第五章(31)枝分かれした運命
サラは、視界を埋め尽くす暗闇の中、光を求めるように天を仰いだ。
もしも生き返れたら、絶対にやり遂げるべきことがある。
サラの敵は、魔女じゃない。。
本当の敵は、あの赤い瞳の邪神だ。
あれを倒せば、リコを巣食う呪いは解けるかもしれない。
リコだけじゃなくエール王子も、可能性は低いけれど侍従長も。
そして、サラの知らない何かを求めてこの世界を彷徨っている、あの人も……。
「ジュート」
その名を呟いたとき。
サラは、冥界という名のバーチャルワールドから、思わぬ洗礼を受ける。
* * *
それはまさに、未知との遭遇だった。
猛スピードで、暗闇の中を何かが飛んでくる。
サラへと向かって、一直線に。
目の前に迫りくるその物体をとっさに掴むしぐさをすると、フワッとした柔らかくも生々しい感触が伝わってきた。
「――なっ、なんじゃこりゃ!」
視界は、漆黒の闇から薄墨を溶いたくらいの明るさへと変化した。
サラは、恐る恐る自分が掴んでいるものを見つめた。
両手にすっぽり収まったのは……一匹のテディベア。
見覚えのあるそれは「これ以上大人にならなくていい!」と、子どもみたいなワガママと共に渡された、カッコイイお父様からのプレゼント。
「ま、まさか……」
『――キャアーッ!』
ぬいぐるみを抱きしめ、唖然として目を見開く。
サラが見つけたのは、見覚えのある制服姿の少女。
まさにほんの少し前のサラ自身だった。
自分の体が無数のきらめく糸に絡めとられ、暗闇の中を異世界へと落ちていくそのシーンが、コマ送りのスローモーション再生で映る。
高いところから落ちた猫は、何回転もした結果足から着地して怪我もしないという。
今見ている自分は、まさにその逆だった。
わたわたと、ひっくり返された虫のように両手両足を醜くばたつかせ、それが見事にスカスカと空を切る。
本人は必死なのだが、横で見ている未来の自分からすると、ギャグにしか映らない。
「……これ、どうすりゃいいのっ?」
今のサラには、過去のサラを異世界へと引っぱる糸が見える。
糸はあたかも蜘蛛の糸のように柔らかく、緩く、サラを包み込んでいる。
ふと、サラは自分の姿を見つめた。
抱えたテディベアの肩越し、左の腰にはしっかりと相棒の黒剣が刺さっている。
ゆっくりと、上空から落ちてくる自分が、もうすぐ目の前を通過する。
たぶん今のサラには、その糸をちょん切ってしまうことができるのだろう。
糸を切った後は、この手にある可愛い熊をあのサラに手渡し、落ちてきたその向こうに見えるあの穴ぼこから押しこんでやればいい。
何も無かったのだ、と囁きながら。
* * *
『おかしいな……立ちくらみしちゃったみたい』
地球へと押し戻された彼女は、そう言って立ちあがる。
気づけば、母からもらったはずのノートは消えていて、そんなものは最初から無かったことになる。
サラ姫に捨てられてしまったアクセサリーを、丁寧にジュエリーボックスへしまって、制服を脱いでパジャマに着替えて、温かい布団でぐっすり眠る。
その後、自分はあの世界で普通の女子高生として生きていく。
高校で新しい出会いがあり、大学へ進み、社会人になり……きっと近くにいる誰か素敵な男性に恋をするのだ。
過酷な旅も、戦争も、邪悪な神との戦いも関係無い。
こちらの世界で経験したことを、全て失ってしまう……。
『楽しいよ? 何も辛いこと無いよ? 平和だよ? お母さんもパパたちも友達も、皆待ってるよ?』
誘うその声は、サラ自身の声だ。
ずっとずっと、そうなればいいと願って来たんでしょうと、明るく笑いながら問いかけてくる。
自分の心から発せられる、甘美な誘惑――。
