第五章(22)国王を操るモノ
サラは一瞬、自分がなぜここにいるのだろうと思った。
端正な顔を歪め、今にも崩れ落ちそうなほど体を震わせているカナタ王子。
そんなカナタ王子を見つめる人物が、自分のほかにもう二人。
一人は、赤い目を持つ国王だ。
瞳は極限まで見開かれ、赤と黒、オッドアイの目玉がぎょろりと飛び出している。
もう一人は、カナタ王子の立ち位置を気にするサラ姫。
媚を売るように潤んだ瞳で瞬きを繰り返し、思いついたようにカナタ王子の隣に立つサラを睨みつけてくる。
そしてサラ姫の斜め後ろ、捻じれた木の杖をつき己の存在を消すように立ちつくしていた老人が一人、ホウッと溜息をついた。
「姫さま。そのご説明では、カナタ王子には分かっていただけないのでは?」
いつも耳にしているノイジーなしゃがれ声に、警戒心を少し緩めたサラ姫は、はーいと間延びした返事をし、再び語り出す。
サラがこの世界へ呼び出されたときと同じように、思いつくまま、率直な話を。
* * *
「国王様はね、誰よりも強い力を欲しがったの。だから、この瞳を一つ譲り受けたらしいのね。でも、元々の魔力が足りないから倒れちゃったの。しょうがないから、魔力が強い他の人を探して、この瞳をたまに移動させてあげたの。他の王族の人はみんなすぐ変になっちゃったけど、あの黒髪の男の人はちょうど相性が良かったのよね」
当時を思い出したのか、くすくすと嬉しそうに笑う。
その唇が宝石のように赤く艶めいて、オレンジ色の光を受けても白すぎる手が際立った。
サラは、もうこの場所に迫っているだろうキール将軍を思い出す。
「そのときには、国王様もずいぶんくたびれちゃってたみたいで、とりあえずあの人を仮の宿主にして戦場に行かせたの。瞳だけときどき呼び戻してたんだけど、それだけで戦地で何が起きてるかはまるで自分が直接見に行ったみたいに分かって……本当に便利よねえ。でも最近、その人が拒絶しちゃったから、国王様のところに勝手に帰ってきちゃったの。定期的に他の人に移してあげないと、国王様の体がどんどん弱っちゃう。だから、戻ってくる軍の魔術師を贄に欲しいの。分かってくれた?」
唇に人差し指を当て、ときおり考え込むように上を向きながらも、サラ姫は一気に語った。
サラは、すぐ傍に居るカナタ王子の横顔を見上げた。
カタカタと震える体を両腕で抱きしめるようにし、奥歯を噛みしめながらサラ姫を見つめている。
いや、サラ姫の奥に潜む、悪魔の瞳を。
ショックから立ち直ったことを示すように、意志の力でクッと目尻が上がった瞬間、それを察知した魔術師が声を上げた。
「カナタ王子さま。サラ姫さまは、あなただけには害をなさないようにと」
「――ふざけるな!」
カナタ王子の怒鳴り声に、サラ姫はびくんと体を跳ね上げた。
声をかけた魔術師も、溜息とともに再び口を閉ざしうつむく。
衣装のせいで相変わらず鼻より上は見えないが、魔術師の口元も強く引き締められている。
この事態を、憂えているのだろう。
しかしサラと同様に、どうすることもできない。
問題は国王を中心とした王族の中で発生し、発端である国王は既に人ではない。
解決すべき人物は、カナタ王子しか居ないのだ。
大きな瞳に涙を滲ませ、動揺を抑えつけるように不自然な笑みを浮かべたサラ姫が、兄へと歩み寄っていく。
一歩近づけば、目的の人物も一歩下がるので、二人の距離は縮まらない。
「お兄さま、どうなさったの?」
「サラ、お前は今まで何をっ……王妃も、兄弟も、そうやって殺したのかっ? 臣下たちもっ!」
「だって、この人がいいって言ったから」
「止めるべきだろう! なぜ俺に言わずに!」
二人のやり取りを見ているうちに、サラの心に底知れない不安が渦巻いてきた。
サラ姫の表情が、微笑みから痛みへとシフトしていくにつれ、その後方に居る赤い瞳の輝きが増していくのだ。
あの瞳は、より魔力を吸える宿主を求めて、舌舐めずりをしている……そんな風に思えた。
戦場とこの王宮を一瞬で移動する、闇の扉。
音を立てずに、そっと開かれようとしている。
気づいているのは、サラだけだ。
特に、ターゲットにされた人物は、別のことに夢中だから。
「だってお兄さまがっ……」
「――カナタ王子、離れて!」
サラの右手に握りしめられた一粒の石が、瞬きする間に美しい宝剣へと変わる。
鞘を足元へ放り投げると同時に、サラは目には見えない『何か』を斬った。
固く豆のできた手のひらに馴染み過ぎる剣の柄から、自分の腕の延長のように真っ直ぐ前へと伸ばされた剣先が、一つの目標を捉え輝く。
「私には、あんたの攻撃は効かない」
