第五章(4)和平への道のり
顔に『無茶しちゃいました』と書いたように、わざとらしい引きつり笑いを浮かべるサラの顔を訝しげに見つめた国王は、ふっと息をついた。
「まあ、その話はまた落ち着いたらゆっくり聞くとしよう。ともかく問題は、まだ残っている。しかも、ネルギ国内部にあるということだな?」
話が早そうだと、サラも表情を引き締めた。
ここからが、本題なのだ。
「はい。この戦いを始めたのも、ネルギ軍を闇の魔術で支配したのも、リコを……暗殺者を送り込んだのも、すべてはネルギ国に住む“魔女”の存在ゆえ」
広くは、禁呪である闇の魔術を操る者を指す『魔女』という言葉。
しかしこの国の王族は、その言葉に強烈な反応をする。
エール王子が魔女を憎む理由は、サラも直接聞いてなるほどと理解できたが、この国王の反応も尋常ではない。
「そう、か……砂漠には魔女が住むのか」
魔女という言葉を聞いた瞬間、国王の顔色は青ざめ、汗をかき乱れた前髪に隠れた額には青筋が浮き立つ。
怒りや憎しみが湧き、悲しみがそれらすべてを押さえ込む……そんな表情だった。
国王は気持ちを切り替えるように髪をかきあげると、あごひげをしゃくるいつものポーズで言った。
「以前、サラ姫とも少しだけ話したことがあったな……戦争の後にするべきことを」
「はい」
「サラ姫は、民間人の交流が必要と説いた。それは確かに正しい。しかし、大前提として整わなければならない土壌がある」
国王の表情は、長く政治に携わってきた政治家のそれに変わっていた。
まだリグルには無い、冷徹な感情。
シシト将軍も強く示していた……守るべきものを見極める瞳だとサラは思った。
「根本的な問題……それが水だ。我々は、ネルギに一方的な施しをするつもりはない。彼らが水の問題を解決しない限り、両国に温和な交流はありえない。分かってくれるだろうか、サラ姫」
「はい……国王様」
戦争が始まったそもそもの発端が、水の枯渇だった。
少しずつ進行する砂漠化に何の手も打たず、水を持つトリウム側が莫大な費用をかけて、稀少なオアシスの水をネルギに提供する……それでは和平の意味がない。
単に、ネルギがトリウムの属国になるだけだ。
そして、不満に思う両国の国民は、再びぶつかるだろう。
「両国の王族が血をまじえ、どちらの国に寄ることもない人物が公平に統治する……最初に描いた理想はそこだった。しかし、いかんせん時間がかかる。その間にも、両国の関係は悪化していくだろう」
申し訳ない気持ちいっぱいで、サラは頭を下げた。
両国の関係と、国王はさも対等なように言うが、実際問題を抱えているのはネルギ側ばかりなのだから。
* * *
ニセモノの姫として、サラは国王たちを謀った。
それなのに、国王を筆頭にこの国のひとたちは、寛大な気持ちでサラを迎え入れてくれた。
その恩義に応えるためにも、サラは考えなければならないと思った。
今が、見たくない現実と向き合うときなのだ。
「まず私がなすべきことは、戦争を止めることだと思います」
しかし、ネルギに戻り魔女を罰したところで、この物語は終わりではない。
スタート地点に戻るだけだ。
サラは、盗賊の砦で宣言した自分の台詞を思い出した。
『みんなが苦しんだり、死ななくてすむ、幸せな世界を作る』
リアルに起こっていた戦闘は、戦争という名の問題にとって氷山の一角でしかない。
この世界での戦いは、魔術が中心になる分、被害の出る範囲が狭められる。
実際ネルギ国民にとって、戦争は身近なものではなかった。
ごく少人数、戦地で命を落とした者とその関係者以外は、まるで他人事というのが現状だろう。
むしろ大多数の戦地へ行かない国民にとっては、希望の光だ。
「砂漠の国が、どうやって水を得ればよいのか……残念ながら、今の私には妙案が思いつきません」
水と緑に溢れるオアシスを、我が物にできるかもしれない。
戦争が終わるということは、そんな微かな希望の光が消えるということだ。
絶望が蔓延する前に、代わりの希望を打ち出さなくてはならない。
人として生きていくために最低限の水と食料しか得られず、希望をも失えば、国民は疲弊し息絶えていくだろう。
「しかし、勝てる見込みの無い戦争を続けて、ニセモノの希望を与え続けるくらいなら……私は、国民に真実を告げるべきだと思います」
サラは呟きながら、昔のことを思い出していた。
世界を飛び回り、戦地を訪れていた大澤パパに聞かされた戦争の話。
戦争とは、始めるよりも終わらせることのほうが、何倍も大変なのだと教えてくれた。
サラが真剣に話を聞いているときに限って、馬場先生が乱入してきた。
