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砂漠に降る花  作者: AQ(三田たたみ)


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第五章(29)迫りくる死

『まったく、サラ姫は詰めが甘いなぁ』


 心の中に、巻き戻されたテープのように聴こえたのは、いつか聞いたクロルの嘲笑。


『そこにある脅威に、また目を瞑ろうとしたね? 僕ならきっと――』

「分かってるっ……!」


 サラの叫びが、水底のように暗い部屋を切り裂いた。


  * * *


 異変に気付いたのは、魔術師よりもサラの方が先だった。

 最初は、空気の歪み。

 消えたサラ姫の香……ほんのりと甘い香りが残るその部屋にそぐわない、微かな悪臭。

 続いて、奇妙な唸り声。


 もしかしたら常人の感覚ではない部分で、サラだけが反応したのかもしれない。

 現にこうして目の前の“ネルギ最強”といわれる魔術師ですら、全くと言ってよいほどサラの気持ちを分かってくれないのだから。


「……なぜ、こんなことに?」


 問いかけたサラの声なき声に反応したのは、自分の中に住む女神の感覚。

 サラ姫の行動……突然発動した強力な闇の魔術が、どうやら呼び水になったらしい。

 空間移動の際、サラ姫という支配者はこの世界から一瞬消えた。

 赤い瞳を陰へと追いやる憎き太陽が、一時隠されたのと同じこと。


 偶然が重なり、大人しく眠りについていた魔物は目覚めてしまった。

 寝息も立てず身じろぎもせず、こん睡状態だった国王が、ゆっくりと瞳を開く。

 暗闇に血を溶かし込んだような、あの赤い瞳を。


「魔術師さん、逃げて……ううん、それじゃダメだ……」

「どうされました……?」

「お願い。サラ姫を見つけてきて……きっとカナタ王子のところだから。私は、これを止める」


 同じ姿勢で長く座りこみ、しびれかけた太ももを握りこぶしで強く叩くと、サラは一点を睨みつけながら腰の黒剣に手を伸ばした。

 サラの視線の先を追い、それを見つけた魔術師は、手にした杖を取り落としかける。

 魔術師の心の目にも、あの赤はこの世の異物として映ったのだろうか。


「ありえませぬ……一体、なぜ……」

「早く行って。お願い。あと、普通の人はこの建物から避難するよう魔術で流して。私の連れにもそう伝言して。皆を守って欲しいと」

「ですがっ」

「――いいから早く!」


 鬼気迫るサラの叫びに、弾かれたように部屋を飛び出していく魔術師。

 後姿を見送ることもできず、サラは“それ”の挙動を見張り続ける。

 魔術師は、腰を伸ばすことはできても走ることはできないらしく、ガツガツと床を叩く不揃いな杖の音が聴こえる。

 その音が瞬く間に遠ざかり、静寂が戻ったところで、サラは無意識に止めていた呼吸を再開した。


 吸い込む空気は沼の畔のように淀み、微かな腐臭はツンと鼻をつく刺激臭に変わった。

 その臭いが、目に見えない微粒子となり、この王宮全体を包むように漂い始めたことが分かる。

 誰にも気づかれず静かに、太陽へと迫った月のように……。

 剥き出しの顔や首、そして呼吸と共に体内へとねっとりとまとわりつく、その“何か”の気配をかき消すべく、サラは無理矢理明るい声を出した。


「あんた、本当にシツコイよね……」


 手のひらから、汗が滲みだす。

 取り落とさないように力を入れ直しながら、サラは最も得意とする正眼の構えをとった。

 黒剣の先でじわりと力を蓄えて行く、その生き物の挙動を見守る。


 もう“これ”は、人間ではない。

 今から、国王の体という名の殻をまとった、毒蛾の羽化が始まるのだ。

 暗闇に粉まみれの分厚い羽を広げ、触れる者を死に至らしめるための、厳かな儀式……その準備が整った。


  * * *


