第二章(26)新たなターゲット
静寂の中、魔術師の笑い声だけが響き渡っていた。
無残に折られ、半分の長さになった杖をまじまじと見つめ、肩を震わせる。
「スゲー、予想外!キミ最高だねっ」
魔術師は、目尻に浮かんだ涙をぬぐった。
それ片付けてよと言われた審判の騎士が、慌てて戦闘一時中止の号令をかけ、転がった杖と魔術師の手に残った片割れを回収していく。
念のため、床に破片が落ちていないかもチェックするようだ。
その間、魔術師は何がツボだったのか、笑い続けていた。
サラが笑うなと言えば、余計に笑いたくなるらしい。
戦いの再開を強く求めるほど、まあまあとなだめすかしてくる。
こんな状況の中でもマイペースで天邪鬼な魔術師は、本当に腹立たしい。
「そういえば、その剣についている宝石の名前、キミは知ってる?」
サラは、まいったとばかりに、天を仰いで嘆息を漏らした。
少し会話に付き合わなければ、きっと魔術師は戦闘モードに戻ってくれないだろう。
宝石の、名前か。
ジュートから聞いたような聞かないような……
手にした黒剣の宝石をじっと見つめるサラ。
その表情はマスクと前髪に隠れて見えない。
魔術師はくすりと笑うと、灰色の瞳を猫のように細めてささやいた。
「女神の涙、っていうんだよ」
魔術師は、試合の中断に苛立つ観客に気を使ったのか、澄んだ声で高らかに一つの物語を語った。
『この世界が、女神の手で作り出されたとき、光の源は太陽1つだった。
闇に包まれる夜を少しでも照らして欲しいと願う人間のために、女神は太陽の一部を欠いて、月を作った。
しかし、月は太陽に戻りたいと願った。
それは絶対に叶わぬ願い。
月の悲しみを知った女神が流した涙は、1粒の宝石となって地上へと降った』
話を聞いていた観客たちは、サラの手元で美しく光を放つ黒剣の宝石にそんなエピソードがあったのかと、感心しきりでため息をついている。
魔術師の洗練された立ち居振る舞いや、涼やかで雅な表情にも心酔しているようだ。
すっかり戦闘モードを解いたサラは、エライ女神様でもコチラを立てればアチラが立たずみたいな二択で悩んで泣いちゃうなんて、案外イイヒトなんだなと思った。
そういえば、日本のやおよろずの神様も、ギリシャ神話も、男女関係のモツレがあったり、なんだかんだ人間くさい。
この世界の女神に少しだけ親近感を覚え、心が和んだサラ。
だが、魔術師の小さな呟きで、和みモードは強制終了。
「それ、欲しいなあ……」
「はぁっ?」
ぎょっとしたサラは、思わず黒剣を魔術師に向け構えた。
「うん、俺が勝ったら、そいつを譲ってもらうことにしよう」
悪いけどと口では言うものの、まったく悪びれた様子はない。
呆れるサラの視線も気にせず、魔術師は皮肉げな笑いを浮かべたまま独り言を呟く。
「その剣で、肉を切り刻んだら、かなり美味いハンバーグができそうだ」
聞き捨てならない台詞に、サラの表情は一変する。
自分の魂の片割れとも感じている、サラの大事な黒剣。
その剣で、ハンバーグっ……!