「……バッカじゃないの?」
サラ姫の口癖が、移ってしまった。
戸惑ったのは、ゼロコンマ一秒以下。
訳のわからない怒りと苛立ちを感じながら、サラは叫んだ。
「――絶対絶対、嫌っ!」
もがきながら落ちていく過去の自分が通り過ぎるとき、ツキンと胸が痛んだけれど、サラは手を差し伸べなかった。
これから“あのサラ”は、過酷な運命に立ち向かう。
もしかしたら、どこかで道を誤ってゲームオーバーになるかもしれない。
あの邪神が、舌なめずりして待つ世界へ落ちていくかもしれない。
「そうだとしても……この私は、この世界から逃げたくないっ!」
苦しい旅も、あの戦いも、何度やり直したって構わない。
だって私は……。
「――みんなが、シュキだからーっ!」
サラは、渾身の力を込めて叫んだ。
少し前にマイブームだったCMの、有名韓流スターが叫んだ愛の台詞を。
その恥ずかしさをパワーに変え、手にしたテディベアを、これまた幼い頃にマスターしたトルネード投法で闇の中へと放り投げる。
手の中のぬくもりが消えることに、もう寂しさは感じなかった。
サラは、あの世界で生きていくという未来しか、描くことができなかった。
「もう、迷わない」
呟いたその瞬間、暗闇は眩い光へと置き換わった。
あまりの眩しさに、サラは……目を閉じた。
* * *
暗いトンネルを抜けると、そこは雪国……ではなく、ネルギ王宮・国王の間だった。
気付いたとき、サラは一人でその部屋に居た。
まるで殺人事件の死体のように、毛足の短いカーペットの上に倒れ伏して。
当然、指先に地文字のダイイングメッセージなど、書かれてはいない。
消えたと思った四つの炎はまだじりじりと燃えていて……。
ヤツは、居ない。
ベッドの中にも、どこにも。
「……え、これ現実?」
強く頭を振り、意識が鮮明になったサラは、韋駄天の早さで窓へ飛びつきカーテンを開けた。
どうやら、それほど時間は経っていないようだ。
カーテンの向こうからは、茜色の西日。
バルコニーの正面には、輝く太陽の光を跳ね返す、ツンと尖った王宮別塔の屋根が見える。
大きく開け放たれた窓からは、じっとり汗ばんだ肌をくすぐる冷風が吹きつける。
室内の淀んだ空気が、砂漠の砂混じりな乾いた風によって洗われていくようだ。
軽く伸びをしてみたところで、自分の体に痛みは感じない。
「コンティニュー、成功?」
光を全身に浴びてパワーチャージしつつ、サラはふと考えた。
これがもしかしたら『森の攻撃』なのだろうか、と。
自分が過去に経験した最大の恐怖は、つい今さっき……勝ち目のないあの邪神との対峙だった。
そしてもう一つ、心の奥底に横たわっていた不安があった。
元の世界へ戻りたいという願い。
抗いがたい、恐怖と不安。
それに負けたら……自分はきっと命を失っていた気がする。
今頃は、暗闇にそよぐこともできない、物言わぬ赤い花に変わっていたのかもしれない。
ゾクッと背筋に悪寒が走る。
同時に、見えていなかった真実が見えてくる。
「あれ……なんか、塔が埃っぽい……」
塔も含め、サラが居るこの建物の外壁は、砂にまみれながらも美しいオフホワイトを保っていたはずだ。
それなのに、今視界に映る塔の表面には、黒いノイズのような靄がまとわりついている。
冥界に行った自分の目に残った後遺症かと思い、慌てて目を擦ってみたが黒い薄膜は消えない。
サラは、目をこすったその手を見た。
何の変哲も無い、豆だらけの、女子にしては少しサイズの大きめな手だ。
しかし、広げた手のひらの表面が、淡く光り輝いている気がする。
ふと思い立って、サラの立つ窓の外側……その場所を覆う黒い靄に、自分の手を押し当ててみた。
