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第五章(45)解き放たれた魂

 これは、美女と野獣ならぬ……“美女が野獣”。

 サラが心の隅っこでそんなウマイことを考えている間、時を止める魔術がかけられたように、その場は完全に止まっていた。

 誰一人、微動だにせず一点を見つめている。

 太陽だけが、着々と店じまいの準備を進めていた。


 人々の視線を一身に浴びているのは、ゲレンデが溶けるほど熱いキスをするハナだ。

 ハナの唇を受け止める国王は、すっかり魂が抜けているようで……目玉が飛び出そうなほど瞳を見開き、ホラー映画で殺される直前の脇役のように四肢を硬直させている。

 ギャラリー全員に、国王の受けている衝撃……「信じられない」という感情が伝わる。

 当然皆も「ミートゥー」状態だ。


 ほんの数秒の時間が、何分にも感じるくらい濃厚なキスは、唐突に終わった。

 一人、飄々とした態度のハナは、水気を得てぷるんと潤った唇を小さな舌で舐めると、ぺこんと頭を下げた。


「ごちそうさまでしたっ」


 礼儀正しいハナの挨拶を聞いても、国王は「おそまつさまでした」とは言わない。

 あたかも蝋人形にされてしまったように、同じ姿勢、同じ表情のまま固まっている。

 蝋人形じゃないと分かるのは、国王の顔全体に血液が集まり、夕焼けのように真っ赤に染まっているせいだ。

 それを見つけたギャラリーたちは「そっか、国王様嬉しかったんだ」と納得した。

 当然、その表情を最も近くで見ていたハナも、それに気付いて。


「お・か・わ・り・どーですかー?」


 懐かし過ぎるCMの台詞と、ハナが国王に送ったキュートなウインクが、サラの身体から力を奪った。

 一気に脱力するサラの腕を慌ててジュートが掴むけれど、膝の力が抜けたサラはお父さんにぶら下がる娘状態だ。

 おかわりのお誘いを受けた国王は、サラ以上に呆けてしまっている。


 うんともすんとも言わず、うつろな瞳でハナを見あげる国王は、今刺客が飛んできたらあっという間にやられてしまうくらい隙だらけで。

 エロテロリストと化したハナは、くすっと笑って国王の唇に軽いキスを落とし、TKO勝利。

 満足気に微笑んだハナは、国王より少し下に視線をずらした。

 そして、再び失礼な指さし確認をしながら告げた。


「あなたが『どーしても!』死にたいっていうなら、もう止めません。ただ、これだけは言っておきます……」


 と、どこかで聞いたような前置きをした上で、ハナは大声で断言した。

 近くに人の気配はしないけれど、それは自分が気付いていないだけで、本当は多数の人間が見ている……その事実を忘れた上で。


「あなたが居なくなったら、この人は私の『奴隷』にします。ピンヒールで踏ん付けたり、蝋燭垂らしていぢめちゃうかもねっ。それが嫌なら、さっさと戻ってきなさい――!」


 母は、ヘンタイだったのか――!

 衝撃に耐えられなくなったサラが、ジュートを道連れに地べたへ座り込んだそのとき。

 ハナのジャージからボロサンダルへと伸びる細い足首に、一本の“手”が迫った。


 地面から、幽霊の手がっ!

 サラは、ホラー映画の観客のように声なき叫び声をあげる。

 そしてすぐに、んなーわきゃないと思い直すのだ。

 ずるりずるりと、地面に胴体を引きずりながらホフク前進でハナへ襲いかかる、老婆の亡霊……それは、ようやく目覚めた太陽の巫女だった。


  * * *


 どんな人の心にも、天使と悪魔の両方が住んでいるものだ。

 天使と悪魔は、些細な迷いごとのたびに「やっちゃえよ」「いけないわ」と、決まりきった問答を続けている。

 しかし安住ハナの中に、悪魔は居ない。

 その理由は、安住ハナが純粋な“女神の器”だったから。

 そう思っていたけれど……。


「あら、ようやく起きた?」

「駄目……です……」

「ダメって何が?」

「奴隷……」


 ゼイゼイと喉を鳴らしながら必死ですがりつく太陽の巫女を、腰を落としたハナが天使の微笑み……いや、悪魔の微笑みで抱きとめる。

 ヘンタイ発言で、完全に生ける屍となった国王を置き去りに。

 ハナは青い瞳をキラキラと輝かせながら、茶目っ気たっぷりの笑顔で、太陽の巫女にもウインクした。


「そうして欲しくなかったら、私を止めて?」


 ああ、なんていうエンディングなんだろう。

 感動していいのか、笑い飛ばしてしまった方がいいのか、サラには分からなかった。

 突然現れた白とグレー、二色の光がマーブル模様に溶けあいながら、抱き合うハナと太陽の巫女を包み込み……二人の心が溶けあって一つに重なる、その姿がサラには見えたのだ。

