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第五章(34)命を繋ぐ光

 リーズは、それを奇跡だと思った。

 すれ違いざま、ほんのわずかに見えた彼女の横顔は……誰よりも綺麗だった。

 初めて会ったときから、ずっと腕に抱いていたいと思った、小さくて笑顔の可愛い女の子。

 瞳を閉じ、苦しげな呼吸を繰り返す姿は、似合わないと思った。

 いつも、自分の傍で笑っていて欲しかった……。


「リ……コ……?」


 自分のすぐ後ろで力なく横たわっていたはずの少女が、目の前にいる。

 自分に、強烈な癒しの魔術をかけて。

 そのまま立ち止まらず、背中を向けたまま、光の向こうへ弾むように駆けて行く。

 彼女の手には、小さなお守り袋が握られているように見えた。

 つい先日、女神が『リコのために』と、背中の羽を抜いて作った特別バージョンだ。


 リコは、結界に開いた穴に体を割り込ませ、毒霧の立ち込める外界へと飛び出した。

 すぐさま振り向くと、お守りを握っていない方の手を伸ばし、外側から補強するように結界の膜へと触れた。

 その時、夜空に雷光が走るように、薄暗いホールは光に包まれた。

 弱まりかけた光のドームにも、勢いが戻る。


 投げつけられた血まみれの塊は……リコの体を包む小さな水の盾で受け止められた。

 しかし、そのダメージは決して軽くない。


「くぅっ……!」

「――リコッ!」

「来ないで!」


 無表情の老人は、再び小首を傾げると、目の前の小さな虫を追い払うべく自らの肉を引き剥がす。

 投げたモノは、輝く水の盾にはじき返される。

 それでも、確実にその盾の光は弱くなる。

 数回同じことが繰り返され……ついに、飛び散った血液が盾で防ぎきれず、相手の足にぴちゃりと飛んだ。


  * * *


 自分の攻撃が、相手に初めてヒットした……その赤い印を見て、赤い瞳は満足げに笑う。

 しかし、何故か相手は倒れない。

 またもや小首を傾げながら、考える。

 次は、もう少し大きな物を投げてみよう、と。


「お生憎さま……私はもう、この程度の攻撃なんて、慣れっこなんだから……」


 少しずつ削れていく盾を微調整しつつ、リコは歌うようにささやいた。

 今が夢でも、現実でも構わない。

 自分が生きているこの世界が、愛おしくてたまらないと感じながら、全身の力を指輪とお守りに込めた。


 足の先から、徐々に感覚が無くなっていくのは、何度も繰り返された悪夢と同じ。

 次々と投げつけられる物を受け止めるリコの全身には、ゆっくりと毒がまわっていく。

 呼吸もままならない中、意識を失わずにすんでいるのは、耳の奥に届く声のせい。

 その声は、以前エール王子に見せてもらった、儚くも優しく光る小さな命のように、リコの心を温めてくれる。


「リコッ、リコッ!」

「リーズ……来ないでね? 来たら絶交だよ? 大嫌いって言うよ?」


 魔術師は嘘をついてはいけない……そう教えてくれたのは、両親だった。

 生家の居間に掛けられた、女神の絵の前で。

 言葉には精霊が宿る。

 魔術師は、言葉を……ひいては精霊を裏切ってはいけないのだと。


「なのに、私はずっと、嘘ついてばっかりだった……」


 最後まで、と言いかけたリコの意識が、盾にぶつけられた物の放つ瘴気によって、一気に弱められる。

 朦朧としつつも、リコはもっと言葉を残したいと強く願った。

 口を開いても、ひゅうひゅうという息に近い声しか出ない。

 それでも、この声に精霊が宿るならば、どうか伝えて欲しい……。


「スプーンちゃん、リーズのこと、捕まえててね……」

『リコッ!』

『分かったっ!』


 必死で叫ぶスプーンの声が、微かに聞こえて、遠ざかった。

 もう、外界の声は届かない。

 リコの心は、自分の中から聞こえる声に浸される。


「ずっと、夢の中でふらふら、彷徨っていたの……」


 気付けば自分は、幼い頃に戻っていた。

 生まれ育った田舎の町では、化け物と呼ばれるほどに強過ぎた、自分の魔力。

 半ば両親に捨てられるように王宮へ追いやられてから、誰も友達ができずに泣いてばかりいた、みじめでちっぽけな自分。


「ううん、できないんじゃなくて、作れなかったの。私が声をかけたら、みんな逃げて行くような気がして。追いかけたら、また“化け物”って言われちゃうんじゃないかって……」