あまりの侮辱に、かあっと頭に血が上ったサラ。
しかし次の瞬間、魔術師の狂気を目の当たりにし、サラの顔からは一気に血の気が引く。
「ハンバーグを作るなら、人間の肉が一番美味いからね……」
発言のたびに表情を変える、グレーの瞳。
今は闇を強め、魔性が宿ったような残忍な色が浮かんでいる。
瞳から放たれる威圧感が、風圧となって襲い掛かるようだった。
試合が再開しても、サラは黒剣を構えたまま、一歩も動けずにいた。
* * *
2人を縛っていた武力のみで戦うというルールは無効となった。
これからが、本当の勝負だ。
サラは、すぐにでも魔術攻撃を放たれるだろうと、身構えていた。
しかし、魔術が解禁される気配はない。
それ以前に、魔術師は結界やスピードアップなどの補助魔法を含め、何ひとつ魔術を使っていない。
ノーガード戦法で、サラの剣をするりとかわして逃げてしまう。
完全に、舐められている。
サラをからかうように、右へ左へとステップを踏むその姿は、魔術師ではなくマジシャンのように見えた。
Aだと思えばB、Bかと思えばCと、次々と人の心理の裏をかき続ける奇才。
見せかけの姿に騙され、つい翻弄されてしまう。
トリックに引っかかれば負けと分かっているのに、剣は魔術師にかすりもせずに空を切るばかり。
攻撃の手を緩めたつもりはないサラだったが、無手の相手と立ち会うのは初めてだった。
相手に怪我をさせられないと、無意識にセーブをかけたサラの攻撃は、傍から見ていても手ぬるかった。
まるであの不思議な杖を向けられているかのように、気圧される。
圧倒的に有利なはずなのに、なぜか勝てる気がしない。
思考が混濁するサラは、また悪い癖が出た。
サラの怯えを察した黒剣が、自動的に魔術師へと切りかかっていく。
魔術師はといえば、唐突にスピードが上がったサラの攻撃にも、臆する様子は無い。
甘い剣筋を難なく避けては、くすくすと挑発するように笑う魔術師。
そんなやりとりが、どのくらい続いたのだろうか。
再び、サラの体が疲労に引きずられはじめると、先ほどまで痛くも痒くもなかった胸の傷が、ズクズクと主張し始めた。
集中が切れた証拠だった。
サラが、痛みを追いやろうと強く歯を食いしばったとき。
「ちょっと待った!」
華麗な身のこなしで、サラの剣をかわし続けていた魔術師が、いきなり声をかけてきた。
審判に目線を送ると、タイムの合図を待たずにサラへ近づいてくる。
気まぐれな態度に振り回されるのにも、サラは慣れつつあった。
次は何事かと、訝しげに魔術師を見上げる。
「傷が気になるんだろ?治してやるよ」
魔術師は、俺って親切ーと言いながら、サラの胸の前に手をかざした。
サラはとっさに要らないと叫んだが、あとの祭りだった。
破れた布地の奥に見える、血の滲んだ一筋のラインに、魔術師は手のひらを当てた。
「やめろっ……!」
サラは、渾身の力で魔術師を突き飛ばした。
後方へとよろめいた魔術師は、信じられないものを見るように、灰色の瞳を大きく見開いている。
サラは、とっさに自分の胸元を確認した。
当然、傷は塞がれていない。
サラの胸には、癒しの魔術を受けた証拠である不快な熱が微かに残る。
魔力が無いのではなく、受け付けないという特異体質。
サラが隠し続けていた、最後の切り札だった。
こんな些細な傷のせいで、バレるなんて!
サラが、ギュッと目をつぶったとき。
すぐに落ち着きを取り戻した魔術師がサラへと近寄って、マスクに隠れたサラの耳元に手を添える。
それは、内緒話のポーズ。
ささやかれたのは、意外な言葉だった。
「キミ……女だったんだね?」
体を強張らせたサラは、至近距離で見つめるグレーの瞳に囚われた。
最高に面白いおもちゃを見つけたというように、魔術師は満ち足りた笑みを向けた。
* * *
こそこそと内緒話をする2人の勇者。
いや、1人の魔術師。
なかなか再開しない試合に、観客たちもざわめき始める。
アレクだけは、サラがきっと何かマズイことを言われているに違いないと察していたが、どうすることもできず神に祈るだけだ。
魔術師は、サラの耳元に熱い息を吹きかけながら、こう言った。
「その剣が欲しいってのは、取り消すよ」
所有者ごと手に入れれば、一石二鳥だもんな。
決めた。
キミを、絶対俺のものにする。
マスクの下、真っ青になってイヤイヤをするように首を横に振るサラ。
魔術師はサラの瞳を覗き込み、その深いブルーを確かめながら、舌なめずりした。
「キミを食べたら……美味しいだろうなあ」
サラの背筋に、髪の毛ホラーを凌駕するレベルの寒気が走った。
早く試合を再開しなさいとバリトン騎士の声が飛び、魔術師はペロリと舌を出してサラから離れた。
↓次号予告&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。
エキセントリックな魔術師ファース君、本性小出しにしてみましたがどーでしょう。作者は好きですが……いや、さすがに好きじゃないかも。なんにせよ、こんな男実際に居ねーだろ度No.1です。ハンバーグの話はたぶん彼の嘘だと思います。カニバリ……とかいーわーなーいーのっ。この物語ではリアル暴力描写無しです。あと女神伝説、チラリと出ました。太陽と月はこの先のキーワードでもありますが、まだ……えー、プロットのツメが甘い状態なので(←正直者)ここでは一度お忘れください。
次回、かなり振り回されてきたサラちゃんですが、さっぱり決着。長かった第二章もついにオシマイです。サラちゃんも作者も、しんどいのこれでオシマイ……
※前の話で言いまつがいご指摘いただいた匿名さん、どうもありがとうございました!「たぶらかす」ですね……助かりましたっ!</