 引き裂かれた運命の恋人が巡り合ったように、固い絆で。


 光がおさまってからも、誰も言葉を発することができなかった。

 ハナだけが動いた。

 砂の上に手をつき、ゆっくりと立ち上がり、手のひらについた砂をパンパンと払う。


 その足元では、ハナの抱擁から解かれた太陽の巫女が眠っている。

 大地を抱くようにうつぶせに伏せられた身体は、戦場で命を落とした魔術師そのもの。

 あの身体が立ち上がることは、もう二度と無いだろう。

 引き裂かれた太陽の巫女の魂は、一人のハナに還った。

 残された身体に閉じ込められた赤い瞳がどんなに望んでも、時を戻すことはできない。


 そして、すぐにその肉体も朽ち果てる。

 観客でいる時間は終わったのだ。

 サラが頭を強く振り、自分の膝に力を入れたとき、ジュートの腕という支えが消えた。


 ジュートが太陽の巫女に歩み寄る、その後姿が歪んでいる。

 長いストライドと伸びた背、ふわりとはためくシャツの背中が、なぜか霞みがかかったようにぼやけて良く見えない。

 理由は、頬をチクチクとつつく存在のせいだ。

 サラの瞳からは、宝石の涙が次々と零れ、砂の中に落ちていく。


「サラ、それもったいないから受け止めとけよ」


 太陽の巫女を軽々と抱き上げると、ジュートはサラに向かって盗賊みたいなことを言ってくる。

 サラは、なんて情緒が無いこと! とむすくれながらも、大人しく騎士服の前身ごろを持ちあげて転げ落ちる宝石たちを受け止めた。

 これからもサラは、何度も涙を流すのだろう。

 でもそれは、冷たい悲しみの涙ではなく、温かい喜びの涙の方が多くなる……そんな気がする。


「じゃーな、サラ」

「ねえっ、行っちゃうの?」


 またもや、何も告げずに去ろうとするジュートに、涙声のサラが問いかけた。

 言われなくても、行くところは分かっている。 

 精霊の森の、神殿地下だ。

 サラの想像通りだというように、ジュートは軽くうなずいてみせた。


「心配するな。すぐ戻ってくる。あとお前ら全員、今日は砦に泊まってけよ」

「うん……ありがと」


 お姫さま抱っこするジュートの腕からはみ出し、力なくぶらりと垂れ下がった老人の腕が、サラの目に焼きつく。

 魂は無事“ハナ”として融合したはずなのに、サラの思い通りになったのに、なぜか悲しくてたまらない。

 赤い瞳を抱えたまま、冥界へと向かう痩せ細ったその身体に、サラは「お疲れさまでした」と深くお辞儀をした。

 粘り続けた太陽は、ついに地平線の向こうに姿を消した。


  * * *


 月の細い夜は、闇の魔術が使いやすいらしい。

 ジュートはあっさりと、この場所からかき消えた。

 今度はサラが存在を察知できないほど、遠くへ。


 スンスンと鼻をすするサラは、一度宝石をお尻のポケットに入れるとハンカチをまさぐった。

 そして、サラ姫にあげてしまったことに気付く。

 仕方なく騎士服の袖で顔を拭おうとしたとき、ふわりと柑橘系の匂い。

 ジュートがつけていた香水が、サラの服に移ったようだ。

 香水じゃなくて、もしかしたら洗剤の香りなのかもしれないと、全然関係の無いことを考えながら、サラは再び涙を零した。


「サーラちゃんっ、どうして泣くの?」


 魔女と共に精霊王は消え、残された女神は一人宝石の涙を流す……誰もが心奪われる光景にカットインしてきたのは、女神の母。

 近寄ってくるハナの足取りは軽く、口調もサラが知っているまま。

 なのになんとなく、雰囲気が変わった気がする。

 例えるなら、甘過ぎるミルクチョコから、もう少しほろ苦いビターチョコになったような。


 サラが、サラ姫を取りこんで少し皮肉屋になったみたいに、ハナもこれから少しずつ変わっていくのだ。

 生真面目だったり一途だったりと、あの“太陽の巫女”っぽく。

 もうサラが必死で止めなくても、マトモな格好で買い物に出かけられるし、散らかしたキッチンの後片づけをしなくてもいい。

 ハナの中の、しっかり者な太陽の巫女がフォローしてくれるから。


「お母さんっ……」


 感極まって呟いた瞬間、つるんと飛び出た鼻水。

 慌ててすすりあげるサラのしぐさに、ハナは苦笑する。

 エプロンのポケットからハンドタオルを取りだすと、サラの目の縁に溜まった細かな宝石粒を払い、鼻水たっぷりの形良い鼻を遠慮なく摘む。


 もう片方の手は、サラの頭の上へ向かった。

 ハナの手のひらが、頭を撫でてくる感触は心地良い。