 人に心を開くことが、怖かった。

 それ以上に、人を恨んでしまう自分の心が恐ろしかった。

 王宮の外には、生きたくても生きられない人がたくさん居るのに、それでも皆力の限り生きているのに……守られながら弱くなっていく自分が大嫌いだった。


「暗くて息ができない底なし沼に捕まって……底なし沼って変だなぁ。ちゃんと底があったんだから。泥沼の底からいっぱい手が出て、あたしの体を掴んで……ああ、体がすごく重い。もう、立っていられない……」


 楽になりたい、と思ったリコの前に、絵画で見た女神が舞い降りた。


  * * *


 リコは『もういいよ』という自分の声に従って、そっと目を閉じ、体の力を抜いた。

 最後の最後で頑張ったおかげだろうか?

 リコのささやかな願いは聞き届けられた。

 心から望んでいた、大切な人の優しい言葉たちが、リコの捉えられた泥沼の中に光の礫になって放り込まれる。


『……リコ。お前は優し過ぎる。敵に手を抜くなら、お前を試合には出せない』


 アレク。

 いつも冷たいけど、カッコイイ。

 大好き。


『リーコッ。またこの子らに洋服作ってくれてるの? ありがとなっ』


 リーズ。

 ちょっと頼りないけど、誰よりも優しい。

 大好き。


『リコォ。今度はズボン作ってよー』

『大丈夫っ。片足だけ通せば着られるから!』


 スプーンちゃん。

 生意気だけど可愛い。

 大好き。


 他にも、カリム、ナチル、デリスママ……みんな、大好き。


「――リコッ!」


 ああ……そっか。

 一番大事な人が、最後に来てくれた。

 強くて美しくて、面白くて可愛くて、憧れてやまない女の子。


 残酷なサラ姫の魔術で、いきなりこの世界に呼び出されて……同情でちょっと優しくしてあげたら、何倍もの優しさを返してくれた。

 生まれて初めてできた友達。

 生まれて初めて好きになった人。


 サラ様。

 大好き。


 もっと、あなたのことを見ていたかった。

 けど、残念……。

 もう私、ここには居られないみたい。


 ずっと私、迷惑かけてばかりでごめんなさい。

 皆より力も弱くて、戦えなくて、足引っ張ってばかりで。

 だから、一度でも、役に立ちたかったんです。


  * * *


 サラの到着は、ほんの一歩だけ遅かったのかもしれない。

 翼を広げ、空の青をすくいとったその瞳を僅かに細める……それだけで、あらゆる闇をねじ伏せる圧倒的な光が放たれる。

 太陽にも勝るその光線は、国王だったもの……その肉体を崩壊させた。

 崩れ落ちるそれに見向きもせず、サラはリコの元へと舞い降りた。


 抱き寄せたリコの体は、あまりにも冷たい。

 ようやくこの手に捕まえたのに、リコの魂が少しずつ遠ざかるようで……サラは大声で叫んだ。


「リコッ、リコッ!」

「サラ、さ、ま……」

「リコっ?」

「だい……す……き……」

「そんなこと分かってる! お願い、黙って!」


 リコの体を、溢れる光が真綿のように包み込む。

 この世の生命が欲してやまない、女神の放つ癒しの光。

 それを一身に浴びても、リコは目を開けない。


「どうして! こんな無茶するのっ?」

「ずっ……めいわく、かけ……よわ……」

「何言ってんの! そんなことあるわけないっ!」

「いちど……でも、やくに……たちたかっ……」


 サラの涙が綺麗な宝石になり、腕の中で横たわるリコの頬や胸を転がる。

 チクチクするはずなのに、痛いはずなのに、リコは目を開けない。

 暗闇の中、深い沼の底に開いた冥界への門……リコはその先に進もうとしている。

 体の傷は治したのに、汚らわしい血も肉片も消し去ったのに、魂があの細い糸に絡め取られて……。


「……ねえ、サー坊?」

「リーズっ……お願い、リコを呼んで! 名前呼んでよっ!」

「もういいんだ。いいんだよ」


 サラの両脇には、無言でうつむくアレクとカリム。

 正面には、両手にスプーンを握ったまま、薄く笑みを浮かべたリーズ。

 そして、サラの腕の中には、もう呼吸を止めてしまったリコ。

 他の人間……突然現れた女神に涙しひれ伏す彼らの姿は、サラの目には映らない。


「サー坊。俺のこと怒らないでね?」

「……リーズ?」


 糸のような細い目から幾筋もの涙を流したリーズが、パンパンに腫れた手のひらと真っ赤な顔をしたまま、その言葉を告げた。

 いつもはのんびりとした口調なのに、その台詞は淀みなかった。