サラは、強大な獲物を前に、地を這うような低い声で呟いた。
同時に、空いている左手を背中へ回し、何かを払うように動かした。
それは、カナタ王子に『出ていけ』という合図。
サラと黒剣の睨みを受けて、国王に宿った赤い瞳が少しだけ怯んだ、今しかない。
再び、あの瞳に封印を施すには――。
「サラ姫、早く国王を抑えて。出来る?」
「……あっ、うん」
サラを中心点として、聡明で大柄な男はその場から去り、短慮で華奢な少女は部屋の奥へ。
たった二人の兄妹……今まで寄り添いながら生きてきた二人が、初めて別の方向へ進んだ。
* * *
まったく『和平の話』どころではない。
全ての前提が崩壊しかねない展開だった。
交渉すべき相手が……単なる器に成り下がっているなんて。
国王の枕元に立ったサラ姫の指示により、赤い瞳は閉ざされた。
瞼を閉じた国王は、疲れ果て生気を奪われた白い顔をしている。
緩んだ口元からは涎が垂れ落ち、今にも力尽きそうなただの老人にしか見えない。
国王の命の炎を、今も赤い瞳は燃やし続けているのに、サラにはそれを止める手立てが分からない。
サラは大きく息をつき、放り投げた黒剣の鞘を拾うと、それを定位置の左腰に差した。
国王への処置を終えたサラ姫が、泣きだしそうな表情のままサラの一挙手一投足を見つめている。
「安心して。あなたたちに危害は加えないから」
サラが動くたびに、長い睫毛を小鳥の羽のように震わせているサラ姫を見て、サラはほんの少し砕けた口調で告げた。
その微笑は、サラ姫と似て非なるもの。
壁際の炎に負けない瞳の青が煌めき、揺るぎない口調は人の心を落ち着かせる。
「この剣が斬るのは、邪悪な存在のみ。そういう風にできてるの」
女神の剣では、普通の人間は斬れない。
昔から知っていたようにするりと出てきた言葉に、心に住む別のサラ……普通の少女であるサラが「そうなのっ?」と驚き、もう一人のサラ……黒騎士のサラが「なるほど」と妙に納得している。
一人でトリオ漫才をしているような複雑な感情に、サラは思わず苦笑いした。
そしてサラ姫は、サラの言葉を聞き終わると同時に、ぺたりと床へ座りこんだ。
「ねえ、なんでお兄さまはあんなに怒っていらっしゃったのかしら? 私、お兄さまがあんな大きな声を出すの、初めて見た……」
カナタ王子が居なくなったせいか、サラ姫のサラに対するライバル意識はずいぶん弱まったようだ。
すがる様な瞳で見上げられて、サラは頭を抱えたくなった。
どうもこのお姫様は、物事を自分で考えるという発想に行きつかないらしい。
深層の姫君……この王宮に召喚されて、わずか一週間滞在した間に何度も思ったその言葉が蘇る。
呆れ半分、同情半分で、サラは溜息混じりに告げた。
「あなたねえ、自分で少しは考える癖つけなさいよ」
「だって、分からないんだものっ」
ついに、つぶらな瞳からポロリと涙が零れ落ちた。
まばたきするたびに、ぽたぽたと落ちるその雫は、まるで女神の涙のように美しい。
「もぉ……泣かないでよ」
こんな風に泣くのはズルイけれど、サラは泣いている女の子を放っておける性質ではない。
ゆっくりサラ姫に歩み寄り、その傍らにしゃがみこむと、ズボンのポケットからハンカチを取り出した。
ふんだくるようにその白いハンカチを奪い取り、サラ姫は両目を覆う。
デリスからもらった大事なハンカチだ。
サラが「それ後でちゃんと返してよっ」と言うと、サラ姫はチーンと鼻をかんで応えた。
↓次号予告&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。
もしかして……大幅改稿、パートツー。大変申し訳ありませんっ! と、何度土下座して謝れば良いものか。大筋は出来ているのですが、ついつい立ち止まってしまいます。もっと良いエンディングはねーがーと……ひょっとしたらこれって『長編完結させたくない病』というヤツなのだろうか。「敵は本能にあり!」って、そんな余計なバトルはイラネー! 勇気を出して立ち向かいますっ! さて、今回のお話はサラ姫ちゃんと国王様の背景暴露編でした。赤い瞳さんはとっても便利だけど、持ち主の命を縮めていく……まさに悪魔の契約っぽい王道設定です。ちょっとサラちゃんもビビるくらいの強敵。いわゆる『ラスボス』ってヤツですね。サラ姫ちゃんが制御しているので、まだ大人しくしててくれてますが、この先どうなることやら?(また話変える可能性有り。毎日更新→ほぼ毎日に変更ということで……ヘタレでスンマセンッ)
次回は、お話にならないサラ姫ちゃんから、ストーリーテラーは側近魔術師さんへ。もうちょっと実のある暴露話を。