あのときは「結婚も一緒だぞー。籍を入れるより別れるときのほうが何倍も大変なんだ」と言って、大澤パパを呆れさせていたっけ。
馬場先生は、戦争も小さな悩みもひっくるめて『物事は案外シンプルなのだ』ということを伝えたかったように思う。
「サラ姫の考えを聞こうか?」
国王の瞳に気圧されることなく、サラはその目を見返した。
個人的な感情をすべて排除し、考えうるもっともスマートな解法を口にした。
「現在、ネルギ軍は戦闘を放棄し、政府に対するクーデターとも言える動きを始めました。トリウムからも人を送り、これを機にネルギの政治へ介入されると良いでしょう。その際は、戦犯をはじめとして好戦的な人間は徹底的に排除します。また、同時に一般市民には水や食料を今より少しだけ多く与え、再教育を開始します」
トリウムは敵ではなく、救いの神なのだと。
むしろ、敵は自分達を窮地に追いやったこの国の政治家だと。
潤沢ではない水を湯水のように使い、戦地へ行くことも無く、ゲームのように国を動かす彼らの実情を伝える。
当然噴出するだろう国民の怒りを静めるために、なんらかの処罰が必要になるかもしれない。
「実際の政治は、トリウム側から送り込まれた人物が行うと良いかもしれません。情勢が落ち着いたところで……ルリ姫とカナタ王子が結婚すれば、2つの国は1つになります。そして、サラ姫は……」
サラは、そこで口ごもった。
* * *
脳裏には、カナタ王子に見せる甘えた笑顔と、悪魔のように無邪気な笑顔、二人のサラ姫がくるくると入れ替わり現れる。
もしあのまま、王宮の奥深くで小さなワガママを言い続けながら暮らすなら、それでかまわない。
何かの方法を見つけて、闇の魔術を封じることができれば、非力なサラ姫は脅威ではなくなるだろう。
もしかしたら、カナタ王子と同じように、トリウムの王子と結ばれることだって……。
そこまで考えて、サラはため息と共に頭を振った。
自然と視界が揺らぐのを感じながら、サラは告げた。
「サラ姫は、戦犯です。彼女は闇の魔術を操り、トリウムへ何名もの刺客を送り込みました。またネルギ国民も多数“贄”として戦地へ。指示をしたのは病床のネルギ国王かもしれませんが……その罪は、決して軽くありません」
話しながらも、サラは別の誰かが自分の体を乗っ取り、この冷酷な言葉を発しているような気がした。
戦争責任が誰にあり、どんな処罰を与えるのか……そこで甘さを見せることは許されない。
いくらサラが「守りたい」と思っても、犯してしまった罪は償わなければならないのだ。
「サラ姫は、敏い子だな」
国王はベッドから出て立ち上がると、うつむいてしまったサラの頭を優しく撫でた。
サラの頭上から、国王の低い声があたたかい雨のように降ってくる。
「君のために誓おう。和平後もトリウム国は、ネルギ国民の意思をなるべく尊重する。富める者も貧しい者も分け隔てなく、同じ量の水を公平に分け与えよう。しばらくは無償の援助という形でかまわない。しかし、その先のこと……自分の国のことは自分たちで決めるんだ。それが可能かどうか、まずは見極めて欲しい」
サラは「ありがとうございます」と呟きつつも、焦燥を感じていた。
ネルギの政治にトリウムが介入しないなら、誰にどんな責任があるのか見極め、この先どうやって水を確保していくのか……全ては、ネルギ政府に委ねるということだ。
まず戦争については、責任のたらいまわしが発生するに違いない。
もしかしたら、意識の途絶えがちな病床の国王一人に擦り付けられるかもしれない。
水についても、すぐに結論は出ないだろう。
トリウムの温情にすがるだけでは、死や飢えが無くなる代わりに、希望も削られる。
サラの耳に『ほら、やっぱり終わらせる方が大変だろう?』と、馬場先生の声が聴こえた気がした。
↓次号予告&作者の言い訳(痛いかも?)です。読みたくない方は、素早くスクロールを。
しんどいですー。戦争モノの本やドキュメントはけっこう見ている方なのですが、自分で話にしようとするとまったく別物と分かりました。あまり深く触れないようにと思っても、さすがにこの程度は……はーしんど。今回笑えるシーンがまったく無いです。馬場先生だけが希望の光。しかし、シンプルに考えようと思っても、なかなかそうならないですわ。裁判員制度も始まりますが、人が人を裁くということは難しいことだと思います。とはいえ『考えることをやめた』(カーズ様)では、逃げになってしまうし……とりあえず、サラちゃんと作者はもう少し悩むことにします。
次回から、ちょっとまた方向性の違う話に入っていきます。国王様の秘密暴露。当然いやーんな恥ずかしい秘密……ではありません。シリアスもう少し続きます。はー。