 サラの中に潜む女神が、痛いくらい心臓を鳴らし警鐘を発する。


「あんたの、好きなようにはさせない……」


 あくまで強気に呟いてみるものの、サラの口の中は乾き切り、声は掠れた。

 全身の皮膚は粟立ち、抑えようとする気持ちを振り切って勝手にカタカタと震え出す。

 剣先を、相手の急所へと向ける正眼の構え……真っ直ぐ伸ばした腕の先には、常に危機を乗り越えてきた相棒の黒剣がある。

 サラの心が恐怖に支配されれば、剣は自動的に相手を倒すべく動いてきた。

 しかし今、相棒は……微動だにしない。


「宿主を変えて、あっちこっち寄生しながら生き延びて……一体、何なの?」


 サラの問いに、女神が応える。

 死が、足りないのだ。

 コレが完全に目覚めるには、まだもう少し。

 今はまだ、人間の肉体という器を借りなければ、この地上では生き延びることができない。


「なるほど、人の体は、太陽から身を隠すためのマントってことね……」


 呟くサラの声が波紋のように広がる中、それは覚醒した。

 関節を一切曲げない、人間らしからぬ動きでゆらりと体を起こす国王。

 まるで、誰かが上から操っている人形のような動きだった。

 ベッドの上で上半身を起こし、首を捻じ曲げてサラを見るオッドアイ。

 肉体はもう腐り落ちる寸前だというのに、ただその瞳だけが、爛々と輝いている。


 過去、変質者に襲われたときのことを、サラは思い出していた。

 恐怖や死は、誰にでも突然起こる不可避な現象だ。

 もしもそれを予知してしまったら……果たして人の心は平静を保てるものだろうか?


 サラは、一つの事実を察してしまった。

 逃げたくても、逃げられない。

 自分は、赤い瞳に殺されるだろう。


 足は完全に強張り、冷たい絨毯に縫いとめられたように動かない。

 背中を向けたら、きっと終わる。

 心を手放してしまいたいくらいの恐怖に、サラの全身は感覚を失っていく。

 それでも、サラの中の女神は、サラの口を使いながらサラに真実を語り続けた。


「封印が綻んでから……長い時間をかけてゆっくりと、人々が少しずつ狂っていくように、あんたはこの世界に不安という感情をばら撒いていった。その不安のせいで、誰かの死を求める人間が現れて……今度はそれを利用して、闇の魔術を広めたのね。そのうち、呪われた双子の巫女が神殿へ。その巫女を、トリウム国王が森から連れ出す。あんたは、そうやってあの森を――」


 話しながら、サラの脳裏に一つのキーワードがよぎった。


『封印の巫女』


 なぜ、森に聖なる乙女が入れ替わり立ち替わり、決して途切れないように送られてきたのか。

 それは森の奥深く……神殿の地下から繋がる大地の底。

 いわゆる『冥界』に、この禍々しい邪神を封じてきたから。

 神殿に生命が置かれる限り、コレは地上には出られなかったのだ。


「そっか……あなたが、全てを仕組んだのね」


 鎌首をもたげる死神のように、ゆっくりと国王は立ち上がった。


  * * *


 恐怖に押しつぶされそうになる人間のサラを、女神のサラが支える。

 自分の声には、精霊が宿る。

 そう言ってくれた偉大な精霊王の言葉を支えに、サラは語り続けた。


「神殿から巫女が消えて、あんたはようやく地上へ出て来れた。そしてきっと、王弟へ取りついたんでしょう。でも本当のターゲットは、太陽の巫女だった。だからあんな酷い事件を起こして、太陽の巫女の心を壊してまんまと取り付いて、オアシスから砂漠へ……ミツバチが花粉を運ぶみたいに、あんたはこの場所へ運ばれてきた。そうでしょう?」


 スプリングの効いたベッドの上で、ゆらゆらと左右に揺れながら、周囲へと目を配る国王。

 生まれたての雛鳥のように貪欲に、自分の居る世界を認識しようとしている。

 その姿が、黒い靄に包まれ霞んで見えない。

 それとも、靄に取り込まれているのは、自分自身だろうか?

