんモードで一気にゆるくなります。サラちゃん、ホッカイロの真実教わりつつ、和みキャラ(?)登場です。


※ブログ版のウェブ拍手ページにお礼小話くっつけたので、読みたいってコアな読者さまは、遠慮なくパチパチしてください。

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