 何回も、リーズの心の中で練習された言葉だった。


「我は命じる――」


 両脇から、リーズの口を塞ごうと太い腕が伸びる。

 サラは、驚きのあまり体が硬直した。

 誰も、止められなかった。


「俺の命を贄として、リコを救ってくれ!」

「――ダメッ!」


 叫んだサラが、腕の中のリコを抱きしめたそのとき。

 リーズの手の中から、二つの白い塊がするりと飛び出した。


  * * *


 それは、金と銀、二本のスプーンから飛び出した、小さく可憐な妖精。

 初めて見るその姿に、リーズは細い目をめいっぱい見開いて、呟いた。


「なっ、お前ら……」

『やーだよっ!』

『べーだっ!』


 もしかしたらその姿が見えたのは、リーズとサラだけかもしれなかった。

 リコの作った、猫耳つきのワンピースを着た、二人の妖精。

 その背中にはしっかり穴が開けられ、蜻蛉のような薄く繊細な羽がキラキラと輝きを放ちながら揺れている。


『リーズの言うことなんて、聞いてあげないっ』

『こんなご主人様とは、契約解消だもんねっ』


 金と銀の長くウェーブがかかった髪は、つま先までの長さ。

 触れれば溶けてしまいそうなその羽を、せわしなくはためかせながら、二匹の妖精はリーズの手から肩先へと移動した。


『あたしたち、リコのこともちょっとだけ好きだから』

『しょーがないから、リーズのお願い叶えてあげる』

『リーズ、じゃあねっ』

『リーズ、バイバイっ』


 二匹の妖精は、小さな小さな唇をリーズの両頬に同じタイミングで押し当てると、そのままふわりと飛んだ。

 旅の仲間たちの前で、二人の妖精は互いの手を取り、挨拶をするようにくるくると踊りながら、ゆっくりとサラの方へ近寄ってくる。

 一度、サラの前で止まると、にっこりと笑い掛けて……すぅっと音も無くリコの胸の中に消えた。

 次の瞬間、サラが放った女神の光とは違う、温かく柔らかいランプのような橙色の灯りが周囲を照らした。


「おい……スプーン……?」


 カランカラン。

 光が消えたとき、石畳の上に音を立てて転がったのは、リーズの手の中からすり抜けた二本のティースプーン。

 その音を合図に、サラの腕の中で変化が起こる。

 冷たくなっていた体が、少しずつ熱を取り戻していく。


「……んっ」

「――リコ!」


 サラは、リコの頬を何度も容赦なく叩く。

 リコは少しいやいやをするように頭を振ると、静かに、その好奇心いっぱいのブラウンの瞳を開けた。

 リーズは、その場に膝から崩れ落ちた。


「……リコ……リコっ!」

「サラ、さま……?」


 長い夢から覚めたように、リコは猫のような大きなアクビを一回。

 その後、周囲を確認するようにきょろっと目線を動かしたとき、リコは気付いた。

 自分の胸の上に、次々と輝く宝石が降る。


「えっ……なぁに、みんな……なんで泣いてるの?」


 膝をついたリーズは、子どものように泣きじゃくっている。

 呆然と立ち尽くすアレクとカリムの目からも、涙が零れ落ちていく。

 そして、リコの傍らには、くすんだ鉛色のスプーンが二本、砂にまみれて転がっていた。


↓次号予告&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。











 うわーん! ごめんなさいっ。主要キャラを初めて死なせてしまった……人間じゃないけどっ。でもこれは、初期プロットから決まっていたことだったのです。いろいろいじってしまったけれど、この展開は変えられず……っていうか、最初の最初はリコちゃんが死んでしまうはずだったのですが、そこは悩みぬいた結果変えてしまいました。頑張る人は報われるという王道のために……。そして、精霊と妖精は人のために尽くしてくれる愛らしいキャラとして命を全う……ああ、もうダメだ。何を言ってもフォローになりませんね。とにかく、この話の大事な山場が終了しました。リコちゃんの走馬灯シーンは、ちょっと冒険でケータイ小説っぽいモノローグを入れてみました。成功したかは神の味噌汁。悲しいけど『じゃあね、そっと手を振って!』(←おにゃんこの卒業ソング)

 次回は、もう一回サラちゃん飛びます飛びます! 枝分かれしたもう一本の道へ……そっちに居るのは、当然あの人たちですね。シリアス、もうちょっと。

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