鉄粉のような黒い微粒子は、サラが触れた部分だけ綺麗に消えてしまった。
「……この黒いのって、まさかっ」
記憶に焼きついた邪神の赤い瞳。
器とした国王から漏れだす瘴気……この黒い靄は、毒蛾の麟粉。
建物全体を覆い尽くし、中に居た人間をあの暗黒の世界へと追いやる……まぎれも無い毒だ。
今のサラだけが、これを取り除ける。
「――行かなきゃ!」
とっさに振り向いたサラに、残酷な二つの選択肢が突き付けられる。
壁も、通路も、階段も……全て透き通った建物の端。
今サラが居る場所を起点として、真っ二つに分かれた道の先……それぞれに、別の理由でサラを求める者を。
* * *
「何、これ……どうしたらいいの……」
ザワリ、と背中の裏で何かが動く音がする。
開かれた窓をくぐり吹く風は冷気をはらみ、布地を押し上げたむき出しの背中に当たる。
いつの間にか現れた“翼”が風に凪ぎ、サラに早くどこかへ飛び立つよう要求してくる。
そして、夢でしか会えなかったジュートの言葉が、サラの頭の中を駆け巡る。
『お前が向かう先で、もし誰かが“死”を選ぼうとしたら……何があっても止めて欲しい』
『お前には分かるはずだ。俺たちの、歩むべき道が……』
「どっちかの道を、選べっていうの……?」
右の道は、ネルギ王宮正面入口ホール。
広過ぎる館内玄関には、多数の王宮に従事する市民や文官などの政治家たちが集まっていた。
彼らの一部は床に横たわり、一部は打ち震えて丸く固まり、一部は誰かれ構わずしがみ付いては神に祈りをささげている。
そんな市民たちを包むのは、水色をしたドーム状の結界。
結界を作っているのは、先程冥界でサラを励ましてくれた大事な仲間……アレクと、リーズ。
魔力を持たないカリムは、人々を勇気づけてまわり、リコは床に寝かせられている。
サラが認める、強くて優しい彼らが揃って苦悶の表情を浮かべているのは、彼らに命を要求するあの人物のせい。
その先……閉ざされた王宮正門の向こうには、もうネルギ軍が迫っている。
放置すれば、多数の犠牲が出る。
「だめ……お願い。待ってて!」
サラは、もう一本の道から目を背け、今見た道へと意識を絞った。
背中の翼が、力強くサラの体を前へと押し出した。
↓次号予告&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。
サラちゃん、見事リアルワールドへ復帰な回でした。前半はもう、なんていうか……作者の趣味です。「あなたがシュキダカラー」は、ほんのちょっとの古さがイイ! 失笑できる中途半端な流行語。きっとあの台詞を使いまくってたダウンタウン・マッチャンもそう思っているに違いない……。あと、トルネード投法。おケツプリッてするやつ。アレ、絶対チビッコは真似したよねー? あるあるあるあるー!(←古い)さて、リアルワールドに戻ってからは、しばらくシリアス進行です。たぶん10月10日……体育の日に終了、くらいな予定で。今完全エンド部分をせっせと書いてますが、いっぱい説明することがありまして。しかもたぶん、番外編で説明不足をちまちま補うことになりそう……と、見苦しい言い訳はブログの方で。
次回、サラちゃんの女神パワーでほんのちょっと前の過去、サラちゃんがバーチャルゲームに勤しんでた頃に何があったかをチェックです。女神パワーってべりー便利ー。
※以前チラッと告知していました、チビ犬からのスピンオフ掌編をアップしました。『『夏休みの計画』〜目指せ、熱湯甲子園!〜』です。サヤマ君の親友・野球少年南君のラブコメ。お暇な時にでもぜひ。http://ncode.syosetu.com/n1059i/novel.html