 男の人から豪快に撫でられるのに慣れていたサラにとって、それは新鮮で、なにより懐かしくて。

 サラは、泣き顔へ逆戻りしてしまった。


「もう、サラちゃんったらもう立派な大人のくせに、泣き虫なんだから」

「だって、分かんない……分かんないけど、悲しいんだもん」


 サラは、熊サラを強く抱きしめながら、駄々っ子のように言い訳をした。

 言いたいことはたくさんあるのに、頭がうまく働かない。


「泣かないの。お母さんまで悲しくなっちゃうでしょう?」

「お母さん……」


 自分が泣いているから、ハナは泣けないのかもしれない。

 サラは一度ギュッと瞼を閉じると、手渡されたハンドタオルで顔全体を乱暴に拭った。

 本当に、こんな悲しい思いをするのは、もうたくさんだ。


 あのひとが自分へ戦いを挑んで来なければ、こんな気持ちにはならなくて済むのに……そう思うけれど、これに懲りずにあのひとは何度でも、復活を目指すだろう。

 死と再生……それらを司るのもまた、あの邪神なのだから。

 亡くなった人々の罪を引き受けて、次の生では幸福を掴めるように現世の記憶を洗い流してくれる、大事な神。


「うん、分かってる……あなたも大事な、世界の一部だって」


 人が欲望を止められないように、邪神も時に暴走する。

 女神が守る、明るく華やいだ昼間の世界に憧れて。

 月をあげただけじゃ、満足してくれなくて。

 そんな些細な不満と、人々の感情が積み重なったときに邪神は目覚め、大きな戦いを引き起こす。

 この世界を、モノクロームと赤い花の覆う、静かで美しい世界に変えるために。


「でも、私だって負けないんだから……」


 今回の勝負は自分が勝ったけれど、次はどうなるか分からない。

 この世界が滅びるときが、いずれやってくるかもしれない。

 そうならないように……絶望で埋め尽くされる、悲しい世界を作らないために、自分が要る。


「お母さんゴメン。私もう泣かないよ。これから、もっともっと頑張らなきゃいけないしね」

「サラちゃんってば、本当に頑張り屋さんなんだから……昔から何でも一人でできちゃって。たまにはお母さんのことも頼ってね?」


 まったく頼りにならなそうな、ほんわかした声。

 サラは、今度こそ涙の滲まない百パーセントの笑顔を作った。

 伏せていた瞼を上げると、そこにはサラを優しく見つめる……グレーの瞳。

 日が暮れたせいかと思って、パチパチと何度も瞬きしてみるけれど、ハナの瞳の色はくすんだまま変わらない。


「どうしたの? お母さんの目が変な色になってる」

「あら、そうなの? どうしたのかしらねえ。ちゃんと見えるけど。サラちゃんの目は素敵なブルーよ」


 あっけらかんと笑うハナに、サラは毒気を抜かれてほうっと溜息をついた。

 青い瞳は、女神の器の証。

 ハナは……太陽の巫女は、ようやくその過酷な運命から解き放たれたのだ。


↓次号予告&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。












 加筆ぷくぷく……もう一話増えてしまいました。大変失礼をば。現在、10月31日28時! 朝日が昇るまでは10月ですから! ……はい、失礼しました。しかしハナさんの秘密は……最後にヘンタイ医師・馬場先生のエロ魔術が発動です。S&M。このあたりは、番外編で触れるかそれとも……考え中です。しかし記憶回復して弾けたハナさんは、自分好みキャラです。サラちゃんが母の影響をたっぷり受けたって感じで、あえて言動を近づけてみたという部分もありますが。しかし以前の過度な天然天使キャラは、記憶がない自分が傷つかないようにと作った鈍いキャラ……そんな感じに落ちつきました。国王様もかなり振り回されてますが、これくらいがちょうど良いかと。女房の尻に敷かれた方が幸せになれると、結婚された男性は皆口を揃えて言ってますしねっ。最後なので、大好きな昭和ギャグもちょろちょろと。「お・か・わ・り」はかろうじて覚えている学生さんたちもいらっしゃるのでは。補足を一点。『美女が野獣』は某少女漫画のタイトルです。あの方の女子キャラ可愛いです。髪の毛サラサラー。

 次回は、今度こそラスト。王子二人が舞台に戻ってきます。というか、最後はそこでしめたいと思って追加してしまいました。ではお楽しみに!

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