 剣を握っていることも分からないほど、既に皮膚の感覚は麻痺してしまった。


 この靄が肌に触れ、呼吸と共に体内へ入ることは……マズイ。

 頭では分かるのに、サラの体は言うことを聞かない。

 ただ荒い呼吸を繰り返しながら、木偶の坊のように立ちつくすだけだ。


 唯一まともに機能している耳には、ガツンガツンとハンマーで叩かれるくらい大きく、心臓の鼓動が鳴り響いている。

 こめかみから頬、顎の先へと汗が伝い落ちていくのを、拭うこともできない。


「あんたの狙いは、地の底から這い出て、この地上を支配すること。闇に浮かぶ月が、太陽を手に入れたい……なんて馬鹿なことを」


 サラが言い終わった瞬間、国王はベッドの上で一歩足を踏み出した。

 スプリングの厚いベッドは、人が一人身動きした程度ではきしりと音を立てるくらいが関の山だ。

 それなのに、今目の前のベッドは、一人のしょぼくれた老人の足で……粉砕された。


「――っ!」


 息を呑むサラの視界が、赤に染まる。

 当然、人間の足がそんな力に耐えられるわけがない。

 国王自らの足も、くるぶしのあたりでありえぬ方向へ折れ曲がった。


 肉のほとんどつかない、国王のやせ細った足。

 骨が皮をあっけなく突き破り、周囲には血液が放射線状に飛び散る。

 それに視線を向けた国王は、あたかも要らない枝葉を切り落とすように、折れた左足を引き千切り放り出した。


 引きちぎられた生々しい左足の傷は、国王が手をかざしたほんの一瞬で塞がれてしまった。

 国王は、長さが変わったアンバランスな足で、サラの方へ一歩踏み出し……当たり前のようにバランスを崩した。

 無表情のまま立ち止まると、腕を斜め下へ伸ばし、自ら引き千切って床に転がした足の先を拾い上げる。

 それを、短くなった足の切り口に押し当てると……。


「なんでっ……!」


 サラの目の前で、奇跡が起こった。

 ビデオを巻き戻すように、傷がみるみる消えてゆく。

 一度失われたものが、何事も無かったかのように時間を巻き戻し、命を吹き返す……その様子を見ながら、サラは再び呟いた。


「……わかった。サンドワームを操ったのは、あんたね?」


  * * *


 目を開けているのに、サラにはその映像がはっきり見えた気がした。

 国王の中に宿り、サラ姫の支配下に置かれた間は、好き勝手に動けない。

 しかし、戦地とこの王宮を往復する間に、わずかな隙ができるのだ。

 その瞬間を逃さず、赤い瞳は地中に住むサンドワームへ指令を出しサラたちを襲わせた。

 いや……。


「本当は、私を狙ってたんだ。女神が宿る“器”を……」


 行き道では、一匹のサンドワームをけしかけるのが精一杯だった。

 しかし、つい先日の大量発生は……。


「あんたの力も、強まってるんだ……でも、残念だったね。サンちゃんはあんたの命令より、女神様の方が怖いってさ!」


 叫びながらサラは、祈った。

 もしも自分が“サラ姫”を救うために呼ばれたのなら――。


「お願い! 女神っ……来て!」


 心からの祈りにも、サラの中の女神は羽をもがれたように動かない。

 その理由が、サラには漠然と理解できていた。

 それは、恐怖という感情。

 すでにサラは、赤い瞳に屈していた。

 自らの死が迫りくることを、悟ってしまっていた。


 思えば月食のとき、サラは何も恐れてはいなかった。

 肉体を極限まで痛めつけられ、半ば意識を飛ばしていたことが功を奏したのかもしれない。

 ただ降りてくるその神々しい存在に身を預け、心を重ね、思うままに時空を超えて世界を渡った。

 その女神が、今は現れない。

 現れる気がしない。


「いやだ……来ないで……」


 触れるものを皆、死に追いやる禍つ神。

 繋げた足をずるりずるりと足を引きずり、闇を身に纏い赤い瞳をてらてらと光らせながら、一歩ずつ近寄ってくる。 

 それはサラの残りの命をカウントする足音。

 もう十秒、九秒、八秒……。


「サラ姫……ジュート……誰かっ……!」


 後退りどころか、もう呼吸すらもできない。

 硬直した体を動かせと命じる隙も無いくらい、心は恐怖という名の闇に染まる。

 封印から解き放たれ、この広大な世界を支配すべく闇の翼を広げる邪神と、女神の力を解放することも叶わず震えるだけの人間の娘。

 その二つの存在が交差したとき、何が起こるかなど……分かり切っている。


「……皆、ごめん」


 サラが最後の言葉を放つと同時に、手にした黒剣を振り降ろした瞬間、四隅の炎が燃え尽きた。

 意識の全てを赤に染める痛みと、崩れ落ちる体を感じながら、サラは……冥界への門を開いた。


↓次号予告&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。











 おまたせしました。抵抗むなしくあっさりジ・エンドです。こんな最終回、どうでしょう? かまいたちの夜っぽくないですか? ……非難轟々ですわね。スミマセン。今回の進展は封印の巫女さんでした。森の神殿の地下に、もともと赤い瞳さんは封印されてたんですねー。でも、巫女さんが居なくなってしまったので、わーいわーいと外に出て来たのです。とはいえ、太陽の巫女さんの計らいで何故か(この辺はまた後で)サラ姫の支配下に置かれてしまって文句たらたら。敵認定したサラちゃんを、サンちゃんで攻撃。単純です。そして最後はリビングデッド……ホラーは苦手なので描写はあっさりと。そして、女神モードになれなかった人間サラちゃんも死亡。振り返ってみても、今回はかなり変な話でした。

 次回、死んじゃったサラちゃんの一人芝居。一気にギャグモード全開で、楽しく死後の世界を過ごします。転んでもただでは起きない主人公……そして、たぶんこの話は10月に突入します。土下座っ!

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